また無料コンテンツ★
10月に弊社運営サイト「戦国のすべて」から、無理矢理「関ヶ原時計連動Flash」を強奪し、城めぐり会員の方へ無料提供させて頂きましたが、また別のコンテンツをとってまいりました![]()
今回は、おなじく弊社サイト「三国志のすべて」からです。
先月からレンタルが開始され、三国志ファンの中で旋風を巻き起こしている(担当者談
)、ドラマ「三国志」の予告編動画を、城めぐり会員の方専用ページで限定公開します。
このドラマは、中国ドラマ史上最大級と言われているらしく、総制作費25億円(
)&製作期間6年(
)の超大作です。すでに、「映画やんっ」というレベルですね。これは。
私もちょこっと見させてもらいましたが、まさに刮目モノです。
正直、こんなことを言うと怒られますが、結構チープな映像(例えば剣が銀紙っぽかったり)を予想してたのですが、実際に見てみて反省しました。
かなり本格的(25億円だけのことはある)で重厚な映像で、「レッドクリフ」にも負けないクオリティです。
特に合戦シーンは鳥肌ですよ![]()
日本でも、誰か川中島とか長篠をテーマにドラマ作ってくれないかな~。
ということで、話を戻しますと、城めぐりでの配信開始は12月中旬あたりを予定しています。
(※iPhoneなど、また一部非対応の場合がございます......。)
楽しみにお待ち下さいませ![]()
あらかじめのお知らせです
あらかじめお伝えしておきますと…、サイト上に12月初旬くらいから広告が表示されるようになる予定です。
ブログで告知するような内容ではないんですが![]()
もちろん、今ある既存の機能について有料になるなんてことはありませんので、ご安心下さい![]()
ずっと広告もナシの無料ゲームとして続けられるのが最上級の理想ではあるのですが、わたくしも一企業人として、ある程度収益を生み出さないことには、「おぬし、何をやってるんだ(  ̄っ ̄)」と突っ込まれてしまいますので、広告を表示するという形でみなさんにご協力頂ければと思っていますm(_ _ )m
この広告は、サイト内のいくつかの場所に掲載されますので、最初はちょっとみなさんに違和感を与えてしまうかもしれませんが、広告からの収益が、今後の新機能の追加などにも直接的にイイ影響を与えてくれますので、ぜひ気が向いたらクリックしてあげて下さいませ。
オープンから半年が過ぎ、ありがたいことに会員の方の数もかなり増えてきており、これからさらに多くの方に城めぐりを楽しんでもらいたいと思っています![]()
そのためにも、今後もマニアックで鋭い機能を追加していく予定です。
ぜひみなさんも、まわりの城好きの方、そうでもない方、城って何?という方に、ぜひ城めぐりを紹介して頂けると嬉しいです。
わたくしも、これまでと変わらず「半分仕事、半分趣味の陣」で城めぐりに取り組んでまいります![]()
ある地域に城めぐり会員が多いという事実
城めぐりでは、登録時にお住まいの都道府県を入れて頂いているのですが、調べてみたところ、全国の分布としては、“ほぼ”都道府県別人口と比例していました。(参考:都道府県別人口 by Wikipedia )
当たり前と言えば当たり前ですが、その中でひとつ気になったことが![]()
“ほぼ”比例している、と言ったのは、それぞれの人口に対する城めぐり会員の方の比率が、なぜか近畿圏だけ高いのです。しかも近畿の全県において、です。
別に関西で特別なプロモーションをしたわけもなく、関西上空からビラをばらまいたわけでもないので明確な理由は謎ですが、わたくしも関西に育ったので、素直に喜んでおきたいと思います。
(わたくしの親類縁者に強制入会
させたことは事実ですが、それは微々たるものなので)
ただ、ひとつ言えることは、近畿圏は城の数が多い、ということです。
城めぐりに収録されている城は
