<新機能予告>城口コミ&攻略情報
突然ですが、来週のどこかで新機能『城口コミ』が始まります。
(「ろこみ」ではありません(゚Д゚) 「くちこみ」と読みます。)
“新機能”と呼べるかというと、正直微妙なラインではありますが、あえてそう言ってしまいましょう![]()
そもそも、現在『城伝言板』というものが存在しまして、もともとお城に関するもろもろの情報を書き込んでもらえれば、くらいの軽い気持ちで始めてみたものの、お城に関する情報の他に、ありがたいことにその城を攻略するための情報を書き込んで頂く文化が芽生えましたので、この際、分けてしまおう、ということになりました。
具体的には、現在の『城伝言板』が、『口コミ』と『攻略情報』に分割されます![]()
『口コミ』に関しては、これまでの『城伝言板』の流れを受け継いで、城に関する周辺情報を引き続き書き込んで頂けます。
『攻略情報』についても、今まで『城伝言板』に書き込んで頂いていた攻略情報専門の掲示板となりますが、攻略情報の他に、お使いのケータイのキャリア情報(“docomo”など)を自動的に付けることができます。
そう、すでに城めぐりを使いこなしている方はご存じかと思いますが、キャリアによってアンテナやGPSの精度がけっこう違うので、より『攻略情報』が参考にできる情報となるように、キャリア情報を追加できるようにしてみたのです。![]()
あ、もちろん「自分の使っているキャリアはヒ・ミ・ツ
」という方は、非公開で書き込みできますので、ご安心下さいませ。
ということで、「来週のどこか」という非常にあいまいな予告ですが、楽しみにお待ち下さい。
グスクって何?
先日「陣屋って何? 」をブログでやりましたが、本日は「グスク」について。
そう、城めぐりでは主に沖縄県に存在する城です。
とはいえ、厳密には「グスク」=「城」ということも断言できないようです。
グスクは、奄美諸島から沖縄諸島、先島諸島の島々で広範囲に見ることができ、本土の城のそれとは違った、ウネウネした曲線美が美しい石垣を持っていることが特徴のひとつです![]()
沖縄でも12世紀以降、各地に按司(あじ)と呼ばれる豪族が台頭し、「三山時代」と言って本島を中心に按司勢力の拡大した時代がありました。
沖縄各地の按司たちは、他勢力からの攻撃を防ぐために要所に城塞を構築し、これがグスクの起源とも言われているようです。
※ちなみに、グスクの総数は200~300とも言われているようですが、感覚的にはもっとあるような気もします。実際に、まだ確認されていないグスクもあるとかないとか![]()
で、この説明だとまったくもって城と変わりないのですが、いわゆる城としての役割だけではない、という説もあるのです。(これは、北海道のチャシとも共通するものがありますね。ってチャシの話はまた後日ブログで
)
例えば、「グスク聖域説」というのがあって、グスクが信仰に関する空間を持っていることが根拠とされていて、それぞれのグスクの中には聖域があって、神と人間を結ぶ機能を果たしていた、というものです。城としての役割は後付けだという考え方です。
他にも、「グスク集落説」という説があり、これはグスクの成り立ちが集落に近いものであって、その周囲を石垣で囲ったものである、という説です。これも、集落そのものを守る目的から、次第に城塞としての軍事的な意味を持つようになったと考えれば、自然な考えな気もします。
いずれにしても、はっきりとした答えは出てないようですが、実際に沖縄のグスクに行ってみると、そんな難しい話は忘れてしまうほどの美しさに圧倒されます。
ほとんどの場合、石垣のみ残っている、という状態ですので、特に石ジョー の方は必見です。
有名な首里城や今帰仁城など、沖縄の主要な史跡群は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、世界遺産
にも登録されていますので、わたくしをはじめ、「城でも行く
」と言うたびに家族に嫌な顔をされている方も、それを理由にグスクめぐりを計画してみてはいかがでしょうか。
ひっそりマイナーチェンジ(伝言板)
(ちなみに、以前告知しましたが、「クイズ」も未解答だと赤くなります。)
「伝言板に書き込みがあっても気づかない」というリクエストが非常に多かったので(これ、当たり前ですね
ちなみに、
そのほかにも、掲示板一覧ページの見た目改善など、細かい改善をいくつか行いました。
それと、もっとわかりにくい改変も行われておりまして…、トップページにも最新の書き込みが2件表示されているのですが、これが今まで文章の途中まで表示していたのですが、全文表示するように変更されています。
