ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』 | 文学どうでしょう

文学どうでしょう

立宮翔太の読書ブログです。
日々読んだ本を紹介しています。

怒りの葡萄 (上巻) (新潮文庫)/スタインベック

¥660
Amazon.co.jp

怒りの葡萄 (下巻) (新潮文庫)/スタインベック

¥660
Amazon.co.jp

ジョン・スタインベック(大久保康雄訳)『怒りの葡萄』(新潮文庫)を読みました。

なんでしょう胸に残るこの感覚は。決して面白い作品ではないんです。ストーリーも物語の構造もそれほどよいとは思えないこの小説。それにも関わらず、最後の一文を読み終えた時、ぼくの心はぐっとつかまれて、思わず吐息をもらしてしまいました。ああ! もうそれ以外に言葉はないです。ああ!

暗喩とかメタファーとか、その場面がなにを表しているのかを読み取る、いわゆる文学的な読みというのは、ぼくはあまり得意ではないんです。というかあまりそういったところに興味がなくて、ぼくにとって大切なのは、作者がその作品になにをこめているか、ではなくて、登場人物がなぜそうした行動をしたか、という心理の方。いわゆるストーリーと言ってもいいです。

それでも、文学的な読みが苦手なこのぼくでも、この小説のラストシーンにはなにかを感じずにはいられませんでした。すごく象徴的ななにかがそこにあります。その場面がなにを表しているかはうまく言葉にできませんけれど、一種の絵画、それもとても美しく神々しい絵画の前に立った時のような、震えるくらいの感動があります。

物語はぼくが想像したような絶望でも、途中で予想していた希望でもない方向に進んでいきます。絶望でも希望でもないラスト。じゃあそれが一体どういうラストなのか、みなさんもぜひ自分の目で確かめてみてください。これはちょっとすごいですよ。

映画もあります。ヘンリー・フォンダ主演。

怒りの葡萄 [DVD]/ヘンリー・フォンダ,ジェーン・ダーウェル

¥380
Amazon.co.jp

広大な大地のイメージなど、映像の方がつかみやすい部分もあります。ただ元々劇的なストーリーの物語ではないので、正直、映画としてずば抜けて面白いわけではないです。ぼくとしては映画よりもやはり小説を読んでもらいたいです。

小説もどちらかといえば退屈な感じなんですが、その地味さでかえって、じわじわ感じるよさがあります。あとキャラクター的なイメージをしっかり把握しない方がより楽しめる物語だろうと思うので。

『怒りの葡萄』がどういう話かを簡単に言うと、オクラホマの農民が故郷を逐われるんです。そしてビラを見て、仕事がたくさんあるという夢の土地カリフォルニアに向かいます。長い長い苦難の旅。しかしカリフォルニアで待ち受けていた現実は、より厳しいものでした。

なぜそうしてたくさんの人を集めたかというと、給料をすごく安くできるんです。どんどん給料を下げていって、こんな給料じゃ働けないという人がいなくなっても、後から後から飢えた人々がやってくる。そうして暮らしていけないような給料でこき使うわけです。それでも飢え死にしそうな子供を抱えた人々はそこで働かざるをえないわけで・・・。

『怒りの葡萄』はまさに現在読まれるべき作品のような気がします。大不況で経済危機。仕事がない現代社会。石川啄木のように「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」と思っている方。おすすめの小説ですよ。本当に心底、骨身に沁みる小説です。

似ている話でエンタメ度が高いというか、読んでいてもっと壮絶かつパワフルな感じがする小説があります。パール・バックの『大地』。これは大河小説として相当ずば抜けて面白いです。大興奮の小説です。こちらも読み始めたので、もう少ししたら紹介できると思います。

正直『大地』の方が物語の面白さとしては上だろうと思います。それでも『怒りの葡萄』には『怒りの葡萄』の魅力があります。『大地』を読む時、自分の現実世界と重ね合わせるということはあまりないと思うんです。いわゆるフィクションとして読むわけです。悲惨なことが起こって、悲惨だなあとは思うけれど、自分の人生が描かれているようだとは思わない。