大阪(66)、京都(40)、兵庫(65)、滋賀(42)、奈良(29)、和歌山(36)、三重(37)となっていますが、もちろん埋もれている城の数は、もっと膨大です![]()
その昔、政治の中心が京都にあったことを考えると、城が多いことも納得ですが、特に滋賀県や兵庫県は無数に城がある気がします..。
滋賀県だけでも、細かいモノまで含めると1,000ほどあります。まさに城だらけ
です。
古くは近江宮が置かれるなど日本の中心となり、戦国時代には、信長や秀吉がブイブイいわしていた場所ですから、当然と言えば当然ですかね。
京都や奈良も寺社のイメージが強いですが、もちろん城の数も多いです。
城の数が多い = お城好きが多い、という安易な考えをもとに話が作為的に脱線しましたが、もちろん関西だけでなく全国的にお城好きが増えることを願っていますんで![]()
倭城について
昨日、北朝鮮が韓国の延坪島(ヨンピョンド)を砲撃したことが大きなニュースになりました。
今回のブログはそんな朝鮮半島に関連した“日本の城”の話です。
城めぐりでは日本国内の城のみ攻略可能なので、触れる機会を逸していましたが、こんな機会なので、自分も改めてお勉強してみようかと![]()
その昔、戦国時代に豊臣秀吉が朝鮮半島へ出兵したことはよく知られています。
ただ、その長い戦いの中で、日本側が朝鮮半島にたくさんの城を築いたことは、城や歴史に詳しい人以外には、あまり知られていないでしょう。
冒頭で、“日本の城”と言ったのは、“日本が建築した城”という意味です。
現在では、一般的に「倭城」という名で知られています。
この倭城は、現在の韓国の南岸を中心に、その数は30城以上あると言われています。
櫓や門などのいわゆる上モノが残っている城はありませんが、石垣などの遺構については、非常によく残っています。
当時は、戦国時代も末期にさしかかり、織豊系の高度な築城技術が極まった時期でもあり、これら倭城の遺構は、城郭技術史上も非常に貴重であると言われています。
豊臣秀吉は、大陸への侵攻作戦を実行に移し、文禄の役、慶長の役の二度にわたって、のべ7年間もこの戦争を続け、結果はみなさんの知るとおりですが、その間に、日本軍の駐留の拠点として相次いで建築されたのが倭城です。
当初は兵站基地として機能していたものの、その後日本軍に旗色が悪くなるにつれ、恒久的な半島支配を目的として、本格的に防御機能を備えた城が築かれます。
蔚山(うるさん)倭城などもその一例で、加藤清正らが2ヶ月かからずに突貫工事で造ったとされ、しかも未完のまま籠城戦に突入し、壮絶な戦闘が繰り広げられたという歴史もあります。
日本にある城とは、またまったく異なる歴史を背景に作られた倭城ですが、これを機会にぜひ、そんな歴史があったのかと知ってもらえればと思いますm(_ _ )m
ひさびさに異名ヒント
今回はひさしぶりに異名の獲得条件のヒントを書きたいと思います。
9月に始まった異名機能ですが、今月初旬にいくつか追加されまして、みなさん続々と獲得されています![]()
※ちなみに、種類によっては、その日の結果を夜に自動集計して獲得しているかどうか判断している異名もありまして、獲得タイミングが若干遅れるものもありますので、お知らせしておきます。(どさくさにまぎれて(・Θ・;))
現時点(11/22)で、ほとんどの異名はどこかに獲得している方が存在しますが、まだいくつかの異名は、「獲得人数0人」なのです。
つまり、「全ての異名を獲得した」方はまだいません。
なぜなら、経過日数に関する異名は、到達するまで待つ必要があるからです。
「律儀者」という異名があります。
わたくしの好きな佐竹義宣という武将の異名ですが、これは30日間連続で城攻めボタンを押していると獲得できます。(すでにヒントではなくなっている
)
「連続で城攻めボタンを押して・・・」というのは、「寝食を忘れて押し続ける」という意味ではありません。
