The life is time killing till I die. -82ページ目

昨日の話

昨日は内定先で初バイト。
居心地は、まぁ若い人が多いせいか、わりと良かった。
なんだかんだで働いているんだなぁと思って、昨日感じていた不安は多少落ち着いた。

でも一方で、けっこう温いなぁとも感じたのは事実。
もちろん他にも仕事があるだろうけど、昨日やった3つの仕事は結構覚えやすくてすぐ終わったし。
あと忙しそうな人もいたけど、忙しくなさそうな人もいたし。

やっぱり一足先に働いちゃったことは罪悪感が付き纏うけど、どこで働こうか悩む。

その後は大学のサークルの飲み会に顔を出す。
今年の1年はなんだか若くない。
ノリが悪い。
もっとはっちゃけてほしいな。

その後は、裏にスタンバイしていた先輩と飲む。
歌舞伎町の知られざる名店に連れていかれ、めちゃくちゃ語り合った。
やっぱりコミュニケーション能力高いなと実感。

自分が歳とったのかもしれないけど、バイトも楽しかったし、年上と飲んだのも楽しかった。
時代は変わったなぁと思った。
いや、自分が変わったのか。

昨日の帰りは、土曜だったせいもあって、すし詰め状態。
真っすぐ立ってられなかった。
痛かった。

What's True?

今日は久々のスーツ。
スーツ的な用事が重なった。

一つは内定先アルバイトのガイダンス、もう一つは別の内定先の社員訪問。
バイトは早速明日からになってしまった。
まぁいいけど。
ただ、まだそこに行くと決めたわけじゃないから後ろめたさが残る。

社員訪問はなかなか有意義だった。
紹介された社員の人の就職当時の状況と、今の僕の状況とがかなり似ていたから。

今更ではあるけれど、悩んでいることがあって、どうにもこうにもならない。
それは、安定と変化の両立。

もともと飽きっぽい性格の自分は、変化がないと簡単につまらなさを感じてしまうだろう。
そう思って今まで就活やってきたんだけど、今立ち止まったときにふと考えた。

なんのために仕事するの?

もちろん自分の人生を楽しむため。
だと思っていたんだけど、これってホント自分個人の話かとも思った。

やっぱり人並みに結婚して幸せな家庭築きたいし、苦労しない程度には給料が欲しい。
つまり、守るべき人のためにも仕事ってのはあるべきだと思った。

正直今のトコロはどこも先行き不透明。
安定を求めるなら、自分はホントにコミュニケーションビジネスがしたいのかな?って根本まで疑ってしまう。

人のためにってのは自分の生きる基本。
万人のためのその前に、身近な人のために仕事をするのは当然じゃない?

本格的に迷走中。

今一度、大手メーカーを受けてみようかと思っている。

KC

今日はなんだかんだで昼起床。
ここ最近の自堕落な生活もここまで地に落ちたかと思い、馬鹿らしくなってさらにふて寝。

まぁやるべきことは簡単なことだけだったけどやってやった。
明日は内定先のバイトのガイダンスともう一つの内定先のOB訪問。

で、結局今日は院生の先輩に前々から連れてってとリクエストしていたキリンシティへ赴いた。
やっぱりキリン直営だけあって、ビールには並々ならぬこだわりがあるようで、流石に美味かった。
雰囲気もちょっと古き洋風的日本な作りになっていて、居心地はかなりいい。
料理は及第点。
そしてウェイトレスの制服が所謂萌え。

先輩曰く、平日にしては今日はかなり混んでいたらしい。
事実閉店のころには大分人も少なくなり、落ち着きのある、いい雰囲気となった。

そんな長時間いるつもりもなかったけど、話も盛り上がり、閉店まで居座ってしまった。
学校の近くにこんなところがあったなんて。

途中、去年の学校の友達からメールがあり、会えなかったのは心残りではある。
僕が会いたいと思う友達の一人なんで。
だけど働いてる人にはどうも遠慮がちになってしまうもの。
また次の機会はちゃんと会おう。

