要害山城
その中でもこの山梨県甲府市の要害山城は最も有名な城と言えるでしょう。要害界のカリスマ、いわばカリスマ要害なのです(*゚∀゚)=3
レポート内では、城郭ライターの萩原さちこさんに執筆頂いた要害山城のみどころをツアー参加者のみなさんに配布したと書きましたが、今後、要害山城へチャレンジしてみたいという方のために、こちらのブログでも紹介させて頂きますm(..)m
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躑躅ヶ崎館は、武田氏3代の居城だというのに天守がありません。武田神社の境内にある天守台は、武田氏滅亡後につくられたもの。武田信虎が甲斐統一を目指して躑躅ヶ崎館を築いたとき、まだ日本に天守は存在しませんでした。躑躅ヶ崎館は、天守も石垣もないシンプルな単郭の方形居館だったのです。
平地に建てられた居館ではいざという時に簡単に攻め込まれてしまうため、信虎は詰城と呼ばれる籠城用の城も築きました。それが要害山城です。戦国時代には、「日常を過ごす山麓の居館」+「緊急時に籠る山上の城」という二元構造は珍しくありませんでした。武田信玄が要害山山麓の積翠寺で誕生したのは、駿河の今川氏が甲斐に侵攻してきたため、母の大井夫人が要害山城に避難していたからです。
要害山城の見どころは、なんといっても巧妙な縄張(設計)です。戦国時代の山城らしく、天険を活かしながら山全体に軍事的工夫を張りめぐらせています。とはいえ広大ですから、見逃さないよう必見スポットを3つほどご紹介しておきましょう。ただし、現在の要害山城は武田氏滅亡後に平岩親吉・加藤光泰らが改修したとみられるため、すべてが武田氏時代のものとはいえないのでご注意を。
1つめは、主郭に向かう登城道にある連続する虎口(出入口)です。山の傾斜に沿ってハの字状に掘られた巨大な2本の竪堀の間を登っていくと、登城道は曲輪群に到達します。この曲輪群に、枡形虎口が連鎖するようなしつこい設計がみられます。敵をすんなり侵攻させない工夫です。
2つめは、主郭にある2か所の虎口です。西・東側とも、直進できない構造が顕著に残っています。特に西側の虎口は、実際に土塁の上に立ち城兵の視点で登城道を見下ろしてほしいところ。敵兵を狙い撃ちし放題で、簡単に主郭に入れさせないしくみが実感できるでしょう。高低差を活かして敵の動きを見下ろし、いかに効率よく死角なく攻撃できるかー。山城の鉄則がわかるはずです。
3つめは、最東端の堀切に面した堡塁という高まり。土橋を渡って侵攻してきた敵の正面にどーんと立ちはだかり、迎撃できるようになっています。このあたりは武田の城らしさを感じられるところでもあります。
軍事施設であることを念頭に置き、敵兵または城兵の視点に立って脳内シミュレーションしてみてください。攻撃のラインが妄想できれば、要害山城攻略!です。
(文・城郭ライター 萩原さちこ)
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仰る通り山頂までの道のりはつづら折れでかなりしんどいです(´Д`;) 敵どころか観光客まですんなりとは受け入れてくれません。とはいえそこは国指定史跡。名もなき山城で藪を掻き分けて進むような苦労はありません。道は整備されポイントごとに遺構を示す案内板が設置されていて非常に分かりやすいです。
要害山城の解説や縄張図などは萩原さんの著書『山城へGO!』でも詳しく取り上げられていて、登城前に読んでおけばより要害山城を楽しめると思います(→登城中の疲労感を紛らわすことができるという効果も…)。
苦労して主郭に辿り着いたあかつきには、その周辺および東側に点在する遺構と富士山の絶景というご褒美が待っています。
さらに、これもレポートに書いた麓にあるホテル「要害」では日帰り入浴もできるようになっているので、下山後に甲府盆地を眺めながら汗を流すこともできます。
信玄出生の地であり、今なお多くの遺構を残し、アフターケアもバッチリな要害山城。う~ん、さすがはカリスマ( ´3`)~♪
今日はそんな日でした
例年この時期はTVや雑誌でもいわゆる『忠臣蔵』関連の特集が増えてきます。それに乗っかる形で先週から世論調査でも「赤穂浪士の討ち入りは義挙であったか?」という投票をスタートしています。未参加の方はぜひ投票下さい。
今日のブログのネタ探しのため、かすかな期待を胸に「今まで『忠臣蔵』ネタはまだやってないよね...( ・_・) ?」と過去の記事を見返してみたんですが、やっぱりありました...。それもズバリ『忠臣蔵』というタイトルで3年も前に扱ってました。かすかな期待は見事、大石内蔵助に木槌で打ち砕かれました( ゚∀゚)//
ただ、過去記事を見返したことによる収穫もありました。どうやら、1年前の12月15日に「戦国世論調査」がスタートしたようなのです( ̄□ ̄;) つまり今日でちょうど1年経過したことになります。ありがとうございますm(_ _ )m
さかのぼってみると、世論調査では今回の赤穂浪士のお題を含めこれまでに62個のお題を送り出していました。そして1年という区切りに、今後の参考にするためにもお題ごとの投票数を改めて集計してみました。
もちろん、始まった当初と今では母数となる会員数が違うので一概には比較できませんが、やはりマニアックなテーマほど少なく、気軽に投票できる人気投票的なものほど投票数は多い傾向にありました。ちなみに、過去の投票数TOP3のお題はこんな感じ↓
1位 あなたが”城”に興味を持ったきっかけは?
