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パール・バック(小野寺健訳)『大地』(全4巻、岩波文庫)を読みました。Amazonのリンクは1巻だけを貼っておきます。
書き終わって、われながら記事無駄に長っ! と思いました。すみませんねどうも。前半は文学とエンタメ小説の違いについて、後半は立宮翔太が選ぶ世界文学3大ヒロインの発表とかを書いているので、もしあれなら適度に飛ばしながら読んでください。
2011年も残りわずかですね。振り返るにはまだ少し早いですが、今年ぼくは文学作品と呼ばれるものを色々読んできました。その中で、特に印象的だったのが、ゴールディングの『蝿の王』であり、短編としては、O・ヘンリーの『1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編』がもうほんとに面白かったです。O・ヘンリーおすすめですよ。
そんな中で、長編小説としてなら、この『大地』がずば抜けて面白いです。昔から好きな小説だったんですが、読み直してみたらやっぱり面白かったですねえ。もう夢中でした。以前は新潮文庫で読んでいたので、今回は岩波文庫で読んでみました。どちらの訳でもよいと思います。
ぼくは今『大地』の面白さを曖昧かつ多義的に言っているので、もうちょっと詳しく言うとですね、『大地』の面白さは、いわゆる文学的な面白さではないんです。
最近ぼくはよく、文学とエンタメ小説の違いを考えていて、1つの結論のようなものが見えてきました。もちろん両者をはっきり分けることは難しいんですが、簡単に言えば、文学は現実と結びつき、エンタメ小説は物語のための物語である、ということになると思います。
エンタメ小説の構造に興味のある方は、サブカルチャーについて論じた大塚英志の本を読んでみるとよいですよ。現実を写したリアリズムではなく、マンガやアニメ独自のリアリズムがあるというようなことを言っています。あるいは東浩紀の『動物化するポストモダン』なども参考になります。
まあそれはともかく、文学で描かれる世界は現実と陸続きにあり、操作された劇的な展開よりも、いかに現実を写すかということが重要視されます。なぜかと言うと、その方が現実世界のぼくらの悩みや考えに近いものが描ける、あるいは描かれているように感じられるからです。ぼくら読者は他人事とは思えず、自分のことが描かれているように思うはずです。
一方で、エンタメ小説は、現実と陸続きにあるというよりは、ぼくらの住む世界とは別世界のものとして、つまり作られた世界の作られた人物の物語として、ぼくら読者は受け取るのだろうと思います。劇的な展開による登場人物の喜びや悲しみはぼくらの感情を揺り動かしますが、自分のことが描かれているようには感じません。
たまたまぼくはスタインベックの『怒りの葡萄』とこの『大地』を続けて読んだので、そんなことをより強く感じました。同じように土地を耕す物語でも、物語としての面白さは『大地』の方がずば抜けて面白いです。劇的な展開があり、ストーリーとして引き込まれます。
それでも『怒りの葡萄』の地味で退屈な物語の中に、他人事ではすまされないような、まるで自分のことが描かれた物語のような、そんな気にさせられるものがあります。
文学的なもの、たとえばテーマや文章などが評価される小説もあります。しかしそれは時として、ストーリーの面白さのある小説ではありません。一方でエンタメ小説などは、テーマや文章というよりは、ストーリーの面白さがなにより重要です。描かれる物語が波瀾万丈であればあるほど面白いわけです。
要素として文学っぽい感じが好きか、エンタメっぽい感じが好きかは人それぞれですし、もちろんそれぞれのよさがあります。『大地』の面白さがどちらの面白さかというと、明らかにエンタメの領域としての面白さで、作られた物語としてずば抜けて面白いです。物語が好きな人には自信を持っておすすめできます。
あれです。『三国志演義』とか『http://ameblo.jp/classical-literature/entry-11497971076.html』と似たような面白さがあります。劇的なストーリーの魅力ですね。
『大地』は、全3部からなる長編大河小説です。「第一部 大地」「第二部 息子たち」「第三部 崩壊した家」の3部で、中国の広大な大地を舞台にした、3世代の物語です。第1部の主人公、王龍(ワンルン)の息子たち、特に王虎(ワンフー)の物語が第2部では描かれ、第3部では王虎の息子の王元(ワンユアン)が主人公になります。
3世代を描いた小説はそれほど珍しくもなくて、たとえばスタインベックに『エデンの東』という小説があります。『エデンの東』も4冊あって長いですが、面白いですよ。
ただ、『エデンの東』の場合はある意味において、世代ごとに同じテーマがくり返されるような部分があるのに対して、『大地』で描かれるのは、世代間の考え方の違いです。この世代間の摩擦が『大地』でなにより面白いところなんです。
第1部の主人公である王龍は農民です。農民ですが、こつこつお金を貯めて、土地を買っていきます。そしてやがては裕福な暮らしをするようになりますが、土地がなにより大事です。畑を耕すということが、すべての基本になります。
