続・雑考
これって、大学の講義で習う、判例とか通説とかいう話に似てないだろうか?
似たような事例であっても、裁判官の見解の違いから判決が異なることがあるけれど、そのどちらの判例を用いるかによって、自説も変わってくる。
自説がつまり自分の「1」ってことで。
ただ僕は法律にあまり興味が持てない。
やったら面白そうな気もするけど、生徒という立場から見た学者は、必ずしも教育者ではないと感じ、法学部でありながら法律とはあまり接しないように授業を履修してきた。
大学生最初の授業で、自分の功績を自慢げに話してた刑法の先生とか、幻滅した。
で、精神的ひきこもりの僕が興味を持っていた(あくまで過去形)のは、哲学や心理学。
ひきこもりの象徴であるかのような学問。
中学か高校のとき、ユングやフロイトの本を読んだことがあって、それ以来、心理と真理に興味を持つようになったから。
でもその頃心理学とかちょっとしたブームだったりしたし、それで生きていける気がしなかったから、自分の興味の範疇で抑えていた。
でも頭ん中でいつも考えていることをカタチにしたくてこのブログを始めた。
から衝動は和らいだ。
これはオレ流ならぬ、オレ学である。
だから研究者になるってのは、もう選択肢の中にないのかな?
わかんないけど。
でもやりたいことは漠然とだけどあるわけだから、とりあえず片は付いたと思ってイル(ILL)。
雑考
内面的には同じ程度だけど、他人に見せる部分が以前より増した。
もともと、嘘や隠し事が巧くない性格なんだけど、喜怒哀楽に関しては高性能のフィルターを通すことで表面的には洗い流していた。
ただ、感情を見せるといっても友達全員というわけではなく、僕が心を容せると思ったごく少数の友達だけだけど。
それでも大きな成長なんじゃないかなって思う。
昨日、まぁある程度心を容している友達に言われたことがある。
それは、僕の適性は研究者、それも数学者に向いているんじゃないかということ。
理由は、僕の言動や書くことが理屈っぽいし、精神的にひきこもりだし、数学に必要な閃きに通じるセンスがあるからだそうだ。
生憎、数学は高一のときに挫折した。
が、時折僕も考えることがある。
研究者が向いているんじゃないだろうか、と。
自分は発想側の人間だと思っていたけど、やっぱり僕は0から1を作ることができない。
『独創性とはすべて、先人からの剽窃である』とあるように、先人達の、いろんな1から自分の1を作っているにすぎない。
あ、続きはまた明日。
Why?
何故、ナゼ、なぜ…
世の中”WHY”が多すぎる。
人ってのはあらゆる物事に理由を付けたがる。
何で生まれてきたの?
何で友達が必要なの?
何で大学行くの?
何で就職するの?
何でそれがしたいの?
何で人を好きになるの?
何で結婚するの?
何で死ぬの?
何で…
何をするにしても、理由がなくちゃやっちゃいけないんだろうか?
そんな世の中でみんな、息苦しくならないんだろうか?
理由にならない理由だって溢れんばかりにある。
例えばそれは「本能」という言葉で表されたりする。
好きだから、嫌いだから、みたいな二元論的理由も、果たしてどこまで具体性をもった理由になるだろうか?
結局全て曖昧の中で片付けられているような気がする。
例えば就職活動なんかでは、志望に至るまでの確固たる理由が求められたりするけど、確固たる理由なんてものがあれば、様々な業界を受けることはないだろう。
あるたった一度の出来事で、自分の特性を見極め、将来像を描けるようになるなんて不可能だ。
それはやっぱり志望理由にどこか自信のない自分が頭の中にいて、尽きない不安が付き纏うからなんじゃないかな。
みんなその不安を掻き消すために、自分自身に暗示をかける。
自分はこういう道を辿ってきてこういう考えに至り志望するということを刷り込む。
狂信的に自分を信じる。
僕は、曖昧なままでもいいんじゃないかなって思うけどね。
曖昧と有耶無耶は違うよ。
確信はなくとも、間違いなくベクトルはそっちのほうに向いてるわけだし。
それに、不安のある自分を受け入れること、そしてその不安を傍らに置いておけるようになるほうが、無理矢理自分を信じようとするよりも、困難で、成長の糧になると思うんだ。
人は、全部に理由を付けないと不安になる生き物。
そうしないと、そうなることが、そうあることが、自分の脅威にすらなり得るもののように恐怖する。
そこから、支配欲、あるいは知識欲みたいなことが生まれるのかな?
支配下に置くこと、知識を増やすことで安心を得る。
僕はあまり支配欲の強いほうじゃないから、知識欲に向かう。
だから、自分の知らないことを、友達が喋っていたりすると、不安になるし、嫉妬する。
あ、知識欲も、知識を支配するという言い方をすれば支配欲になるか。
でも最近いろんなことに理由を求めることに、疲れてきた。
納得できないことでも、ソウイウモノとしてスルーしてしまいがち。
なんか、理由を求めて出てきた答えにすら理由が必要になる気がして、体力が持続しない。
頭の中を真っ白な状態に戻したい。
あーぁ。
なんでだろうね?