2位 官兵衛と半兵衛、どちらが名参謀?
3位 真田昌幸が大坂の陣に参戦していたら…
1位の「城に興味を持ったきっかけ?」はコメント数も多かったので想定の範囲内でしたが、2位・3位は予想しなかった結果です。官兵衛・半兵衛・真田ブランド強しというところでしょうか。
ちなみに、最下位も発表しちゃうと「龍造寺四天王、あなたが好きなのは?」でした。人気投票は人気投票でも、ラインナップがややマイナー過ぎたか( ̄ー ̄;
今回の集計結果を参考にこれからもみなさんに楽しんで頂ける世論調査を目指しますので、ご参加のほどよろしくお願い申し上げますm(..)m
城めぐりツアー第四弾レポート<2日目>
いよいよ今回がツアーレポートの最終回、『珠玉の甲州赤備えツアー』の2日目のレポートです(リンク:<1日目><1日目「夜」>。
朝ギリギリに起きて、寝癖もそこそこに朝食会場へ向かいます。行った頃にはほとんどの方が既に食べ始めていて、起こしてくれなかった同部屋のスタッフを恨みます。という余裕のない経緯から、朝食近辺の写真は一切ありません( ̄ー ̄;
その反省もあって、出発前に少し山県館入り口周辺の撮影をしてきました。旅館に入るといきなりこんな展示があります。
外にも出てみましょう。旅館全景はこんな感じです↓(到着が夜だったからよく見えていなかった)
さあ、いよいよ赤備え軍2日目の出発となります(`・ω・´)ゞ旅館のみなさま、大変お世話になりました。
まず最初の目的地は、武田ファンならば一度は聞いたことがあるであろう信玄の菩提寺「恵林寺(えりんじ)」へ。織田氏の甲斐侵攻の際にあの快川紹喜が「心頭を滅却すれば~」の言葉を遺して焼かれてしまったお寺としても知られます。
門の両側にもその言葉が白い文字で書かれています(当時焼かれているので門自体は再建ですが、立派)。
まずは、同じ敷地にある「信玄公宝物館」へ。ここは主に武田氏にまつわる収蔵品が所狭しと展示された博物館で、館長じきじきに収蔵品に関する解説をして頂きました。
基本的に中は撮影NGなので、その様子については想像力を最大限にたくましくして頂く、またはこちらのサイトでお願いします。
ところで、武田氏とは関連ありませんが実は今年のはじめに恵林寺内にあった(館長曰く、それまでわりと普通に野ざらしにされていた)石棺が、あの「お江」のものであることが判明したというニュースがありました。
これがその実物↓なんと、これだけは撮影が許可されているのです。
またどうしてここに「お江」の石棺があるのか!?と不思議に思う人も多い思いますが、話すと長~くなるので、そのあたりのいきさつはこちらのニュース記事をご覧下さい。
なお、当日はここで「城攻め」するとお江さんが見つかったとか見つからなかったとか(・∀・)
続いて赤備え軍は寺の本堂へ↓
ここで引き続き前出の館長から説明を受けた後は、内外をぐるっと見学させて頂きます。信玄の姿が忠実に再現されているという不動明王坐像(武田不動尊)や、信玄の墓、家臣団らの墓(いずれも撮影NG)があり、1日中感慨に耽ることすらできてしまいそうな空間です。
国の名勝に指定されている庭園もあります。
一通り見学させて頂いた後は、この日最初のツアー特別要素!なんと、「武田二十四将図」を4種類!一挙同時に!間近で!見させて頂きました( ̄□ ̄;)!!
撮影NGなのでその様子はお見せできませんが、同時に見ることはほぼ不可能な二十四将図を、驚くほど間近で拝見&見比べさせて頂きました。よく見ると、それぞれに様々な特徴があり(例えば、信玄と逍遙軒が似ていたり似てなかったり)、利き酒ツアーならぬ、利き二十四将図ツアーと化していました。
ひとしきりお宝を堪能した後は、館長による『甲陽軍艦』などの解説ターイム!面白かった上に、終わった後は実際に『甲陽軍艦』も見せて頂けるという至れり尽くせりな内容。
ちなみに↑この大書院も普段は入場できない場所なんです。
いろいろ見た後はお腹が空いてきました!道を挟んだ向いにあるドライブイン「信玄館」へ入りましょう。
巨大化を遂げた信玄が出迎えてくれます。
紙面の都合上、“発見!”は割愛されたようです。
そしてここで満を持して登場しました(・∀・)// 山梨と言えば「ほうとう」です!
