パトリシア・ハイスミス『リプリー』 | 文学どうでしょう

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リプリー (角川文庫)/パトリシア ハイスミス

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パトリシア・ハイスミス(青田勝)『リプリー』(角川文庫)を読みました。

パトリシア・ハイスミスは、今はあまり読まれていない作家だろうと思います。

そう言うぼくもまだほとんど読んでいないんですが、この『リプリー』がすごく面白いんです。素晴らしいとしか言いようのない傑作です。

角川文庫のは多分絶版で、今は河出文庫から『太陽がいっぱい』のタイトルで出ていると思うので、興味を持ったらぜひ探してみてください。ぜひぜひ!

『リプリー』はジャンルで限定するのがすごく難しい作品です。形式としては、犯人側から犯罪を描いた倒叙ミステリに近いものがありますが、読んでいる時の感覚は倒叙ミステリとはやや違います。

ドストエフスキーの『罪と罰』を単なる倒叙ミステリとは呼べないように、『リプリー』も単なる倒叙ミステリに限定できないなにかが確実にあります。

ミステリというよりは、サスペンスと言う方がしっくりくる感じがありますが、そういったミステリやサスペンスというジャンルの中で、ぼくが最も好きな作品がこの『リプリー』かもしれません。何回読んでも面白いですねえ。

もしかしたら『リプリー』というのは、万人受けする作品ではないかもしれません。ただ、ある種の人の心をつかんで離さない、そんな作品なんです。一度読んでみても損はしないと思いますよ。

少し映画の話をしますね。『リプリー』が有名でありつつも、それほど読まれていないのには大きな理由があって、映画が有名なんです。観ていない方もタイトルはどこかで聞いたことがあるだろうと思います。

ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』です。ニーノ・ロータの音楽もおそらくどこかで耳にしているはずです。

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『太陽がいっぱい』はどことなくぎらぎらしたアラン・ドロンがとにかくいいですし、海の描写といい、この頃独特のフィルムの色といい、今なお面白い映画だと思います。

ただ、『太陽がいっぱい』は結構前の映画なので、当然ぼくはリアルタイムで観ているわけではなく、一番最初に観たのは、マット・デイモン主演の『リプリー』です。

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この『リプリー』もすごく面白いです。ディッキー役のジュード・ロウがいいですし、フレディというキャラクターにまつわる部分がとりわけ印象に残っています。

『太陽がいっぱい』と『リプリー』は原作小説を映画化するに際してのスタンスがかなり違います。描こうとしたものが違うということです。

簡単に言えば、『太陽がいっぱい』はストーリーの要素を単純化して、原作とは違うメッセージ性を前面に押し出しているのに対し、『リプリー』ではトム・リプリーのキャラクター性にこだわり、その内面にもしっかりスポットを当てた感じです。

ちなみに『太陽がいっぱい』と映画の『リプリー』は後半の展開が異なるので、どちらか片方を観た人は、もう片方も観てみるといいと思いますよ。その違いに結構びっくりするはずです。

トム・リプリーがどういうキャラクターなのか、そしてその心理がどういうものだったのか、については2つの映画、原作小説でそれぞれ微妙に違います。その辺りを比較してみてもまた楽しいだろうと思います。

ちなみにぼくが一番好きなのは小説なんです。なぜかと言うとですね、映画だとトム・リプリーを客観的に眺めてしまいがちだからです。トム・リプリーというキャラクターがトム・リプリーの考えで行動していると。

小説でも当然それはそうなんですけども、トム・リプリーが他人ではなく、まるで自分自身のように感じられるのが小説のなによりの魅力です。トム・リプリーの感じる不安をぼくらも同じように感じることができるんです。

『リプリー』というのは、薄氷の上を歩いているような小説です。湖が凍っていて、そこをそっと歩いていかなければならないとします。ゆっくり歩いていくと、時おり足元で氷に亀裂の入る音がして、ひやっとする。

そんなひやひやが感じられる小説です。あらすじを紹介した後に、また違った観点から『リプリー』の魅力について語りたいと思います。

作品のあらすじ


トム・リプリーが何者かにつけられていることに気づくところから物語は始まります。トムはバーに入って、相手がやって来るのを待ちます。もしかして警察では?

トムは身に覚えがないわけではないんです。まだ払っていない税金があるという証明書を偽造して送り、小切手を巻き上げるというちょっとした詐欺のようなことをしていたので。

やって来たのは、恰幅のいいハーバート・グリーンリーフ。グリーンリーフ家は造船所をやっていて裕福な家柄です。

息子はディッキー・グリーンリーフというんですが、このディッキーがヨーロッパに遊びに行ったっきり帰ってこないんですね。お金があるのでイタリア辺りで悠々自適に暮らしています。

ディッキーの母親が病気のこともあるし、父親としてはアメリカに帰って来てほしいわけです。ところが、いくら手紙を書いても効果はありません。そこで、ディッキーの友達に頼んで、ディッキーをアメリカに連れ戻してもらおうと思ったわけです。

そこで白羽の矢が立ったのがトム。トムとディッキーは今は音信不通でそれほど親友というわけでもないんですが、同じ年の25歳ですし、すごく仲が良いと思われているんです。

トムは旅行代、滞在費をグリーンリーフ家持ちでディッキーの元に旅立つことになります。

ヨーロッパに行くことが決まった時のトムの気持ちがこんな文章に表されています。

 一日一日と日がたつにつれて、町の様子がだんだん変わっていくように思われた。なんだかニューヨークという町からなにものかが脱け去っていくような気がするーー町の現実性か、あるいはその重要さがだったーーこの町は彼にだけ見せるためにショーを演じてるようだ。途方もなく大がかりなショーだーー無数のバス、タクシー、歩道を忙しそうに歩いている人々、三番街の酒場で軒並みにやってるテレビのショー、まっ昼間からまばゆい電灯がついてる映画劇場の入り口のひさし、無数の警笛が作りだす音響効果と、ただわけもなくガーガーしゃべる人々の声など。まるで、この土曜日に彼の船が桟橋を離れたら、ニューヨーク全部が、ボール紙で作った舞台装置のようにバラバラにくずれ去ってしまいそうな気がした。(34ページ)


