シガー・カタログ<トリニダッド・ロミオ&ジュリエッタ・ダビドフ・コイーバなどの一般ブランド>   -9ページ目

COHIBA(コイーバ)

1968年創業のコイーバは、ハバナ・シガーの歴史の中では比較的新しいブランドである。にも関わらず、コイーバを取り巻く神話がこれほど多く存在することは驚きだ。例えば、「コイーバ」という名前そのものについて。「コイーバ」ハ原住民であるタイーノ・インディアンの間で、タバコを意味する言葉だったとかつて言われていた。だが現在では、シガーを意味する言葉だったという考えが一般的だ。また、その誕生にチェ・ゲバラが関わっていたというもの。エル・ラギート工場の社長室にはチェ・ゲバラの肖像画がかけられているかもしれないが、ゲバラはコイーバが誕生する前の1965年に産業大臣の職を辞し、同年10月には死亡していることから、彼がコイーバと何らかの関わりを持っていたとしても、それはほんのわずかな間のことだっただろう。最後に、コイーバはすべてエル・ラギートで作られているという伝説!これも過去20年以上にわたって事実だったが、今は違っている。


コイーバの起源に関する真実は、1994年6月から2004年までエル・ラギートの最高責任者を務めたエミリア・タマヨが語っている。すべては1960年代半ばに始まったと証言している。当日、フィデル・カストロのボディーガードの一人が、地元の職人に作らせたシガーを個人的に楽しんでいた。カストロがこのシガーを大変気に入ったことから、それを作ったエデュアルド・リベラいう人物は、カストレ専用にオリジナル・ブレンドのシガーを作るよう依頼された。そしてこの作業は、厳重な警備ののもと、ハバナ郊外のエル・ラギートにあったイタリア様式の大邸宅で行われることになった。


当初、このブランドには名前がなかったが、1968年にコイーバという名称がつけられ、カストロが個人的に気に入っていた3つのサイズ(ランセロ、コロナス・エスペシャル、バナテラ)の生産が開始された。3種類はいずれもそれまでにないサイズだったため、新たにラギートNo.1、   No.2、No.3というファクトリー・ネームがつけられた。


14年の間、この3種類のコイーバは、政府のトップが外交目的などに使用する以外は門外不出とされていた。しかし、1969年に自身のブランドを認可されたダビドフが、まず異なるブレンドを使ったコイーバと同じサイズのシガーをNo.1、No.2及びアンバサドリスとして発売した。続いて1970年代初期にはモンテクリストが、エスペシャル、エスペシャルNo.2及びジョイータと名付けた同様のサイズを発表した。


この時期を含め、26年間にわたってコイーバを統括したのは、1968年にリベラの後継者となったアベリーノ・ララだった。ララは、全員がトップクラスのシガー・ローラーだった4人兄弟の長男で、彼が定めた3つの原則が、コイーバを高級ブランドに、そして世界最高のシガーの地位に押し上げることになった。


第一に、ララは「選りすぐり中の選りすぐり」を要求する。ブエルタ・アバホで十指に入る畑からとれたタバコが彼の下に集められる。毎年、彼はラッパー、バインダー、リヘロ、セコ、ボラード用にそれぞれ最も優れた5種類の葉を自ら選ぶ。第二に、特別な三次発酵を行う。コイーバ独自の特徴であるこの工程は、リヘロとセコだけに適用される。水分を加えながら弛むの中で発酵させることにより、これらの葉からは、最後の一滴まで渋味が取り除かれる。エル・ラギート工場では、それはすべて女性だ。


1982年までにこの伝説的シガーの噂が広まると、これをスペイン国王や各国の国家元首ら以外にも提供しようという決定が下された。7年後、さらにエスプレンディード(チャーチル)、ロブスト、エクスクイジートの3つのサイズが登場した。長さ5インチ、リングゲージ36のエクスクイジートは、やはりそれまでにないサイズだった。この3つの中で、今もエル・ラギートで生産されているのはエクスクイジートだけで、残りの2つはH・アップマンとパルタガスで生産されている。


コロンブスがキューバでシガーを発見してから500年経ったのを記念して、リネア1492と呼ばれる5つのサイズが新たに登場した。これに伴い、6つの旧サイズはリネア・クラシカと呼ばれることになった。この後、ロンドンのクラリッジ・ホテルで開かれた豪華な晩餐会でお披露目された。コロンブスによる発見から5世紀が経ったことを記念してシグロ(世紀の意味)Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴと名付けられたこれらのシガーは、今はもうキューバで生産されていないダビドフのシガーに、偶然とは思えないほどよく似ている。パルタガスで作られた5種類の新シリーズは、リネア・クラシカに比べて軽い味わいと言われる。リネア・クラシカは、特に大型のサイズでは類い稀な深い味わいが自慢である。


アメリカの一部のシガー・ショップでは、ドミニカ共和国産のコイーバが売られていることがある。これらは上述のシガーとは別物で、1980年代初期にコイーバという商標をアメリカで登録したジェネラル・シガーによるものだ。アメリカとキューバの間で貿易禁止措置撤廃の兆しがようやく見え始めたとき、コイーバをはじめとするあらゆるハバナ・ブランドがアメリカのシガー・ショップの棚にあふれかえると多くの人が信じたが、そうはならなたった。かわりに、商標をめぐる世界で最も複雑な争議が開始され、弁護士だけが高笑いすることになった。

夕べの酒~黒い月にて~



ポール・ジロー家は、最良のブランデー用ブドウ生産地『グランド・シャンパーニュ地区』の中心
ヴートヴィユ村でブドウ栽培業を営んできた名門です。
第二次世界大戦後に蒸留も手がけるようになり、1970年代には28ヘクタールの自家畑で、
栽培・蒸留・熟成までの工程を行うことが出来るようになり、自家の名前をラベルに記したコニャ
ックの販売が始まりました。
同家のセラーがある場所は湿度が高く、それが厳守に柔らかみを与えるとも言われています。非常
に華やかで女性的な個性をもったコニャックを輩出しており、知る人ぞ知る通のブランデーです。
カラメル添加をしないのになぜこのような色になるのか?理由は、熟成の際に新樽と古樽の
原酒を別々に熟成させ、瓶詰め前にブレンドしているからだそうです。
個人的には「ノブレス」が飲みたかったが・・・・・

偉人達の物語~森善朗~

 は?と思われた方もおられるだろうが、この方が偉人であるかどうか、或いは偉人であったかどうかはこれからの歴史が判断することであり、少なくとも弟85代、86代内閣総理大臣を務め上げた方に他ならない。当時から数々のエピソードを残してきたが、シガーにまつわるエピソードをひとつ!


 当時、森さんはある外国の要人からスーツケース一個分程の大量の高級シガーをいただいたそうです。うれしがり屋の森さんのことです。きっとこれ見よがしにその高級シガーを吸っておられたことでしょう。その紫煙の誘惑にのせられ、近づいてきた一人の議員がいました。麻生太郎氏(現外務大臣)です。麻生氏は森さんに向かって、「俺にもその高級シガーを一本吸わせてくれ!」と頼んだそうですが、森さんは「ダメ!総理大臣でなきゃ吸えない代物だから、君が総理大臣になったら吸わせてやる!」と一蹴したそうです。そんな事では引かない麻生氏は「だったら、必ず総理大臣になるから今吸わせてくれ!」とつめよったらしいのですが、結局森さんは吸わせてあげなかったそうです。


当時、一政治家であった麻生氏のモチベーションを駆り立てた森さんのブランディングテクニックも然ることながら、麻生氏を魅了したシガーの煙の香りはいったいどんなものだったのでしょうか・・・・・・・