あったまるわー。美味しかった、ごちそうさまでした。
ここでお土産や休憩などゆったりとした時間を過ごした後、次に向かうは「栖雲寺(せいうんじ)」です。
なお、その途次には武田家臣土屋惣蔵昌恒が勝頼を守るために奮戦した地、「片手切」の碑があったりします↓
ここを通るときに「片手千人斬り」の異名が獲得できたとかできなかったとか(・∀・)/
そして栖雲寺へ到着。
ここではまず境内でご住職から寺の由緒に関する説明を聞き、その後、二班に分かれ「傳灯庵(宝物殿)」にある開山業海本浄(ごっかいほんじょう)の坐像や信玄が使ったとされる兎の文鎮など、こちらも貴重な文化財を数多く見学させて頂きました。
そして、いよいよビッグな特別要素、「鉄製の信玄公軍配」を直に持たせて頂く時がやってきました!ご住職の「このような観光ツアーで直に持てるのは今回が初めてなので、くれぐれも丁重に扱って下さい、みなさんに掛かってますよ」という言葉で緊張がMAXとなって参りました((( ;°Д°)))ガクガク
わたくしも個人的に仕事を完全に忘れて堪能させて頂きました…、すいません。
残念ながら軍配自体は撮影NGで、持って撮影した写真も自粛します。が、栖雲寺のブログにその時の様子をアップ頂いていましたのでそちらもご覧下さい。
この鉄製軍配は鋳造ではなく鉄を叩いて鍛える鍛造だそうです。実際に軍配を手にしたときのそのずっしりとした重さと感覚は、一生忘れることがないでしょう(TωT) 泣かずにがまんできた自分をやっぱり褒めてあげたい。
最初から最後までご住職の解説はどれも興味深く、かつユーモアがあって非常に面白いものでした。本当に貴重な体験をさせて頂きました。ありがとうございましたm(_ _ )m
境内には、業海本浄が修業した中国の天目山と同じ風景を探して全国行脚しこの地に辿り着き、天目山護国禅寺(現在の栖雲寺)を創建したという、その風景を今に見ることができます↓
栖雲寺を出た赤備え軍は最後の目的地、景徳院へ向かいます。
栖雲寺は武田勝頼が自刃した天目山の標高の高い場所にありますが、景徳院はそこから数百メートル下った場所にある、徳川家康が武田勝頼主従を弔うために創建した寺院です。
家康は武田氏滅亡後、この景徳院しかりこの日回ったすべての寺院に再建・寄進・保護など様々な形で貢献しています。それは武田遺臣懐柔のためだったとも言われますが、もはや動機はなんだっていい!家康さんありがとう(;´ω`)ノ
景徳院では、栖雲寺から合流された甲州市の教育委員会の方による解説が行われましたが、ここでもまた特別要素が!
2006年に発掘され、通常は市に保管されている勝頼の経石を特別に持ってきて頂き、その場で見させて頂いたのです( ̄□ ̄;)!!
発掘時の経緯などを資料付で詳しく解説頂きました↓
本堂での解説を聞いた後は勝頼たちの墓へ向かいます。先の経石は発掘調査によってこの墓の下から発掘されたものです。
左から武田信勝(勝頼子)、勝頼、北条夫人(勝頼妻)の墓。
ここでも教育委員会の方から実際に発掘に携わった方だからこそできる非常に詳しい解説を頂きました。ひとつのお墓についてこれほどの説明を聞いたのは初めてかもしれません。大変勉強になりましたm(..)m
境内には他にも勝頼らの生害石や没頭地蔵尊など、武田家の最後に関する遺址が多くあり、勝頼の無念がひしひしと伝わってくるようです。
この日訪れた寺院はどこも今なお非常に大切に整備、保存されていて、改めて重要史跡であることと地元の方の“武田愛”を感じることができました。そういえば栖雲寺のご住職も信長に対する恨み節を口にしていましたよ(笑)
そして、ここ景徳院で今回のツアーのすべての旅程が完了しました。長かったようで短かった一泊二日。参加頂いた赤備え軍のみなさま、本当にお疲れ様でした。そして本当にありがとうございましたm(_ _ )m
また、ツアーの実現に尽力頂いた近畿日本ツーリスト敏腕Eさん、各訪問先の関係者のみなさま、結構な確率で赤備え軍に混じって観光していたバスガイドさん、ほかすべてのみなさまに改めて御礼申し上げますm(_ _ )m
赤備えツアーのツアーレポート、今年も3回に分けてお届けしました。長々とした駄文をお読み頂き誠にありがとうございます。
これでもだいぶ思い出を割愛しまくって何とかまとめたものなんですが、今回参加されなかったみなさまにも少しでも雰囲気を感じて頂き、またいつかオフィシャルツアーが開催された時の参考資料にして頂ければ幸いです。
ありがとうございました!
