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小谷城めぐり

タイトルだけ見ると、あたかも小谷城に行ってきた風ですが、残念ながらそうではありません。


来年の大河ドラマがらみで、弊社の他のサイトでもにわかに調べものが佳境でして、わたくしもその影響で滋賀県の小谷城についてWEBで情報収集していたのです...。


幼い頃に、いとこのおっちゃんに確か余呉湖周辺は連れて行ってもらった記憶があるのですが、実際その周辺の城めぐりはしたことがありません(したかも知れませんが、幼すぎて記憶がありません空


ネットで小谷城を検索すると、「小谷城戦国歴史資料館」という資料館があることを、恥ずかしながらはじめて知りました汗(常識かな....)

「へぇ~、ふむふむ」と見ているうちに、「江・浅井三姉妹博覧会」のバナーを発見。クリックすると、これまたはじめて知りましたが、そんな博覧会が予定されていたんですね。(イラストが若干少女マンガっぽくて新鮮音譜


しかも、12/25(もうすぐ!)からあせる


今さらながら、自分の世の中の情報に対するアンテナの張ってなさに反省しきりです。


肝心の内容はと言いますと(PCでご覧の方はこちら で)、「浅井・江のドラマ館」、「小谷・江のふるさと館」、「長浜黒壁・歴史ドラマ50作館」の3つの館構成で各種展示が行われ、それらの間をバスバスでネットワークしている、というものです。


しかも、「小谷・江のふるさと館」からは、なんと小谷城の中腹まで「小谷城バスメラメラ」が出ているではないですか。

まさに、浅井時代を思わせる綿密な支城ネットワーク


いろいろ見てたら本気で行きたくなってきました。もちろん小谷城行くのであれば、近くであと100コくらい行きたい城跡がありますが、非常に前のめりで検討してみたいと思います。


来年の、12月までやっているみたいなので(何とも忙しい人には心強いスケジュール感)、ぜひみなさんもチェックしてみて下さいビックリマーク

雪の結晶アバターが昨日も追加され、城全体が雪でコーディネートできるようになってきましたね(わたくしは季節感ない感じになってますが)。


さて、みなさん城めぐりされる際に、いかに効率よく攻略するかルート設定されてから行かれる方も多いと思いますが、雪と言えばその昔、富山城(富山県)から浜松城(静岡県)まで、真冬に歩いて行った男がいるのをご存じでしょうかはてなマーク


その男の名は「佐々成政」です。


日本地図を思い浮かべてもらえれば分かりますが、富山城から浜松城まではタテに一直線って感じです。


現代でも新幹線など通ってないほど途中は3000メートル級の山ばっかりなので、西の福井の方まで行って南下したのか、東の新潟の方まで行って南下したのかと思われるかもしれませんが、なんと佐々さん、そのまま南へ向かいました。


つまり、北アルプス、立山山系を歩いて越えて浜松城へたどり着いたのです!!

登山の歴史から見ても快挙らしいですよ。


もちろん、佐々さんが城めぐりの会員だったわけではないので、浜松城を攻略しにいったわけではありません(・_・;)


なんで真冬に3000メートル級の山を、大名自ら越えていかなければならなかったのか簡単に説明すると、信長の死後、秀吉と信雄(信長の子)が対立し、秀吉 VS 信雄・家康 という構図ができあがります。


で、信長の忠実な家臣だった佐々成政は、信雄側について西は加賀・能登の前田利家や、東は越後の上杉景勝と対戦しますが、この争乱の張本人の信雄が勝手に秀吉と講和したために、完全にハシゴを外された感じになっちゃったわけです。


で、これはヤバいあせるということで、自分自身で同盟者の家康の元に説得に行くことになるのですが、富山の両サイドが敵なので、すなわち南に行くしかなかった、というのが理由です。