1日最低でも1回押して、行軍距離0kmでもOKです![]()
で、この異名の上に、60日連続で「武士の鑑」という異名があります。
これは、今月追加された、徳川家康の家臣、鳥居元忠の異名です。
えっと、ここまでが“暴露”で、ここからが“ヒント”です。
この「武士の鑑」の上には、あと2つ異名があるのです。
みなさんのケータイでは、「未取得」となっているはずです。
「律儀者」が30日、「武士の鑑」が60日…
もう分かりましたね? あとはご想像にお任せします![]()
ちなみに、「武士の鑑」のすぐ上の異名は、早い方なら12月初旬にも獲得できるというウワサですので、くれぐれも「城攻めボタン」の押し忘れにはご注意下さいませ![]()
女性と城
城めぐりの会員の方の男女比、どれくらいだと思いますか![]()
男性9 : 女性1
男性7 : 女性3
男性5 : 女性5
正解は、
番の「7:3」でした。(連続正解ボーナスは付きませんのであしからずm(_ _ )m)
女性比率が3割。これを多いと見るのか少ないと見るのか。
他のゲームサイトの男女比を調べていないので比較はできませんが、実際に多くの女性の方にも楽しんで頂いていることだけは事実なので、嬉しい限りです。
こんな可愛げのないゲームで恐縮です![]()
ここ1、2年、歴史ブームと言われていて、確かに女性の方にも戦国や幕末などの情報に触れる機会が増えているのかもしれません。メディアでもかなり取り上げられていますし。
個人的な感覚だと、5年くらい前から城跡でよく女性を見かけるようになってきた気がします。
その昔は、ちょっとマイナーな城跡であれば、「人」と会うことすら珍しかったのに、全体的に訪れるファンが増えたことで、自治体による城跡整備の優先順位も高くなった気がします![]()
さらには、お土産なんかも昔は武骨な商品しか見かけなかったのが、最近では武将やゆるキャラ、家紋などをあしらった、ハイセンス&ハイクオリティな土産物が格段に増えました。
これもやはりファン層が拡大した効果かと思われます。
一時のブームに終わらず、これからももっと女性のお城ファンが増えるといいですね![]()
そして、城めぐりのゲームも、もっと多くの女性の方に楽しんで頂きたいと切に願ってます。
【籠城戦】戊辰戦争最後の決戦、五稜郭の戦い
幕末クイズも明日で終了です。
戦国に脳の容量の大半を使ってしまっているわたくしにとっては、もはや難問です。誰も教えてくれないので、自分で調べて解答してます。(当たり前か
)
さて、今回は籠城戦にしようと思い、どの城にしようかターゲットを探していましたが、せっかく幕末クイズやっている期間なんだから、ということで、五稜郭をテーマにしてみました。
五稜郭と言えば、何日か前のクイズにも出てきましたが、城めぐりの中でも幕末期のものとしては恐らく最も有名なので、その歴史をこの際だから学んでしまいましょう、という魂胆です。
なので、今回はピンチヒッターとして社内の幕末マニア(orオタク)が代筆です![]()
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戊辰戦争最後の決戦、五稜郭の戦い
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坂本龍馬も尽力した薩長同盟や大政奉還・王政復古を経て成立した薩摩藩・長州藩を中心とする明治新政府。
その明治新政府が江戸幕府側と戦い、これに勝利したのが「戊辰戦争」と言われる一連の戦いである。
戊辰戦争は、単に明治新政府が江戸幕府を滅ぼしたというだけで無く、江戸時代の幕府と大名による連邦国家という形態から明治以降現在まで続く中央集権国家となるという、日本という国の枠組みが大きく変化する、我が国の歴史でも非常に重要な戦いであった。
この戊辰戦争最後の戦いであったのが箱館戦争、五稜郭の戦いである。
