【1日】

・ベッドの前で 転倒したまま起きれず一夜を明かし ようやくベッドに移ると ホッとしてぐっすり眠てしまった 神か仏でも見るような目で見られること まずは自力での食と排斥方法の確保 今宵より二日間は泊まり /どこに行くでもなく切符だけ買って帰ってくる男 今や機会の失われた かつての日常の行為 仕草が 残っている 意味もなく反復される そこに人の経験の蓄積が透けて見え その反復を認めることが人権でもあるのだろうか

 

 かつて自らのプライベートすらあけすけに開け放ち 可能なかぎり様々な場に出向き 円環を拡張しながら 僅かでも引っ掛かれば なかば強引にでも巻き込み 取り込んもうとする その暴力性と共にしか生きては来れなかった 孤独の哀しさと 優しさへの希求 /彼にとって信頼とは そのまま生存に関わる

 すべてを曝け出し 明け渡せるかどうか 信頼できずとも預けねばならない そこにどのように応えてくれるか 様々なものが見える /とはいえ今や 安定した円環が崩れぬよう なるべく波風立てず外にも出向かない 想像力も閉じ 行動は奪われている 権利を奪われる まさに生かされる暴力

 呼吸場をつくるため 外部に開くためにどうするか どのように関与できるか インタヴュー・シリーズと それに伴う身体と呼吸のレッスン /生存の舞踏へと誘うこと 固有のあなたを匿名のあなたへ(ただ 名もなき いのちの姿へ) 匿名のあなたを固有のあなたへ(いのちの紛れもない唯一性へ) エロス的身体

 

からみあい

 

【2日】

 エレガントに 反時代的に 苛立だんばかりに挑発的かつ退廃的に 溢れんばかりのエロスと共にあれ 下駄が割れたので まずは新調せよ

 

 足から 腰から 呼吸と共にすべて突き抜けてゆく 吹き上がってゆく 流れだしてゆく 飛沫とともに こうでしかありえないという流れを掴むこと /安定と不安定 均衡と不均衡を 自在に操ること 生きていること自体 そもそも不安定かつ不均衡なのだ それを偶然性と有限性と共に逆手に取ること

 

【3日】

・めしを食いすぎると 何もする気が起きなくなる その分 否が応でも激しく動く用でもなければ 一日が台無しになる /ロックンロールの制服は革ジャンかモッズスーツ /恋人はロックンロールの様式美は好きだが 音楽は嫌いと言った

 

【4日】

・なにもしない ということは なんてエレガントなんだろう /冷蔵庫から ロックンロールみたいな音がする かっこいい /ある時期のマイルスはロック ウェインもチックもトニーも攻めまくってて超ロック 楽曲の連なりの中で ある圧倒的な世界像を描き出そうとしている 混沌と統制

 

 昔の人と会う 何時間も過ごすうち 脳の回路がグニャリと変化する ある種のトランス状態に近い 帰りの電車で回路を現在のデフォルトに戻す 夕暮れの海よ 谷里の町よサラバ /山間の集落を幾つも抜ける 変性意識 ゆるゆる というより ざわざわとした 整えるためバッハを注入す のち小林ハルさん /妊婦になって 拡散した意識を凝縮させることとなった話を聞く /それにしても受付してた空色ドレスの女性があまりに美しく失神しそうだった 今でも彼女の顔が目の前をチラついてる 彼女は奇跡だ

 都市の中の野生を探すこと 日常のレイヤーを増やすこと 妊婦の強さは 利他の強さ 母より発されるエネルギーの強さ 閉じた単位でやりくりしようとせず 様々な場に逃げ場をつくること 知る機会に自ら出向き 単位/領土を増やすこと 様々な生き方の選択肢を広げておくこと

 

【6日】

 盆栽は 人の予測による調整と それを逸脱しようとする植物の力との いわばサイボーグのような存在とも言えるかもしれぬ 人が統制しているわけでは決してなく むしろ人は驚異的な自然を呼び込む手伝いをしている 長いスパンで付き合う必要があるのはもちろん 世代を跨ぎ 何百年と成長しつづける

 

 雄の出自はエラーだが エラーを戦略的に取り込むのは面白い 戦略的に性転換すること 処女懐胎システムのポテンシャルを持つこと 社会形態を変容させること いい加減さ 曖昧さこそ光

 

 言葉で関係を結ぶのが困難なところで 歌(メロディー)だとスーッと浸透してゆくのは ほんとすごいと思う 知的障害の人とかと接しててもそう思う 意味の一方通行な交通ではないんだないんだ 場の質を共有するってことなんだ