イタリアでトムはディッキーに会いますが、ディッキーはマージ・シャーウッドという小説家志望のガールフレンドといつも一緒にいて、トムは全く相手にされません。

ここからが面白いところですが、トムはディッキーに気に入られるように試みるわけです。ディッキーの性格を読み取って、ディッキーが望むようなキャラクターを演じます。

ここでトムがどういう行動を取ったかと言うと、あえてディッキーの父親の依頼で来たことをバラし、そのディッキーの父親からもらったお金で2人で楽しく愉快にやろうじゃないかという提案をするわけです。

そうして腹を割った、ちょっと悪い感じを出して、ディッキーに気に入られることに成功します。2人で旅行する計画を立てたりしますが、トムとディッキーの間にはいつもマージが入り込みます。トムとマージはお互いに嫌悪感のようなものを感じるようになります。

トムの考えでは、マージはディッキーのことが好きだけれど、ディッキーはマージのことを本気で好きではない。マージの考えでは、トムがディッキーに悪い影響を与えている。そんな風に噛み合わない部分があります。

ディッキーのことを完璧に理解し、ディッキーの心をつかんでいたと思ったトム。ところが気まぐれなディッキーの心は離れていきます。

貧しい環境で育ち、豊かな生活への憧れがあるトム。他人の口調や動作のマネがうまく、署名をも完璧に模倣できるトム。そしてトムは自分の顔や体格がディッキーに似ていることに気がつきます。

自分はディッキーになり代われるのでは・・・?

はてしてトムが起こした行動とは一体なんだったのか。そして物語の結末とは!?

物語全体がひやひやする感じという面白さはもちろん、『リプリー』で描かれる、偽物が本物になろうとするという要素がぼくは非常に好きです。

描かれ方は多少異なりますけども、スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』とも共通するものがあると思います。

ただ、それ以上に興味深いのは、トムの行動が計画的と言うよりは多分に衝動的であることです。

つまり知的でクールな人間が計画的に犯罪をする話とは根本的に違っていて、トム自身すら気がついていない、感情的なものが物語の展開を大きく左右しています。

拳でぎゅっと握りしめた砂が、知らぬ間にさらさらと流れ落ちてしまうように、とらえたと思ったディッキーの心はトムから離れていきます。

トムのディッキーへの感情は、強い友情と取ってもいいですし、マージに対して激しい嫌悪を感じていることから、一歩踏み込んで恋愛感情だとも解釈できると思います。

ともかく、誰かの心をとらえようとして、それがうまくいかないもどかしさ、のようなものも『リプリー』では描かれているわけです。わりと視点はトムに寄り添うので、ディッキーがマージのことを本当はどう思っていたかはよく分かりません。

トムはモノマネがうまく、他人の気持ちを読み取る能力にすぐれています。ただ、それは同時にしっかりした自分のアイデンティティー(自分が自分であるということ)が確立されていないことも意味しているんですね。

『リプリー』を読んでいてぼくがトムに感じる共感というのは、三島由紀夫の『仮面の告白』や太宰治の『人間失格』で感じたものと非常に似ていて、常に誰かの前で演技し続けていなければならないということなんです。

誰かに好かれるために、演じ続けなければならない、本当の自分ではないキャラクターであり続けなければならない。そうしている内に、本当の自分が見えなくなってしまいます。

結局、それは自意識過剰ということで、あまり気にせずなんとかかんとかやっていけばいいことなんですが、そうした〈自分〉と〈他人〉の境界線のごちゃごちゃ具合も『リプリー』の面白いところだと思います。

氷の上を歩いているようなひやひや感、偽物が本物になろうとすること、感情の変化がとてもうまく描かれていること、そして〈自分〉がよく分からない主人公の物語であること。

そうした様々な要素が、『リプリー』を単なるミステリやサスペンスということだけではなく、1つの小説として素晴らしいものにしていると思います。機会があればぜひ読んでみてください。

おすすめの関連作品


リンクとして、マンガを1冊、小説を2冊紹介します。

まずはマンガから。手塚治虫の『人間昆虫記』です。

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『人間昆虫記』のヒロインの女性は、小説や演劇など様々な分野で大成功を収めます。ところがそれはオリジナリティのあるものではなくて、才能のある人にくっついて、その才能を吸収するような形で手に入れたものなんです。

エロティックな部分もあるので、大人向けのマンガですが、かなり面白いですよ。

つづいては江戸川乱歩の『江戸川乱歩短篇集』です。

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この短篇集は近い内に読み直して紹介したいと思っていますが、「心理試験」というのがぼくの中で忘れられない傑作です。殺人を犯した学生の目線から描かれる物語で、警察の心理試験を逃れるために、相当訓練したりするんです。

その極めて頭のよい犯人に対峙するのが、かの名探偵、明智小五郎。はたして結末は?

最後は、貴志祐介の『青の炎』です。

青の炎 (角川文庫)/貴志 祐介

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貴志祐介というのは、ぼくもかなり好きな作家ですが、この『青の炎』は、倒叙ミステリとして最高傑作の1つなのではないでしょうか。普通ミステリというのは、あまり感情移入して読むことはないと思うんですが、これは相当ぐいぐい引き込まれたのを覚えています。

『リプリー』と同じように、ひやひやする感じがとても面白い小説です。機会があればぜひぜひ。