倭城について | 「ニッポン城めぐり」運営ブログ

倭城について

昨日、北朝鮮が韓国の延坪島(ヨンピョンド)を砲撃したことが大きなニュースになりました。

今回のブログはそんな朝鮮半島に関連した“日本の城”の話です。


城めぐりでは日本国内の城のみ攻略可能なので、触れる機会を逸していましたが、こんな機会なので、自分も改めてお勉強してみようかと汗


その昔、戦国時代に豊臣秀吉が朝鮮半島へ出兵したことはよく知られています。

ただ、その長い戦いの中で、日本側が朝鮮半島にたくさんの城を築いたことは、城や歴史に詳しい人以外には、あまり知られていないでしょう。


冒頭で、“日本の城”と言ったのは、“日本が建築した城”という意味です。

現在では、一般的に「倭城」という名で知られています。


この倭城は、現在の韓国の南岸を中心に、その数は30城以上あると言われています。

櫓や門などのいわゆる上モノが残っている城はありませんが、石垣などの遺構については、非常によく残っています。


当時は、戦国時代も末期にさしかかり、織豊系の高度な築城技術が極まった時期でもあり、これら倭城の遺構は、城郭技術史上も非常に貴重であると言われています。


豊臣秀吉は、大陸への侵攻作戦を実行に移し、文禄の役慶長の役の二度にわたって、のべ7年間もこの戦争を続け、結果はみなさんの知るとおりですが、その間に、日本軍の駐留の拠点として相次いで建築されたのが倭城です。


当初は兵站基地として機能していたものの、その後日本軍に旗色が悪くなるにつれ、恒久的な半島支配を目的として、本格的に防御機能を備えた城が築かれます。


蔚山(うるさん)倭城などもその一例で、加藤清正らが2ヶ月かからずに突貫工事で造ったとされ、しかも未完のまま籠城戦に突入し、壮絶な戦闘が繰り広げられたという歴史もあります。


日本にある城とは、またまったく異なる歴史を背景に作られた倭城ですが、これを機会にぜひ、そんな歴史があったのかと知ってもらえればと思いますm(_ _ )m