【<1日目「夜」>のクイズの答え(掲載順)】
問題1:B
問題3:清水宗治(写真では「宗治」が隠れちゃってますが)
問題2:飯富虎昌
問題12:C
問題13:岸和田城
問題20:C
城めぐりオフィシャルツアー第四弾レポート<1日目「夜」>
「発見!ニッポン城めぐり」オフィシャルツアー第四弾<1日目>の模様を前回のブログでレポートさせて頂きました。本日は<1日目「夜」>、すなわち宴会&クイズ大会のレポートとなります(・ω・)/
【「珠玉の甲州赤備えツアー」レポート<1日目「夜」>】
前回のブログの終わりで、クイズ会場を設営していたために山県館の女将の解説を最初から聞けなかったと書きましたが、実は途中参加したわたくしの耳に最初に飛び込んできた言葉が、女将の実家の先祖は初鹿野伝右衛門だったという話でした( ̄□ ̄;)!!
「来ていきなり刺激が強すぎるわっ!」と心の中でツッこんでいたわけですが、もう本当に1日中どこにいても聞き漏らし厳禁です...。そのあたりの裏話なんかを含め、山県館のブログの方でもアップして頂いていたのでリンクを貼らせて頂きます。ありがとうございます。
→「山県館スタッフのBLOG」
去年の明智ツアーの、同じ<1日目「夜」>のレポートでは、宿泊地のクイズ会場について…
“どうせなら「桔梗の間」だったら最高だったんですが、惜しいっ!「ライラック」でした”
と書いていました。
光秀だけに「桔梗の間」と言いたかったようですが、今回われわれ運営チーム男性陣が宿泊した部屋がまさしく「桔梗」でした。狙ったわけではありませんが、1年越しに違う家の同じ家紋で夢叶いました。
さて、赤備え軍が宴会場に入ったのは19時過ぎ。僭越ながらわたくしが乾杯の音頭を取らせて頂き交流会がスタート。おや、食事が始まるというのにみなさん何かを持ち上げて見てますね↓
そう、これは夕食のお膳の上にかぶせられていた紙(それを何と呼ぶかが分からない…)で、そのビジュアルがまたかっこいいのなんの…
ちなみに、ツアーに参加した方も知らないと思いますし、われわれも東京に戻ってから知ったんですが、実はこの紙、今はもう使ってないらしいんです。でも、近畿日本ツーリストの敏腕Eさんの機転によって、今回のツアーのお膳には特別に掛けてくれたとか( ̄□ ̄;)!! 憎い演出!そして、そうやってどんどん進行が遅れて自分の首を絞めてるんですよ(笑)
紙をめくった後のお膳はこんな感じでした。おいしそー。(あ...もちろん紙は持ち帰りましたヨ)
食事やお酒もどんどん運ばれてきて、現場も盛り上がって参りましたヾ( ´ー`)
毎年そうなんですが、この後始まるクイズ大会のために、われわれはかき込むようにご飯を食べなければなりません。そう、だって観光で来てんじゃないんだから....
そして、宴もたけなわ…ではなく、そこそこ中盤(会場を押さえている時間が決まってるもんで…)にさしかかった頃、それは始まります。お待ちかねクイズ大会であります(`・ω・´)ゞ
↑これは、わたくしがルールを一生懸命説明している模様。
なお、今回は「風」「林」「火」「山」「影」「雷」の6チーム対抗。ん、最後の2つは何?という方はこちらが参考になるかと →「風林火山」には続きがある!?/甲府市HP
※「陰」に「影」の字をあてて、全部で6チームとなっています。
記念すべき1問目はこんな感じ↓
こんな問題が全部で20問あって(全問正解で100点)、問題の難易度によって獲得点数が変わります。上の問題でいうと、たったの2点しかもらえません(・∀・)//
過去のクイズ大会ではスタッフが答え合わせ等々で全員てんやわんやしていたので、全く写真を撮っていないという失態を続けていたのですが、今回は教訓を活かして豊富な写真量があります。もうちょっと他の問題も見てみましょう。
3問目にもなってくると、もうだいぶ白熱してきます。これは錦絵のディテールを確認するためにみなさんがスクリーンに攻め寄せてきた図↓
↓こういった城めぐりアプリならではの問題があったり…
↓こういう、男気溢れる問題もありますよ。
なおこの問題は、行きの中央道のバス車内でしっかりと伏線を張っておいた問題です(中央道から岩殿山城が見えるため)。
クイズ大会中は、あまりの難問やイジワルな問題に時折ヤジや罵声が飛んできますが、そんなことでめげるわたくしではありません。
容赦なく難問を繰り出します(  ̄っ ̄)/~~ ソレッ!
そして最後の問題がコレ!わたくしがとっておきの難問として正解獲得点「10点」を付け、一気に大逆転を可能とするために用意したものです。
が、結果はまさかの全チーム正解!(´Д`;)
なんなんでしょう…。いよいよ何が簡単で何が難しいのか分からなくなってきましたよ...。普通の人が見たら、どう考えても石ころを積み上げた写真が4枚並んでいるだけなんですけど。
ちなみにわたくしは、ときおり仲居さんがふすまを開けてこっそり大会の模様を見ていたのを知っています。こんな写真4枚の違いを見分けてしまう団体客のことを果たしてどう思っていたんでしょう( ̄ー ̄;?
