こころの

拠り所。



大切な人に

関係性として

求める

それは


人それぞれ解釈や

感度

想いが違う。


永く寄り添えば

その塩梅も

よくわかったり


それすらも

超越できることができたり

他人が

なんと思おうが

よいわけで。



だけど

勝手きままは

度が過ぎると

塩梅も台無しなんだ。



そこを

ちゃんと解って

自立するために

支え合うのだ。







今日の一文字。

“支え合う”を意識するとき。

昔のドラマで
金曜八時の先生が

人は支え合って
生きていることを

人という字を黒板に書いて
生徒に想いを伝えていた。







だけど本当に昔々
この文字を人と表し出したときは

『にんべん』の形に近く






手を前にして立って
二足歩行であることや

自らの足で立っている様に見え

人と人とが支え合っている
感じではないと
ある本で読んだ。

また、自立して
誰かに手をさしのべている
様にも見えるとも…




なるほど
支え合っているなら
動きが少ない。

依存ではなく
共存ということなのだろうか。

自立するために
支え合う。
昨夜それについて
とても感謝したことから
書いてみた次第。

10月19日
「人」


感じる書』アーティスト 石川呼穹





 



3年前のわたし。

この時は
外で働いてなかったので

地元地域で
(希望された)ご老人のお宅に
手作りのお弁当を届ける
ボランティアをしました。


買い出しから調理の係と
あと、車で配達する係の
両方とも担当しました。


わたしの母くらいの方々の中に
わたしは入って

切ったり剥いたり煮たり焼いたり
約70食ほどを買い出しに始まる

全て1から手作業のお弁当調理担当。


スーパー主婦ばかりで
料理経験も至らないわたしでしたが

半年間の短い間だったけれども
何とかやってました。

キッカケは
なかなかバイトも
見つからないわたしに

ボランティアとかでもいいから
やってみたら?と

友達から
言われたから。

そう、言われたから。

なのです。
たぶん
半ばムキになっていたのかも。

探して始めたのは自主的でも
なんだか無理矢理自分を
奮起させていた
気がします。

わたしにできる
人が喜ぶようなことって
何だろう?

って、まあ本当に
おこがましい話です。






調理は時間との闘いで 
大きな鍋を抱えたりして
大変で重労働でした。

気を遣うことも多くて
今思うと
気持ちの面で
すごく疲れてました。

配達の方が断然
わたしには楽しかった。

届け先の方々の
喜ばれる姿をダイレクトに
見ることができたから。

でもそのお弁当を
作っている人は
他に居て

別の日でありながら
わたしもメンバーだったり…

システムの
トータルを知って
お手伝いをしていたわけで。



当時
ある意味、悶々と鬱々と
していたわたしが

劇的に何かを得ることはなかったとは言え
誰にもわからない

当時の
自身の気持ちに触れるために
そこに身を置いたんだなあって。


偶然、コミュニティセンターで
目にして連絡し

他人に言われたからとは言え
焦りもあったりしながらも

すぐにわたしは
行動に移したんだなぁって。


それ以後の生活の変化が
わたしなりに
激動だった。

でも
そこにはこの時のわたしも
必要だった。

この写真をFacebookで見て
今のわたしに
必要だったプロセスの一部で
今のわたしに繋がっていたことと

思い返していました。


“偶然は必然”

わたしの座右の銘的に
している言葉。

そして
この半年間も
ムダではなかったと

過去のことなりに
そう思える今日この頃です。


感じる書アーティスト 石川呼穹





基本。

もちろん
素早さも必要だけれども
何事にも丁寧に
向き合うことを
大切にしてきた気がする。

それは
わたしが器用な質では
無いからだと思う。

それを教えてくださったのは
小学生の頃の
ピアノの先生。

進み具合が
ゆっくりでもいい。
1曲1曲を
丁寧に仕上げましょう。

同じ学年の子が
次々と新しい曲に
移っていくときに
たとえ練習曲でも
誰よりも自分らしい表現での
完成度を高めることは大事だからと。

今、すごく解るなぁ。

もうピアノはまったく
弾けないけれど。


「ていねい」





わたしは

上にも書いたとおり

幼稚園のときから

小学生の間

ピアノを習っていた。


身体を動かず方が

得意だったので

ピアノは打ち込むほど

楽しいと思えなかった。

音感は悪くないけれど

覚えが悪い。

そして無器用。


引っ越して間無しの

小一のこと。

忘れもしない(苦笑)



