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難読城(東日本編)

城めぐりをしていると、「ん、これ何て読むのはてなマーク」という城にしばしばめぐり会います。


これをわたくしは勝手に難読城と命名しています。城詳細ページにあるふりがなは、この人たちのためにあると言っても過言ではないでしょうメモ


孫子の兵法にも、「城を攻略するにはまず読み方から」、とあるように(ないです)、当てずっぽでは絶対に読めない、素晴らしき難読城の一例を見てみましょう。


クリップ発寒チャシ(北海道)

ずっと「ほっかん」だと思いこんでました。「ハッサム」です。


クリップ和徳城(青森県)

「わとく」ではありません。「わっとく」です。ぐっときます。


クリップ人首城(岩手県)

一見難読城じゃないように見えて、「ひとかべじょう」と読みます。


クリップ丹生城(群馬県)

にゅうじょう」と読みます。特に最近出来たわけではないようです。


クリップ五十公野城(新潟県)

いじみのじょう」は、「しばたし(新発田市)」にあります。


クリップ麻績城(長野県)

おみじょう」。麻績村にあるれっきとした県の史跡です。


クリップ今石動城(富山県)

こんせきどう…、イマイシウゴ…、正解は「いまいするぎじょう」です。



いかがでしょうか。

いくつ読めましたかはてなマーク


例を挙げるときりがないくらい他にもたくさんあります。

城に詳しい方や地元にお住まいの方にとっては、普通に読める城も含まれているかもしれませんが、あくまで一例ということでご容赦下さいあせる


そして、勘の良い方は既にお気づきかもしれませんが(というか、ブログタイトル時点でネタバレ)、今回は東日本編でしたキラキラ


そうです。まさかの全2回構成なのです。よって、次回は西日本編になります。

西日本編も、どうか楽しみに(?)お待ち下さいませm(..)m

出撃の陣太鼓

サイトのお知らせで告知しました通り、先週からお伝えしておりました「城主争い」機能のスタート日が、2月1日に決定しました!!

※とはいえ、2月1日の0時からスタートではありませんので、その点だけご了承下さいませ。恐らく日中になるかと汗


毎月1日~末日までの月間1位を獲得すると、来月度の城主に就任できますので、みなさん2月から頑張って城主の座を狙いにいって下さいドンッ
(2月に1位を獲得した場合、3月度の城主になれます王冠1


今回新たに始まる「城主争い」ですが、今年はまだまだ他にも楽しい企画や機能が考えられています。


今の段階は、まさに先陣の鉄砲隊が発砲して戦闘開始くらいの段階です。出撃の陣太鼓が打ち鳴らされている状態です。今後、騎馬隊の突撃あり、槍ぶすまあり、伏兵の横撃ありと、様々な攻撃が控えています。
↑あえて分かりづらいたとえ話でお茶を濁しました(・・。)ゞ


ここで、1月最後の裏情報をお伝えしましょう。わたくしが放った乱波からの情報によると、今回の城主争いスタートのタイミングで、新しい異名が出現するとかしないとかナゾの人


同じタイミングということは、城主争いに関連した異名であることは間違いありません。

こちらの獲得もぜひ目指してみて下さい。(まさかのノーヒント!!)


2月1日ということで、あと5日ほどありますが、みなさん楽しみにお待ち下さいませー旗

城郭写真

いやー、冬の城も風情があっていいですねー。ということで、最近は季節柄、雪の積もった城郭写真雪をアップ頂いている方もいらっしゃって嬉しい限りです。


最近はひとりでみなさんの写真を見ながら、“行った気分”にひたっています。雪化粧した城はまた別の魅力を見せてくれます雪の結晶


さて、その城の写真ですが、現在はアップ頂いた順番に表示されるようになっています。つまり、一番最初にアップして頂いた写真が、城の詳細ページのトップに表示されます。


ただ、今の状態だと、たくさん写真をアップして頂いている城の場合、ほとんどの写真が次のページ以降に埋もれてしまうという悲しみがありました。


そこで、来月の「城主争い」のスタートと時を同じくして、ここの部分がちょっと変わります。

城の詳細ページのトップに表示される写真が、“ランダム表示”に変更になります。(写真が1枚のみの場合は、これまでと変わりありません。)