一方で、『怒りの葡萄』は決して派手な物語ではないですし、劇的なストーリーがあるわけでもない、ほとんど退屈と言ってもよい小説です。ただそれだけに現実世界のぼくを取り巻く環境(そしておそらくみなさんを取り巻く環境)と重なってくるものがあって、他人事ではすまないように感じられるだろうと思います。

ぼくにとってアメリカ文学というのは、村上春樹を通して読んでいるところがありました。つまりカポーティやフィッツジェラルドなど、ある種のおしゃれさとか、都会的なものを好んで読んでいて、スタインベックのような土臭い小説は全然好きじゃなかったんです。でも今回アメリカ文学を色々読み直してみて、一番心に残ったのはスタインベックでした。

これはきっとぼくの学生か社会人かという環境の変化が大きいんだろうと思います。土を耕して、耕して、耕して、それでも洪水ですべて失ってしまったり、いくらその土地を耕しても自分のものではないわけで、なにか大きなシステムに飲み込まれてしまっているような、そんな感覚。

そうした感覚は、学生時代にはあまり感じられないので、『怒りの葡萄』を読んでも、悲惨な人たちの悲惨な話というだけで受け止めてしまいがちです。単なるフィクションとして。ところが、現代社会で働いていると、決して他人事ではない部分が多いです。

仕事がうまくいかない。自分のせいだけではなくて、かといって誰かのせいでもなくて、システムの問題としかいいようのないものがあります。上司が悪い? 部下が悪い? 責任を求めていっても、どこにも見当たらないことが多いです。どうしたら問題解決できるのか。巨大な壁にぶち当たった時、ぼくらはどうやってやっていけばいいのか。

そうしたぼくらの環境、あるいは鬱屈した現代社会にすら似通った部分があります。巨大な壁を目の前にしたある一家が、そこに立ち向かっていく様を描いた小説です。決して物語として面白いわけではないですが、ぼくらにある種の答えのようなものをくれる小説かもしれません。興味のある方はぜひ読んでみてください。

作品のあらすじ


オクラホマの大地の描写から物語は始まります。赤茶けた土。トウモロコシに降る雨・・・。場面は変わって、あるトラックがヒッチハイカーを乗せてやります。このヒッチハイカーが、物語の重要人物であるトム・ジョードです。

トム・ジョードは主人公と言ってもいいんですが、ジョード一家の面々、特に母親など、それぞれが重要ですし、一家全体が主役と言ってもよいとは思います。主人公らしき主人公がいない小説なんですよ。

この冒頭での、トラックがトムを乗せてやるという行為自体が、物語全体のテーマと大きく関わってくる部分があります。つまりトラックの運転手にはヒッチハイカーを乗せてはならないという規則があるんです。トラックの窓にもヒッチハイカーお断りの張り紙が貼ってあります。

それは会社が決めたもので、いわば〈システム〉の領域のものです。この記事で扱う〈システム〉というのは、個々人の範疇を越えた組織独特の構造やルール的なものととらえてください。誰がなんともすることのできない流れのことです。

運転手がどう思おうと、どうすることもできない。規則は規則なので。ところが、運転手はトムを乗せてやるわけです。迷いながらも乗せてやる。つまり〈システム〉の問題は、〈人情〉のようなものが加わって形を変えます。この物語の中では、〈システム〉と〈人情〉というのは相反するもので、このテーマは何度も繰り返し出てきます。

トムは刑務所から仮釈放で出てきたんです。酒場でケンカして、正当防衛の形とはいえ、人を殺してしまったトム。予定より数年早く故郷に帰ってみると、家には誰もいません。

オクラホマの大地にはトラクターが走っていて、農民たちを追い出しているんです。農民たちはそんなことをするやつを許せませんよね、当然ぶっ殺してやる! といきり立つわけですが、一体誰を? という問題が生まれてきます。実はトラクターを運転しているのは、農民たちの仲間の1人なんです。

仕事がなくて、それでも幼い子供たちや家族を食べさせてやらなければならない。そこでわずかな賃金で雇われて、トラクターで農民たちを追い出す仕事をしています。つまりトラクターを運転している人を殺しても事態は改善しないんです。また他の人が雇われるだけなわけで。

