¥840
Amazon.co.jp
ロビンソン・クルーソー〈下〉 (岩波文庫 赤 208-2)/デフォー
¥935
Amazon.co.jp
ダニエル・デフォー(平井正穂訳)『ロビンソン・クルーソー』(上下、岩波文庫)を読みました。
みなさんは『ロビンソン・クルーソー』をご存知でしょうか。なんとなくのイメージはあるのではないかと思います。そう、無人島にひとりぼっちになってしまうやつです。ちょっと詳しい方は、フライデイと名づけることになる未開人が出てくることもご存知かもしれませんね。
『ロビンソン・クルーソー』は、色々な出版社から文庫が出ていて、岩波文庫よりも読みやすい訳がおそらくあると思うんですが、岩波文庫で読んだのには理由があります。他の文庫が1冊なのに対して、岩波文庫は上下巻。なぜ量が2倍なのかというと、続編が入っているんです。
岩波文庫には、上巻に「ロビンソン・クルーソーの生涯と冒険」、下巻に「ロビンソン・クルーソーのその後の冒険」が収録されています。この続編が読めるのは岩波文庫だけだと思うので、全部読みたい方は岩波文庫を読むのがよいですよ。
ぼくは以前、吉田健一訳の『ロビンソン漂流記』(新潮文庫)を読んでいたんですが、あんまり印象はよくなかったんです。無人島での生活が延々書かれても、正直退屈なだけじゃないですか。別にドキュメンタリーが読みたいわけではないですし。なので、読み返すのにあんまり乗り気じゃなかったんです。
でも昔から続編は気になっていました。その後のロビンソン・クルーソーの話。一体なにが書かれているんだろうと。想像するだけでわくわくします。また無人島に行っちゃうのかなあとか。
それから、スウィフトの『ガリバー旅行記』やゴールディングの『蠅の王』など、冒険ものというか、島に行く話をいくつか読んできて、やっぱり元祖とも言える『ロビンソン・クルーソー』をもう一回しっかりおさえておきたいと思ったわけです。
そういうわけで、渋々読み直してみたんですが、これがびっくり仰天、面白かったんです。いやあこれがなかなかどうして。『ロビンソン・クルーソー』面白いです。どこがどう面白いかは内容に触れながらおいおい書いていきます。
さてさて、あらすじの紹介です。震えるほどの孤独と困難に立ち向かう勇気、そして祈りで紡がれた力強い物語。
主人公はもちろんロビンソン・クルーソー。物語はロビンソン・クルーソーの〈私〉という1人称で書かれていきます。そこそこ裕福な家庭の三男坊の〈私〉。冒険心にあふれていて、色々なところに行ってみたいと思っています。
現代の読者が考えるよりも、もっとずっと世界が広かった頃の話です。飛行機もないですから、移動手段はもっぱら船です。未開の土地もまだまだありますし、そもそも船での旅自体が命の危険を伴うものだったわけです。やむにやまれぬ旅への情熱に身を焦がす〈私〉と対照的に、家族は旅に出てほしくないと思っています。〈私〉の父はこう言います。
お前の兄がいい見本だ。低地方戦争へ征くのをやめてくれとお前の場合と同様、どれくらい頼んだかしれやしない。それでもいうことをきかなかった。若い血のたぎるにまかせて軍隊にはいり、けっきょく戦死してしまった。お前のために祈ることをやめるとはいわないが、このような馬鹿な真似をするかぎり、神様の祝福をうけようなんてことは当てにしないがよかろう。あとになってわしの忠告を馬鹿にしたことを後悔する日がかならずくる。もうそのときは今さら誰かにすがって助かろうとしたってだめなのだ。(上、15ページ)
この忠告は予言のように、〈私〉の心を縛ります。それでもやっぱり、旅に出てしまうんです。しかし嵐にあってしまいます。この辺りはなんらかのサインのような気もします。航海に行くんじゃないぞと。あっ、航海に行くと後悔することに・・・というギャグが今ぼくの頭をふっとよぎりましたが、ベタすぎる上にスベるといけないのでやめときます。ふう、あぶないあぶない。スベるとこでした。
この時は命からがら無事だったんですが、〈私〉はまた船に乗ります。そして今度は海賊船に襲われて、捕虜になってしまいます。2年くらい奴隷生活を送ります。2年て地味に長いですよね。やがて隙を見て逃げ出します。その後は、農園を経営するなどして、穏やかな生活が続きます。しかしぼくらの期待を裏切らないのがロビンソン・クルーソーという男です。
いよいよですよみなさん。数々のサインを無視し、再び船に乗った〈私〉。大嵐に見舞われます。浅瀬にのりあげてしまった船。ボートで脱出しますが、襲いかかる激しい荒波。陸地にたどり着いて、生き残ったのは〈私〉だけ。無人島にひとりぼっちのロビンソン・クルーソー。ここから本当の物語が始まります。
