エデンの東 新訳版 (1) (ハヤカワepi文庫)/ジョン・スタインベック
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ジョン・スタインベック(土屋正雄訳)『エデンの東』(全4巻、ハヤカワepi文庫)を読みました。Amazonのリンクは1巻だけ貼っておきます。
スタインベックはそれほど好きな作家ではなかったんです。土臭くて、しかも宗教じみている感じがすると思っていたから。つまり、とことんみじめで、しかもどことなく鼻につく感じの物語だと。
ところが、読み返してみたら、これはかなり面白かったです。興奮ものでした。かなりの衝撃と不思議な余韻がまだ残っています。おすすめの小説です。いわゆる文学的な難解さはないので、すらすら読んでいけますよ。
むしろ一種のノワール的なものとして読むことができるくらいです。ノワールというのは、日本で言うと馳星周とか、あとは馳星周が影響を受けた『ブラック・ダリア』などのジェイムズ・エルロイのように、ある種の犯罪が描かれる物語のことです。
『エデンの東』には怖ろしい女性が出てきます。美しいけれど、人間としてどこか欠けているところがあって、「怪物」とさえ書かれる女性。
文章的、ストーリー的な難しさはないですが、3世代に渡るちょっと長い物語ということと、トラスク家だけではなく、ハミルトン家が出てくることで、物語の場面がいくつかに分かれることがあります。話の筋が掴みづらい部分は多少あるかもしれません。でも、基本的にはトラスク家さえ把握していれば大丈夫です。
『エデンの東』は、エリア・カザン監督、ジェイムズ・ディーン主演の映画版も有名です。
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映画版はなんといっても音楽が有名で、『エデンの東』を全く知らない人でも、おそらく音楽はどこかで聴いたことがあるはずです。鼻歌で言うとですね、ふふ~ん、ふ、ふ~んふふ~ん♪ふふふ、ふふふふ~ん♪という感じです。よし、きっと伝わったことと思います。伝わった伝わった。うむうむ。
ジェイムズ・ディーンの数少ない主演作の1本ですから、映画は映画で観る価値はあると思いますが、原作の全4巻のうちの、4巻にあたる部分の話しか映画では描かれていないんです。つまり4分の1あるかないか。
まずは映画化された部分を、小説に即して簡単に紹介しますね。分かりやすくざっくばらんに言えばですね、あだち充の漫画、『タッチ』みたいな感じです。
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『タッチ』というのは甲子園を目指す青春スポーツマンガの金字塔ですが、主な登場人物は、上杉達也、上杉和也という双子の兄弟と幼馴染の浅倉南です。上杉和也は成績優秀で、スポーツ神経抜群。野球部ではピッチャーをしています。上杉和也を応援しているのが、マネージャーの浅倉南。
浅倉南も成績優秀で、途中で新体操をやり始めるんですが、まさに文武両道という感じで、上杉和也と浅倉南は周りからはお似合いのカップルだと思われています。
その一方で、勉強も運動もできないぐうたらなダメ兄貴が上杉達也。物語はある悲しい出来事があって、「南を甲子園に連れてって」という浅倉南の想いが上杉和也から上杉達也に「タッチ」されます。そこでダメ兄貴が野球をやり始めるんですが、新田明男という天才バッターが強力なライバルとして現れたり、新田明男の妹、新田由加も絡んできて、恋に野球に燃えるというお話です。
熱血スポ根ものなんですが、脱力系というか、コミカルタッチで描かれていて面白いマンガです。
なんだか脱線したようにみせかけて、してませんよ。してないしてない。『タッチ』が好きだからとかそんなことはありませんとも、ええ。まあ好きなんですけどね、『タッチ』。こんなこと書いてるから長くなっちゃうんですよね・・・。すみませんねどうも。
『タッチ』の物語構造、双子が出てくること、片方がすごくできるやつで、もう片方がそうではないこと、魅力的な女の子がそばにいてどちらと結ばれるかが重要なテーマとなっていること、というのは『エデンの東』第4部の構造とほとんど同じです。