 

【8日】

 イメージせよ 手繰り寄せよ 偶然と有限性を味方につけて 予期しなかった形へと変容せよ 曖昧なままに転がりつづけよ ヴィジョンは力 欲望の強度こそ力 放蕩の限りを尽くせ (〈生〉へのスタンスについて Nへ)

 

 あの頃は どこまでもつづく大地のど真ん中で 神話を生きようとしていた そのためにも言葉と映像は大きな役割を果たしていた (言うまでもなく身体がゆるい媒介者として間にあって) 見慣れたものを還してゆくこと 見慣れた場所で迷子になる才能 /一日中の雨で倫敦のような空気 ファベーラの丘から左に視線を移してゆくと 那智大瀧の谷間よりとぐろを巻いて白龍が昇ってゆく 濡れた稲掛け群の隣で 集合団地の屋上では殺し屋が見え その脇を長い列車が貫いていった 小蜘蛛が引っ掛かった子虫たちを一匹づつ丁寧に平らげている

 折口の田遊び/田楽の話 移動型でいかがわしく芸能化する後者 個と社会を連続させるメディアとしての演劇と宗教以前のイニシエーション或いはサイコロジー シャマニズム-演劇-ファシズムの近さ ワグネルからヒップホップへ (サイコロジーの脱自己啓発/脱ビジネス戦略化) 毒をもって毒を制すこと

 幻と戯れる ゆるゆるに解体してゆく認知症者やホームレス 社会的身体から解体されてゆく 別の歓待への誘い /散文から韻文 あの世の言語 翻訳において母語の構造を組み変えること 移民の語りでしか浮かび上がらない歴史

 

【9日】

 仏に逢っては仏を殺し 親に逢っては親を殺せ 詩人は言葉を窒息させ ダンサーは存在を窒息させよ これは脱近代とは関係ない

 どのような身体を救わねばならぬのか (この身体は紛れもなく「私たち」の身体だ、という声を聞いたことがあった…) 死者たちの 死人称の言葉で話す 悦びは分子状に解体せよ 幻想も現実も分解し 非情な煌めくモノたちの親密圏へ あらゆるものが変容する身体である とはいえ その手前より始まる

 (幼年期断片) あらゆる感覚器を還元させ 生まれてしまった地平にあって 生まれていない地平 生まれていたかもしれない地平との 三重性を生きること それを身体で問うこと 中間地帯であり「器官なき身体」とも無関係にはなりえない

 故郷を葬り去るために旅をした この眼は私だけの眼ではなくなくなっていた あらゆる場所が故郷であり あらゆるモノたちが祖先だった

 悦びよりも先に まっとうに苛立つこと 哀しむこと

 

【11日】

・沈丁花の花は一斉に落ちて 木の下にオレンジの絨毯 生温い芳香の香る空気 /川は一面白濁して荒れていた 川の向こうの山頂は雲に隠れ 下は山並みがクッキリと見える /日曜は反復音楽の高層マンション

 

 きみを幻へと還してゆくことに決めた (さもないと わたしが砕ける) /エアーバック 救出すること もちろんレディオヘッドだ /いつかあるひとに語った (あなたはいつも目の前の人を幻を見ているように見て かつそこにいない人といつも一緒にいる気がする)

 

 自分は何色か? 太陽みたいに燃えるような赤でありたい と彼女は云った ワケありの林檎でもいい 燃えていたい と 闇の縁に疼く 毒虫の叫びとつながるものがあった と云えば失礼だろうか しかしそれは紛れもない いのちの叫びだった 歓喜も悲痛も引き裂く産声そのものだった バタイユの笑いだった

 

 大群衆の中で声を上げても 大勢に紛れて太鼓を鳴らしても 一目置かれた 歳とともに色濃くなってゆく アマチュアであり 飄々と身軽でありつづけながらも いざ闘うときには一級の 知恵と覚悟とともに /思えば 「職人」の道を選ばなかった そこに居つかない 居つけないのだ それを生業とすることへの違和感 先につながる何かが見えなかった 定住できないこととも繋がる気がする /もうひとつ 芸で身を立てることの現実味のなさ あくまでもそれは並行のものと感じているのかもしれない

 

【12日】

(狂気にしか興味無) (いつも そこに内在する狂気を探してる) と 彼は 語った /低い青空を ふぞろいに鳥の群れが飛んでった /都市の狩猟民としてのホームレス

 時に あくまでも「人間」ということに踏みとどまる人のひたむきさに打たれることもある 

 