後日談ですが、結局めちゃくちゃ大変な思いをして浜松城にたどり着いたのに、家康にも断られてしまいますダウン

無念の思いでまた歩いて富山城へ戻ったはいいものの、その後、秀吉の大軍が富山に攻めてきて降伏、という悲しい結末を迎えるんですね。ほんとかわいそう汗


しかも、その秀吉軍の中には信雄もいたという…。おい、信雄あんたって人はっ、という感じです。


この佐々さんの一連の山越えは「さらさら越え」と言われて結構有名なので、一度気が向いたら本など読んでみて下さい。信長が死んでからは結構悲哀漂う人生なんですが、個人的にはすごく好きな武将です。

来年、城めぐりはヤバいです。

最近、何かとWikiLeaksの話題をよく耳にしますが、それに触発されてわたくしも、いよいよ来年の城めぐりの展開についてリークしてみたいと思います。


結論から先に言いますと、来年城めぐりはヤバいです。自分でもワクワクドキドキしてしまいます。


城めぐりもオープンから8ヶ月ほど経過しまして、細かい部分も含めてバージョンアップもできてきて(4月から使って頂いている方にはよく分かると思います(笑))、ようやく安定してきましたが、今は嵐の前の静けさ、にも似た感じです。


まずは、以前ブログで触れたこともありますが、地図についてのバージョンアップを予定しています。携帯向けのGoogleMapでできることをいろいろと盛り込みますサーチ


また、最近自宅や職場周辺の城を攻略し尽くしてしまった、という方には朗報の新機能も企画されています。これは1回攻略した城にも愛着をもって頂けるものだと思っています。


さらには、恐らく誰も予想だにしていないであろう全く新しいプロジェクトが始動しました。

壮大すぎて、すでに来年前半が忙しくなってしまうことが確定してしまいましたが、早く内容を言いたくてうずうずしていますヒミツ

機能追加のレベルを越えているので、あえて「プロジェクト」と呼ばせてもらっています。


もろもろ何も具体的なことが言えずにもどかしいですが、それぞれの新機能については、ちょくちょくブログでリークしてまいりますので、時間があればチェックしてみて下さい。


もちろん、新しい条件の異名やキャンペーンなどは随時予定されていますので、こちらもお見逃しなく。


追伸:来年の4月6日は城めぐりオープン1周年です。こちらもお楽しみに音譜

【籠城戦】名城とともに灰になった松永久秀

松永久秀という戦国武将をご存じでしょうかはてなマーク


知ってる方はどんな印象をお持ちでしょうかはてなマーク




一般的には、戦国の梟雄と言われ、下剋上を地でいった人物として名高く、将軍を殺害し主家を乗っ取り東大寺大仏殿を焼いたと言われる人物です。


(※だからみなさんが修学旅行で見た大仏殿は、実は1709年にできた3代目なんですねカメラ




当時から完全なヒール役担当で、“あの”信長ですら徳川家康に久秀を、上の3つの悪事をあげて「この人超ワルだから」と紹介してるくらいです。(「あんたに言われたくないよ(-_-メ」と久秀が言ったとか言わなかったとか)




で、この人の滅び方がまたすごい。


ということで今回は久秀最後の戦いとなった、信貴山城の戦いをピックアップです左下矢印




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名城とともに灰になった松永久秀


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松永久秀の出自は、商人や地侍の出身など諸説あってはっきりしない。


その久秀が、三好長慶に見出され、一時は畿内を支配するほどの勢いを見せたことが、乱世の梟雄と言われる所以である。




久秀は三好家において頭角を現すと、次第にその野望をあらわにし、長慶の弟や嫡男が相次いで死を遂げた。これらは久秀の仕業という疑惑もあり、長慶は心労も重なってほどなく死亡した。