文章の途中までなので、続きを読もうとして、間違えて書き込んだ人の名前をクリックしてしまうことを防止するためです。(これは自分もよく間違えて人のページに飛んでました
これで、伝言板への書き込みを見逃して「返事おせーよ」と苦情を受けることも無くなる(後はご自身次第ということで…)と思います。
ぜひ、これからも伝言板をご活用下さいませ
追伸:
たまにお問い合わせを頂きますので、追記をひとつ。
「書き込んだ伝言」、「人が自分宛に書き込んだ伝言」、「城伝言板に書き込んだ伝言」、はすべて自分で削除することができますので、「電波が悪くて連打したら、いっぱい書き込んでしまった!」、「夜中書いた内容を、朝見返してみると恥ずかしくなった」という方は、ぜひ「削除」機能もご利用下さいませ。
【籠城戦】信長に抗った摂津の剛勇
今日のブログはひさびさに籠城戦です。
今回は、どこの城にしようか迷いましたが、わたくしの生まれ故郷にもほど近い、伊丹城をピックアップしてみました。ただ子供の頃からなじみが深いから、というだけの個人的な理由
だったりします。
伊丹城は、その昔有岡城と呼ばれ、荒木村重という大名が治めていました。
現在の伊丹城は、駅ビルばりの直結っぷりでJR伊丹駅にほぼ繋がっており、公共機関de城めぐり党の方にはこれほどすばらしい城はありませんが、実は複雑な大人の事情によって落城するという、ものすごく悲しい歴史を持っているのです![]()
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信長に抗った摂津の剛勇
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摂津の国人荒木村重は、池田勝正の家臣から身を興し、ついには摂津の大名となった人物である。
その後、織田信長の勢力が畿内に及ぶとこれに帰参。当時、大坂の本願寺と対立していた信長にとって、村重の存在は重要で、かつ人物的にも気に入られていたようで、外様ながら摂津一国を任されるようになった。
1578年、そんな村重の前途を狂わせる出来事が起こった。村重の従兄弟である茨木城主、中川清秀の家臣が本願寺に兵糧を売ったという噂が流れ、村重は信長の安土城に弁明に来るよう通達を受けた。
当初村重は、誤解を解くことで事態の収拾を図るべく安土へ向かうが、その途上、先の中川清秀や高槻城主の高山右近らから、「信長は一度疑った者を決して許すことはない」と諭され、一転有岡籠城を決意する。
無論、単独で信長に対抗することは不可能であり、村重は背後の毛利氏に援軍を依頼しつつ、敵対していた本願寺とも連携し、摂津国内の諸城を固めた。
一方、信長はこの村重の逆心に驚き、明智光秀ら上級家臣を有岡に派遣し翻意を促すなど、融和策を取った。また、毛利攻略を進めていた羽柴秀吉からも、腹心黒田官兵衛が説得に派遣された。
しかし、村重の決意は変わることなく(官兵衛はこの時有岡城内に幽閉される)、信長もいよいよ自ら大軍を率いて摂津へと兵を進める展開となった。
信長がまず着手したのは、村重の両翼とも言える、中川清秀と高山右近の調略である。
高山はキリシタンであったことから、降伏しなければ宣教師や領内の信者を殺戮すると脅され、やむなく降伏。
中川に至っては、弁明に向かう村重を止めた当事者にもかかわらず、加増を約束され降伏に応じた。
他の摂津諸城も次々降伏する中、高山・中川軍を先頭とした織田勢に包囲された有岡城は早々に孤立の様相を呈したが、当時惣構えと呼ばれた有岡城は、城下町をも取り込んだ巨城で、容易に落ちる気配を見せなかった。
村重はこの要塞に拠って、信長の小姓、万見重元を討ち取るなど織田軍をさんざんに苦しめ、一方で裏切った高山右近の人質を解放するなど、剛勇としての気概を示す一幕もあった。
力攻めの無理を悟った信長は、有岡城の周囲に付城を築いて兵糧攻めへと方針を転換する。
一方、村重が頼りとした毛利の援軍は現れる気配はなく、籠城から10ヶ月目、ついに村重は思いもよらぬ行動に出た。
近臣数名を連れて夜有岡城を脱出し、子の村次が籠もる尼崎城へ入ったのである。何度使者を遣わしても重い腰を上げようとしない毛利を自ら説得するためとも言われている。
城主を失った有岡城は、やがてその事実を織田方に知られ、約1ヶ月後、開城を余儀なくされた。
留守を守っていた荒木久左衛門に、「尼崎と属城の花隈城を開城させれば、有岡に残った一族郎党を助命する」という勧告があったからだという。
