広告を摂取する話 | The life is time killing till I die.

広告を摂取する話

人が、朝家を出て、夜帰宅するまでに遭遇する広告の数は、大体2000~3000なんだって。

たしか。

気にはせずとも、無意識のうちに刷り込まれてるのかもね。

サブリミナルってやつ?


サブリミナルとは、SUB(サブ・~の下に)とLIMEN(ライメン・閾/しきい)の合成語で、意識のしきい(限界)の下、つまり、自覚される認識レベルの下位という意味で、潜在意識のことをいう。

例えば、アメリカの映画館で、画面に一瞬、1コマだけ(観客の気付かないレベル)でジュースやポップコーンの映像を流したら、ジュースやポップコーンの売り上げが急増したっていう話がある。

まぁ今じゃ規制されてるけど。



あー、違う。

今回はこんな話をしようと思ってたんじゃない。

まぁそれだけの数の広告を意識して見てると、人はどうなるの?って話がしたかったわけ。


つーかそういう本を読んだ。


まず一つ目は、『コミュニケーション能力』が身につく。

広告は、常に効果を求めて実行されるため、基本的に受け手の視点に立った情報を発信することになる。

そうやって人の心を動かすため、例えば営業なんかで、取引相手の側に立ったコミュニケーションがとれるようになる、とのこと。


次に、『ポジティブシンキング』。

基本的な広告は、ポジティブな情報を与える。

「この車を購入すれば、あなたのライフスタイルはよりエレガントなものに…」みたいなね。

そんなポジティブな情報ばかり接していると、自分の判断基準も前向きに見てしまう癖がついてしまう。


あと『近い未来を見ることができる』らしい。

広告は、どんなものであれ、常に今後の問題について提案してる。

もう過ぎてしまったことをあーだこーだと言わない。

たとえ過去のことをピックアップした広告であっても、それは未来に向けて発信しているものである。

簡単に言えば、今度出る新製品を広告することは、未来のことを事前に報告してるわけで。

そういうことを他の事象に関してもイメージすることができるようになる。


そして『変化を恐れない力』。

広告は、それに接する人に常に変化を迫っている。

服を買えだの車を換えろだの、言うわけですよ。

それで影響されてしまった人たちは、その時変化の中にいることになる。

広告は、そういった変化を当然のように示唆するため、広告を意識的に見ている人は、変化に対して耐性がつくのだという。



うーん、なんて素晴らしいんだ広告は。

人をポジティブに成長させる栄養のようなものだ。


ホントにこんないいことずくめなのか?

いい話には必ず裏があるって、疑り深い俺は思ってしまうのだけど。

というか、人を本当に信用させるには、絶対マイナス面も言及すべきではないのか。


とはいえ、確かに、めちゃめちゃ意識して広告に接していれば、そんな人間になるのでは!?って思う。


と、ネガティブ思考を脱却したい俺は思う。