第2部で描かれる息子たちは、王龍とは全く考え方が違います。長男は遊興にお金を費やし、次男は商売が大事。そして三男の王虎は軍人になります。誰も農民のような暮らしを望まず、やがてはお金のために土地を手放し始めます。
第3部では、王虎の息子、王元は軍人なんかになりたくないと反発します。王元はむしろ農民のような生活がしたいと思います。皮肉なものですよね。王虎は自分が子供の頃は立派な馬が欲しかったからと王元に馬を買い与えますが、大人しい王元は全然喜びません。
王龍は王虎の気持ちが分からず、王虎は王元の気持ちが分からないんです。
父と子のこうしたある種の断絶というか、世代間の摩擦が非常に上手に描かれていて、第1部でぼくらは王龍の目線から、第2部では王虎の目線から見るので、どちらが悪いわけでもない、どうしようもない世代間の考え方の違いなのだ、と思わずにはいられません。
作品のあらすじ
第1部は、王龍(ワンルン)が結婚するところから始まります。黄(ホワン)家という大金持ちのお屋敷の奴隷女をもらうんです。貧しい農民の王龍にはまともな結婚相手がいないんです。若くて美しい女だと、若旦那などの慰みものになってしまっているので、あえて若くも綺麗でもない奴隷女を頼みます。そうして結婚したのが阿蘭(オラン)。
この阿蘭が相当すごいんです。たしかに若くも美しくもないんですが、奥さんとしては相当いいんです。ほとんど喋らないんですが、黙々と働きます。妊娠していてもいざという時まで働いて、誰の手も借りずにたった1人で子供を出産すると、またすぐ畑を耕すのを手伝います。
夫婦は心打ち解けあった感じではなく、王龍にとって阿蘭はずっと謎の存在であり続けるんですが、2人は爪に火をともすような想いでお金を貯めていきます。そして遊興にふけって、没落しかけている黄家から土地を買うんです。自分の土地を買い、一生懸命働く王龍。
しかし、豊作もあれば飢饉もあるのが大地の厳しさです。やがて大飢饉がやって来て、食べ物はなくなり、人々は次々と餓死していきます。苦しくなれば人の心は荒れます。もう本当に悲惨な生活が描かれていきます。果たして王龍と阿蘭、幼い子供たちの運命はいかに!?
第2部は、王龍の子供たち世代の話。長男と次男がそれぞれ選ぶ奥さんの違いが面白いです。重要なのは3男の王虎(ワンフー)で、王虎は家を飛び出し、軍人になります。単に軍人になりたいというわけではなくて、もうちょっと様々な要素があるんですが、あえて触れないでおきます。
まるで虎のように獰猛だと怖れられるところから、名前がついた王虎は様々な陰謀や戦いを経て、自分の支配領域を広げていきます。自分の王朝を作ろうという野心を持っている王虎。この第2部で面白いのは、王虎の妻になる女性がすさまじいところです。
王虎はあることがきっかけで女嫌いなんですが、やがて息子が欲しいと思うようになります。そして王虎が選んだのはなんと、王虎を仇と憎んでいる女。王虎は今の地位を手に入れるために、ある匪賊の頭を殺します。匪賊というのは、まあ山賊みたいなものだと思っていてください。
女はその匪賊の頭の妻だったんです。王虎を何度も殺そうとします。牢獄に入れられても恨みを捨てない。この女に王虎は夢中になってしまい、妻にします。王虎の熱い想いは女に届くのか?
ぼくは『大地』を思い出す時に、いつもこの女を思い出します。それだけ印象的なんです。立宮翔太が選ぶ世界文学3大ヒロインの1人です。世界文学3大ヒロインの残りの2人の発表は最後の方でやります。
第3部は、王虎の息子である王元(ワンユアン)が主人公。王虎が今までやってきたことが、王元の目から見ると、全く違ったものに感じられるのが面白いところです。王元は軍人なんかになりたくないんです。農民の暮らしに憧れます。それでも父の言いつけに従って、家庭教師について学び、軍人になるための学校に行きます。
しかしまさにそのことが王元の考え方を大きく変えることになり、王元は父と激しく対立することになります。それは古い考えと新しい考えの対立でもあります。たとえば当時、結婚というのは親が決めた相手とするのが当たり前で、お金持ちならその後に愛人を持てばいいという文化でした。
王元はそんなのは古いしきたりにすぎず、親の決めた結婚相手とは結婚しないと言います。もう時代は大きく変わりつつあるんです。中国には新しい風が吹きはじめています。
纏足(てんそく)といって、女性の足をわざと成長させないようにする文化があり、それが女性の美しさの要素だったんです。ところがそんなものは旧弊の文化だとして纏足をせず、学校に通って近代的な考え方を持った女性たちが現れるようになります。
外国の文化の影響を受けて、ダンスパーティーなども開かれるようになりました。そうした新しい考えは、やがて革命に繋がっていきます。
王元は革命に巻き込まれるような形で、中国を離れることになります。そしてアメリカで教育を受け、外国のこと、そして自国中国のことを深く考えるようになります。
新しい考えを持っていながらも、社交的すぎる女性が苦手な王元の恋愛の行方にも注目です。大きく変動する中国。果たして王元が手に入れた答えとは?