久左衛門以下、荒木家臣らは、村重の説得のため尼崎城に向かったが、村重は「勧告に応じれば、共闘している本願寺や毛利はどうなるか」とこれを拒絶。その結果、説得に失敗した久左衛門らも、処罰を恐れちりぢりに離散してしまった。
これに怒った信長は、有岡に残る荒木一族や家臣の親族数百人を、わざわざ尼崎城近くで大量に処刑した。村重は、目前で自らの妻らを殺害されたのである。
その後、尼崎から花隈に落ち延びた村重であったが、もはや両城とも長期抗戦できる状態ではなく、ほどなく落城し、村重自身、最後は船で毛利領へと落ち延びたのである。
摂津の剛勇として鳴らした村重の、あまりにも悲惨な末路であった。
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ちなみに、毛利氏のもとで隠遁していた村重は、自らの取った行動もあって、かなり周りから冷たい視線&罵声を浴びせられたようです。
「道に落ちているくそ」という意味で、荒木道糞という自虐的な名乗りをするようになるのはこのころのことです。
いろいろと複雑な事情があったんだと思いますが、あまりにも残酷な戦国の世です…。
関ヶ原Flash無料ダウンロード開始!
先日のブログ
で告知させて頂きましたとおり、昨日から、「時計連動関ヶ原待受Flash」の無料ダウンロードがはじまりました![]()
さっそくたくさんの方にダウンロード頂き、反響の大きさに驚いてます
ありがとうございます。
まだダウンロードしていない方、無料ですのでぜひ落とすだけ落として行って下さい。10/31までの期間限定ですので。
わたくしもさっそく待受にしておりますが、ケータイ開くたびに西軍が劣勢になっていくので、昼過ぎにはすごく悲しい気分になっています(笑)。
特に大谷吉継が自害するあたりは、心中穏やかではありません![]()
黄色い駒の人たちよ、君たちはさっきまで青かったじゃないか…。
ということで、今回の待受Flashは、「戦国のすべて」という弊社の運営する戦国時代ポータルサイトで、有料の会員の方向けに提供されているものを無料提供されたものです。
今回のようなFlashをはじめとして、他にも城めぐり以上にマニアックな戦国コンテンツが網羅されてますので、お時間ある時にお立ち寄り下さいませ。
(※今後も援軍という名の「便宜」を図ってもらうために、宣伝しておきます。)
今後も、弊社の歴史サイトを奇襲攻撃して、コンテンツを強奪していきたいと思いますので、討ち死にしないように無事を祈っていて下さい![]()
「城」の扱い
先日、城郭情報の中に「
問い合わせ先」という項目が追加されたことはブログで触れました。
その準備のために、数ヶ月前からスタッフが、日本全国ほぼすべての自治体のホームページを見て、城の情報が掲載されていないか、されていれば問い合わせ先はどこか、ということを調査していました。
その中で思ったのは、自治体によって「城」の扱いはさまざま、ということです。
実際に、現地まで行って城めぐりされる方は経験あると思いますが、現地の整備状況も城によっていろいろです。で、それがホームページ上の情報量にも同じ事が言えるのです。
「城」を文化財として、詳細に扱っていて、地元の伝承なども載せている自治体もあれば、“国の史跡”に指定されているのに、まったくその城について触れられていない
ところもあって、見ていて悲しくなることもしばしば。
特に情報量の差に法則性はありませんが、傾向としては、「他に有名な観光地がある自治体」は、比較的「城」の扱いは低めです。
とはいえ、そこに掲載される情報は、やはり正確性がある程度担保されているので、今回の調査の結果、わたくしたちが体得した「城の情報を自治体ホームページで得る方法」を、参考までに一部紹介しましょう。
まずは、「文化財」ページを探す
だいたいの城は「文化財」ページに載っています。ただ、文化財ページへのリンクがトップページにあることも少なく、「文化・スポーツ」や、「歴史・教育」などのカテゴリからたどれることが多いです。
また、他には、「生涯学習」や「教育委員会」のページから行けることも。
有名な城なら、「観光情報」から
観光地化されていたり、天守閣あったりする城は、文化財としての扱いよりも、観光資源として見た方が、情報が得られる場合が多いです。
「観光情報」のリンクや、「みどころ」、または「○○観光協会」のページとして独立していることもあります。
さらに力が入っている場合は、「●●城」としてひとつの公式サイトがあるところもあります。
意外な場所にも隠れているぞ!!
