The life is time killing till I die. -134ページ目

ぶんすかぶんすかどんどこどん

あー、朝からサマソニ。
そして不眠不休。
あ、不休ではないけど。
立ったり座ったり、行ったり来たり、てんやわんや。

ストリーキング見た。
でも恐らく知的障害者。
警備員に服着ろって蹴られてた。

イチローの物真似してる人がいた。
それも朝から閉場までずーっと。
わりと似てたんだけど、唯一の難点が右打席だったということ。
でもたまに見せるデッドボール姿に涙した。
相変わらず右打席だが。

スリップノットのコスプレイヤーがいっぱいいた。
なかなかの人気者になっていたが、素の日本語喋ってきて残念だったらしい。

すげぇ久しぶりの大学のクラスメイトに会った。
全然変わってなかった。
それ以上のコメントは特に思いつかない。

ジョシュアがいた。
MTVのブーさんがいた。
撮影で。
お相撲さんがいた。
4人くらいで平均気温を3℃上げていた。
あとぶんすかぶんすかどんどこどんで有名なアフラがいたらしいけど俺は見てない。

入場口のホットパンツねーちゃんエロすぎだろ。
自分の英語力が半端なく低いことを知った。

あー俺寝てないんで。

今日はスーパーバイザーのおかげでなんとか出来たようなもんやって。
勝負は明日。
まず起きれないと思われる。
だから寝ない。

サマソニスタ!!

今日から俺は、2日間サマソニスタになる。
ちなみに女性の場合はサマソネーゼだ。

サマソニスタであるための、明確な定義はない。
とりあえずサマソニに関するすべての情報を網羅していて、それを困っている人に対して的確に伝えることが出来れば、サマソニスタだ。

少なくとも、音楽に対して人並み以上の情熱を持つ必要がある。
たぶん。

偉そうなことを言っておきながら、サマソニスタ・サマソネーゼ合わせて50人くらいいるんだよね。


サマソニスタの朝は早い。
午前6時半には海浜幕張にいなければならない。
どんなに遠距離に住んでいようと、だ。

だから今、向かう途中に書いている。

俺の家は吉祥寺。
家を出るのは4時半の予定さ。
まだ暗いぜ。
田舎のじーちゃんばーちゃんもビックリするほど早起きだもんね。

そしてフェス中は、最後までサマソニスタを全うする。
使命とはそういうものだ。
小野田さんみたいなもんだ。

そして終電、一度家に帰るわけだが、終電だと大体帰宅は午前1時。
3時には起きなければならないのだが、帰宅してシャワー浴びて、あっという間に3時になってしまう。
リアルに寝れないんじゃないだろうか?

そして2日目もサマソニスタを全うする。
2日目は、やけに落とし物が多く、その対応に追われてしまう。
靴が片方だけ届けられたりすることも日常茶飯事だ。
ノベルティグッズなんて、みんな買ってみんな落とすから、早いもの勝ちにするしかない。

そんな煩雑したサマソニの中、サマソニスタは冷静沈着に使命を遂行する。
言わばサマソニエリートさ。

ただ激務であることには間違いない。
精神的にも肉体的にも辛い仕事だ。

しかし僕らには関係ない。
音楽を愛する心があれば!

そして僕はスタジアムのインフォブースにいる。
差し入れは一向に構わないぜ!

BIGISSUE

昨日の深夜3時頃、ホームレスが自立するのを支援する雑誌、BIG ISSUEのドキュメンタリー番組を見かけた。
世界陸上なんかとザッピングしながら見ていたので、大体しかわからないけど、良い番組だった。

もともとはイギリスで始まったBIG ISSUE。
今では28ヵ国で行なわれている世界的な活動となっている。

だけど、イギリスと日本でば大きな違いがある。

それはBIG ISSUEを始めるとき、イギリスでは企業の多大な資金援助があったのに対し、日本では全くのベンチャーであったということ。
そのために、日本では運営能力や広告活動が未熟で、いまひとつ知名度が上がらず販売に繋がらないという。

BIG ISSUEの販売が、そのままホームレスの収入に直結するため、BIG ISSUEは売れなくては自立支援にはならない。
現状では、ホームレス一人あたり、一日2000円程度の収入しかないそうだ。
それも雨だったりすると、ホームレスは売る場所もなくなり、収入がなくなったりする。

それは全て前述した理由によるものだ。

それでも、自立したいと考えているホームレスはBIG ISSUEを信じるしかない。
それは、ホームレスが売る出版物を作るだけではなく、売れる環境までプロデュースしなければならない。

当然それは編集者もわかっていて、現在は広告営業に力を入れてるようだ。
しかしまだ企業からその甘さを指摘される程度のようではあるが。
ただ、運良く、外資系広告会社のオグルヴィがSPに手を挙げてくれた。

これでやっと環境を整える環境が整ったといえる。

しかし、いざ自分が買うかといえば、恐らく買わないだろう。
なぜなら、ホームレスを助けるために金を払うという恩情的な感覚は、自立を促すことに繋がらないと思うからだ。

あくまで出版物であるならば、そのコンテンツの深さ、濃さで勝負してもらいたい。
俺は、新宿とかで売っているBIG ISSUEのトピックスを見てみても、まったく興味が湧かない。
全然面白くなさそうだ。