なので、アクセスするたびに様々な写真が出るようになります。特に有名な城(たとえば姫路城など)については写真の枚数が数十枚に上っていますので、みなさんの写真が平等に表示されるようになりますカメラ


もちろん、今まで通り、「」をクリックしてもらえれば、フォトギャラリーとしてすべての画像が見れますので、ご安心下さいひらめき電球

同時に、行軍後のページの下に表示されるこの地点にある城の写真も、ランダム表示になります。


これを機に、まだ写真の上がっていない城にも写真を付けて頂けると大変ありがたく思いますビックリマーク

また、何度も恐縮ですが、アップ時の「写真の向き」にはご注意下さいませ。


とは言いつつ、冬の山城は遭難の危険もありますので、撮影の際にも十分お気を付け下さいませキラキラ

争いの続報

一昨日のブログ で全容が明らかになりました(←客観的なものの言い方)「城主争い」ですが、「で、結局いつ始まんの?」ということを言わずじまいでしたあせる


スタートは2月初旬です。今が1月下旬なので、実にもうすぐですねひらめき電球

現在、鋭意がんばり中ですので、もうしばらくお待ち下さい。正式な日程が判明したら、ブログ&お知らせで告知しますんで。


【さっそくお詫び】

その一昨日のブログで、誤字というか書き間違いを発見しました。


「毎日名古屋城の近辺を移動する方が、江戸城が攻略できる地域でコツコツ位置登録して月間1位に輝くと…」

とありましたが、正確には、「名古屋城が攻略できる地域で」の誤りでした。


お詫びして訂正します。申し訳ございませんでしたm(_ _ )m

なぜ、「江戸城」と書いてしまったのか謎です...。



さてこの新機能、前回、同じ地域を日常的に移動される方にピッタリと書きましたが、特にその日常の中で複数城にまたがって移動される方は、複数の城の城主に同時になれるチャンスもあるのです音譜

※マイページに表示できるのは常に1城のみ(切替可)ですが、各城の歴代城主にはちゃんとお名前が刻まれます。


なので例えば、通勤途中で5城あれば、コツコツ城攻めして頂ければ、五城主同時就任も夢ではありません。

しかも、リアルタイムで進行中の来月度の城主争い状況も確認できてしまうので、自分がもうちょっとで1位になれるとか、1位陥落しそうでヤバいとかの戦況が分かるのですメラメラ


※ちなみに、「城主争い」機能のみ、公平さを保つために、同じ城の位置登録は、次の位置登録まで3時間以上空けて下さい。(時間間隔が無制限だと、理論上1日に数千回城攻めできてしまい現実離れするためです。)


ただし、この時間間隔制限、他の機能(位置登録でGETできる両など)には一切影響ありませんので、普通の城攻めは今まで通りに使って頂けます


長くなりましたが、本日の続報は以上でございます!!

新機能「●●争い」

先日、「※画面は開発中のものです 」をアップしましたが、そろそろ次の機能についてバラす、いや、お伝えすることができるようになってきましたひらめき電球


新しい機能は、ズバリ「城主争い(仮)」です。

「争い」と言ってしまっていますが、そんな殺伐としたもの(笑)ではありませんのでご安心下さい。


今回新しく始まるこの機能は、平定し終わった地域をめぐる方 or 同じ場所での反復移動が多い方(つまり、わたくしも含めて…)にピッタリの機能になっています。


現在は、すでに平定されている場所で位置登録すると、移動した分の両がGETでき、近くにいる人が分かるようになっていますが、そこに新たな楽しみが追加されるのです。


なんと、今城めぐりに収録されている2000城それぞれの城で、月間で一番攻めた人(=位置登録した人)が翌月その城の「城主」を名乗れるようになります!!


たとえば…

毎日名古屋城の近辺を移動する方が、名古屋城が攻略できる地域でコツコツ位置登録して月間1位に輝くと、次の月1ヶ月間「王冠2名古屋城城主王冠2」の称号が得られます!!