ではその雇っている人を殺せばいいかというと、その人は銀行に言われてその仕事をしているわけです。じゃあ銀行を潰せばいいかというと、銀行ももっと本部に命令されてやっているわけです。どこまでいっても見えないこの〈システム〉。

おそろしく、不条理のようにも感じられるわけですけど、これって単なるフィクションじゃないですよね。こうした目に見えない不気味な〈システム〉はぼくらの現実世界でもあるはずです。なにかがおかしいという状況があっても、改善するのはすごく難しい、そんな環境。

トムは家族と再会します。家族はカリフォルニアに向かうところだと言うんです。そこは夢のような土地で、果実の収穫などたくさんの仕事があるらしい。一家はトラックで、カリフォルニアに向かいます。トムは仮釈放の身の上ですから、本当はオクラホマ州を出てはいけないんですけど、一緒に旅立つことにします。

家族と一緒に旅立つのが、元説教師のジム・ケーシー。信仰を失ってしまったケーシー。ケーシーはこの物語でとても重要な人物です。ケーシーがなにを見て、なにを考え、どのように行動するかにぜひ注目してみてください。

ジョード家はトムの両親や祖父母、罪の意識を抱えたジョン伯父、トラックに詳しい弟のアルとその他の兄弟姉妹。妹で『シャロンのバラ』と呼ばれるローザシャーン。ローザシャーンは妊娠しています。その夫のコニー。この一行です。

絶望の地を捨て、希望の未来へ向かうという構造は、たとえば『2012』など、いわゆるディザスター・ムービーに似たところがあります。

2012 スタンダード版 [DVD]/キウェテル・イジョフォー,ジョン・キューザック

¥1,980
Amazon.co.jp

『ダイナソー』とか。懐かしいなあ『ダイナソー』。みなさん覚えてました? 『ダイナソー』。

ダイナソー [DVD]/出演者不明

¥2,940
Amazon.co.jp

旅の途中で、何人かの人間がいなくなります。過酷な旅に耐えきれず死ぬ人もいます。ところが埋葬すらちゃんとはできないんです。墓地にいれるにもお金がかかるわけで、お金を払うとカリフォルニアにはたどり着けない。そして逃げ出す人も出てきます。

そしてようやくたどり着いた希望の地で見たのは、過酷な労働環境でした。それでもなんとか一家団結してやっていこうとするジョード一家。かっとなりやすいトムが問題を起こしそうになった時、ある人物がかばってくれます。その行為がその人物の人生を大きく変えることになります。

巨大な壁にぶつかった時、果たしてどう立ち向かっていけばいいのか。誰にも変えられない〈システム〉の中、ジョード一家はいかにしてやっていくのか。そしてやがて決定的な出来事が起こり・・・。

地味で退屈な話です。延々悲惨な話が続く物語です。それでもたしかに読む価値のある小説です。文章としての読みづらさはさほどないので、ぜひ手にとってみてください。

ところで、トムたちジョード一家には、雇い主という目に見える敵がいました。〈怒り〉をぶつけられる対象。給料を低くし、ストライキを潰し、自分たちだけいい思いをしている雇い主。こうした構造はフランス革命などの、民衆と王様という構造にも似ています。目に見える敵を倒せば救われるという考え方。

ぼくらは一体誰と戦えばいんでしょう? この不況に対する〈怒り〉を誰にぶつけたら? 『怒りの葡萄』はその答えをぼくらにくれはしませんが、もう少し違うなにかを教えてくれます。問題解決の方法ではなく、問題に立ち向かう方法。それはつまり、どうやって生きていくかということです。

広大な大地で生きていく、どんなことがあっても生きていく、そんな家族を描いた小説です。その姿は力強く、ぼくらに勇気をくれます。

スタインベックは『エデンの東』も4巻あって長いですがおすすめですし、なにより『ハツカネズミと人間』はぜひ読んでみてください。150ページくらいの短い作品です。これはもう大号泣必至の傑作です。ぜひ!