こころの
拠り所。
大切な人に
関係性として
求める
それは
人それぞれ解釈や
感度
想いが違う。
永く寄り添えば
その塩梅も
よくわかったり
それすらも
超越できることができたり
他人が
なんと思おうが
よいわけで。
だけど
勝手きままは
度が過ぎると
塩梅も台無しなんだ。
そこを
ちゃんと解って
自立するために
支え合うのだ。

今日の一文字。
“支え合う”を意識するとき。
昔のドラマで
金曜八時の先生が
人は支え合って
生きていることを
人という字を黒板に書いて
生徒に想いを伝えていた。

だけど本当に昔々
この文字を人と表し出したときは
『にんべん』の形に近く

手を前にして立って
二足歩行であることや
自らの足で立っている様に見え
人と人とが支え合っている
感じではないと
ある本で読んだ。
また、自立して
誰かに手をさしのべている
様にも見えるとも…

なるほど
支え合っているなら
動きが少ない。
依存ではなく
共存ということなのだろうか。
自立するために
支え合う。
昨夜それについて
とても感謝したことから
書いてみた次第。
10月19日
「人」
『感じる書』アーティスト 石川呼穹

拠り所。
大切な人に
関係性として
求める
それは
人それぞれ解釈や
感度
想いが違う。
永く寄り添えば
その塩梅も
よくわかったり
それすらも
超越できることができたり
他人が
なんと思おうが
よいわけで。
だけど
勝手きままは
度が過ぎると
塩梅も台無しなんだ。
そこを
ちゃんと解って
自立するために
支え合うのだ。

今日の一文字。
“支え合う”を意識するとき。
昔のドラマで
金曜八時の先生が
人は支え合って
生きていることを
人という字を黒板に書いて
生徒に想いを伝えていた。

だけど本当に昔々
この文字を人と表し出したときは
『にんべん』の形に近く

手を前にして立って
二足歩行であることや
自らの足で立っている様に見え
人と人とが支え合っている
感じではないと
ある本で読んだ。
また、自立して
誰かに手をさしのべている
様にも見えるとも…

なるほど
支え合っているなら
動きが少ない。
依存ではなく
共存ということなのだろうか。
自立するために
支え合う。
昨夜それについて
とても感謝したことから
書いてみた次第。
10月19日
「人」
『感じる書』アーティスト 石川呼穹
