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太宰治『人間失格』(新潮文庫)を読みました。
太宰治に関しては、『斜陽』のところでも少し触れていますが、わりと小説というよりも、随筆に近いものを書いている作家という印象です。
虚構としての出来のよさ、つまり魅力的なキャラクター、劇的なストーリー展開を求める読者としては、どこか物足りないところがあるんですが、人気がありますね、特にこの『人間失格』あたり。なぜこの作品が好まれるんでしょう。不思議な気がします。
決して面白くないわけではないんです。むしろすごく面白いんですが、それでもどこかしっくりこないものがあります。まずは文体ですが、です・ます調で書かれています。「・・・ました」で終わる文が多いです。
文章としては丁寧で、すごく読みやすいんですが、ぼくは明治文学辺りの「・・・た」で終わる短く簡素な文が好きなので、です・ます調だとそれだけで物語に入り込めないところがあるんです。
というか、元々です・ます調はスピード感が出ないというか、緩急が自由自在にならない印象はありますね。どこか落ち着いた感じになってしまう。もちろん、それがこの作品ではいい効果をあげているのですけども。
『人間失格』はタイトルの通り、人間を失格したと思っている人物の手記という形式になっています。つまり、ダメ男の話です。
ぼくはダメ男の話が好きで、このブログでも二葉亭四迷の『浮雲』や尾崎紅葉の『多情多恨』をおすすめしていますが、『人間失格』の主人公はぼくの好きなダメ具合じゃないんです。なかなかうまく説明できないんですけども。
内向的で神経質な主人公にぼくは共感できるんですが、『人間失格』の主人公はいいところのお坊ちゃんですし、絵も描けるし、たくさんの女性と関係します。うらやましいくらいの順風満帆ぶりです。お酒を飲んだり薬やったりしなければ、絶対楽しい人生だろうになあ、と思ってしまうわけです。
つまり、『浮雲』や『多情多恨』のダメ男ぶりは、主人公がどぎまぎする場面が描かれるので、うんうんわかるわかる、という感じなんですが、『人間失格』の場合は、わかるわかる、にならず、ただひたすら可哀想になあと客観的に感じてしまうんです。
もちろん『人間失格』の主人公が何故人生をうまく渡っていけないか、その根っこの部分は分からないわけでもないんです。つまり、うまく人や社会に溶け込めずに、滑稽な演技をして生きていかせざるをえない、ということ。普通の生活、普通の恋愛などなど、普通のこと、という基準がないんだろうなあということは分かります。
誰しもそういう部分はあるので、わりと人生とうまく折り合いのつけられない人が読むと、すごく面白い小説なのかもしれません。ぼくもわりと面白く読みましたが、なんでしょう、やっぱりしっくりこないものは残りました。感情移入できなかったからでしょうか。
作品のあらすじ
「恥の多い生涯を送って来ました。」(9ページ)という一文が有名ですが、書き出しではないです。この小説は、「はしがき」と「あとがき」というのがあって、いわゆる額縁小説の形式になっています。
「私は、その男の写真を三葉、見たことがある。」(5ページ)というのが書き出しです。3枚の写真というのは、子供時代の写真、学生時代の写真、頭が白くなってひどく汚い部屋にいる写真です。〈私〉はその写真から奇妙な印象を受けます。なんとも言えない薄気味悪いものを。
〈私〉がその写真の男の手記を手に入れたという形式で、3枚の写真にあわせて、3つの手記による物語が始まります。
手記に入ると、物語の書き手は、〈自分〉になります。東北の田舎に生まれた〈自分〉。空腹ということを知らないんです。食うに困らないということではなく、おなかがすいたという状態がよく分からないんです。周りの人の感情もうまく分からない。
そんな〈自分〉がどうやって人生と折り合いをつけていくかというと、おどけて見せるんです。おどけて見せて、周りの笑いを買って、ようやく安心することができる。こんな風に書かれています。
自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まったく見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。(13ページ)
こうした演技者としての人生は続きます。何度か、演技しているという指摘がされるんですが、その時〈自分〉は焦りと激しい屈辱を感じています。
東京の高等学校に入ります。寮に入りますが、団体生活に馴染めずに、父親の別荘で暮らし始めます。絵の学校で、堀木正雄という画学生から、「酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想」を知らされます。マルクス主義の団体に入ったりします。
それでも充実した人生に向かわず、ツネ子というカフェの女給、シズ子という雑誌記者、ヨシ子という純粋無垢な娘と関係を持っていきます。それがあまりいい関係ではないんです。画家にもなれず、漫画を描きながら、女の世話になって暮らす日々。お酒に溺れて、やがては薬にも手を出します。
ヨシ子の挿話はすごく印象的ですが、あえてあまり触れませんね。
作者の人生とも重なる部分が多い小説です。全体的に暗く、酒や女など放蕩な生活が丁寧な文章で描かれています。それほどおすすめでもないですが、たしかに面白い部分はあります。興味を持った方はぜひ読んでみてください。