逆に、面白そうであるならば、ホームレスであるかどうかは関係なく買うし、それがホームレスの自立支援に繋がっていると思うと、嬉しくなるだろう。
あくまで出版物なんだから、是非そうあってほしい。

部活の思い出だったりする

一昨日、突然、高校時代の部活の後輩からメールが来た。
部活の、俺から見て1コ上から2コ下の人たちまでに声をかけてるらしい。
なんか皆で集まるらしい。
飲むらしい。

所謂同窓会?みたいな感じ。

あぁ~!!
懐かしいなぁなんて思いながら、昔を思い出しながら、メールをやりとり。

テニス部は俺が高校生になる前まで同好会だったため、学校にコートがない。
そのために山の上にある市営のテニスコートまで行かなくてはならない。

結構急な上り坂を毎日行き来しなけるばならなかった。
それがホントにイヤでね。
それでうちの高校は原付での登校が許されてたからさ、16歳になったら皆免許とってバイクで山のテニスコートまで行くわけよ。
そんときの壮快感はたまらないね。

そんな俺のバイクも、ワリとビンテージだったせいか、もうエンジンがかからない。
TLM50はもう動かない。

うちの代は女子部員がいなかった。
軽くセクハラの入った顧問のせいで、当初は10人くらいいたのが、みんな辞めちゃったんだ。
まぁその先生、個人的にはなかなか好きな部類の先生だったんだけど。

女の子がいなくなるのはかなり残念だったけど、その分コート使えるから良い部分もあった。
まぁ後輩に女の子が入ってきたし、いい子ばっかりだったからよしとする。
ただ俺より強いやつもいたけど。

あとは、高校最後の大会、ダブルスとシングルスは違うっていうのを実感したのが気持ち良かった。
一日目のダブルスで準優勝したヤツが、次の日のシングルスの俺の一回戦の相手だった。
典型的なサーブ&ボレーなヤツ。
なんかコートの外に彼女みたいなのがいて、ムカついた。
その怒りも込めて戦った。
取られたセットは2つだけだったぜ!
ざまみろ。

まぁ今となっては全部思い出だけどね。
今テニスやっても結構ヒドイもんだろうな。

って思いながら…。
日程は、今週の日曜だった。
しかも場所は地元。

今週の日曜は、サマソニだ。
マジ急すぎるからっ!

あぁ、皆に会いたいなぁ。

広告を摂取する話

人が、朝家を出て、夜帰宅するまでに遭遇する広告の数は、大体2000~3000なんだって。

たしか。

気にはせずとも、無意識のうちに刷り込まれてるのかもね。

サブリミナルってやつ?


サブリミナルとは、SUB(サブ・~の下に)とLIMEN(ライメン・閾/しきい)の合成語で、意識のしきい(限界)の下、つまり、自覚される認識レベルの下位という意味で、潜在意識のことをいう。

例えば、アメリカの映画館で、画面に一瞬、1コマだけ(観客の気付かないレベル)でジュースやポップコーンの映像を流したら、ジュースやポップコーンの売り上げが急増したっていう話がある。

まぁ今じゃ規制されてるけど。



あー、違う。

今回はこんな話をしようと思ってたんじゃない。

まぁそれだけの数の広告を意識して見てると、人はどうなるの?って話がしたかったわけ。


つーかそういう本を読んだ。


まず一つ目は、『コミュニケーション能力』が身につく。

広告は、常に効果を求めて実行されるため、基本的に受け手の視点に立った情報を発信することになる。

そうやって人の心を動かすため、例えば営業なんかで、取引相手の側に立ったコミュニケーションがとれるようになる、とのこと。


次に、『ポジティブシンキング』。

基本的な広告は、ポジティブな情報を与える。

「この車を購入すれば、あなたのライフスタイルはよりエレガントなものに…」みたいなね。

そんなポジティブな情報ばかり接していると、自分の判断基準も前向きに見てしまう癖がついてしまう。


あと『近い未来を見ることができる』らしい。

広告は、どんなものであれ、常に今後の問題について提案してる。

もう過ぎてしまったことをあーだこーだと言わない。

たとえ過去のことをピックアップした広告であっても、それは未来に向けて発信しているものである。

簡単に言えば、今度出る新製品を広告することは、未来のことを事前に報告してるわけで。

そういうことを他の事象に関してもイメージすることができるようになる。


そして『変化を恐れない力』。

広告は、それに接する人に常に変化を迫っている。

服を買えだの車を換えろだの、言うわけですよ。

それで影響されてしまった人たちは、その時変化の中にいることになる。

広告は、そういった変化を当然のように示唆するため、広告を意識的に見ている人は、変化に対して耐性がつくのだという。



うーん、なんて素晴らしいんだ広告は。

人をポジティブに成長させる栄養のようなものだ。


ホントにこんないいことずくめなのか?

いい話には必ず裏があるって、疑り深い俺は思ってしまうのだけど。

というか、人を本当に信用させるには、絶対マイナス面も言及すべきではないのか。


とはいえ、確かに、めちゃめちゃ意識して広告に接していれば、そんな人間になるのでは!?って思う。


と、ネガティブ思考を脱却したい俺は思う。