旧幕府の海軍戦力は、新政府軍が江戸を占領した後、本来であればすべてが新政府に引き渡される事になっていた。
だが、新政府の徳川家に対する処置に不満を覚えた幕臣であり海軍副総裁でもあった榎本武揚ら抗戦派は一部の軍艦で江戸を脱走、北へと逃れた。途中、新選組副長であった土方歳三らを戦力として加え、蝦夷地を目指す事となった。
この時、五稜郭には既に新政府によって箱館府が設置されており、箱館府知事も五稜郭に入っていたが、箱館府の戦力は少なく、箱館府知事であった清水谷公考は五稜郭を放棄した。
その後、旧幕府軍は五稜郭へ入城、箱館を占領した。
だが、蝦夷地すべてが旧幕府軍によって平定された訳では無く、松前城を本拠とする松前藩が新政府側として旧幕府軍と対峙していた。
これを滅ぼすことを決意した旧幕府軍は、土方歳三を総督とした勢力を松前城へ向けて派遣、陸からの攻撃と海からの艦隊による砲撃で松前城は落城した。
更に、松前藩主・松前徳広が篭もる館城も落とし、旧幕府軍は蝦夷地を平定する。
この後、松前徳広は蝦夷地を脱出し津軽へ向かうが、上陸後すぐに肺結核により死亡、松前藩士らはこの後、軍装の下に喪服を着用して戦うなど、藩主を死に追いやった旧幕府軍への反感は大きかった。
蝦夷地を平定した榎本武揚らは、俗に言う「蝦夷共和国」を樹立して新政府軍へ最後の抵抗を行うこととなった。
だが、蝦夷地平定の過程で軍艦2隻を座礁によって失うなど、海軍力が弱体化していた旧幕府軍は海の守りを強化するために新政府軍の軍艦・甲鉄艦を奪取を計画するが失敗し、新政府軍の上陸を許すこととなる。
その後、箱館を中心とする旧幕府軍に対し、新政府軍はまず江差近辺に上陸。海からの砲撃によって江差奉行であった松岡四郎次郎らは松前方面に後退した。
これによって江差を確保した新政府軍は、松前・木古内・二股の3つのルートから箱館へ向けて進軍を開始した。
松前口の新政府軍は、松前城奪還へ燃える松前藩兵を先方に進軍を開始。艦砲射撃の援護を受けた陸兵は松前城を奪取した。
木古内口では、陸軍奉行であった大鳥圭介が指揮する旧幕府軍が奮戦したが、数千人規模の部隊で迫る新政府軍に対し、最終的には総崩れとなって箱館へ敗走した。
二股口では土方歳三が守る二股口台場が不敗の陣として新政府軍の侵攻を阻んだ。
300名で守る旧幕府軍に対し、新政府軍は700名の勢力で攻め立てるが16時間に及ぶ激戦でも台場を抜くことが出来ず、弾薬が欠乏した新政府軍は一度撤退する。
その後、兵力を増強した新政府軍は、引き続き攻め続けるものの旧幕府軍の抵抗は激しく、遂に戦闘によって二股口台場が落ちる事は無かった。
だが、各地の旧幕府軍拠点が次々と陥落する状況で、二股口と箱館を結ぶルートが塞がれ、退路を断たれる恐れが出たために、榎本武揚から撤退命令が出され、旧幕府軍は箱館に撤退することとなった。
陸から新政府軍が箱館に迫る中、海上でも旧幕府軍は厳しい状況に置かれていた。
既に豊富とは言えない旧幕府軍の海軍勢力であったが、座礁や故障も発生、特に海戦によって主力艦である回天が運行不可能となり、新政府軍が制海権を握ることとなる。
五稜郭から箱館にかけての範囲に勢力を縮小し、制海権も失った旧幕府軍に対して、新政府軍は遂に総攻撃を開始した。
海上からは艦隊が陸軍援護の艦砲射撃を行い、陸軍は五稜郭を目標とする正面攻撃のほか、箱館山背面からの奇襲攻撃も用意し、一気に箱館に迫った。
劣勢であった旧幕府軍は、箱館湾での海戦で敵艦を撃沈する快挙を機に反撃に転じるものの、物量の差は如何ともしがたく、やがて新政府軍の攻撃に押し戻された。
そして遂には箱館市中は新政府軍によって制圧され、土方歳三も銃弾を受けて死亡、旧幕府軍は組織だった抵抗を行う事が困難となり、各陣地の籠城戦へと移行する。
この時点で旧幕府軍の陣地は五稜郭、千代ヶ岡台場、弁天台場のみとなっていた。