長慶死後の三好政権は、実質的に久秀と三好三人衆によって引き継がれたが、将軍足利義輝を殺害し共通の敵を失うと次第に両者の対立が深まるようになる。




三好三人衆が陣する東大寺大仏殿が戦火に見舞われたのも、このような対立の中での出来事であった。




そんな状況の中、尾張から勢力を伸ばした織田信長が上洛の軍を起こすと、久秀は名茶器と言われた九十九髪茄子と人質を差し出し、いち早く恭順の態度を示した。




信長も混乱極まる畿内の統治に、大和を中心に勢力を扶植する久秀の利用価値は高いと見たのか、その後の戦いにも積極的に起用し、重用している。




しかし、結論から先に言うと久秀はこの後信長に二度背いている。


その動機ははっきりしないが、結果から見ると久秀にとって、信長すら自らの下剋上実現のために利用しようとしていたようにすら思える。




一度目の離反は、史上名高い信長包囲網が形成され、信長が窮地に立たされていた時のことである。


甲斐の虎、武田信玄の上洛近し、との報を聞くと、畿内の旧敵らとも手を結び、反旗を翻した。


しかし、この目論見は信玄の病死によって崩れ去った。




久秀は、自ら心血を注ぎ、近世城郭の先駆けとも言われた多聞山城を信長に明け渡し、降伏した。


信長も、久秀に対しては珍しく寛容にこれを許し、引き続き対本願寺戦などに起用した。




二度目の謀反はその5年後である。今回も本願寺や毛利、上杉らの攻勢によって信長が苦しめられた時期のことである。


しかし、上杉勢が北陸戦線から撤退したことにより、再び久秀の野望は潰える。




上杉の脅威が去った信長は、嫡男信忠率いる4万の大軍を久秀の居城、大和信貴山城へ差し向けた。




孤立無援ではあるが、多聞山城にも見られる久秀の築城技術の粋を集めた信貴山城は容易に落ちるものではない。また、籠城兵には本願寺側からの援軍という望みもあり、戦いは長期戦の様相を呈するかに思われた。




しかし、信忠軍の総攻撃が始まるや、信貴山城は予想外に簡単に落城した。城内に内応者が出たことから、さしもの堅城も内部からあっけなく崩れ去ったのである。


あらゆるものを犠牲にし自らの道を切りひらいてきた久秀が、人心までは掌握しきれなかったことから招いた悲しき末路であるとも言える。




久秀の最期にはこんな説がある。




信貴山城が包囲された際、信長側から久秀の持つ名茶器、平蜘蛛茶釜を差し出せば助命するとの条件が出たが、久秀はこの申し出を即座に拒否した。




落城に際して久秀はこの平蜘蛛茶釜に火薬を仕込み、茶釜もろとも自爆して果てたと言うのである。


天下の名器と、天下の名城とともに砕け散るという、梟雄に相応しい死に様とも言えよう。




さらには、久秀爆死のその日は、何の因果か東大寺大仏殿が焼け落ちた日と同じ日であった。




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戦国武将で爆死した人は他に思いつきませんね爆弾




茶釜をたたき割ってから、城に火を付けたなど、いろいろと説はありますが、まあ、かなり潔いというか壮絶な最期であることには違いありません。




信長と同じ臭いがするのに英雄になれなかった松永久秀の話でした。

アバター情報

以前11月にやります、と言っておきながら、すいません、今月に延びてしまっていたアバターのプチ変更が、ようやく概要発表できる段階になりました。お待たせしましたあせる


簡潔に、おおまかに3つ箇条書きにします。


1櫓門、遅ればせながら登場

以前行ったアンケートで、ご要望が多かった櫓門が登場します。

ただ、今のアバターの構成だと実現できない作りになっていたために、いろいろと試行錯誤をしながら実現へとこぎ着けました。(櫓門って、門と塀と石垣が複雑にからみあっているんです。)


櫓門の登場にともなって、「塀」「門」「石垣」カテゴリーのものたちが、すべて微妙に変化します。


2櫓、すみっこへ行く

こちらもアンケートで多数のご要望を頂いていた櫓。この櫓、プチ変更にともなって、「隅櫓」へとパワーアップしますひらめき電球新たに購入する必要はありませんが、場所が移動します。