 誰に対するレクイエムか 死んでった者たち やがて死んでゆく者たち (自らや まだ生まれてくる以前の者をも含めた) 生まれてくることのできなかった者たちへの /この最後の ありえたかもしれない いのちの 姿の可能性 というものが 今朝唐突に より現実味のある切実なものとして聞こえてきた 水子さん

 (あぁ あの子が生きていたならば) 

 

 目では見れないから 呼吸を聴いていました と云われた (Nさん) Yさんは録音をして 仕事中に聴いていたという ありがたい 狂ってる そしてもう一つ 音楽家から視覚を奪い 舞踊家から脚を奪った時のこと 私たちは呼吸で繋がっていった

 

 植木を大幅にカットした一週間前 久々に見ると これまで以上に無尽蔵に 至るところから芽吹いており驚かされる 法外に 短い距離でどんどんと (狂気と強度の違いが分からない) おそらくシステム(戦略)を微妙に変えている そして成長期にはアブラムシもどんどん増殖する そうやってバランスができている

 

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【6日】

バケツをひっくり返したような… という形容は 成り立たない 夥しい龍たちの巨体が 一挙に落下してくる「ような」 唐突の豪雨 曇天の向こう側に 夢見るような 青空の裂け目 祓いたまえ この荒れ狂う泥水の上を 白い鳥が一羽並行してゆく 祓いたまえ 荒れ狂う緑は黙し沈み耐へる 秘めよ 力よ

 

大陸からの便り 欧州ツアー中止になって 再び小さいところから こちらも小さなこの身から 届け あの冬の夜へ ヘトヘトの体で帰った異国の オレンジの街頭に照らされた路上でキスする中年のカップルを忘れるな

 

【7日】

ウーパールーパーの器官なき身体 役割分担された細胞が欠落すると 未分化な細胞によって再生する 癌細胞は無個性な未分化な状態に戻り増殖する

赤蜻蛉 紫の花 不穏な風

 

【8日】

洗面台の前で 歯磨きと洗顔ができてスッキリした 念願だった ありがとう が 響いた

 

五年やっていればおどろかれる

思えばもう十年にもなることもある

やりたいことには あと二十年 三十年はかかると思った方がいい

逆算して 一日一日を 最後の一日として生きる

 

【10日】

はやく旅に出たいなぁ 南〜中央アジア辺りを一ヶ月くらい

とにかく人に会いに行きたい 停滞しているのはそこな気がする

まだ抽象的にしか思考していない きちんと目に見える形に具現化 表出させてゆくこと 後者にこそ探究として時間をかけること

 

モノを作る快楽 そのためだけに身を捧ぐこと

そのために 日々の一瞬一瞬を注ぐこと

脇目もふらず盲目的に邁進すること

立ちつづけること

もっともっと上手になりたい

妥協することなく もっともっと深いところに行きたい

己の情熱を試すこと どこまでも深めよ

「島から島へ 歌うときは覚悟して 祈るときは命を賭けて 行くよ行くよ 私は行くよ」(姜信子さん)

 

【11日】

抑えに抑えたファンク

絶えず生成変容しようとする 未だ形態をもたない身体の底のファンクネスを乗りこなしてゆくこと

 

【12日】

やるからには 一流の場所で勝負できなきゃダメだ 途中で降りるなんざ もってのほか

月命日 死を組み込むこと

エロスは根源です

 

【13日】

夢魔 夢には そこにハマったら帰ってこられないような 魅惑がなければ 物語に憑依される夢 アイドルコンサートを見にゆく夢

 

自らの才能をして遊び尽くすこと やがてそのヴァイブスは おのずと周囲へ伝播してゆくだろう やるべきことはただそれだけ シンプルなことだ

「あなた水みたいよねぇ。するするっとその場に溶け込んでしまう」 だが 鏡とも云ってみたい気がする

 

視点ではなく視座を増やしてゆくこと

身体と その外のカラダとを 如何にアンサンブルさせてゆくか 裡の探究を 外部に伝播させること 外部に対する感受性をゆるゆるにしながら

解像度の切替/記憶の層〜動植鉱物…/微分的な単位でのマイナーな力の群れとして

 

【14日】

灼けた葉を枯らし 切断し 新たな芽つけ再生する 身をつける まだまだ蕾は実っている(トマト)

 

生活の中で 火と 煙と交流する時間を 渇望する 遠方の山に触れる

盲人の目で見た世界 滝の中で踊る記憶 真夜中に部屋の隅に立ち 声をかけるとスッと消える黒い人影 ふらつきながらストリップを見にゆく老人

 