『エデンの東』は、一卵性ではなく、二卵性の双子です。つまり全く容姿は異なるんです。キャル・トラスクとアロン・トラスクの兄弟。アロンは金髪でかわいらしく、誰からも好かれるタイプです。心も優しい。一方のキャルは黒い髪に浅黒い肌、物静かですが、こずるいところがあったりもします。
E・ブロンテの『嵐ヶ丘』を連想したりもしますね。
周囲の関心はすべてアロンにいくわけです。それだけにキャルは愛情に飢えているところがあります。特に父親からの愛情を強く求めているんです。
2人が幼い時に会い、やがてはアロンのガール・フレンドになるのがアブラ・ベーコンという魅力的な女の子。この3人の関係が物語の重要なキーになります。
原作の小説では秘密ではないんですが、まあ映画を観たい人にあわせて伏せておきますが、キャルとアロンの母親は死んだとされています。ところがキャルはこの母親が生きているという噂を聞く。やがて明らかになるその母親にまつわる、あるショッキングな真実が物語を大きく動かします。
愛情に植えるキャルは父親の愛を勝ち取るためになにをしたのか。2人の母親のショッキングな秘密とは。キャルとアロンのキャラクターの違いからやがて浮かび上がってくるものとは。そしてアブラはキャルとアロンのどちらを選ぶことになるのか。
とまあこんな辺りが4部の内容およびに映画のあらすじになります。映画では、ぐっと単純化されて、原罪のようなものが少し描かれていることを除けば、ほとんど恋愛がメインになっていますね。
では、原作の『エデンの東』の前半ではなにが描かれているかというとですね、キャルとアロンの双子の兄弟の父親世代の話も描かれます。アダム・トラスクとチャールズ・トラスクの兄弟。さらにその父親のサイラス・トラスクの話も描かれます。
今あえて逆の順序で書いていますが、物語の順番にそってまとめていくと、サイラス・トラスクという男がいます。兵士をしていて、右足を失ってしまいました。このサイラスに2人の子供が生まれます。アダムとチャールズ。アダムの母親は自殺してしまうんですが、その後アリスという後妻をもらって、チャールズが産まれたわけです。
このアダムとチャールズの兄弟には目に見えない確執があって、これは後のキャルとアロンの関係に近いものがあります。チャールズは父親の愛情を求めるんですが、父親は力強く自分の意志がはっきりしているチャールズではなく、穏やかでやさしいアダムの方が好きなんですね。
父親の命令でアダムは兵士になり、チャールズは農場を経営します。
ここで話の筋が少し分かれ、キャシー・エイムズという少女が出てきます。作者に「怪物」と書かれるキャシー。詳しくはあえて書きませんが、上の方でノワール的な怖ろしい女性が出てくると書いたのがこのキャシーです。人間としてなにかが欠けていて、キャシー自身もなにを求めているのか分かっていない。
文学史上、悪女やファムファタールと呼ばれるキャラクターは、たとえば『三銃士』におけるミレディーなどたくさんいますが、それはわりと目的のある〈悪〉ですよね。つまりお金や欲望が〈悪〉へ走る動機となるわけです。ところがキャシーは少し違います。そこが怖ろしいところです。なにかが欠けているとしか言いようがないんです。
ざっくり省きますが、ぼこぼこにされて、血だらけでアダムとチャールズの農場へキャシーはやってくるんです。看病しながら、アダムはキャシーに恋をします。初めて手に入れたいと思った大切なもの。そうしてアダムとキャシーは結婚します。産まれた双子がキャルとアロン。ここで映画と繫がりましたね。
キャシーは姿を消します。何故姿を消したのか、その後どうしているのかは、物語の重要な謎になりますので、本編でのお楽しみです。
『エデンの東』は基本的にはそうしたトラスク家の3世代に渡る物語なんですが、あとどうしても触れておかなければいけない人物が2人います。サミュエル・ハミルトンとリー。
『エデンの東』の語りの構造は少し変わっていて、〈私〉というのは登場人物ではなく、作者自身のことらしいんですが、サミュエル・ハミルトンは〈私〉の祖父です。物語はサミュエルが妻と一緒にアイルランドからサリーナス盆地に移住するところから始まるんです。