この最後の問題を終え、最終結果は「チーム雷」の優勝となりました!!おめでとうございます(´∀`)/// 点数はなんとビックリ過去最高得点の「88点」!驚いたことに、たった3問しか間違えてないのですよ。
クイズシステムが最後にトラブって最終得点の写真がありませんので、復旧後に撮ったスクリーンショットを貼っておきましょう。
見事優勝した「チーム雷」には、今回も豪華賞品が送られました(´∀`)/パチパチパチ
↓わたくしがアホ面で能を舞っているわけではなく、賞品のひとつ、風林火山扇子を授与式で紹介している様子です。
こうして城めぐりクイズ大会は幕を閉じました。みなさまありがとうございました、そしてお疲れ様でした!
クイズが終わった後はいつものように歓談タイムとなります。今回、弊社に会社の祝い事でオリジナルのガムを頂く機会があり(絵柄は武田信玄、伊達政宗、そしてなぜか小早川秀秋)、それがちょうど人数分あったため、各テーブルを回ってみなさんにおすそわけさせて頂きました。
クイズ大会が終わった後は、みなさん部屋に戻って城談義に花を咲かせたり、信玄の隠し湯を堪能したりと思い思いに過ごされたかと思います。わたくしも露天風呂に滑り込みで入らせて頂きましたが、とくにかく星がキレイ!心が洗われましたよ。
こうしてツアー1日目の夜は更けていきます。明日もまたよき旅程となるよう祈りながら、お休みなさい...。(2日目につづく)
※今回紹介したクイズの答えは11日(金)のブログで公開します。
城めぐりツアー第四弾レポート<1日目>
城めぐりのオフィシャルツアーはこれまで土日開催です。で、翌月曜日の18時にはツアーレポートのアップが待っています。どうでしょう(・ε・)/ この短いタイムスパン!ゆっくりツアーの余韻に浸りながら緑茶をすする暇もありません。
はい!アピールタイムはここまでということで、改めまして、発見!ニッポン城めぐりオフィシャルツアー第4弾、武田主従の史跡と至宝に触れる『珠玉の甲州赤備えツアー』にご参加頂いたみなさま、誠にありがとうございました(´∀`)!そして、大変お疲れ様でした。
体力的にとブログの容量の関係で、例によって今週はツアーレポートに染まったブログになるかと思いますので、参加できなかったみなさまもぜひ行った気分でご覧頂ければと思います↓
【「珠玉の甲州赤備えツアー」レポート<1日目>】
今回のツアーは第1弾以来の東京集合です。東京は品川の地に城めぐりの旗がひるがえりました。お天気も快晴♪
みなさん時間よりだいぶ前に集合頂き、非常にスムースに受付も完了致しました。赤備えツアー号がいよいよ出発です。
※真っ赤なバスが来ないかなーと20%くらい期待してたんですが、むしろ青かったです...。
最初の目的地、甲府城まではバスで2時間ほど。道中のバス車内ではサプライズプレゼントがあったり、真っ白に雪化粧した富士山がイイ感じの頻度で顔を見せてくれたりと、油断も隙もありません。
そうこうしているうちに赤備え隊は無事甲府城へ到着!武田氏に直接関係ないけど、この遺構と整備・復元具合、素通りするわけには参りません。
ここでは現地ガイドさんによる解説で、2班に分かれて観光。ちなみに、運営チームはドレスコードが赤だったんですが、いつかどこかで見たような気もする奥州王の陣羽織を羽織った武者も参陣して出発です。
こちらは平成16年に復元された稲荷櫓↓
こちらは雄々しい天守台。ここに到着した後はいったん昼食兼自由行動となります↓
下の写真は天守台からの風景。美しい城跡・城下を一望することができます。
しかし、いきなり撮れ高が凄すぎて困ります。とてもじゃないけど全部載せきれません。
みどころ満載の甲府城でしたが、日暮れ前に要害山へ登城せねばならないスケジュール上、非常に慌ただしい時間となってしまったことをお詫びします。わたくしもユーザーさんとお昼をご一緒させて頂いてバスへ戻ります。
続いての目的地はいざ武田氏の本拠、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)。地図上は甲府城からほど近いですが、軽い渋滞と上り坂で意外と時間がかかりました。
ここでも現地ガイドさんに待機頂いており、現在は武田神社となっている主郭内や大手周辺、宝物館を案内頂きました。
さすが有名観光地ということもあって、城めぐりツアーにしては珍しく(?)他の多くの観光客の中に混じって“城跡”をめぐります。
下は武田時代には三日月堀があったという大手方面の遺構群。お察しの通り、ちょっと神社から離れると、全然人いません( ゚ ▽ ゚ ;)!神社目当ての方には響いてこないようです。
↓背後の堀は赤備えを彷彿とさせる紅葉が埋め尽くします。
躑躅ヶ崎館を案内頂いたガイドさんとともに次に目指すは、館の詰城、要害山城!自分で“要害”って言っちゃうくらいだから、これはもう覚悟せねばなりません。
ということで、城攻め軍と待機軍の二手に別れ、いざ行軍開始です。
(なお、待機する方のために麓の積翠寺温泉ホテル要害さんのロビーをお借りできました。ありがとうございました。)
わたくしは諸々済ませた後に写真を撮影しながら走って追いかけようと5分遅れくらいでスタートしたんですが、なんとびっくりものの1~2分で膝が笑うどころか爆笑し始めました(;~Д~)ノ