その後、新政府軍は引き続き五稜郭などの幕府軍陣地に艦砲射撃を浴びせる一方、終戦調停を開始した。
残る陣地の中で五稜郭から最も離れており孤立していた弁天台場では、箱館奉行の永井尚志が再三の申し入れに降伏を決意した。
中島三郎助が指揮する千代ヶ岡台場は新政府軍からの降伏勧告、五稜郭からの退去勧告も拒絶し、全員が戦死した。
ここに至り弁天台場と千代ヶ岡台場を失った五稜郭は遂に降伏を決意。
五稜郭は開城し箱館戦争ひいては戊辰戦争がここに終結することとなった。
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いかがでしたでしょうか。あんな綺麗な五稜郭に、こんな壮絶な歴史があったんですね。
幕末は幕末でも、かなり「末」の方の話でした。
城の復興
前回、「また機会を見て」書こうと思っていた城の復興状況についてですが、早くも今回のテーマにしてしまいました![]()
現存している天守については、その名の通り当時のままの状態で残っているのですが、もちろん定期的なメンテナンスは必要で、いずれの現存天守も解体復元工事がなされています。
昔、松本城に行った際に(その頃はインターネットがあったかなかったかくらいの時代)、下調べもせずに行ったがために、全身足場で覆われていて、ほとんど何も見れなかった痛恨
の経験があります。
今現在で言うと、姫路城がまさに修理中です。45年ぶりの本格修理ということらしく、さすが世界遺産というべきか、今では天守閣がすっぽり鉄骨で覆われています。
時期によっては、一部見学もできますので、姫路城登城をお考えの方は、姫路城ホームページ (PCのみ)で現況をチェックしてみて下さい。
では、現存していない城についてはどのように復元されているか、ですが、天守閣について言うと、以前のブログ でも触れたとおり、復元・復興・模擬の分類で再建されています。
特に昭和30年代は、全国的な“築城”ブームで、各地で城が再建されています![]()
中でも、再建費用や職人の確保、以後のメンテナンスのしやすさから、鉄筋コンクリートで再建される天守閣も多く、中に入ってみて、「うわっ
」と思った経験がある方も多いのではないでしょうか。(そしてなぜか最上階には、全国の城の写真が飾ってあるケースが多い…)
名古屋城などは、中にエレベーターがあって、昔は「さすがにそれは・・・」と思っていましたが、車いすの方などでも最上階まで観覧することができるので、そういう配慮だったのか、と大人になって気づきました![]()
一方で、天守閣をはじめとした城郭建築の再建・修理や、城域の整備などには莫大な予算がかかります。
このお金は、復興を観光事業として扱い、その収益をメンテナンスに充てたり、寄付金を募ったりなど、自治体のみなさまのなみなみならぬ努力によってまかなわれています。
(変わったところでは、「ふるさと創世1億円」で整備された鳥取県の羽衣石城などがあります。)
また、最近では、熊本城や二条城で「一口城主」制度というものがあり、熊本城では募金すると天守閣内に名前が掲示されるなど、城好き心をくすぐる取り組みもなされています。(ちなみに、二条城ではクレジットカードでも募金できたりします)
「一口城主」制度は、今後のスタンダードな流れになりそうな予感がしますね。(ネーミング勝ちです。)
といった具合に、平成の時代にも、全国各地で城郭復興は日々進んでいます。
一城好きとして、全国の城跡がよりいっそう整備されることは非常に喜ばしいことですし、城めぐりも今後は何らかの形でそんな運動に協力していければいいなーと思っていたりします![]()
城が残っていない理由
日本には現存(建てられた当時のままの)天守が12基ありますが(詳細は8/22の記事 を参照)、では、なんで数万もの城があったとされているのに、それだけしか残っていないのか、って考えたことはありますでしょうか?