ここからは無人島の生活が、日記のような形式も混ざりながら、延々続くわけです。それが以前のぼくには退屈に思えたんですが、読み返してみたら、まさにそこが面白かったんですよ。小麦の芽が出ようが、山羊が増えようがどうでもいいよと思っていたんですが、この単調な生活には、3つの面白い要素が含まれています。
まず1つめは、ちょっとミーハー的な観点から言うと、映画『CUBE』に近い感覚の面白さがあります。ロジカルな試行錯誤の面白さ。
CUBE キューブ(買っ得THE1800) [DVD]/モーリス・ディーン・ウィント,ニコール・デボアー,デヴィット・ヒューレット
¥1,890
Amazon.co.jp
『CUBE』というのはなかなか面白い映画で、気がついたら四角い箱の中にいるんです。隣の部屋を見ると、同じような四角い箱がある。それがずっと続いているんです。同じ境遇にいる人々が何人かいて、なんとか箱の中から脱出しようと試行錯誤する物語です。
「試行錯誤」というのが、『CUBE』と『ロビンソン・クルーソー』の共通点になります。『CUBE』でも『ロビンソン・クルーソー』でも、周囲の状況を把握して、そこからルールを読み取り、少ないアイテムで状況を改善しようとするわけです。
ここからはもう『CUBE』からは離れますけど、ロビンソン・クルーソーは、どうやって生きのびるか? と考えるわけです。持ち物は決まっています。少ない道具でどう効率的にやっていくかということを考えなければならないわけです。
食べ物は食べてしまえば無くなってしまう。ではどうする? 島には山羊がいる。山羊を捕まえるためにはどうする? ここで試行錯誤。やがては次の段階に移ります。捕まえて食べてしまえば終わりだけれど、飼育したらどうだろう? そのためにはどうしたらいい?
つまり、そうした試行錯誤を繰り返すという、ロジカルな面白さがあるんです。当然最初からうまくはいきません。長い時間かけて船を作っても、重すぎて海まで運べなかったりします(笑)。
失敗がやがて成功に結びつくまでの過程の、様々な試行錯誤が克明に描かれていて、これが結構楽しめます。ゲーム的な感覚ですね。これやってみてダメだったら、今度はこうやってみての繰り返しが楽しめます。
2つ目は、そうした「試行錯誤」が人類の歴史の過程に、すごくよく似ていることによる面白さ。
なにもない野生の島で生きていくということは、自然に対して、人工的に手を入れるということに他ならないわけです。家を作り、火を起こし、畑を耕し、動物を狩り、やがては飼育するようになります。たった1人の人間の行動ですけど、まさしく人類の歴史がここに描かれていると言ってもいいと思います。
山羊をただ飼育して肉を食べるだけではなく、やがてはミルクを絞り、バターやチーズを作るようになります。畑から収穫した麦で、パンさえ作れるようになるんです。そうした姿は、単に無人島で生き抜いていくということを越えて、感動的ですらあります。
〈私〉の島での暮らしに、人類がいかにして発展してきたかの歴史が、重なって見えるから。
3つ目は、宗教的な目覚めが描かれていることによる面白さ。
〈私〉は最初、全く宗教的な人間ではないんです。神に感謝を捧げない。ある時、地面から大麦の芽が出ていて、神の奇跡だ! と感動するんですが、冷静に考えたら、袋を払った時に大麦がぱらぱら地面に落ちただけだと分かってがっかりします。奇跡なんかないんだと。
ところが、ゆっくりと流れる時間の中で、〈私〉の信仰心は育っていきます。たまたま荷物の中に聖書があったということも大きいですが、日々の生活に感謝するようになるわけです。ちょっと先走って言っておくと、フライデイとの対話で、さらに信仰心は深まります。
フライデイはいわゆる未開人です。〈私〉はフライデイにキリスト教の神について教えるわけです。神と悪魔がいて戦っていると。我々は悪魔に負けてはならないと。
フライデイは子供のように純粋ですから、どうして神が完全なものなら、悪魔をすぐに倒してしまわないのか? というまことに当然な質問をしたりします。〈私〉は言葉に詰まりますが、そうしたいわば生徒のような存在がいることによって、より深く考えるようになり、宗教への信仰心が強くなっていくわけです。
というわけで、ゲーム的でロジカルな試行錯誤、人類の歴史との重なり、宗教的なものという3つの面白さが、重層的に重なっています。もちろん他にも様々な読み方もできると思いますけども。
〈私〉はすごく長い時間、無人島で生活し続けます。数年の話ではないんです。数十年の話なんですよ、実は。オウムを飼ったりもしますが、助かる見込みもないまま、ずっとひとりぼっちで暮らす〈私〉。ところがある時、海岸に自分のものではない足跡を見つけます。一体誰の足跡なのか?