これには「自分が老化している」、「要害山城が険しすぎる」という二説あるんですが、後者だと言い聞かせたいと思います。
何とか気力を振り絞り登っていると、諸所にこんな遺構があり、イイ感じに休憩の口実を与えてくれます。門跡、虎口跡が次々と現れます。
主郭までの途上には下のような案内板とともに多くの遺構が点在します。一目で分かる石垣などもあれば、竪堀や郭跡などは草木が生い茂っていることで不明瞭なものもあったりと、探索欲をよりいっそうかき立てられます。
そしてしばらく登ると、なぜか1人で歩いている、本来なら赤備え軍を先頭で率いているはずのガイドさんに追いつきました。人のことは言えませんがかなり疲労されているご様子であり、ご高齢ということもあり、無理をされてはいけないので麓の待機軍に連絡を取って、急遽わたくしが引率することに( ̄□ ̄;)
といっても頂上まではまだまだ…。全速力で登りつつ、遺構を撮影しつつ、ゼェゼェ言いつつ、なんとかみなさんに追いついた頃にはすでに主郭でした。
主郭には「武田信玄公誕生の地」の石碑が建っています。ちなみにこの周囲にも遺構があります。
実は今回のツアーで配られたパンフレット裏面には、城郭ライターの萩原さちこさんに書いて頂いた要害山城のみどころを掲載させてもらいました(こちらはまた機会を見て紹介します)。
その中では、主郭からさらに東へ降りた場所もみどころのひとつとして紹介して頂いていて、確かにそちらにも多くの遺構が残っておりました。しかも竪堀なんかはそちらの方が非常に分かりやすい形で大規模に残っていました。
しかし竪堀という人は写真になると肉眼で見るよりだいぶダイナミックさが失われますな( ̄ー ̄;
さて、こんな遺構を撮りつつも、わたくしには攻城した方全員の人数を数えて無事下山せねばならないというミッションがあったため、最後にみなさんに主郭に集合頂き山を下ります。
それにしても要害山城。本当にみどころの多い山城でした。そして足腰がこれほど悲鳴を上げたのは何年ぶりでしょう。武者返しの遺構はありませんでしたが、こむら返りの恐怖は十分に味わうことができました( ̄Д ̄;
ホテル要害で待機軍と合流した後は、1日目最後の目的地、積翠寺(せきすいじ)に移動します。
武田信玄は要害山城またはこの積翠寺で生まれたといわれ、積翠寺には「武田信玄公産湯の井戸」が残ります。そして、わたくしはてっきり旅程表に書いてあると思っていたんですが、実はこの積翠寺では特別要素が用意されていたのです!!
その特別要素とは、なんと信玄が天文15年(1546)に公家や僧侶を招いて開催した「倭漢連句の会」で遺された1巻を特別に見せて頂いたのです。
レプリカではない本物ですよ!信玄(晴信)直筆ですよ( ̄□ ̄;)!! 本来はまず見られないらしいですが、躑躅ヶ崎からずっと帯同頂いていたガイドさんのご尽力によって、今回特別に公開頂きました。住職が「どうしても見せろっていうから…」と渋々出すやりとりのところで場はドっと笑いに包まれましたが、その後は本当にみなさん食い入るように“現物”を鑑賞。
↑あまりに貴重な体験すぎてバスガイドさんも“参戦”(笑) 青備えの人。
あの信玄自筆の書をこんな至近距離で見られるなんて、リアルに泣きそうです。泣かなかった自分を褒めてあげたい(TωT) 関係者のみなさま、本当にありがとうございました...。
※当日見られるかどうか不確定だったために旅程表には載せなかったということみたいです。赤備え軍のみなさん強運の持ち主です。
放心状態のまま赤備え軍はそのまま寺の裏手にある先程の産湯の井戸を見学。
もう次から次へとゆかりが深すぎます。感慨に耽りながらお賽銭を納めてきました。
そして、積翠寺を見終わった頃にちょうど日が暮れて参りました。1日目の旅程はこれですべて終了。一路、本日の旅館を目指します。
甲府盆地の美しい夕暮れ↓
今回宿泊する旅館も、もはやわれわれにとっては史跡のようなもの。そう、かの山県昌景の御子孫が経営するその名も「山県館」。赤備え軍は多くのスタッフの方の歓迎を受けながら“入城”します。
窓には武田菱、そしてスタッフの方の背中には山県氏の家紋「桔梗紋」が(・∀・)
到着するとすぐにわれわれはクイズ大会の会場設営に入ったわけですが、赤備え軍のみなさんはまだ休ませてもらえません。なんと、ご子孫で女将をされている方より、山県昌景からの過去帳を見せて頂きつつ解説もしてもらえるという特別要素が!!しかもこの過去帳はあの「心頭滅却すれば~」で知られる快川和尚による書です。
わたくしは実は先程の会場設営の関係で途中参加だったため、悲しいかなすべての説明を聞けていません…。ちなみに、この過去帳も普段はもちろん見られない大変貴重なものです。ありがとうございます。
他にも山県館には、信玄が傷病兵のための療養施設設営を恵林寺に依頼した書状の常設展示などもあります。
ということで、長かった1日が終わり、いよいよこの後宴会&クイズ大会へと突入します!例によって、その模様は次回のブログでまたレポートしますので、お楽しみにヾ( ´ー`)
いよいよ明日から赤備えツアー!