発明好きだけれど、特許を取得しても企業との裁判に負けていつも失敗しているサミュエルとその子供たちの話、つまり〈私〉の家族の話も描かれているわけです。サミュエルの娘オリーブの息子が〈私〉であるスタインベックです。
トラスク家の物語に、作者自身の家族の伝記を組み込んだという構造になっているんですね。
E・ブロンテの『嵐ヶ丘』のように2つの家が絡み合う話ではないので、難しいようであれば、サミュエルだけ覚えておけば、ハミルトン家にまつわるエピソードは、ほとんど無視しても大丈夫です。
もう1人触れておきたいのがリー。リーというのは、アダムの家の召使です。中国人で、辮髪にして片言の英語を喋ります。リーはすごく頭がよくて、どちらかといえば、執事のイメージに近いです。クールで知的な感じです。表面上は東洋的な穏やかさというか、冷たさみたいのがあるんですが、中身はすごく熱い男です。本屋を開きたいという長年の夢があります。
リーは本当は英語をぺらぺら喋れるんです。ところが、あえて片言の英語を使うんです。相手の中国人への偏見というかイメージにあわせて、本当の自分を隠しているんですね。ある時リーが自分の母親の話をアダムにするんですが、とてもぞっとする話です。壮絶な。それはまあともかく。
アダムはキャシーが姿を消してから、廃人同様になってしまっています。そこでキャルとアロンの双子、それからアダムの財産をしっかり管理していたのがリーです。リーがいなければ一体どうなっていたことやら。時おり辛辣な皮肉家でもありますが、アダムのよき相談相手であり、キャルやアブラが心を開いて対話するリー。
キャシーが怖れていた人物が2人います。アダムの兄弟チャールズに自分と似た部分を見て怖れたのもまあそうですが、サミュエル・ハミルトンとリーをなにより怖れたんです。なぜなら、自分の心を見透かされるような気がしたから。この2人はちょっと普通の人間を超越しているようなところがあります。
アダムがキャシーにめろめろになっている時も、サミュエルとリーは本当のキャシーがどういう人間なのかをちゃんと分かっていました。
物語のクライマックスは、リーが神の火について語るところになると思います。なぜ人生には辛く苦しいことばかり起こるのか。「神が怒り、愛想をつかし、自らの作品にーー滅ぼすためにか、浄化するためにかーー坩堝の溶けた火を注がれた」(417ページ)ようなこの世の中。ここでのリーの考え方というか、1つの答えが作品全体の大きなテーマとなっています。
サミュエルの存在がここでもう一度大きく出てきます。リーに語られることによって。サミュエルとサミュエルの子供たちの差も浮かび上がります。
あらすじの紹介自体がちょっとごたごたしてしまいましたので、ここでちょっとまとめると、サイラス・トラスクの息子としてアダムとチャールズの兄弟が産まれます。アダムと謎の女、キャシーが結婚して、キャルとアロンの双子が産まれます。
キャシーが姿を消し、廃人同様となったアダムの変わりに、双子の面倒と財産の管理をするのが、中国人召使のリーです。キャルとアロンの前にはアブラという美しい少女が現れます。やがて母親キャシーに関する怖ろしい真実が明らかになり、物語は怒涛のクライマックスに向かいます。
そんなお話です。物語の側面で、作者である〈私〉の祖父サミュエルのことも描かれ、アダムやリーのよき友人として物語に登場し、サミュエルの子供のことなども多少書かれていきます。
『エデンの東』は聖書が下敷きになっている部分があり、特にカインとアベルの挿話の大きな影響の下にあるわけですが、あまりそうしたことは意識しなくても大丈夫なので、純粋に物語を楽しんでください。兄弟の確執や父親に愛されたいというテーマは、宗教的なものを絡めなくても、十分に共感できるものだと思いますので。
歴史的なものも楽しめます。車がようやく出てきはじめた頃のお話です。
スタインベックは以前はそれほど好きな作家ではなかったですし、今も作風としては好きな作家ではないんですけど、すごく面白いです。夢中になって読んでしまいました。4巻あるので、少し長いですが、興味を持った方はぜひ読んでみてください。難解さはほとんどないので、すらすら読んでいけるはずです。
スタインベックは次、『怒りの葡萄』を読む予定です。楽しみです。