指使いを

教本に

書いてある順で覚えられず

流れが

自然な指使いで覚えて来るので

呆れた先生は

わたしの指に

マジックペンで番号を書いた。

さすがに

幼いなりに情けなかった。

に帰り

母に見られ

ますます恥ずかしく…

(母はモチロン
先生が書いた意味を理解)


わたしは元来

ヘタレなので

「何クソー」とか思わない…(苦笑)

出来ない自分に嫌気がさす。

そことの戦いだった。



だから

ソルフェージュ(聴き取り)は

普通に進むのに

肝心の弾く方は

なかなか

スラスラ弾けなかった。


ただ

何度も同じ課題曲で

つまづいてたとしても

その分丸をもらうまで

わたしは

紆余曲折から先生と一緒に

何度も何度もダメ出しを重ね

丁寧に取り組んでいたと思う。


飲み込みが遅くても

ひとつひとつクリアしつつ

最後の

完成度は良かったと思う。






そのころから要領の悪さは

今も変わらない(笑)


だからこそ

大切にしている一つに

丁寧に向かう。がある。


何にでも

雑さが目立つときは

わたしは

要注意なのだ。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹



































いちばん好きな花。

澄んで
高くなった秋空に

コスモスの
白やピンクや紅色が映える。






これからの季節

秋が深まっていくまでの間の
3ヶ月くらい

楽しませてくれる。







幼稚園児のとき

自分のお誕生日のポートレートの
白い厚紙製フレームを

カラーペンで彩るのに
わたしはコスモスを描いて
記念にした。

(そのときは絵画教室に
行かせてもらっていたせいか
上手く描けていた)







その思い出からか
コスモスが好きになった。

愁いと
しなやかさが好きだ。

9月17日
「秋桜」


※写真はすべてわたしが
秋桜を愛でながら撮りました!

『感じる書』アーティスト 石川呼穹







いやぁ

夢ってすごいなぁ…



さすがに

夢の中だけに

あり得ないことだけど

起きてみて

気付くと何かが取れて

無くなり

スッキリしていました。








近頃

特に疲れやすくなりまして

その疲れが

とれにくいし

睡眠不足気味でね…

(前にも何度となく書いてるはず)


勤め仕事で

不特定多数の人々と
(接客のお仕事していますので)

何かと関わることで

こちらの氣力が

きっと消耗していくんだろうなあって

思います。

年齢が年齢でも

単なるフィジカル的な疲労より

“氣”の消耗問題は

かなりの部分を占めていると

思うんです。

接客していて

理不尽さを感じても

感じなくともね。

今の接客のお仕事や

その環境は

好きですから。









さて

そんなわたしは

眠れるだけ寝てやろうと

昨日も寝倒していたのですが



二時間ほどの

3度寝の間に

夢を見ました。



すごく不思議な夢。



知り合いが

二人出て来ましてね

どちらも

それぞれに

魔女的な手法を持っていらして

日頃(夢のなかではなくて現実に)

各方面で活躍されている方々なのです。



そのお一方に

夢のなかで

わたしは

苦しくてツラいと

泣きついているのでした。
(何でかは解らない)



そしたら

その方に

言われるがままに

わたしは

何やら不思議な施術を受けていました。
(普段されているようなことではない)



ちょっと内容が

エグくて細かくは書けませんが…(苦笑)


なのにそれを

されているわたしは

とても心地よくて…


その施しが終わると同時に

目覚めました。



心地よさから

スッキリして

要らないものが全て

取り払われた感じになっていました。


ま、その施しはもちろん

実際には絶対に

存在しないものなのですが


その方のスケジュール的な

タイミングとしての

時期も時期であり

夢での対面に

何だか格別なものを

感じたのでした。



ご本人には

まだお伝えしていませんが

今後変化がまた伴えば

そのきっかけのひとつだったと

連絡しようかと

思うのです。


以前

バッチリと全くの

正夢を体験したこともありますけど

本当に

夢って不思議ですわ。







今日の一文字。

寝溜めはできない。

とは言え
スッキリするまで
日々の不足分を補う。

疲れてる。
何かに憑かれてる?かのよう(笑)