夏が終わる前に 夜道をアイス食べながら歩いたり 公園のブランコで休憩するような デートがしたい

 

【15日】

絵を描く というのは 釣りをするのと同じくらい 私にとっては覚悟のいることだ 絶対に抜け出せなくなる

 

ダンス それは比喩ではなく、また比喩でなくもない

身体で法を打ち立てること 霊性についていかに扱えるか なぜ「もう聖地へは行かない」と書いたのか

 

【16日】

遠くから雨音が近づいてくる

このご時世に 場違いなくらい 不謹慎なくらい ファッショナブルであること

 

この国の様々な意味での貧しさを暴き出すこと

アジアの一国としての匂いを取り戻し痙攣させよ

そもそもこの列島にとどまる理由なんてどこにもないのだ

自らを外部へ晒せ 追放せよ

母語を葬り 奪い返せ

 

今 黒澤明の現代劇を見ることの意味を考える 誰もが戦後の切迫した空気の連続性において生きている 悪人には悪人たる根拠があり 善人の愚直さは根性と同義だ さてこの寒々しい 浅ましい 荒寥とし 極限まで疲弊した現代社会 悪人にもなれず野垂れ死ぬ者もいる 問題を直視し まっとうに抗うこと

 

【18日】

久々に空いた時間で 鬱蒼とした緑の池の写真を撮ったり

背丈より高く生い茂る草薮を分け入る道なき道の奥に広がる川原で遊んだ 赤蜻蛉が目の前を滞空する 小魚を採ったり 光や足跡の写真を撮ったり 足を浸したり "始めた頃"を思い出す 思考するため 着替えとともに通いたい

喰い喰われる者として如何に在るか 自然との距離 人工空間との距離 人新世を越えて堆肥体へ 内臓と外臓について 肉体でなく身体で考えること 野良人たること

 

人間であることへの居心地の悪さから始まっていたのだろう 自然の理から切断されたものとしてあろうとする人間社会への違和感

身体と向き合うこと 言葉と向き合うことは 自然回帰志向では毛頭なく 人間の存在のあり方にまったく新しいアレンジメントを切り拓くための探究でもある

 

【19日】

彼女(A)は朝方亡くなった 焼こうとすると それを聞きつけた多くの人が訪れはじめ(子供たち) 夜中には病院の先生まで 共に泣いた 穏やかな表情 緊張はなくまだ柔らかく艶があった 最期まで知性を保ち(排泄は外で) 水も飲み 最後はハーゲンダッツ この一日に救われた 居なくなっても私たちは歩むだろう

 

【20日】

涼しさが懐かしい 肌寒くとも一枚羽織り窓を開け空気を循環させる 湿気とともに立ち昇る香り フライング・リザーズの情報量が馴染む

 

外から眺めるのではなく その内側に足を踏み入れ 入り込み その内部からものを見ること

あるいは目を変えてゆくこと 目で触れ その質的世界そのものをこの身で体感すること 自らの身体を観察することで 対象となってゆくこと

それは擬人化ではない 人間の言語的な想像力を放棄し カラッポになり ただ質量の差異の世界に入ってゆくこと 言語は分子状に解体される (暑いも 冷たいも 痛いもない 脱人間的な 愛なき 豊穣な世界) 対象から憑依される とすら云いたくない どちらが主体でもない あらゆるものは中間でありつづける

 

見ることも 聴くことも 呼吸することも 話すことも 歩くことも 自明ではない もっと云えば 喰うことも むろん喰われ「ない」ことも 生きていることも自明ではない

 

『ルーへ』

この前は 愛の話から共生の話に移った 「共に生きる」と云うよりも 「共に在る」と云った方がいい 無生物も含め 死生に関わらず考える必要があるからだ モノの次元 石化を越えて 金属の次元まで

 

【21日】

家の前にいた瀕死の黄金虫を草薮に放る 電車の中の 空色のワンピースに青いスニーカー 黄色いスマホの女の子 戦時下の成瀬映画を2本 ラカンの「人間腐葉土」概念

 

堆肥を観察していた日々のことを思い出す 土に 風に 飛び交う昆虫や鳥に 草木や竹藪に 身体を見ていた 身体を観察していた

 