とまあそんな3世代に渡る壮大な大河小説です。物語として一番面白いのは、第1部です。単にのしあがっていく面白さのみならず、人生の皮肉みたいなものが描かれているのがいいです。
それからぼくにとって忘れられないのが第2部です。やはり、自分の命をねらう女との恋愛というのは面白いですねえ。
ストーリーとしてとりたてて面白さのない第3部は、ある意味において一番印象的でした。王龍にせよ、王虎にせよ、自分の進むべき道は決まっていて、あとはいかに障害を乗り越えてそれを達成しようとするか、という物語なんです。ところが、王元はその進むべき道自体が見当たらないんです。
王元は内省的な主人公であり、常に悩み続けます。古い文化を拒絶しながら、新しい波にも乗り切れない。この悩みつつも成長していこうとする主人公像は、劇的な面白さがないだけに、より一層ジレンマのようなものが浮き彫りになっていて面白いです。
『大地』はそうした違ったタイプの主人公が出てくる物語で、世代間の考え方の違いがなにより面白い小説です。夢中になってぐいぐい読んでいけるタイプの小説なので、少し長いですが、みなさんぜひ読んでみてください。抜群に面白いです。
世界文学3大ヒロイン
いよいよ、立宮翔太の選ぶ世界文学3大ヒロインの発表です。わー、わー!(湧き上がる歓声)
世界文学のヒロインと言えば、トルストイの『アンナ・カレーニナ』のアンナ・カレーニナとか、C・ブロンテの『ジェイン・エア』のジェイン・エアとかそういった女主人公を選ぶランキングもありえますが、今回選ぶのは、男が主人公の小説でその恋愛の対象になるという意味でのヒロインです。
そして全員が男主人公を振り回すタイプのヒロインです。これは単純にぼくの恋愛観が入っていて、ぼくは明らかに振り回すよりは振り回されるタイプなので、振り回される男主人公に共感してしまうんです(笑)。3位、2位、1位と発表していきます。
第3位は、この『大地』の王虎の妻になる女です。たしか名前は出てなかったと思います。王虎が殺した匪賊の頭の妻で、王虎を殺そうとするんです。そんな女に夢中になってしまうというこの関係性。非常に面白いですねえ。野性的であり、魅力的であると同時に手に負えなさがあります。
第2位は、チャールズ・ディケンズの『大いなる遺産』から、エステラです。
『大いなる遺産』のあらすじについてはそちらの記事を参照してもらいたいんですが、「エステラよ、ああエステラよ、エステラよ」と松尾芭蕉なみの一句をぼくに読ませたほどのキャラクターです。
エステラというのは、ある意味でロボットみたいなキャラクターです。男に裏切られて、心に傷を負ってしまった女性に育てられたため、美しく魅力的ですが、自分の感情と言うべきものがほとんどないんです。エステラが美しければ美しいほど、砂漠におけるオアシスのように、つかみどころのない幻影のような感じなのです。
『大いなる遺産』というのは、ぼくの大好きな小説です。みなさんぜひ読んでみてください。
そして栄光の第1位は、サマセット・モームの『人間の絆』から、ミルドレッドです。わー、わー!(われんばかりの拍手の渦)
『人間の絆』というのは、岩波文庫で3巻あってやや長いですが、こちらもぼくが大好きな小説です。物語にペルシャ絨毯の切れ端が出てきて、そこに人生のすべてを解く鍵があるというんです。果たして人生とはなにか? 内省的な主人公が様々な挫折を繰り返しながら成長していくという、平凡ながらとても面白い小説です。
そのヒロインとして、ミルドレッドという女性が出てきます。このミルドレッドがもうほんとどうしようもないやつで、そのどうしようもなさとか、振り回される感じとか、すごくリアルなんですよ。もう小説のキャラクターという領域を越えて、現実的な感覚としてうんざりするぐらい、もうどうしようもないんです。
頭で考えて、好きにならない方がいいと分かっていても、好きになってしまった心はどうすることもできない。そうした理性と感情の差がありますよね。それこそがまさに恋愛の面白い部分であり、辛い部分でもあると思います。
みなさんはどんなヒロインがお好きですか? そういったことを考えながら小説を読むのもまた楽しみの1つなのではないでしょうか。