つかれ。同じ読みだな…(苦笑)

3度寝したら
その時の夢の内容が
ものすごいものでした。
(細かには言えないけど)
不思議な施しを受けていました。
でも
お陰で何かが抜けた感じ。

本当に要らないものがいたのかと
思うくらいに。

気づかぬことを
夢まで介して
身体が教えてくれています。

9月16日
「眠」


『感じる書』アーティスト 石川呼穹









今日の一文字。


いつも目の前に在る。

作品について説明をしているときなど

『書くときには
何かイメージが降りてくるのですか?』

と、よく尋ねられる。



空?或いは天?宇宙?から
降りてくる…と言いたいところですが

わたしの場合は違っていて

目の前の白い紙に
浮かびあがってくる感じ。


それを実際筆を持った手で
形にしていく…ような。

例え
目を瞑っていても

白の空間は
いつも目の前に在るのだ。



白の成り立ちは
まっさらな

whiteのイメージとは違い
頭部の白骨化を意味する。

白という漢字は
どくろそのものなのである。

9月10日
「白」





さて

通っている英会話レッスンで

ホワイトボードに書いて

詳しい文節やスペルを

確認させてくださるのだけれども

たまに先生は

brainstorm(ブレスト)を使って

語彙を拾って

会話へ発展させることをする。


これはかなり前に

FOOD に関するアレコレを

ブレストしたもの。


昨日のレッスンでは

わたしの仕事についての

説明において

仕事中に

人と会話する場面とは?を

ブレストから始めて

やってみたら


グレッグ(先生)は

「すごい忙しいね!

人と接することのみならず

スタッフとしてのタスクが

こんなにも沢山あるんだ!?」

と、言われた。


確かに。

そうだ。

働き始めると

覚えることが山ほどある。


多分わたし以外のスタッフも

入る前に

こんなに大変だとは

想像もつかなかったはず(苦笑)


結構な

オールラウンド

オールマイティ

マルチタスクぶりを

求められるのだ。


大手は規模により

仕事が

細分化されているが

わたしたちのところは

中規模なので

アレコレを一人がやれなくては

いけないし

それを上手に引き継がねばならない

というコミュニケーション力も

不可欠なのだ。


…あ、かなり言いたかったことから

脱線したわ(汗)


ホワイトボードに

思い付くことを

とにかく

書き出すことから

様々な観点で

物事を確認することが出来た。


それは

レッスンとしてだけでなく

自分の今を知ること

これからを

予測していくとか


白いところ

(ボードであったり紙であったり)に

書き出すって

それに効果的なんだなぁと

思った。


面白いので

もっともっと

活用しよう!と思ったわけで。





だいたい

帰る前に先生との自撮るわたし。


『感じる書』アーティスト 石川呼穹














点って文字


着けたくない
拭いたい
汚点だったり

稼ぎたい挙げたいカウントされる
得点だったり

外で優雅にお茶を愉しむ
野点だったり

絵や彫刻などの
完成直前に目を入れる
点睛だったり



熟語にしたら

それぞれが

かなり違う意味合いで

あらためて漢字って

面白いね。




今日の一文字。

ポイント。
存在を意識する。

場所に依っては
小さいくせに

ものすごく目立つのが「点」。

書でいうと
書いたものに
飛んだ墨が
これは汚れだと認められると
ボツだ。

また書く上で
点の位置ひとつで
文字の表情が変わるし
作品に捺す
印という朱い点も
常に同じ所になんて
センスの欠片もなく

外せば致死。
決まれば生きる。

心しておこう。

どんなときも

その小さな点が
全てを
決めるときがあるということを。

9月9日
「点」


『感じる書』アーティスト 石川呼穹



最近

身体の衰えを

気になりだしてます。


ネタが

そんなことばかりで(苦笑)