【22日】

早朝の河原 水浴びする雀たち 蜻蛉の群れ 交尾しながらリズミカルに尾で水面にタッチする 花に舞う揚羽 漂う芳香は遠い金木犀

早朝より一人黙々と塵拾う人あり 川の中央に直立し釣り糸を垂らす人一本 先日まで留まっていた蛾は臨終しており 人工の地から蜘蛛の巣へ移す 風に乗って降りてくる蝶

河原でBBQをする若者たちや家族 レジで飲み物だけ手にした女の子を 先にどうぞと促した 河原で遊ぶ異国の女の子たちに恋してしまう 足裏にコンクリート もっと触覚を研ぎ澄ませて激しく思考しよう 「ほう」とする時間を持とう 山の方に雨雲があり 湿気を含んだ風が渡ってくる 家に帰ろう

 

いかにこの身体が制作し/巻き込み また制作され/巻き込まれたか わたしは巻き込まれることを望んだ 喰い/喰われることを望んだ 身体はたしかに変わった 年に何度か野宿せずには 不調になるようにもなった 欲望の質が変化した それが免疫や野性の力と関わるものなのかは分からない

 

【24日】

ダンスの配信観てたのだけど 粗めの画質で ときにブレたりするくらいの方が ドキュメンタリー感が出て生々しいな 目撃してる感がある

それにしても みんな孤独なんだよな 何にせよリアクションあるのは嬉しいし 声かけてもらえるのは救われる 黙殺されるのがもっともつらい

私が見たいのは ダンスなんかじゃなくて 存在のキワに屹立する非人間的な実存

 

映画における「寂しさ」の系譜を描いてみたい むしろ古典を充実させて 寂しさの過剰は間違いなく暴力として発露するだろう

 

【26日】

侵し侵される地平としての植物の世界 その野蛮さこそ共生

 

【27日】

樹氷のよろめき あぁ よろめき よろついて壁に手をつき フッと一人笑う老婆

 

生きるために殺す/喰う

生きるために飼う/誘惑する/喰わせる

生かすために殺す/喰わせる

では津波に呑み込まれたテメェの愛する犬コロの 親の 子のいのちの不条理を そうして肯定できるか?と問う テメェの首筋にはいつもナイフを そこで思考しろ

 

日々 アブラムシ殺害者として生きる

 

結婚してみて思うのは 結婚ってほんとにグロテスクな制度だな ということ 対幻想ではなく共同幻想において 性関係を そして他者を所有し/される関係を公然のものとすること ほんとうに下らない

 

トーキング・ヘッズやカエターノ・ヴェローゾみたいな舞台には惹かれる それはフェリーニっぽくもある つまり舞台を意識的に虚構空間=夢幻の空間として構築し 生きる ひるがえって我々の生の虚実皮膜性をも震わせる デヴィッド・バーンイアン・カーティスの痙攣を思い出した と言われる

 

【28日】

自殺者だの何だのが多いけど なんか違和感あるんだよな なんでそうなるんだろ

この社会は狂ってると 青年期には既に認識してたけど 特にここ数年それはどんどん加速 拡大 浸透していると確信してる

まずそのことを自覚すること そしてその中を 逃走なり闘争なり サヴァイヴする方法を持つこと

社会に決して憑依されるな 大衆の「空気」はしょせんハリボテだ そんなものに動かされぬ不動の空気を持つこと 鉱物や植物の不動の空気こそ真である

「虚実皮膜」を現実のハリボテ性として捉えるのではなく モノの実在性として捉えること その虚しさは実存的なものではなく実在的なものだ

実存的虚しさにも 実在的虚しさにも 救いはないが (実存主義者のロマン主義的ヒュマニズムを切断せよ) 後者には同時に無機質で非人間的な煌めきが重なり合っている カラッカラに乾きつつキラッキラに輝いている

 

黒澤も成瀬も溝口も それぞれがそれぞれにしか撮れない「どん底」を撮った 戦中世代が描くのは「どん底」だったが 戦後世代が描くのはもっと乾いた地平だった それらから学ぶところも少なくはないだろうが 現代はゾッとするほど不透明 かつ窒息しそうな命が剥き出しで露呈している

 

書物に埋もれた巨大な円空仏が遠い山並みの裏からゆっくり顕れるサンライズのようにこちらを覗いている あぁ 図らずもそれは日の出の方角にあり アイヌの刺繍と 銀鏡の御幣の下にある

 

盆栽の剪定は 将棋にも 剣術にも似ている

 

【29日】

見るたびに 迫って見える 目が慣れてくるからか 光量が変わるからか 永遠に近づき続けながらも 届くことはない

 