勘の良い方ならもうお気づきかと思いますが、「隅櫓」というくらいですので、アバターの中に、「」の部分が新たにできます。


3東西の概念

当初、あくまでアバターなので、ということでシンプルな構成になっていた城内ですが、やはり若干ハコニワ的な要素も含んできましたので、実情にあわせて「軍備」「施設」がそれぞれ東西に置けるようになります

※東西といっても、つまり左右に、という意味なんですけどね(・・。)ゞ


例えば、天守の左右に仏郎機砲を配置する、などということも可能になります。

このプチ変更によって、より密集度が増すことになります。



以上が、簡単ですが概要でした。

ちなみに、こちらのプチ変更が、クリスマスイブクリスマスツリーに行われるとの予報です。

クリスマス、という何の関係もないものを強引に結びつけました。)


アバターもゲームが始まったころに比べるとだいぶ変わりましたが、また将来的に城下町的な機能を盛り込んだりしたら(ちゃんと計画として残ってますんで)、それと連動してまたパワーアップするでしょう。みなさんのご要望に応じて、どんどん進化しますので。


それではクリスマスイブを楽しみにしていて下さい。

今日から無料動画配信!

この間のブログで告知しましたが、本日より城めぐり会員限定ページにて、ドラマ「三国志」の予告編動画カチンコ無料配信しています。例によって期間限定で、1/10までの公開となっていますのでご注意下さい。


冒頭で董卓が例によって悪人面で登場しますが、全体的に非常にわくわくさせられる内容です。

しかも、「あまり描かれることのなかったエピソードを網羅」したと予告編の中で言っているところが妙に気になりますひらめき電球


張飛、督郵をボコボコにする。」とか出てくんのかな。


個人的に、すごく見る気まんまんではありますが、なんと全95話!!なので、これは完全に仕事に支障をきたしそうです汗

ただでさえ、今「24 シーズン8」に着手しているところなのに、95÷24=3.9 つまり約4倍の体力を必要とします。


結論、ライフワークとして見る、ことにします。


映画予告編でも携帯で見るには長すぎるというウワサもありますが、ぜひ最後まで見てみて下さい。

※ちなみに、パケ放題的なプランに入っていない方は、動画なのでパケット代がすごいことになりますので、閲覧はお控え下さいませ。

余談ですが、エキストラの数は15万人らしいです。

“ドラマ”の撮影なのに、すでに関ヶ原の戦いの東西両軍の合計人数と同じ…。

おそるべし中国の物量作戦


ちなみに、10月に「関ヶ原時計連動Flash」、12月に「三国志無料動画」と続きましたが、決して2ヶ月に一度“何かある”わけではありませんので、あしからずm(_ _ )m


プレッシャーに押し潰されるタイプですので。

年末年始は。

夏休みもまだ取っていない(=あきらめていない)わたくしですが、世の中はすでに師走なのです。


みなさん忙しくされているかと思いますが、城めぐりの戦況はいかがでしょうかはてなマーク

わたくしは地味にコツコツ城数を増やしています。行かなくて良いところに行ってみたりして。


さて、もうすぐ年末年始ということで、長期の休みを取る方もいらっしゃるかと思いますが、今回もやります

行軍ボーナス倍増キャンペーン音譜」を。


今年のGWと夏休みに行ったキャンペーンです。

非常に好評だったので、すでに恒例となってきましたが、年末年始もやります。


気になる期間は、ちょっと長めに、12/22~来年の1/10までです。


内容については下記をご覧下さい。

●行軍ボーナスが倍増します。

●日本100名城を攻略した場合、1000両獲得となります。

●お友達紹介ボーナス500両が、1000両に倍増します。


わたくしは年末年始の予定が驚くほど白紙汗ですが、みなさんにおかれましては、ぜひ城めぐり&行軍に励んで下さいませ!!


