3年前のわたし。
この時は
外で働いてなかったので
地元地域で
(希望された)ご老人のお宅に
手作りのお弁当を届ける
ボランティアをしました。
買い出しから調理の係と
あと、車で配達する係の
両方とも担当しました。
わたしの母くらいの方々の中に
わたしは入って
切ったり剥いたり煮たり焼いたり
約70食ほどを買い出しに始まる
全て1から手作業のお弁当調理担当。
スーパー主婦ばかりで
料理経験も至らないわたしでしたが
半年間の短い間だったけれども
何とかやってました。
キッカケは
なかなかバイトも
見つからないわたしに
ボランティアとかでもいいから
やってみたら?と
友達から
言われたから。
そう、言われたから。
なのです。
たぶん
半ばムキになっていたのかも。
探して始めたのは自主的でも
なんだか無理矢理自分を
奮起させていた
気がします。
わたしにできる
人が喜ぶようなことって
何だろう?
って、まあ本当に
おこがましい話です。
調理は時間との闘いで
大きな鍋を抱えたりして
大変で重労働でした。
気を遣うことも多くて
今思うと
気持ちの面で
すごく疲れてました。
配達の方が断然
わたしには楽しかった。
届け先の方々の
喜ばれる姿をダイレクトに
見ることができたから。
でもそのお弁当を
作っている人は
他に居て
別の日でありながら
わたしもメンバーだったり…
システムの
トータルを知って
お手伝いをしていたわけで。
当時
ある意味、悶々と鬱々と
していたわたしが
劇的に何かを得ることはなかったとは言え
誰にもわからない
当時の
自身の気持ちに触れるために
そこに身を置いたんだなあって。
偶然、コミュニティセンターで
目にして連絡し
他人に言われたからとは言え
焦りもあったりしながらも
すぐにわたしは
行動に移したんだなぁって。
それ以後の生活の変化が
わたしなりに
激動だった。
でも
そこにはこの時のわたしも
必要だった。
この写真をFacebookで見て
今のわたしに
必要だったプロセスの一部で
今のわたしに繋がっていたことと
思い返していました。
“偶然は必然”
わたしの座右の銘的に
している言葉。
そして
この半年間も
ムダではなかったと
過去のことなりに
そう思える今日この頃です。
感じる書アーティスト 石川呼穹