住宅地が自然へと ゆるく ほどけてゆく姿 (ひび割れ 色あせ 黒ずむ壁 コンクリートを突き破る雑草) 床に地層のように積み重なってゆく 皮膚の垢や髪の毛 それらを都度 修正して生きる人 空白でなく繁殖の茂みとしての空き地 「個体の輪郭が滲みだし 溶けだしていく広がりとしての空間」

今にして思へば 首くくり栲象氏の 鬱蒼とした庭の自然と相互浸透した家屋(冬でも開け放たれ 真夏には炬燵の縁で蝉がゆっくりと羽化したこともあったという)は 人新世における来るべき家の姿だったように思へてならない

 

【30日】

難しいことを分かりやすく簡潔に ということばかり評価されるが ありふれたことの複雑さを 読み手を謎と混乱に誘うようなかたちで簡略化することなく描くことの方が ずっとすぐれているように思う

 

寒さの真夜中の暗闇に灯る光のもとで書物をめくる 響き渡ってくる遠くのバイクの音の懐かしき

 

 

 

・TMさん

「そこの裏に大きい道があるでしょ。あそこは昔、女郎屋がいっぱい並んでたんだって。私が生まれた時にはもうなかったけど、大きな柳が並んでてね。お化けの木とか言って遊んでたんだけど。私が20歳頃には切られちゃった」

「戦後は米軍の車なんかがたくさん止まってたみたいでね。お父さんがちっちゃい時、夜なんか明かりが灯ってきれいだったよ、って言ってた。花魁みたいなきれいなのはいなくて、もっと安いもんだったけど」

 

野球チームの監督をしていたとのこと。

戦中を経験している人の体は丈夫だ。

 

 

・KHさん、肺炎で休み。

 

 

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中間共同体を作ること。私的領域でも公的領域でもなく。

限りなくプライベートに近いところで会話できる場所を作る。

会話に「if」をつけて会話する、議論する。

http://hbh.center/webconference/?p=6

 

【松田】一方でウイルス学からみれば、ヒトはウイルスとの共進化によってここにいるのであって、わたしたちは生命の面からも、DNAという情報の面からも、ウイルスとの共同構築物である。

 

 先ほど藤原さんと藤井さんがお話しくださったことのちょうど中間になるようなゾーンのことを考えてみたいと思います。いまこの瞬間に、地球じゅうの人々が共有している時空、つまり西暦2019年から2020年にCOVID-19と名付けられた「新型」コロナウイルスが一挙に世界に波及したという、最も直近かつ現在進行形の歴史的時空と、ヒトそのものを形成し、ヒトの生命を駆動しきたともいえるウイルスとヒトとの関係という、超歴史的でディープな時空。わたしたちはその両方を自分ごととして同時に考える、という方途から、何か今後の社会への希望は拓けないのでしょうか。
 戦う「相手」がはたしてウイルスそのものなのかどうかも、そのとき明確になるでしょう。ウイルスの極端な活性化は、現代世界システムとの関係においてこそ、きちんと見通すべきです。こうした思考の拡張も、今後の構築様式を考えていくうえで議論のポイントになるのではないかと思います。

 

【平倉】生環境構築史の構想について私はまだ理解しきれていない部分もありますが、「構築4」とは、ヒトが、新しく出会うウイルスをはじめとして必ずしも共存できないものたちとともに、しばしば異種間で混ざり合いながら、この世界の中に棲む場所をどのように構築するか、という話だと捉えています。しかし量としてのヒトが、非ヒトとの調和的な混交にそのまま移行できるわけではない。個々の人間にとって、異種との混ざり合いはつねに破壊的でありうる。今回の状況を見ていると、私たちはまだ「構築3」的な、美しいとはとうてい言い難い方法を用いながら生き延びていかなければならないのかもしれない、と感じました。

 

メルケル

・自分の中の弱さを見つめることで、連帯/共に生きようというつながりが生まれてくる。

 →いのちというものが私たちを本当に平等にしてくれる(身体的な「生命」と、「いのち」というものとの違い…)。

・「(物理的)交わり」ではなく、「(目に見えぬ)つながり」。そのための想像力。

 

クオモ知事

・「ニュー・ノーマル(新しい日常)」を作らねばらなない。

 →焦って元の生活に戻ることは、私たちのいのちを脅かすことだ。もう一度、いのちの優位の元に社会をつくっていこうとすること。

 →経済中心ではなく。また、強さを中心に置くのではなく。

 →弱さに可能性を見て、いのちの中に、ある強い働きを見ようとすること

・「ヴァルネラビリティ(弱さ/傷つきやすさ/脆弱性)」

 →いのちの危機に近い人たち、病や高齢と共に生きている人たち、こういう人たちを守ることが、私たちの社会、いのち全体を守ることになる

 →弱いものを守ろうとするとき、私たちは自らの中にある何か強い力を見出すことができる。それが「愛」である。

 

