不定期でお送りしております西部邁氏の『虚無の構造』シリーズ、ようやく3回目を迎えます。
前回までのまとめはコチラ
『虚無の構造』
虚無についてhttp://ameblo.jp/claemonstar/entry-11929732472.html
気分についてhttp://ameblo.jp/claemonstar/entry-11960544096.html
2014年の終わりに人類にとっての最強最悪の敵について思いを馳せてみましょう。
第2章 生活について―死の追放
Ⅰ.「生の哲学」の不毛
日本人は自己の死や自然の猛威というものに対し、厭世の諦観をもって対応しようとしてきたとのこと。いわゆる「仕方がない」っていうやつでしょうか。
もともと消極的ニヒリズムにひたって生きてきた日本人。形而上学という敵も存在しなかったため「生の哲学」について考えることも必要なかった日本人。
しかし、「生」について考える習慣がなかったことがアダとなり、消極的ニヒリズムに慣れていたこともあり、現在では技術への過剰な適応を見せてしまっているようです
Ⅱ.「非力」の否認
人間は何でもできる。・・・はずはないんですが、実は現代では多くの人が「人間は何でもできる」「人間に不可能はない」って思ってしまっちゃってるんですね(;^_^A
物事のすべてを理性で捉えることが可能、技術を追求していけば何でもできる。つまり、人間とは完全な存在であるとみなされているわけですね。「人間は完全ではないのではないか?」という問いそのものが存在しないのが現状です。
人間は生きていくうえでいろんな選択をしなければなりません。技術がどんなに発展しようが、技術だけで最適解を得ることなどできません。技術だけで選択できないような選択肢が現れたとき、どうやって選択するか?
結局は「良心」に頼らざるを得ないのです。
それでも良心とは何かは分からないので、自分の中で深く考えて決意し、答えを出さなくてはならにわけです。
そして、「死」について想えば、自分が世界全体の中の一人であることを知ることができるはずなのですが、現代では医療の発達もあり「死」の観念から人の在り方が遠ざかっていっております。それでも技術の進歩を追い求め続けるのが現代人の性ですが・・・。
なぜ、現代の日本人が「死」や「戦争」を忌避するのか?
「命」が少しでも長引くから、「命」さえ保証されれば人間は完全なる存在たりえると思っているからなのではないかと。それでも、人間は完全な存在ではないのですが・・・
人間が完全でないのは岩盤規制が邪魔しているせいだ。ドリルでぶち抜け!
自分が非力であると自覚しようとしないものの考えそうなことです(-"-;
Ⅲ.視界の狭窄
「死」はすべてを奪う。
しかし、自分が死んだあとに生きる人々に影響を与えるであろうことを考えると、自分の「生」に意味はあります。
そう考えると、自分が世界全体の一部であるということを感じることができ、生き生きと「生」を送ることができます。
が、そんなことを考えないで(「死」というものについて考えないで)いる現代人は活力ある「生」を謳歌することができません。つまり「生」が死んでいるというわけです。
自己と世界は深く結びついているのに、自己の領域に閉じこもり、専門化を進めていくと、結局は何も見えない。あるいはマスコミ世論的な全体主義的な意見に迎合していってしまいます。
(参考)『知性の構造』・学際研究の可能性
http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11858974746.html
みんながマスコミ世論に迎合する結果、マスコミ世論が最強の権力を手にしてしまっているわけですね。そして、マスコミ世論は考えなしに飛びつけるパッパラパーな意見しか供給できないので、現代人は総じて思考停止状態に陥ってしまっているというわけですね。
自由バンザーイ、平等バンザーイ、友愛バンザーイ!!
何も考えずに飛びつけるワードです↑
こんなパッパラパーになっているのに、人間は完全だと思えるあたりがまさに病的ですね。
Ⅳ.決意の挫折
専門人は自己の非力を理解することはできません。よって、自分の専門知は総合知にとって何か役に立つはずだとかたくなに思い込んだりしています。
いますよね、論文を書くための研究とか研究のための研究をやっている学者さんたち・・・。
自分のやっていることは確実に役立つと思っているわけですから、決意して選択する必要はないわけです。
しかし、「生きる」ためには決意と選択が必要になってくるわけで、その選択の基準が「良心」というもの。そして、その「良心」の源泉は歴史によって磨きあげられてきた「伝統」というもの。
「伝統」に思いを馳せることで、その「伝統」が道標となり、人々が進むべき道を照らしてくれるわけです。
ニーチェが肯定した積極的ニヒリズムは言うなれば歴史や伝統をあえて破壊することでニヒリズムを克服するって感じの話じゃないかと思う(違っていたらすみません)のですが、西部先生はこの考えには否定的というわけですね。
とは言え、「歴史」や「良心」など深く考えれば考える程、行きつくところまで行ったときに「無」が顔を出してきます。つまり、ニヒリズムを克服するにはニヒリストであることを自覚することが最低条件となるのです。(歴史や良心を深く考えることがニヒリズム克服の条件だが、その過程でニヒリズムを自覚する必要があるため。)
ですが、現実は・・・
技術バンザーイ(^O^)/
人間に不可能はない( ̄∀ ̄)
え?伝統?ナニソレ、おいしいの( ゚ロ゚)?
ってなわけでして・・・・・・。
また、次回!!
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政治経済初心者必見!!
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