恐怖に怯える〈私〉。そうしてようやく思い出します。この辺りの島には、人食い人種が住んでいるということを・・・。
とまあそんなお話です。なんかちょっとホラーみたいな感じであらすじ紹介が終わってしまいましたけど・・・。まあいいですよね。少しずつ触れていますが、やがてフライデイという召し使いができます。金曜日に出会ったからフライデイ。フライデイが誰で、どんな風に出会ったかは本編でのお楽しみです。
ロビンソン・クルーソーは一体どうやって無人島から脱出するのか。気になりませんか? 気になる方はぜひ読んでみてくださいね。
『ロビンソン・クルーソー』を現代に焼き直したような映画があります。トム・ハンクス主演の『キャスト・アウェイ』です。
キャスト・アウェイ [DVD]/ヘレン・ハント,トム・ハンクス,ニック・サーシー
¥2,625
Amazon.co.jp
これも全編ほぼひとりぼっちです。無人島にてトム・ハンクスひとりぼっち。「ウィルソン」のエピソードに泣き笑いさせられます。「ウィルソン」は人ではないんです。動物でもないんです。じゃあなにかって? 気になる方は、ぜひ『キャスト・アウェイ』をご覧くださいな。「ウィルソーーーーン!!」という絶叫に思わず笑ってしまいますが、冷静に考えてしみじみしたり。
ちなみに下巻にあたる続編でどんなことが書かれているかというとですね、ロビンソン・クルーソーが年を取ってからの話です。甥が船長をやっていて、再び無人島に行くんです。そこはもう無人島ではなくて、何人かの人間が暮らしています。そこでどんなことがあったかという話を〈私〉が聞くんです。そうした島での争いの歴史の話。
ちょっとした事件があって、〈私〉は甥の船から降りることになります。そうしてアフリカや中国などを旅して、亡命しているロシア貴族と出会ったりします。ここでもいくつかの争いが描かれます。つまり、文明人と未開人との争いが主な流れと言ってよいでしょう。
残念ながら、物語としては、上巻の無人島での生活ほどの輝きはなく、はりきって読むほどのストーリーではないですね。なので、無理して岩波文庫の上下巻ではなく、読みやすい文庫を各自選んで前半部分だけ読めばそれで十分だろうと思います。
少しでも『ロビンソン・クルーソー』に興味を持ってもらえたらいいんですけれど。ぼくも初めて読んだ時はなんて退屈な小説だろうと思いました。でもいくつかのポイントをとらえると、すごく楽しめる小説だろうと思います。困難に立ち向かっていく、力強い小説です。
最後に。文明人と未開人の関係は批判が多くなされている部分でもありますが、やはりぼくも少し感じたりもしました。つまり、西洋の宗教やしきたりを無理やり押しつけている側面があるわけです。実際に歴史上どこでも起こってきたことといえばそうですが、文明化するということが、ある種の文化の破壊を意味するというのなら、少し複雑でさみしい気持ちはします。そんなことを考えました。
明日はスタインベックの『エデンの東』を紹介する予定です。