と、理由を求めてしまったり(w
誕生日の次の日は
昨日も友達に誕生日を祝ってもらいました。
友人宅にて鍋を囲み、ついでに祝ってもらいました。
このメンツは、そこにいるだけで楽しいです。
実家から送られてきた新米を持っていきました。
めちゃめちゃ美味い米でした。
久しぶりに米の美味さを実感・感動。
小さなケーキに歳の数だけ蝋燭がめった刺しでした。
電気が消えた時は、普通にブレーカーが落ちたのかと思いました。
甘いもの好きな僕は、ケーキも美味しく頂きました。
しかし、鍋と一緒にスコーン食べたりケーキ食べたりできる人の味覚は理解できません。
鍋にスコーン入れようとするなんて論外です。
鍋はホントに美味かった。
肉も野菜も魚介類も、美味かった。
スコーン入れようとするなんて信じられません。
プレゼントも頂きました。
大好きなDVDに皆が寄せ書きをして僕にくれました。
1枚のDVDに3本ノーカットで完全収録という、すごいお得なパックでした。
寄せ書きを見ると、このDVDは他の人も見たそうでした。
優しい僕は、貸してあげようと思います。
スコーンを鍋に入れるっていう発想は飛び抜けていると思います。
ウイニングイレブン8もしました。
やっぱこれはサッカーゲームの傑作です。
誰がやっても楽しめるし、臨場感が溢れているし、文句なしです。
でも僕は基本サイド駆け上がることしか脳にないので、攻撃パターンが単調です。
好きなチームはドルトムントかチェコです。
要はヤン・コラーです。
202cmは、ヘディング失敗しても、いるだけで楽しいです。
まぁ、2日連続で祝ってもらえるとは思いませんでした。
なんかプレッシャーを感じます。
でも楽しい時間をみんなで過ごすことはやっぱり楽しいです。
ありがとうございました。
僕は我孫子、ジョンは六本木へ
扉が閉まった途端、ガタイのいい黒人が話し掛けてきた。
別れ際に知ったのだが、名前は、ジョン。
やりとりは拙い英語を駆使して頑張ったのだが、いちいち書くのは面倒臭いので意訳する。
ジョン(以下J)「英語話せますか?」
俺「いいや」
J「話してんじゃん。」
俺「まぁそーだけどさ」
J「新宿ってあとどんくらい?次?」
俺「ぃゃぃゃ、次まだ西荻窪だから…」
J「じゃあどんくらいよ?」
俺「6つ先かな」
J「アリガトウゴザイタマシタ」
俺「いい日本語言うねぇ」J「アリガトウゴザイタマシタ」
J「お前は英語どこで習ったの?」
俺「学校、日本の」
J「上手いね」
俺「んなこたない」
この時既にジョンは駅数えてない。
J「俺ハリウッドから来たんだ」
俺「へぇ、ハリウッドで何やってんの?」
J「半俳優半ソーシャルワーカー、映画にも出てるよ。でもカナダ国籍」
俺「で、日本にはなにしに来たの?」
J「旅行。甥が日本に住んでんだ」
俺「なるほど。で、これからどこいくの?」
J「ロッポンギ?ストリップクラブ行くんよ。次新宿?」
午前10時半ですが…お盛んですね。
俺「まだ高円寺だから!てかあんたみたいな人を日本語でスケベって言うんだよ」
J「おぉ!スケベ!そう、俺スケベ!お前スケベ?」
俺「うん、スケベ。」
J「いぇーぃ!スペペスペペ!」
J「やっぱお前話せるわ」
俺「なんで?あんま話せてないじゃん」
J「昨日シャリヤ行ったんだけどさ、みんな見た目アメリカっぽいのにみんな英語話せないんだよね」
俺「シャリヤ?」
J「そうシャリヤ。街よ街」
俺「… … 渋谷?」
J「そうそうそうそう!」
J「他におもしれぇトコある?」
俺「お台場にでも行きなよ」
J「おっけぃ」
俺「もうすぐ新宿だよ」
J「わかってるよ」
ホンマかいや。
J「俺来年から1年間日本で英語の先生やるんよ」
俺「どこで?」
J「日本人て日本語話せなくても外人に親切で心暖かいから好きなんだよね、カリフォルニアで英語話せないとあっちの人マジで冷たいから」
俺「…あ、そうなんだ」
J「うん、じゃあ俺行くわ。俺ジョン!また会おうな!」
俺「楽しんできて」
とまぁこんな具合ですわ。
異文化コミュニケーション。
電車の中は、周囲の好奇の目に晒されて恥ずかしかったりする。
おそらくもう会うことはないでしょう。
彼とは。
しかし、机に向かって勉強するより生きた英語に接するほうが、より勉強になると感じた。
TOEIC頑張ろうっと。