<ご参考までに>

日本100名城は以下を指します。


≪北海道・東北≫
根室半島チャシ跡群 五稜郭
松前城 弘前城 根城
盛岡城 多賀城 仙台城
久保田城 山形城
二本松城 会津若松城
白河小峰城


≪関東・甲信越≫
水戸城 足利氏館 箕輪城
金山城 鉢形城 川越城
佐倉城 江戸城 八王子城
小田原城 武田氏館 甲府城
松代城 上田城 小諸城
松本城 高遠城 新発田城
春日山城


≪北陸・東海≫
高岡城 七尾城 金沢城
丸岡城 一乗谷城 岩村城
岐阜城 山中城 駿府城
掛川城 犬山城 名古屋城
岡崎城 長篠城 伊賀上野城
松阪城


≪近畿≫
小谷城 彦根城 安土城
観音寺城 二条城 大阪城
千早城 竹田城 篠山城
明石城 姫路城 赤穂城
高取城 和歌山城


≪中国・四国≫
鳥取城 松江城 月山富田城
津和野城 津山城
備中松山城 鬼ノ城
岡山城 福山城 郡山城
広島城 岩国城 萩城
徳島城 高松城 丸亀城
今治城 湯築城 松山城
大洲城 宇和島城 高知城


≪九州・沖縄≫
福岡城 大野城 名護屋城
吉野ヶ里 佐賀城 平戸城
島原城 熊本城 人吉城
大分府内城 岡城
飫肥城 鹿児島城 今帰仁城
中城城 首里城

空腹の籠城

すごく個人的な話をしますと、まだ昼食を食べていない状態で、今ブログを書いています(゚Д゚)


兵糧攻めのように、つぎつぎと押し寄せるタスクがわたくしのまわりを包囲して、食事ナイフとフォークに行かせてくれません。

なので、「昔はもっと大変だったんだ」と自分を鼓舞するために、強引に今回のブログのテーマを決めました。


兵糧攻めと言えば、力攻め(正攻法)と並んで、もっともポピュラーな城攻め方法のひとつですね。

ひとくちに兵糧攻めと言っても、大小さまざまありますが、基本は城の周りをグルっと囲んで、後は待つだけ。です。


大規模なところで言うと、信長による石山本願寺攻めでは、周囲に多数の付城(つけじろ)を築いて何年も包囲してましたし、秀吉による小田原城攻めに至っては、10万以上の軍勢でびっしりと囲んでから、自分たちは嫁さんを呼んでどんちゃん騒ぎビールをしていたという…、もはや一大イベントです。


兵糧攻めで特に凄惨だったのは、やっぱり鳥取城の戦いでしょう。


これも、城を攻めたのは秀吉ですが(秀吉は兵糧攻めがお得意)、すでに城を攻める前から用意周到です。なんと包囲する数ヶ月前から、鳥取周辺の米を倍以上の値段で買い占めていたのです。そりゃみんな売りますね。一部の城兵は、城内の米まで売ってしまっていたとか。


満を持して囲んだ時には、城はすでに兵糧不足の状態で、配給される食糧が、米から大豆・大麦→ひえ・粟→ふすま… となる有様。さらには、犬・猫・ネズミ→雑草・木の根っこを食すようになるのです。


極めつけは、食べ物を求めて城外へ出た者を、秀吉軍が狙い撃つと、その撃たれた者をめがけて城兵が殺到したという話です。そう、食べるためにです....。


結局、その後城主の吉川経家は切腹を条件に降伏しますが、その後、振る舞われた粥を、栄養失調状態の城兵が急いで大量に食べたことによって、さらに100人近くが亡くなりました。


あまりにも悲惨でかわいそうな話ですダウン


ぜいたくは言っていられないので、頑張って仕事に戻るとします…。

自分年表の使い方

ゲーム内に「自分年表」というメニューがありますが、ブログで触れたことがなかったのと、たまにお問い合わせも頂いたりしますので、改めて今回は「自分年表」について解説ですひらめき電球


