Why? | The life is time killing till I die.

Why?

何故、ナゼ、なぜ…

世の中”WHY”が多すぎる。


人ってのはあらゆる物事に理由を付けたがる。


何で生まれてきたの?

何で友達が必要なの?

何で大学行くの?


何で就職するの?

何でそれがしたいの?

何で人を好きになるの?


何で結婚するの?

何で死ぬの?

何で…


何をするにしても、理由がなくちゃやっちゃいけないんだろうか?

そんな世の中でみんな、息苦しくならないんだろうか?


理由にならない理由だって溢れんばかりにある。

例えばそれは「本能」という言葉で表されたりする。


好きだから、嫌いだから、みたいな二元論的理由も、果たしてどこまで具体性をもった理由になるだろうか?

結局全て曖昧の中で片付けられているような気がする。

例えば就職活動なんかでは、志望に至るまでの確固たる理由が求められたりするけど、確固たる理由なんてものがあれば、様々な業界を受けることはないだろう。

あるたった一度の出来事で、自分の特性を見極め、将来像を描けるようになるなんて不可能だ。


それはやっぱり志望理由にどこか自信のない自分が頭の中にいて、尽きない不安が付き纏うからなんじゃないかな。

みんなその不安を掻き消すために、自分自身に暗示をかける。

自分はこういう道を辿ってきてこういう考えに至り志望するということを刷り込む。

狂信的に自分を信じる。


僕は、曖昧なままでもいいんじゃないかなって思うけどね。

曖昧と有耶無耶は違うよ。

確信はなくとも、間違いなくベクトルはそっちのほうに向いてるわけだし。

それに、不安のある自分を受け入れること、そしてその不安を傍らに置いておけるようになるほうが、無理矢理自分を信じようとするよりも、困難で、成長の糧になると思うんだ。



人は、全部に理由を付けないと不安になる生き物。

そうしないと、そうなることが、そうあることが、自分の脅威にすらなり得るもののように恐怖する。


そこから、支配欲、あるいは知識欲みたいなことが生まれるのかな?

支配下に置くこと、知識を増やすことで安心を得る。

僕はあまり支配欲の強いほうじゃないから、知識欲に向かう。

だから、自分の知らないことを、友達が喋っていたりすると、不安になるし、嫉妬する。


あ、知識欲も、知識を支配するという言い方をすれば支配欲になるか。


でも最近いろんなことに理由を求めることに、疲れてきた。

納得できないことでも、ソウイウモノとしてスルーしてしまいがち。


なんか、理由を求めて出てきた答えにすら理由が必要になる気がして、体力が持続しない。


頭の中を真っ白な状態に戻したい。

あーぁ。


なんでだろうね?

と、理由を求めてしまったり(w