たった今、おそるおそる今日のクイズの正解率を確認してみました。
あっ、( ̄Д ̄;;... 89%!?
今日こそ100%を目指していたのに…。これはわれわれの精進(=広報活動)がまだまだ足らないということですね( ̄- ̄; 頑張ります。
気を取り直して…、『珠玉の甲州赤備えツアー』の開催がいよいよ明日に迫って参りました\(゜□゜)/!!山梨のみなさま明日からおじゃま致します。
ユーザーのみなさんと触れ合える貴重な機会を楽しみにしつつ、武田氏関連の史跡に胸膨らませつつ、好天に恵まれることを祈りつつ、明日を迎えたいと思います。
とはいっても、信玄にならって風林火山風に言えば、“準備が追いついていないこと例年の如く”ということで、われわれ今現在もツアーの準備の真っ最中なのであります(汗
毎年次回こそは余裕を持った準備を…と思っているのに、この学習能力の無さはどうでしょう(・∀・) ツアーでは、そんな学習能力の無いわたくしが作ったクイズ大会もありますので、ご参加の方はぜひ楽しみにして頂ければと思います。
それではいざ甲州へ(・ω・)/
2015/12/12~【クエストイベント】戸次川の戦い&三方ヶ原の戦い
三方ヶ原の戦いに関しては、過去のブログ(その1、その2)でそこそこ言いたいこと言い尽くしている感があります。戸次川の戦いについても過去記事でちょこっと触れた形跡がありますが、この戦いでは長宗我部信親が島津軍との激戦の中で22歳という若さで命を落としています。
下に紹介するGoogleMap上にも戦場のほど近くに「長曽我部信親墓」という史跡マークが表示されています。
信親の墓は高知市内にあるわけですが、こちらの戦場近くの墓は、合戦後に父親である元親に命じられた家臣が島津方から遺骸を持ち帰ろうとしたものの、あまりに変わり果てた信親の姿を元親に見せるに忍びず、ここで荼毘に付したとも言われているものです。
また、後に島津家中の者が長宗我部家に返した信親の刀は、切先まで無数の切り込みが残る凄絶なものであったと言われます。なんとも悲しいエピソードです(´_`。)
では概要を見てみましょう。
【戸次川の戦い】
↓場所はこのあたり
≫スマホの方向け地図
≫ガラケーの方向け地図
【三方ヶ原の戦い】
↓場所はこのあたり
≫スマホの方向け地図
≫ガラケーの方向け地図
※ちなみに、いつも布陣図などを紹介するため過去の同イベントのブログ記事にリンクを貼ったりしています。その過去記事の方にも当時のクエストイベント開催期間の表記があったりしますが、開催期間は毎年変わりますので常に最新記事の開催期間を参照頂けるようお願いしますm(_ _ )m
今回の開催期間は、2015年12月12日~2016年01月11日まで となります。よろしくお願いします(・ω・)/
城主争いにも共有機能
イメージとしては↑こんな感じになります。城主(城代・城番)就任時の画面も若干リニューアルされます。
そして、これらの準備をしている際に今さらながら根本的な表記ミスが城めぐりアプリ内にあることに気がつきました(;´Д`)
「城主争い」とは、そもそもその月の城攻め回数が1位になった人が翌月1ヶ月間の城主に就任するという基本理念でやってきたわけですが、いくつかの画面で月の表記に矛盾が生じておりました。
具体的には、自分・他人トップ及び、就任実績・歴代城主画面で、城攻め回数が1位になったその月の城主であるかのような表記になっていました。
※例えば2015年10月の城攻め回数1位で終わったら、本来「11月度の城主」に就任しているはずが、「10月度の城主」と表示されていました。
城攻め後の画面等は正しく表記されていて、長らく表記の不統一に誰も気付いておりませんでした....。申し訳ございません。こちらについては本日の機能追加と同時に修正しています。
明日からはまた新しい月が始まります。そして気付けば今年最後の月。
ぜひ城主狙って発進下さいヾ( ´ー`)
アマりによくできた話
おとといのブログに間に合わなかった腹いせに、今日は2日遅れの話題でひとり盛り上がってみたいと思います。
11月25日、家電量販店エディオン(旧ミドリ電化)の創業者・安保詮(あぼあきら)氏が、私財約10億円!を投じて尼崎城(兵庫県尼崎市)の天守を再建し市に寄贈するというニュースが報じられ、家電業界・城マニア界隈・尼崎市民の間に激震( ̄□ ̄;)が走りました。
天守の再建と言えば、最近では江戸城天守の再建ができるできないという議論が活発ですが、それを横目に尼崎城がスぅーっと差していった印象すらあります。早くも来年には着工したい考えだそうで、あと数年で真新しい天守が拝めるかもしれません。
個人的な話をさせてもらうと、尼崎はわたくしの生まれ故郷にほど近く、非常になじみ深い土地であります。さらには、家電量販店などほとんどなかった当時、電器屋と言えばミドリ電化であり、それだけに今回のニュースは非常にノスタルジックな気分にさせてくれます。
尼崎城は、元和3年(1617)に戸田氏鉄(うじかね)が築いた城郭で、3重の堀や御殿、四重天守などを備えた大坂の西を守る巨大な城郭でした。ただ、現在は都会化による開発の波に呑まれ、遺構はほとんど残っていません。
城域の一部に尼崎城址公園があり、そこに石垣と塀が模擬っと復元されていて、かろうじて往時を偲ぶことはできます。ちなみに天守があったとされる本丸跡は小学校となっていて、こんな模型が鎮座しています(今もあんのかな?)