もちろん、その月は他に「名古屋城城主」はいません。唯一無二の存在になります。城主の称号はご自分のトップページに表示されます。


さらに、各城郭詳細ページには「歴代城主」欄が新設され、あなたのお名前がここに未来永劫刻まれるのです。

もちろん、月間1位になれば何度でも城主になれますし、逆にうかうかしていると城主の座を失ってしまうことにもなる、いかにも“下剋上”な機能なのです。



いろいろと知っていることを吐露してしまいました…。


就寝中に畳の下から刀で突き刺されるドクロといけないので、今日はこれくらいにしておきます。

お代官様の監視の目を盗んでまた続報はお伝えしますビックリマーク

【籠城戦】加藤清正、玉砕覚悟の蔚山籠城

以前のブログ
で朝鮮半島に築かれた倭城のことを書きましたが、今回のピックアップ籠城戦はその際に少し触れた蔚山城(うるさんじょう)の戦いをテーマにしてみました。




主人公は加藤清正




清正と言えば虎退治熊本城、はたまた近頃では入場制限されるほど人気のパワースポットでおなじみの清正の井戸(城めぐりでは「彦根藩下屋敷」のある明治神宮内)など、いろいろと連想されるものが多いですが、個人的には蔚山城の戦いがもっとも男前に思えるのです。




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加藤清正、玉砕覚悟の蔚山籠城


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慶長2年(1597)、太閤秀吉は朝鮮への再出兵を諸将に通達した。慶長の役の始まりである。


文禄元年より実施された朝鮮半島への侵略(文禄の役)が明軍の来援や兵站の行き詰まりで頓挫し、明との間に持たれていた講和交渉も決裂したためである。




第一軍の加藤清正をはじめ、毛利秀元、宇喜多秀家など総勢14万の大軍が海を渡り、文禄の役の時と同様、緒戦は日本軍有利であった。日本軍の殺戮は執拗を極め、討ち取った者の耳や鼻を切り取り、戦果報告として秀吉のもとへ送るなどしている。




しかし、朝鮮側でも再度の侵攻を予期して迎撃体制を整えてきたこともあり、日本の勢いも早々に減退、朝鮮半島南部に倭城を築き、長期持久戦の様相を呈するようになった。先鋒を務めた加藤清正も、蔚山を城地に選定し、昼夜の突貫工事を行ってその普請を急いだ。




その蔚山城が、明・朝鮮の連合軍に襲われたのは、まさにこのような普請途中の出来事であった。


この時清正はたまたま水軍基地構築のために西生浦(そせんぽ)という地にいたが、急を聞いてわずかな手勢とともに蔚山城へ馳せ戻り、そのまま籠城戦へと突入した。




だが、城が未完成であったことで、籠城三日目には早くも水や食糧が尽き、加えて半島の厳しい冬の寒さに、立ったたまま凍死する兵も出る始末であった。




城を包囲するのは、明軍を主体とした6万近い大軍。一方、籠城側は清正や、浅野幸長、太田一吉ら1万に満たない兵力であったとも言われる。いずれにしても圧倒的な兵力差があったことは事実である。




連合軍の総攻撃が開始されると、東面を守備していた浅野幸長などは自ら負傷するほどの激戦を展開、他方面でも各将がまさに死戦を演じるが、準備不足は如何ともしがたく、その日の内に日本軍は大量の戦死者を出して、惣構の守備を放棄し、内側へと兵を退いた。




翌日以降も、寄せ手のかさにかかった波状攻撃が行われたが、日本側も清正自身が鉄砲を放ち士卒を叱咤、激しい攻撃からかろうじて城を維持する状態が続いた。籠城から1週間を過ぎた頃には、城兵の疲労は頂点に達し、負傷した者は言うまでもなく、無傷の者ですら壁土や雑草を口に入れることで飢えをしのぎ、とても組織的な戦いができるような状態ではなくなっていた。




清正は、「救援無き場合、上下おのおの決心するところあり」と書いた書状を密かに西生浦にいる毛利秀元へ送り、すでにこの時点で悲壮な決意を固めていたことが分かる。




「玉砕」という言葉がもはや現実のものとなりつつあった一方、連合軍側も日本軍の予想外の抵抗によって死傷者を増し、清正に対して開城交渉を始めるなど、和戦両様の構えを見せていた。清正自身、開城の呼びかけに応じることはなかったが、この交渉がもたらした空白の時間によって、蔚山城は救われた。




