太宰治『斜陽』 | 文学どうでしょう

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斜陽 (新潮文庫)/太宰 治

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太宰治『斜陽』(新潮文庫)を読みました。

太宰治は非常に人気の高い作家です。現在で日本文学の中で、最もよく読まれている作家のような気もします。

ところがその一方で、全作品を読んで太宰治が好きと言っているような人は少ないんですね。『人間失格』一冊だけ読んで太宰治が好きだと言っているような人が多いんです。

つまり太宰治のことはあまり知らないけれど、一つのファッション的なものとして、なんとなく文学的だからということで名前があがっているんです。

別にそれはそれで構いませんけども、なぜぼくがそこに引っかかるかと言うと、太宰治が日本文学の代表的な立場とみなされていることにちょっと納得いかないからです。

太宰治はすごく特殊な作家です。そしてぼくの中で、小説家かどうか微妙なラインです。

いや小説家ですよ。小説家で、きちんと作り込まれた短編や、古典を新しい視点で再構築した面白い作品もあるんですが、どちらかといえば、自分の実体験を盛り込んだ話が多いんです。

それが私小説ほどかっちりした構成をしているかといえばそうでもなく、わりとぐちゃぐちゃした印象が残るんです。

なので、ぼくの中では小説というよりは、随筆に近いものがあります。作者の影とも言うべき自意識や弁明が前面に押し出されてすぎていて、小説として楽しめるものがそう多くないんです。

もちろんそこに人気の理由があると思うんですが、作品が好きというよりは、そうした作者の人生への態度とか、考え方とかに共感する人がいるということですよね。

同じような気持ちになって、わかるわかると頷ける人が、太宰治のファンになると。

そういうわけで、ぼくはあまり共感もできませんし、ある種の読みづらさからファンではありませんが、唯一わりと好きだった作品があって、それがこの『斜陽』です。

読み返したら、印象よりもごちゃごちゃしているというか、シンプルな構造ではなかったですね。

手紙や日記が挿入されるんですが、一人称一人称が重なる構造なんです。

作品のあらすじ


お母さまがスープを飲む印象的な場面から物語は始まります。

お母さまは貴族の最後の生き残りのような人で、マナーにはずれたことをしても、それが優雅に見える不思議な人です。

スープを飲む時、スプーンを口に直角になるようにあてて飲んだり、ステーキの肉をすべて切り分けてしまってから食べたりするような人です。

中でもお月見している途中で、しげみの奥に入っていって、おしっこをする場面があるんです。

ぼくなんかはちょっと度肝を抜かれる感じがありましたが、白い萩の花よりももっと白い顔を出して少し笑うお母さまが、ある種とても美しく印象的です。

物語の語り手の〈私〉はかず子といって、一度結婚してから戻ってきた娘。

〈私〉はお母さまのことを可愛らしく感じるんですね。まねできない貴族的な優雅さがあると。

物語はお母さまと〈私〉、それから弟の直治が中心になって描かれます。貴族としての生活が没落に近づいていくんです。

叔父さんにお世話になっている部分があるんですが、お母さまと〈私〉はほとんどなんの生活力もないんですね。夢見がちなことを言って、着物を売って生活しようとか言っているわけです。

お母さまが病気になってしまいます。そして戦争から帰ってきた弟の直治は、麻薬中毒になっていて、それを克服するために今度はアルコール中毒みたいになっています。

〈私〉がのぞき見る形式で、直治の日記が本文に挿入されたりもします。のちには手紙も。

直治がなにを悩み、どんなことを考えていたかがここからある程度分かります。

直治の悪い道の先輩のような形で、上原さんという作家が登場します。

妻子持ちで自堕落な印象の上原さん。この上原さんと〈私〉の奇妙な関係も描かれます。

突然キスをしたり。〈私〉は上原さんに手紙を何通も出すんです。ちょっと妄想が入った感じです。

いくつかの死が描かれて、ある生命の誕生とともに、新しい生活、新しい時代への光が見えて物語は終わります。そんなお話です。

この小説は、実際の日記を元にしているという話があって、どこまでが太宰治の創作と呼べるかにちょっと問題はあるようですが、この主人公である〈私〉の持つ感覚がとてもよいです。

そうした部分が非常に上手だと思います。女性的な感覚に、物語世界が内包されているんです。

蛇の話とか、夢の話とか、お母さまへの想いとか、妄想的というか、ちょっとずれた感じの感覚。

〈私〉と世間との関わり方もちょっと変わっています。変に思いつめるところがあったり。離婚した理由もどこかへんてこな印象があります。妄想的というか。

信頼できない語り手という手法がありますが、一人称の場合はどこまでが本当に起こった事実かを疑うことが可能で、物語のラストは特に手紙という形式なので、本当にそうなのかどうかは解釈の余地があると思います。

貴族の没落を通して、人生の行き詰まりが描かれた小説です。

読んでいて愉快な感じはありませんが、妄想的というか、ある種独特な感性を持つ〈私〉によって描かれた物語世界が非常に印象的です。興味のある方はぜひ読んでみてください。