わたしは

ありがたいのことに

子供のころから


“虚弱”


とは縁遠く

父親讓りの

丈夫な体質でここまで

育っております(笑)


大きな怪我も

病気もなく

ちなみに入院なども

ものごころ付いた頃からは

ありません。


ついでに

お産の経験もないのですが。




なので

体調が悪いを

感じるときは

既に風邪などを引いたりした

ハッキリと

病と認められる

そんな状態でしか

ないです。


と、いうか

発熱したり

しんどくて寝込む

というようなことが

あまりないんです。


が、しかし


今朝は

かなり疲れてるなぁって

夏の疲れなのかなぁ?とか

起きてからも

ちょっと辛かったー


病気ではない。

ぜーんぜん動けるし

こんなのは


ぜーんぜん

大丈夫大丈夫…


て、思うんです。

もちろん

仕事にも遅れないよう

向かいましたよ。


ずぅーっと

こんなわたしだからこその

疲れって

ちびちびと蓄積されたもので


「結構、疲れてる」って

思ってあげないことには


身体は

「あー、やっぱり…

まだ悲鳴はあげられないんだ」


ってますます溜めまくるんだなぁと

今朝

車窓から空を眺め

そして

手のひらのツボを

圧しながら思ったことなのでした。

それは無意識のうちの

我慢。




我慢が

普通になっていたら


それに気づいてあげないことにはね。







今日の一文字。

わたしは丈夫だ。

そうかも知れないけど
そうじゃない時もある。

病の形で出てはじめて
しんどいなぁではないよね。

そうじゃないと思っていても
図星かも知れない。

自分が思っているよりも
がんばり屋さんなんだね。
身体は。

入道さんたちはいなくなった
もうすっかり
空は秋模様。

9月6日
「雲」



『感じる書』アーティスト 石川呼穹




遠くを見ることの大切さ。



突然ですが

眼、労ってます?





昨日 オツトメ仕事が

お休みでして

パソコンを立ち上げるのが

面倒で
(古くて重くて立ち上げに時間が掛かる)

スマホばっかり

見ていたんです(苦笑)



で、

おおよそ進んで来ているであろう

“老眼”と言われるものなのか?

途中からすごく見辛いわ(涙)

…と、思っていたら

ただそれだけではなかった模様。


あまりにも身なりに構わぬ休日ぶりに

ただ近くのスーパーに

ビールを買いにいくのにも

ここで一旦シャワーを浴びて

スッキリサッパリしてから!と

その後車に乗り

出掛けた訳なのです。



が、

身体はサッパリしたものの

運転し出して気付く…


前がボヤけて見にくいよーーーー!

と。


ええ、ええ

眼精疲労ですな。


ちなみにオツトメ仕事先でも

パソコンを見てばっかり。


近くばかり見てる。



最近

遠くを見ることを忘れてるね(-_-;)


小学生の頃

授業の休み時間のなかの

1日1回

『遠方凝視』
(えんぽうぎょうし)

っていう時間がありました。


全校生徒が放送の

合図と共に

一斉に

その場から

外を眺められるところに就いて

遠くの山や緑などを視る

何分間が設けられていたのです。


全校生徒参加だから

その時間だけは

みーんな外を見ていたんです。



うん十年前の昔の

その頃に比べて

さらに

ゲームとかパソコンとか

大型化したTVや

スマホ画面なんかで
(あ、勉強もね)

近くばっかり見てるよねー

近年の子供たち。


それでね

危険だわーって思いながらも

気を付けながら運転し

スーパーに着いて

売り場見てても

まだ視界は結構

ボーッとしてたわ。


遠くを見ることの大切さ

に気が付いた昨夜でした。



遠いところ

意識して見ようっと。




まだ今でも

我が母校では

やってるのかしら?

『遠方凝視』。





今日の一文字。

遠くを見つめる。

と、言うか
離れて見てみる。
の、方がしっくりかなぁ…

近すぎて
見えないものが
明らかになる。
かもしれない。

そして
近くばかり見ていると
疲れます。

何にしろ
距離感は大事。

9月4日
「遠」



『感じる書』アーティスト 石川呼穹