時をほぼ同じくして、西生浦において毛利秀元ら1万3千余りの後詰めが編成され、蔚山救援に進発したのである。




翌日、蔚山南方にひるがえる無数の援軍の旗を見た城兵は狂喜、最後の総攻撃を仕掛けた寄せ手を大いに撃退した。


さらに、連合軍は後詰めの数を6万ほどと誤認したために、退路を断たれることを警戒してその日のうちに囲みを解いて退却していった。こうして、籠城軍は絶体絶命の淵で城を持ちこたえたのであった。




しかし、すでに日本軍には退却する連合軍を追撃する余力はなく、この後、諸将の心は急速に撤退の方向へと向かっていくのである。


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一説によると、加藤清正はこの籠城を教訓にして、熊本城を築いた際に、天守の畳の芯に里芋の茎を織り込んだとかひらめき電球




猛将清正の生き様を見ることができる籠城戦でした。

三国時代の攻城戦

昨日、日曜洋画劇場で「レッドクリフ」やってましたねテレビ


過去に劇場とDVDで2回見てるのですが、また見ちゃいました

やっぱり面白かった、というか映像がいいですね。リアルとCGの境目をほとんど感じさせず、引き込まれます。


オススメシーンは、「張飛、まわりにたくさん武器があるのに、あえて丸腰で突進」、のシーンです(・∀・)/


さて、劇中でも少し描かれていましたが、三国志の物語の中でもたくさんの「城攻め」の話が出てきます本


日本の戦国時代よりも1300年くらい前の話ですが、戦国の攻城戦と遜色のない、むしろスケールのデカい、いろいろなバリエーションの城攻めが見られます。日本でも活用されてはいましたが、三国時代には特に攻城兵器が特徴的で、物語に華を添えている感じがします。


みなさんご覧になったことがあると思いますが、三国時代の城は日本のそれとは少し作りが違って、基本的に土を固めた版築と呼ばれる工法で城壁を築いています。


城壁が高くてブ厚いことや、外側が直角に近いこともあって、「頑張ってよじ登ってみよう」という気が起こらず、攻城兵器が発達したのかもしれません。


城を外側から大胆に覗いてしまおうという「望楼車」や「井闌(せいらん)」、とりあえず城門に車で突っ込んでみようという「衝車」、石でもくらえの「投石機」など、数多くの攻城兵器が伝わっています。


ほんとかどうかは知りませんが、地下道を掘って侵入しようとした敵に、城内からも穴を掘って毒煙ドクロを浴びせる装置もあったとか。


1800年前の人々の発想力に脱帽ですね。



このカメラはオマケです。「ご参考までに」です。

「発見!ニッポン城めぐり」運営ブログ-攻城兵器

弊社スタッフが以前中国取材したときのものですが、もちろん現存している攻城兵器ではありません

ドラマ用のオープンセットだそうです。(それにしても、天気悪っあせる

築城500年!?

今年(2011年)、めでたく築城400年を迎えた城があります。

青森県の弘前城です桜


弘前城は、1611年に津軽信枚の代に完成した城郭で、今年から「弘前城築城400年祭」が開催され大いに盛り上がりが期待されています。


ちなみに、マスコットキャラクターの「たか丸くん」は、身長2メートルという大男です(頭に天守閣が乗っかっているため)。

※弘前市に住民登録されているそうです。


築城400年と言えば、1600年に関ヶ原の戦いが決着し、新領地に移った大名が各地に城を建てたことや、徳川家が天下普請で巨大な近世城郭を作ったことで、2000年以降、各地で“築城400年”が続出しています。


何らかの祭りやイベントなどが開催された一例を見てみると…


右矢印2001年 高知城(高知県)

右矢印2003年 二条城(京都府)

右矢印2007年 彦根城(滋賀県)

右矢印2007年 熊本城(熊本県)

右矢印2009年 篠山城(兵庫県)

右矢印2010年 丹波亀山城(京都府)


などなど。きりがないですねあせる


で、ふと思ったのですが、築城400年があれば、もっと昔の戦国初期に作られた築城500年の城もあるんじゃないかと。(「500」方がもっと区切りもいいし。)


ありましたひらめき電球

来年、築城500年を迎えるのが、神奈川県鎌倉市にある「玉縄城」です。


2012年秋には、「玉縄城築城500年祭」が開催予定のようですので、来年は玉縄城へGO!ですね。


※追伸:

日本の城の数を考えると、毎年絶対どこかの城が築城500年を迎えていることでしょう目

付け城

先日の大河ドラマ第一回放送、見ましたでしょうか?