「はい。あります。」
という声が聞こえたと仮定して、今回は「城が残っていない理由」を端的に、かつ箇条書きタイプでピックアップしてみましょう。(なにせ、いっぱいあるので…)
落城
これは、戦国の世の定めですね。落城した後に破壊されたり、燃やされたりしたケースです。
【例】 佐和山城(滋賀)、小谷城(滋賀)、伏見城(京都) など
廃城
戦略上の価値がなくなったり、新しく近くに城を造った場合に単純に廃城となることがありました。
【例】 門司城(福岡)、神辺城(広島)、高山城(岐阜) など
一国一城令
徳川幕府の命令によって、江戸初期にかなりの城郭が破却されました。1615年に廃城になっている城が多いのはこのためです。
【例】 大聖寺城(石川)、宿毛城(高知)、加久藤城(宮崎) など
明治維新前後の混乱
戊辰戦争で落城、破却されたり、明治維新後、旧体制の象徴である城が破壊される時期があったり、明治新政府によって売却された城があります。
【例】 会津若松城(福島)、甲府城(山梨)、白石城(宮城) など
空襲
要地の城には大戦中、旧陸軍が駐屯していたことも多く、多くの城が空襲で焼失しています。残念。
【例】 大垣城(岐阜)、和歌山城(和歌山)、広島城(広島) など
火災
失火や放火など、火災で無くなった城郭建築は数知れず...。木造建築の悲しさです。
【例】 松山城(愛媛)、二条城(京都)、丸亀城(香川) など
落雷
高層建築物で、かつシャチホコを備えた天守などは、雷のかっこうの餌食になるのです...。
【例】 津和野城(島根)、金沢城(石川)、岸和田城(大阪) など
地震
地震大国日本だけに、この被害も記録に残っているだけでもかなり見受けられます。
【例】 大分城(大分)、飫肥城(宮崎)、江戸城(東京) など
以上が主なものです。他にも、水害や暴風雨、予算がないためにメンテナンスを放棄されたものなど、各地の城に受難の歴史が存在するのです![]()
自然災害を除くと、一国一城令&明治維新&近代戦争の時期に、天守閣はじめ大量の建造物がなくなってしまってますね![]()
そう考えると、今残っている12現存天守は奇跡的
に思えてきました。
また機会を見て、今度はこれらの「なくなってしまった」城たちが、どのように復興されているのかにも注目していきたいと思います。
今月の城アバター
本日、城アバターに「蔵」と、「仏郎機砲(ふらんきほう)」が追加されました。
蔵はちょっと江戸時代ちっくで、富裕大名っぽさがあります。
で、仏郎機砲ですが、今回追加されたのは六門と九門です。
さすがにやりすぎ(笑)、という声もありましたが、思い切ってみました。
実際こんな城があったら恐怖です。(守る気まんまん
)
さて、実は以前にブログで11月のどこかでアバターのプチ変更を行う、と告知しておりましたが、12月にずれ込みそうな状況です
すいません!!
アバターの配置や既存アイテムの見直しなどが予定よりズレこんでしまったためです…。
ブログはあまりくどくどと言い訳をする場所ではありませんので、このあたりにしておきますが、期待して頂いていたみなさま、申し訳ございません
がんばります。
また時期が確定できたらお知らせします。
アバターについてのリクエストは随時受付中&すべてのリクエストに100%目を通させて頂いてますので、引き続きどしどしお送り下さい。
(実はすごく参考にさせて頂いていますので
)
※今回の蔵もその一例です![]()