ローマ教皇

・弱い人、貧しい人を救うのではなく、そこから学ぶこと。

 →彼らの中には、過酷な状況を生き抜く叡智が眠っている。彼らはそれを語る機会、それを語る言葉を持たないので、私たちの方から学びに行かねばならない。

・今私たちは危機に直面しているのではない。この社会にはびこる不正義を正す時。

 

 

アクシエービッチ「孤独な人間の声」

・「今、私が語らねばならないのは、愛なのでしょうか、死なのでしょうか」

 →〈生〉が危機にあることを日々感じ、死を身近に感じている今、愛とは何かを考え直す契機ともなる

 

山崎弁栄「人生の帰趣」

・この一日は、彼方の100年に匹敵する。/時を慈しむこと(己を、相手を、人生を慈しむだけでなく)。/大事なことは、常に本当に短い瞬間に起こる。

・未来に向けて思いをはせたり、多くのこと、大きなことをする、ということよりも、本当に大切なことをすること。

 

ヴェイユ「自由と社会的抑圧」

・現代という時代は、まっすぐ生きる意味を考えていったら混乱に陥ってしまうような時代。

 →今、理解できない力によって立ち止まることを強いられている。また、一人でいることを強いられている。絶望や苦しみや痛みを感じるだけではなく、そういう時にこそ世界をつくり変えていくかにかをつかむことができるかもしれない。

「根を持つこと」

・それぞれが大地と深い関係と持つことが大事。だが、人は日頃、表層的で代替可能で自分にとって関係ないものを求めがちである。

 →今、こういう局面で、本当に大事で必要なものが何か見えやすい時期である。

 

鴨長明「方丈記」

内村鑑三「キリスト信徒の慰め」

 

 

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・日常を非常時化するのではなく、非常時を日常化すること。

・良心(本来、善悪の判断ではなく、共に知る、という意味)という視点を持った人類共同体

自分の心をどこまで伸ばしてゆけるか、ということ

 

Chiaki SomaさんのTweet、以下引用

 

2020/5/4

 ほぼ1ヶ月半ぶりに地下鉄にのって、これからトークを配信する会場に。この、世界と自分の関係が異様な高揚感と緊張感に包まれる感じ。それは子供を産んだ後、はじめて「そと」に出た時の感覚そのものだった。自分がいったんあの世に行って、戻ってきたら世界も変わっていた、みたいな。

 

5/5

 いかに非人間的なものに感覚や言語を開いていくか。妊娠出産という生と死のイニシエーション、病者から見た世界と時間、円環する時間、「うち」と「そと」、免疫の強くなり過ぎた個と共同体、折口信夫のまれびと、井筒俊彦の憑依、スピノザの神即自然、土方巽、アルトーのペスト、仏教における如来蔵思想、などなど、コロナ後の世界でもう一度内側に取り込み自分自身を変異させていくウィルスのような思考が、どんどん自分の中にも流入し、かき回していく感覚。 こういうトークは、今しかできないなと。

 昨日のトークで、病める身体から世界を捉え直す、という話をして。土方巽の「病める舞姫」のように、異物や他者を自分の中に受容しながら変異していく可能性の話。

その後、夜中から今までお腹が痛くて寝込んでいる、、、というシンクロし共振を起こしてしまうほどに、、、

 

5/7

 自分が消失してもいいくらいの快晴。 自己以外、人間以外の声を聴く。 それはすでにそこにあり、私たちが聴いていなかっただけのものかもしれない。動物、植物、鉱物、死者…。 それらを聴くための装置や回路を開き直すこと。 そこに「場」が生まれる。

 

 イニシエーションのような妊娠出産体験を経て、中村さんは「生も死も足りない」と言った。すべてのものに線が引かれ、分離され、管理される中で、それを乗り越えていくために、私たちはどのように感覚を開き、「発生」の現場を想起し、そこから思考し直すことができるのだろうか。

 言葉は論理・意味であると同時に、呪術であり象徴である。他者の言葉を受容する時、私たちは超越的なものを想像・創造する可能性を持つと同時に、ある種の狂気や変調にも陥る危険がある。ではその言葉を、いかに再び他者に開いていくのか。