まず、大前提として、自分年表には所持金が増減した出来事、のみ記録されていきます。

つまり、異名を変えてみたり、誰かのページに足跡を付けたりしても、自分年表には記録されません。


その前提で以下の分類がされています↓


1城郭攻略

こちらは文字通り「」を攻略した年表です。攻略数と石高と所持金の増加分が記載されています。

時系列で「あー、あの時この城行ったなー」と思い出にひたることもできますお月見


2行軍履歴

これは行軍によって両を獲得した場合に記録されます。なので、1km以上の行軍はすべて記録されます。

ちなみに、城を攻略したときにもちゃんと行軍ボーナスは付きますが、年表では1に記録されますメモ


3居城普請

城アバターを建てた場合に、「」を使いますので、その利用分が記録されています。

わたくしは貯まったらすぐに使ってしまうタイプなので、これを見ると散財ぶりがよく分かります。


4クイズ解答

クイズによって何両獲得したかが記録されます。連続正解ボーナスがある方はそれもいっしょに。

間違えた場合は所持金は増えないので、ここには出ません汗


5各種ボーナス

こちらは、今のところ「年貢」収入があった場合に使われています。

今後何か突発的にボーナスがあった場合はここに記録されます。(「各種」というせこい表現あせる


以上が自分年表の詳細です。


で、1つだけ例外があります。それは「密書」です。

伝言板で「密書」を選択すると両を使いますが、「密書」だけに自分年表には一切出てきませんヒミツ


また、そもそも「年表を人に見られたくない!」という方もいるかと思いますが、もちろん公開設定で非公開にできますので、その場合はプロフ設定から変更して下さい。


決してメインの機能ではない、地味な「自分年表」ですが、あなたの城めぐりライフをもくもくと記録しているので、ぜひたまに覗いてみてあげて下さい音譜

「おしろツアーズ2」

12月5日(日)16時5分から、フジテレビ系列で、

おしろツアーズ2~絶対行きたくなる!おもしろ名城旅~

という番組が放送されるのをご存じでしょうか?今日が12月2日なので3日後ですね音譜


そうです、「2」ということは、実は1回以前に放送しているのです。

今年の5月に第一弾として放送され、好評だったようで、「2」となったみたいです。


この番組は、城好き芸人として名高い(?)、ロンドンブーツ1号2号の田村淳(先生という位置づけ)さんがメインで、日本の名城をめぐってその素晴らしさ知って、歴史的な背景も紹介する、という内容です。


先生の解説のもと、浅香唯・うつみ宮土理・榊原郁恵・島崎和歌子・奈美悦子・三船美佳(敬称略)を生徒として進行するらしい(フジテレビHPより)です。


生徒さんたちがどういう基準で選ばれているのか謎(^▽^;)ですが、淳さんが城好きであることは、城好きの間では有名ですね(たぶん)。


昔からテレビなどで「城好き」を公言していたので、イマドキ珍しい人もいるもんだと、自分のことは棚の上の奥の方に上げて思っていたものですが、まさか城メインの番組が作られるとは…。これも歴史ブームの影響でしょうか。

※ちなみに淳さん本人には、「短い時間でもいいからレギュラー化したい」という意向があるそうです。


第二弾では、松本城(長野)・諏訪高島城(長野)・松山城(愛媛)・今治城(愛媛)の四城がピックアップされます。どの城も有名でみどころが多いのが特徴ですねひらめき電球


個人的には、もっとマニアックな山城なども取り上げて欲しいところですが、「えー、地面が平べったいこの雑木林が実は昔の曲輪跡なんですよ。」という番組は、どう考えても成立しないですね汗あきらめましょう。


ということで、城マニアにはちょっと物足りないかもしれませんが、松本城の「桝形虎口」なんかも今回紹介されるとのことですので、チェックしてみてはいかがでしょうか旗