The life is time killing till I die. -83ページ目

掃除

部屋を綺麗にしようと思ったら、思いの外いらないものが多い。
落ちた会社のパンフレットとか、下書きのESとかの就活関連、新聞、とかとか。

雨だからね、独りだからね、やることなくてね、やっぱりすごいゆっくりになる。

処分する度に過去を忘れるみたいにね、思い出が甦ってくるね。
なんかそういうのを切り捨てていく行為に将来へのステップアップとか、未練を拭うような意味合いがあるのかもって思った。

今はすごくどの会社に行こうか悩んでいて、やっぱりそれも一つ選ぶこと、他を切り捨てることが次への一歩だ。
今月中にはケリをつけたい。

雑考

只今とある会社のロゴを制作中…。
会社の名前と大まかな業種しか聞いてないために困難を極めている。

といってもクライアントは大学からの友人だから、それほどプレッシャーもなく、単純にイメージを膨らませにくいというだけで助かっている。

そしてこれからその友人と会うんだけどね。
就職活動の片手間でちょいちょいやって、やっと基本形を10個ぐらい作った。
今見返してみても、質が悪すぎる。
手抜き感が否めない。

好きでこんなことをやっているのに、やっぱり苦労してしまって、勿論技術もまだまだ素人レベルで、自分には才能ないなぁと思ってしまう。
自分のイマジネーションに限界を感じてしまう。

好きこそモノの上手なれって言うけど、自分の将来、仕事とは方向性がけっこうずれているから、たとえ好きだとしても、必要以上に時間を割くことは出来ない。
むしろ未知の社会人に向けて、就くであろう職業に合ったスキルを重点的に磨かなくてはならないと思う。
年齢を重ねる毎に、知らぬ間に選択肢が狭まっていて、だからこそ今出来ることは今やる。
しかしある程度将来の方向性が定まっている場合には、今出来ること以上に将来のためにやるべきことを今やったほうが、賢明だと思う。

自分の本能や欲望のままに生きるのは簡単だけど、そんなことに生産性はないじゃない。
すぐ底が尽きてしまう。
つまり本能や欲望に任せて生きることが一番難しいんだろうね。

必要なのはバランス感覚かな。
自分はそれが長けているとは思っているけど、正直自分に甘い。
対人的には頑なに相対性を持って接しているが、対自分においては過保護。

だめだなぁ。

What should I do?

今日は朝から面接。
ネット広告大手の、2回目の最終面接だった。
しかも集団面接。

なんだこりゃ?って思ったよ。
最終面接では明らかに力を出し切れずに終わり、間違いなく落ちたなと思っていたのに、何故かこんなことになってしまった。

内定出すには今一つ決め手に欠けていたのか、ただ単に中途半端を集めて最後の篩にかけたかったのか、どちらにせよもう就活終えていた気でいた自分はモチベーションが上がらない。
しかも朝の9時からなんて、面接官も欠伸をしていた。

まぁ結果から言えば、そりゃ前のグダグダ面接に比べれば良く出来たと思うよ。
かといってこの面接がどういうスタンスで実施されているのかっていうのが分からないから、全くもって未知数。

ただね、同じ学校の人がいて、自分と同じようにフリーペーパーを作った経験のある人がいたのね。
その人がフリーペーパーを作る際に、僕らのフリーペーパーをたまたま見つけて参考の一つにしてたって聞いて、すごく驚いた。
めっちゃ嬉しかった。

もう発行して半年経つのに、こんなところで嬉しい偶然が心をあったかくしてくれた。


あと、言いたいことはいっぱいあるけど、言わない。
一言言うならば、悲しい思いをする人を見るのは辛い。
そういう人を少しでも楽にしてあげたいとは思う。

それはこれまでに自分がそういう思いを多々させてきてて、後悔してるから。

心の底から笑顔になるように、自分が何をしてやれるのか、これは命題だ。

それはピアノを弾くように。

残りの時間をどう使おうかなと考えている今日この頃。
大体はどの会社に行くか決めるのがイヤになってそんなことを考えている。

そして思いつくのは決まって海外旅行。
ヨーロッパに行きたいな。
特にフランスとドイツ、あとは東欧と北欧諸国。
それともまたタイに行こうかな。
今度は東南アジアのいろんな遺跡を見て回りたいね。
でもやっぱりアメリカも捨てがたい。
ニューヨークもロサンゼルスも魅力的だし、大陸のど真ん中で広大な大地を肌で感じたい。

写真を馬鹿みたいに撮りたい。
文字に落とし込みたい。

なんて夢に思いを馳せてばっかりいる。
今日もそんなことを考えていて、ふと思い出したことがある。

タイに住んでいる親戚からこんなふうに言われたこと。
「君は大学卒業したらもっと自由に生きていくもんだと思ってたよ。」

多分それは僕がワリと趣味人に見られているからだろうと思う。
ピアノを弾いたり、絵を描いたり、スポーツ好きだし、フリーペーパーとか作ったりね。
多分次男だしね、好き勝手生きていく雰囲気出てるんだろうね。
だったらタイに来なよって感じで言われたこともあったな。

そういやゼミの先生にも言われたな。
「ゼミの中で一番社会人っぽくない。」
って。
地味にショックだったな。

でもそれも同じような理由なんだと思う。

そんな僕でもやっと社会に出ようとしている。
それは社会の規格に合うように自分を矯正されたからなんだろうか?
それとも自分の本性は隠して社会に潜入しようというのか?

多分僕は、ピアノを弾くように転職をし、絵を描くように起業をするだろう。
仕事はプライベート。
プライベートで仕事をしている。

Do or Not?

人は、行動した結果の後悔より行動しなかったことへの後悔のほうが、より心に残る。

みたいな事を何かのCMで言っていた。

確かになぁ~。
そういう後悔を幾つも繰り返してきているからな。
ホントそう思う。
だから何事もやってみるべきだと思う。

踊る阿呆に見る阿呆理論?みたいな。
それはいつも心の中に留めているポリシー。

なぜなら僕は元来臆病だから。
良く言えば堅実。
高い可能性を見出だせないと実行に移さない。
石橋を叩いて渡らないタイプ。

そのくせ、人と同じではいたくない、ありきたりなことはしたくない、自分だけ、自分だけを欲する。
そのためには行動が必要。
それであと一歩が出ずに後悔してきたことが数えきれないほどある。
勉強然り。
恋愛然り。
スポーツ然り。

そんな後悔の連続だからこそ、先の自分はなんでもやろうと思っている。

しかしそこに一つの疑問が生まれる。
予め後悔するであろう見込みのあるものを、敢えて行なう必要はあるのだろうか?

あぁ~。