わたくしは、見ました。


ストーリーそのものよりも、淀殿の子供時代を演じた子役の芦田愛菜ちゃんの超人的な演技力(&かわいらしさ)と、信長がトヨエツなのに家康が北大路欣也さんという逆転現象が印象的でしたが、個人的にはすごく好印象な内容でしたひらめき電球


浅井長政を演じた時任三郎さんがイイ味を出していて、「おっ、これは何か良い感じの配役だなー」と見ていたら、思ったよりも話の展開が早くて、まさかの第一回放送中に切腹、というハプニング(脚本ですが)にもやられましたあせる


さて、その長政の籠もる小谷城ですが、ドラマの中でビッシリと信長軍に包囲されてましたね。

そう、あれは信長&のちの秀吉が得意とした「付け城」戦略です。


「付け城」は「つけじろ」と読みます。

つけじょう」という特定の城の名前ではありません。


長期的に敵の城を包囲、監視するための城のことで、基本的には攻略対象の城の近くや周囲に築かれます。小谷城に対する付け城には、横山城や虎御前山の陣城がありました。(ドラマでは具体的に言ってたかな…?)


他にも、信長は10年戦争となった石山本願寺(大阪府)包囲戦でも周囲に付け城を大量に築城しましたし、秀吉も三木城(兵庫県)を攻めた際に、城の周りに城や陣所、土塁や堀など大量に構築したりしています。


まさに、城を城で囲んでしまう的な発想ですね。


前述の三木城に対する付け城群なんかは、現代でも比較的良好に遺構が残っていたりします。

多くの兵をひとつの城に、長期間にわたって貼り付けておけるほどの動員が可能となった戦国後期の攻城戦では、しばしばこの付け城戦略が見られますので、みなさんもそんな攻城戦の歴史が残る城を訪れる際には、その付け城の遺構も訪ねてみてはいかがでしょうかはてなマーク


※画面は開発中のものです

「発見!ニッポン城めぐり」の新機能を作るにあたっては、次のような段階を踏みます。


妄想空想想像…(中略)

と、ここまでは脳内の出来事です(´□`。)


評定(ただの会議) → 概要作成評定設計図作成製作テスト


おおまかに言うとこんな感じです。


妄想は置いておいて、ある程度の概要がまとまると、城を建てるとき同様、設計図のようなものを製作します。

例えば、どこをクリックしたらどのページへ飛んで、とか、どこにどんな情報要素を表示する、とかですメモ


設計図と言っても、わたくしどもはこの段階で、あらかじめ見た目や使い勝手の判断も行うので、非常に重要な工程になっています。

「普請」メニューで言うところの、「予想絵図を見る」の役割も兼ねているわけですね。


設計図を作った段階で、「なんかパッとしないね」とか、「こういうケースが起こったらどうすんの?」のような激論が交わされることもあります。妄想と現実とのギャップに胸板を撃ち抜かれる瞬間です。


実際、設計図まで作ったのに、お蔵入りになってしまったものも多々あります。夜な夜な、土蔵の中から新企画たちのすすり泣く声が聞こえてくるとかこないとか。


ということで、よくゲーム雑誌とかで目にするお言葉、「※画面は開発中のものです」を今回のブログのタイトルにしましたが、下の写真はまさにそれです左下矢印


「発見!ニッポン城めぐり」運営ブログ-0111

これは現在開発中の新機能の設計図です。

なにやら、城詳細ページの隣に見慣れないページがありますね。


今回、思い切ってリークしてしまいましたが、写メのアップが限界でした。

が、続報は今後アップしていきますのでお見逃しなくビックリマーク


※以上、開発中の画面でした。