額縁小説・枠物語・frame narrative
絵画に額縁と中の絵があるように、フレームと中の話がある形式のこと。よくあるパターンとしては、フレームが現在で、中の話が過去など。フレームに作者がいて、中の話は作者に語った1人称の形式ということが多い。
ちょっと詳しい解説
みなさんが小説を読む時、どんなところに注目しますか。これはもう人それぞれだと思うんですけど、ぼくはかなり構造というか、形式が気になるんです。つまり、1人称か3人称か、視点はどうかなどです。
そうしたことを考えることで、なにが浮かびあがってくるかというと、結局はどれだけ共感がしやすいかということです。ぼくはミーハーというか、悲しい話だと一緒に悲しみ、嬉しい話だと一緒に喜び、という風に、登場人物の心理に共感できるものが好きなので、1人称の小説が一番読みやすいのです。
ちょっと話が逸れていってしまってますが、先に結論を言うと、額縁小説や枠物語はめんどくさいということです。
どういう形式のことをいうかというとですね、絵画には額縁と中の絵がありますよね。その額縁(フレーム)の部分が現在で、中の絵が過去という風に、枠に入った形式になっている小説があるんです。特に古典的作品はこれが多いです。
簡単に言えば、プロローグとエピローグだけ別の時系列になっているものと考えてください。そうすると、〈私〉が話している話の中に、女性が登場して、その女性が語り出して〈わたし〉になり、という複雑な構造になるんです。これがぼくはちょっと苦手なんです。
まず構造が複雑だと、感情移入がしにくいことがありますし、一番嫌なのが、ある種のネタバレになってしまっているということです。悲しいことがありました、ではこれからその悲しい話をします、というようなわけで、いやもう悲しいんかい! と分かってしまうわけです。その辺りが個人的には微妙ですね。
ちなみに額縁小説としてよくあがるものとして、チョーサー『カンタベリー物語』、エミリ・ブロンテ『嵐が丘』などがありますが、古典的作品にはこの技法は多いです。
これは手記の問題とも絡んできますが、おそらくは信頼性の問題でしょう。つまり虚構が虚構として成立していなかった時代に、本当にあった話ですよ~ということのアピールになりやすいわけです。みなさんもこうした形式をちょっと意識して読んでみるとよいのではないでしょうか。
参考文献
廣野由美子『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』(中公新書)
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