 ウィルスのように、破壊と進化が表裏一体なものとどう共生していくのか。異物を自分の中に取り込み、通過させ、非人間的な存在に変容する。そういう状態、つまり「憑依」に芸能や宗教や思想の始原はあるのではないか。ウィルスは人間の「発生」の根源的な部分に私たちを誘う。

 

 中村さんのいう「未現像の風景」。そこに映り込んでいるのに、まだ潜在的な可能性でしかない風景たち。記憶や夢のように、そこにあるのに手つかずのままある。風景として立ち上がる対象は、所与のものではなくて、まだ未然のものとして、可能性としてある。それを顕れる形にする繊細な作業。

「うつす」は、感染す、写す、移す、映す。 もともとの意味は「空っぽにする」ということらしい。 その空っぽのところに、出たり入ったり。移り変わっていく。変身。変形。 そこに芸能や演劇の起源もあるのかも知れない、という話。

 現在と過去、聖者と死者、人間と人間以外の生命や物質。 様々に異なる状態のものを呼び寄せ、そこに共存させてしまうのが芸能であり、古代から続く舞台の力でもある。 その力をコロナ禍の現代に読み直し、更新する作業が必要なのだろう。

 

 先日のトークの議論をいろいろ反芻しながら。 感覚的に掴んでいることを言語化したり、またその逆に、言語のエネルギーにあるものを感覚に解放したり。 でも総論からいうととても孤独が深まり、私はやっぱり非人間的なものよりも人間と触れたいし人間と話したい、そういう正直な気持ちにもなっている。

この1〜2ヶ月、自分は何に慣らされ、何を受け入れ、何を諦めたのだろう。 世界中みんなが我慢しているから、という理由で、自分も必死で我慢して。 でもそこではみ出してしまうような、こぼれ落ちてしまうような声や痛みまで、ずっと見て見ぬフリをして。 今、その傷口が化膿し始めている。

 

コロナと「残酷」。

『演劇とその分身』(アルトー)…、演劇が制作する、私たちの現実のその「分身」…、

コロナとその分身…、いや、コロナこそが私たちの分身である。そしてそれこそが「〈生〉の残酷」であり「〈死〉の残酷」である。その残酷さを「夢」と言ってもいい。絶えず生成変化する、欲望とトラウマの反乱する、「夢」の「残酷さ」。

 

 

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K/Mの踊りは、まさに差異と反復だった。「起源」を持たない踊り。

 

『未来の演劇と新しい哲学』

「反復は常に差異 を伴って現れるが、本当はいつも何か同じものが反復されているに違いなく、奇 妙な衣服や仮面を根気よく剥いでいけば裸の本体が見つかるというわけである。 その場合、死の本能が課す悪魔的かつ定言的な反復はすべて、生命なき物質への 回帰という一つの同じ目的=終局( n)に従事していることになる。だが、ドゥ ルーズによれば事態は逆である。実際には、絶えず差異化しながら反復していく 運動、絶えざる脱根拠化としての生成変化の運動があるだけであって、反復され るべき最初の項や究極的な起源とは、差異と反復の戯れ=演技=賭け(jeu)が 後に残す「光学的な結果=効果(e et optique)」たる錯覚に過ぎない。すべてが 本質なき仮象、起源なき変容、素顔なき仮面、原本なき異本、裸の本体なき衣 服、オリジナルなきシミュラークル(simulacre)の連鎖である限り、究極の起源 やオリジナルとは「見せかけられた(être simulé)」ものに過ぎないのだ」(p75)

「死の本能、それは生命なき物 質への回帰ではなく、革命の反復を希求する過剰な欲望の奔流だ。したがって、 そのたび毎に差異を孕んだ反復、それは永久革命としての永遠回帰の運動のこ とに他ならない」 (p77)

 

『ドゥルーズとフィクションの問題』

「奇妙な演劇が純粋な規定から作られるのは、時間と空間を揺り動かし、魂に直接作用し、亡霊を俳優とすることによってである。そしてこうした演劇を指すために、アルトーは、「残酷」という言葉を選んだのである。そうした抽象的な線はあるドラマを、すなわち、しかじかの概念に対応し、同時に概念の種別化と分割とを司るあるドラマを形成する。(ドゥルーズ「無人島」)」(p12)

書物七選

1 野口晴哉『偶感集』

2 古井由吉『仮往生秘伝』

3 黒田喜夫『彼岸と主体』

4 横塚晃一『母よ、殺すな!』

5 『神楽』

6 アルベルト・ジャコメッティ『エクリ』

7 ジョナス・メカス『映画日記』