姿を消してしまったとは言え、尼崎城には発掘調査によって多数出土している遺構や遺物、また残された複数の絵図という非常に心強い武器があります。これは天守の復元にとってはかなりのアドバンテージと言えます。
ただ、残念ながら再建される場所については前述の小学校に建てるわけにいかず、城址公園と決まっているようです。そして、鉄筋コンクリート造りであることもまた決定しているようです(;´Д`)ノ
もちろん予算の問題や市の方針があるでしょうから、外の人間がとやかく言うべきではないと思いますが、鉄筋コンクリートでもせめて外観だけでも忠実に復元してもらいたいと願って止みません。
とはいえ、城を愛するみなさんの意見としては、やっぱり木造で復元して欲しかったというところが本音だと思います。
でもそれは、元和の築城の頃に、既に無理だったことが決まっていたのです。
よくよく思い出してみて下さい…。
だって、築城したのが戸田氏鉄なんだもんヽ( ;∀;)ノ
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androidで問題が起こった場合の対処法
城めぐりアプリをバージョンアップした際や、機種変更で新しい機種に城めぐりアプリをインストールした際に、うまく城攻めできない等のお問い合わせをたまに頂くことがあります。
これには機種に依存する問題や、古いデータが断片的に残っているなどなど、様々な要因が考えられるのですが、今日はお問い合わせがあった際にサポートセンターからも回答させて頂いている、もっとも効果的な方法をこのブログでも掲載させて頂きます。
androidお使いの方でもし何かの問題に直面した場合は以下を参考にしてみて下さい↓
■端末の再起動
普段PCが調子悪い時などにもよく用いられる方法ですが、これはスマホでも有効な場合があります。一度電源を切った後に再度入れ直すと、問題が解決する場合があります。
■位置情報モードの設定
androidの設定メニューに「位置情報」という項目があります。その中の「モード」が“高精度”になっていない場合、城攻めに時間がかかる場合があります。
※端末によっては購入時初期状態で“高精度”になっていない場合もあります。
※他アプリのインストール、設定変更に伴いGPS設定が変更される場合があります。
※OSバージョンによっては、「モード」ではなく「GPS機能」や「Wi-Fi/モバイル接続時の位置情報」という名称になっている場合がありますので、その場合もそれらを“ON”にして下さい。
■アプリの再インストール
城めぐりアプリが正しくインストールできていない場合に有効です。必ず引継ぎコードをメモした上で一旦城めぐりアプリをアンインストールし、再度ストアからインストールし直してみて下さい(インストール後、端末を再起動頂くとより良いです)。
《2021年8月追記》
現在は、不正防止の観点から、引継ぎコードの入力が一定時間以内に連続してできないようになっています。そのため、引継ぎコードを入力して引継ぎを行った後、アプリを再インストールした場合、一定時間引継ぎができませんので十分お気をつけ下さい。
■城めぐりアプリ自体の設定
これは特に引継ぎ時に確認頂きたい部分ですが、城めぐりアプリの「設定」で
・「spモードの位置情報サービス設定」を「利用する」(docomoの方のみ)
・「MVNOキャリアsimを使用中」(MVNOキャリアの方のみ)
という点も、該当のキャリアの方はそれぞれチェックされているかご確認下さい。
《2021年8月追記》
現在、アプリにこの設定はありません。
以上の方法で、これまでのところほとんどの問題が解決しています。
万が一それでも問題が解決しない場合は、ご遠慮なくサポートセンターまでお問い合わせ下さい。その際には、ご利用の端末名とOSバージョン(Android 4.2など)を記載頂ければ、より早いお返事ができるかと思います。
同じようなことがもちろんFAQにも記載されていますが、本日は再周知ということでブログでお知らせさせて頂きましたヾ( ´ー`)
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