いずれにせよ今日は、普段酒を囲んで話すことがない先輩とサシで飲めて楽しかった。
ま、話す内容は相変わらずなところはあるけれど。

結果的には気苦労が尽きない

昨日の19時から、今朝6時まで拘束され、その上で昼には銀座で友人が勤めている会社のランチにお邪魔して、今ではすっかり蓄積した疲労が眠気を誘っている。
さっきから欠伸が止まらない。

とりあえず昨日、後輩の就職関連の論理構築に付き合わされ、結局夜が明けていた。
学力に関しては、全く申し分ない力を持っている後輩が、まさかこれほどまでに論理構成ができていないとは予想だにしなかった。
明らかに逃げていた感が否めない。

まぁ試験を通過したのはタナボタと本人が言っていたくらいだから、本当にノーマークだったんだろう。
とはいえ面接の前日に、殆ど手を付けていない状態で、つまりオール必至でってのはキツイ。

本人を無視して僕が勝手に書いていれば、日が変わる前に帰ることができていたかもしれない。
勿論充実した内容はキープした状態で。

で、眠気をこらえて昼には銀座。
自分が内定を貰っている会社について、同じ業界の別の会社からの視点でいろいろ話を聞きたかったから。
友人ともう一人同期がきてくれるくらいかと思ったら、結局全部で7人、同期の殆どが集結し、逆に気まずさを感じた。
ただその業界や内定先の内情はいろいろ伺うことができて、1時間と短い時間でもそれなりの収穫を得ることができたから良かった。
間違いなく会社選びの基準の一つになるだろう。


あと、最近思うことは、誤解されることは辛いということ。
言い回しの一つ一つ、場面の読み違い、たった歯車が一つずれるだけで、全部がずれて結果を残してしまうんだな。
僕は、そういうことにかなりセンシティブになってしまうから、ちょっと自分に誤解を招きかねないよう節を感じると、不安になってしかたがない。

切なくなる。

東大?教養?

深夜のNHK教育で、爆笑問題が東大の小林教授と駒場で講義型トークショーをやっていた。
教養の必要性について激論を交わしていた。
トークの内容は自分がすごく興味を持っている分野だったし、自分が学校で受けている講義よりよっぽどためになるし、よっぽど面白かった。

けっこう自分は前々から考えていたことだったんだけど、爆笑問題達も同じようなことを考えていて、そしてそれが講義として話されていることが嬉しかった。

それは、教養とはコミュニケーションツールだということ。
多分これは以前ブログに書いたことがある。

コミュニケーションをとるためには、お互いに共通する認識が必要で、教養とはその共通性を形成するためのものだということ。
簡単にいえば、共通の言語がなければコミュニケーションなんて成り立たない。
爆笑問題の太田光は、マスコミ、メディアとはそういう共通認識が前提にあって成り立っていると語っていた。

だから、知識を多く溜め込みひけらかす事が教養ではなくて、共通性の中にある誤差を柔軟に受け入れ対応できる力こそが教養だと思う。
その意味で、東大教養学部の意義というのは、誤差のある共通性を深化させ、根幹にある真理を追い求めるところにある。

そこで、昨日テレビで「この番組は勉強が好きな人しか見ない」という前提で質問していた東大生は、頭悪いと思った。
何万という人の価値観を限定、画一化してしまったから。

違うよね。
勉強好きじゃなくても爆笑問題が好きで見てる人だっているだろうし、教育テレビ見てたりザッピングしたりで見てる人だっているじゃない?
テレビってそういう公共のものじゃん。

そして、視聴率とは多様な価値観の数値化なわけ。
みんな好き嫌いがあるから視聴率100%なんてアリエナイわけで。
良くて20%、つまりどんなに頑張っても国民の1/5しか振り向かせることはできない。

で、そんな無限の価値観の中から、日本人としての普遍性を、人間としての100%をさ、いろんな観点からアプローチしてほしいんだ。

それは、やっぱり東大が一番近いところにあると思うんだよね。
教養が広いし、小道具としての知識も豊富だし、何より論理の展開力が半端ないから。

ってこれもかなり自分勝手な意見だと思う。