上記の2パターンに当てはまらないケースですね。
たとえば、「●●町の紹介」や「なりたち」、などに歴史の一部として紹介されている場合や、公園や憩いの場として城跡が整備されている場合は、緑地課のページから行けたりします。
他にも、登山客向けの山の紹介で、実はその山が山城跡だったり、紹介されている神社が実は昔城館だったりするので、その線からも探してみる価値はあります。
最初と最後はサイト内検索で
だいたいの自治体(感覚的には80%くらい)で、「サイト内検索」機能があります。
よって、目的の城がある場合は、最初にサイト内検索をして、探すのが早いです。
ただし、ほぼ全ての自治体が、GoogleやYahoo!の検索エンジンを使っているので、検索結果に必要な情報だけ上手く出てくるとは限りません。(議会の議事録がトップに出てきたりしますので
)
この方法で注意が必要なのは、城の情報を紙の資料をスキャンしたPDF形式で掲載しているところが意外に多いので、そもそも検索結果に出てこないことがあるので、文化財など一通り見て見つからない場合に、最後にサイト内検索を使う。という順番もアリです。
ということで、こんな他に活用することもないであろうノウハウ
を自信を持ってお届けしましたが、参考になりましたでしょうか。
なぜか、世の中の自治体サイトの文化財紹介は、「古墳」と「寺社」が多くて、城ファンはショックを受けることが多いので、調査はほどほどにしておきましょう![]()
リアルに難波田城
先日、プライベートな用事のついでに(「ついで」と言ってしまうと怒られますけど)、久々に城めぐりを1個だけしてきました。
埼玉方面へ行ったのですが、時間が空いたので、「どっか駅からすぐ行ける城ないかなー」ということで、埼玉県富士見市の「難波田城」訪問とあいなりました。
「難波田城」は、東武東上線「みずほ台駅」からタクシーで10分くらいです![]()
※近くに駅から歩ける城がなかったので...。
みずほ台駅前からタクシーに乗り込み「難波田城資料館まで」と伝えると、意外とすんなり着きました。
そう、資料館がちゃんとあるのです、このお城には。と、ここまでは良かった。
ただ、営業時間が17時までだったのです。タクシーに乗り込んだのが16:36くらい。
資料館のある難波田城公園に着いたのが16:48くらい。この時点で残り12分。
こんな時に限って、公園の入り口から資料館への道のりが、下のような水堀と食い違い虎口によって厳重に侵入を阻みます![]()
タクシーの精算やら、帰り方のレクチャーを聞き終え、資料館まで猛ダッシュで攻め込み、入館したのが16:53くらい。
さっそく資料の見学を始め、入口にあった難波田氏と関東の歴史的なビデオを発見。
これは見ておかねばと思って、再生ボタンに手を伸ばすと…
「再生時間8分」の文字がっ!!
そう、単純計算1分オーバーしてしまうのです。閉館まで。
しかし、ここまで来たからには見ずにおれまいと勇気を振り絞って、再生を開始。
職員のみなさまの、「まだ見てるんですか」という暖かい視線に見守まれながら、何とか最後まで鑑賞することに成功。
他の展示資料はほとんど流し見の状態で、逃げるように資料館を後にしたのでした。
かなり時間的に強引な城めぐりで参考にならずすいません!
もちろん城めぐりにも難波田城収録されているので、ぜひリアルでも攻略してみて下さい![]()
ひっそりマイナーチェンジ(城郭情報)
城めぐりオープンから半年、お祝いのお言葉を頂いたみなさま、ありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願いします![]()
さて、半年経過したということで、本日城郭情報を大幅にボリュームアップしました。
主なボリュームアップ点は、↓こちらになります。
Wikipediaからの参照情報を最新にしました。
上記以外にも、独自の城郭情報を多数追加致しました。
今までご指摘頂いた間違い、およびそれ以外に存在した間違いを訂正しました。
城写真をいくつか新規にアップロードしました。
「お問い合わせ先」という項目を新たに設置しました。
特に
については、「リアル城めぐり」する方には、とても便利でマニアックな機能になっています。
その城が存在する自治体の文化財課や、観光協会など、すべて自治体のホームページからたどれるオフィシャルな問い合わせ先を掲載しています
リアル城めぐりの下調べや、現地で登城口などの目的の場所がわからない場合など、表示されている電話番号をクリックするだけで、そのまま電話をかけることができます![]()
(城を管轄・把握している公式の団体がない場合や、問い合わせ先を明確に掲載していない場合は表示されません。)
ぜひ、リアルにご活用下さいませ。
ちなみに、オフィシャルな問い合わせ先と言っても、すべてに電話してその城のことを知っているかどうかを確認したわけではありませんので、その点だけはご了承下さい![]()
※わたくしも、何度か自治体に電話したものの、詳しい人がいなくて何度もたらい回しの刑に処された経験がありますから。
[半年記念]待受Flash全員プレゼント!!
以前ブログで紹介しましたが、今年は天下分け目の「関ヶ原の戦い」から410年目にあたります。
新暦ではもうすぐ(10月21日)決戦の行われた日です。ちょうど今頃は東西両軍が水面下で多数派工作をしていた頃ですかね。
という前置きはさておき、このたび嬉しいお知らせ
が。
先日のブログで申しましたとおり、今日(10/5)で『発見!ニッポン城めぐり』のオープンから半年が経過します。
さらには、初の2000城攻略を記念して、弊社の運営している「戦国のすべて」というモバイルサイトから、“城めぐり会員様限定
”で、「時計連動関ヶ原待受Flash」が提供されました。
城めぐりをお使いの方なら、もれなく無料で待受Flashがダウンロードできます。
※iPhoneなど一部非対応の機種があります。
「時計連動関ヶ原待受Flash」とは、ダウンロードした待受Flashを携帯の待受画面に設定すると、現在の時間に応じて、実際に関ヶ原の戦いが行われた日のその時間に、どのような出来事があって、どのような戦況(陣形)だったかが一目で分かる、戦国好きにはたまらないFlashです。
例えば(あくまで一例)…
午前7時45分:
「福島正則、抜け駆けに怒り鉄砲隊を指揮し宇喜多隊へ一斉射撃。」
午前11時:
「笹尾山、北天満山、南天満山から小早川、毛利に出陣を促す狼煙が上がる。」
午後2時30分:
「島津義弘、豊久、前代未聞の前面の敵中突破による退却を開始。」
などなど。
これを見ていると、ほんとに関ヶ原の戦いがどのように推移していったのかよく分かりますよ![]()
思わず感情移入してしまいました...。
ということで、無料ダウンロードは、10月12日から10月31日まで限定です。
トップページにダウンロードリンクが出ますので、そちらからぜひGET下さいませ![]()
城めぐりオープンから半年
実は、短かったような長かったようなで、10月5日で『発見!ニッポン城めぐり』のオープンから丸半年が経ちます。
そう、城の日(4月6日)から数えて6ヶ月なのです。
オープン当初は、機能もまだまだで(今でもまだまだですが
)、いろいろと間違いもありましたが、みなさんのおかげで、だいぶブラッシュアップされたというか、鍛え上げられてきました。
城めぐりを楽しんで頂いている方に、改めてありがとうございますm(_ _ )mです。
そして…、こんなことはブログで触れるべき事でもないかもしれませんが、ついに2000城攻略を実現された方もいらっしゃいます。
この場を借りて、本当におめでとうございます。
オープン前は、こんなゲームが受け入れられるのか不安もいろいろありましたが、本当に企画者冥利に尽きるというか、城が好きで良かったというか。非常に感慨深いです。
これからも、一城ファンとしてさまざまな企画や機能を考えていきたいと思っていますので、今後とも『発見!ニッポン城めぐり』をよろしくお願い致します。

