コメント欄について♪
先日、妹から
「姉ちゃんのブログって、誰でもコメントできるの?」
って聞かれました。
もっちろんですよ~!実はこの質問、複数の友人からもいただいたことがあるのですが、「アメンバー(登録した人のみ)」でなくても、誰でも簡単にコメント残せるんです。もちろん友人や知り合いでなくてもOKです♪
ただ最近、アダルトサイトの勧誘コメントが非常に多くなってきて、その都度削除するのが面倒くさくなってきたので、この度コメントを「承認制」にさせていただきました。
承認制と言っても、いただいたコメントが一時的に私だけに見えるようになっているだけで、いらないコメントが一括削除できるという点で選んだのであり、みなさんのコメントはもちろん大歓迎!ですので、気が向いたら是非利足跡残してみて下さいネ♪
注)尚、小さい子供がいることもあり、お返事に時間がかかる場合があります。通常、2、3日以内を目標としていますが、それ以上かかる場合も・・・。すぐに対応できなくて申し訳ございません。気長に待っていただけたら幸いです♪
「姉ちゃんのブログって、誰でもコメントできるの?」
って聞かれました。
もっちろんですよ~!実はこの質問、複数の友人からもいただいたことがあるのですが、「アメンバー(登録した人のみ)」でなくても、誰でも簡単にコメント残せるんです。もちろん友人や知り合いでなくてもOKです♪
ただ最近、アダルトサイトの勧誘コメントが非常に多くなってきて、その都度削除するのが面倒くさくなってきたので、この度コメントを「承認制」にさせていただきました。
承認制と言っても、いただいたコメントが一時的に私だけに見えるようになっているだけで、いらないコメントが一括削除できるという点で選んだのであり、みなさんのコメントはもちろん大歓迎!ですので、気が向いたら是非利足跡残してみて下さいネ♪
注)尚、小さい子供がいることもあり、お返事に時間がかかる場合があります。通常、2、3日以内を目標としていますが、それ以上かかる場合も・・・。すぐに対応できなくて申し訳ございません。気長に待っていただけたら幸いです♪
美味しい緑茶の煎れ方(びっくり編)
静岡で石を投げればお茶屋さんにあたるだとか、静岡に住んでいる人のほとんどが親戚にお茶関係の人がいるだとか聞いたことがありますが、私も例外でなく、親戚の伯父さんがお茶を作っています
ぽぽちゃんが大きくなったら、緑茶を作っている過程を見せてくれるとおっしゃってくれたので、いつか行きたいな~と思っているところ。
もちろんというか、産まれてから毎日のように飲んでいるのはそこの緑茶。中でも「芽茶」と言って芽の先の方を摘んだお茶が味も濃くって本当に美味しい!お値段も決して高いわけではありません。(ちなみにお茶屋さんと親戚だからっても、玉露とは全く縁がありません(爆))
実は先日、リンツのママ友さん(日本人)宅に遊びにいった際、「お茶、何飲む?」と聞かれて、持っているお茶をパ~っと見せてもらったときに、どこかで見たようなパッケージが・・・・。
そう、私の伯父さんのお茶だったのです!
(私、いつかプレゼントしたっけ・・・?)
と考えていると、彼女が
「これ、静岡の友人が送ってくれたのよ」と。
「え~~~っっ!!親戚の伯父さんとこなのよ!」と言ったらビックリしてました(笑)
彼女は大阪出身で、私とはリンツで知り合った仲。
でも静岡の同じところで作られたお茶がこうやって別々に海外に渡ってリンツに届いているから不思議。お茶屋さんだって何千ってあるだろうしねぇ。ちょっと興奮した話でした(笑)ってか、1人で興奮しててスミマセン(^^;
いやね、彼女とも話していたんだけれど、やっぱり同じ日本と言えども広いな~と。
関西出身の彼女には「ほうじ茶」が身近だけれど、私はというか、静岡の人は飲む機会がほぼないはず。私も修学旅行で奈良、京都に行った旅館で飲んだのが人生初でした。もちろん妊娠を機にほうじ茶を飲む機会も増えて、今では好きなお茶のひとつですが。
ちびまるこちゃんのマンガに出ていて「そうそう!」と思ったのが、春になると「新茶」という言葉が家族の中でも飛び交い、「新茶が出たから」と聞いてちょっと特別な気分で飲んだこと。もちろん味の違いなんか当時は分からなかったんですけどね(笑)
で、緑茶は美味しいと思ってもなかなか日本のように毎食後飲むということもなく、ずっと余って残っている、という方。
是非是非冷凍庫に入れて下さい!
持ちが全然違います。
紅茶や他のお茶と違って賞味期限が短いので、期限が切れていなくても入れておいた方がいいです。切れたお茶も、これから言う方法↓で美味しく飲めるので、すぐに冷凍庫に入れて下さい☆
古いお茶は、煎れた瞬間は緑だけれど、すぐに黄色くなって味も落ちるのでよく分かります。
そんな古くなったお茶の、ビックリするような煎れ方・・・
沸騰したお湯に、冷凍庫から出したばかりの緑茶を入れる!

これは、かなり雑で大雑把な私が偶然に見つけた方法なのですが(単にお湯を冷ますのが面倒くさかったから(爆))、古くなったお茶が黄色くならない!
コツは温度差です。茶葉とお湯の温度差が大きければ大きいほど良いので、冷凍庫から出してサッと熱湯に入れちゃって下さい。
「これじゃ熱すぎて飲めないワ」という方。
お茶がしっかり出た後で、お水を入れて温度を調節して下さい。すぐにぬるくすると、あっという間に黄色いお茶になっちゃいます。
もともと安いお茶だとか、どうにもできないお茶は、フラインパンで炒ってほうじ茶にしちゃいましょう!
コツは、あまりニンニクなどを使ったフライパンを使用しないことかな(笑)ちょっとニオイがうつっちゃいます。
そしてこれ以上は質問しないて下さい。私、全くお茶に詳しくないので(爆)←ってオイオイ!
書いていたら熱いお茶が飲みたくなっちゃったな~。今から飲んでこようっと♪
ぽぽちゃんが大きくなったら、緑茶を作っている過程を見せてくれるとおっしゃってくれたので、いつか行きたいな~と思っているところ。もちろんというか、産まれてから毎日のように飲んでいるのはそこの緑茶。中でも「芽茶」と言って芽の先の方を摘んだお茶が味も濃くって本当に美味しい!お値段も決して高いわけではありません。(ちなみにお茶屋さんと親戚だからっても、玉露とは全く縁がありません(爆))
実は先日、リンツのママ友さん(日本人)宅に遊びにいった際、「お茶、何飲む?」と聞かれて、持っているお茶をパ~っと見せてもらったときに、どこかで見たようなパッケージが・・・・。
そう、私の伯父さんのお茶だったのです!
(私、いつかプレゼントしたっけ・・・?)
と考えていると、彼女が
「これ、静岡の友人が送ってくれたのよ」と。
「え~~~っっ!!親戚の伯父さんとこなのよ!」と言ったらビックリしてました(笑)
彼女は大阪出身で、私とはリンツで知り合った仲。
でも静岡の同じところで作られたお茶がこうやって別々に海外に渡ってリンツに届いているから不思議。お茶屋さんだって何千ってあるだろうしねぇ。ちょっと興奮した話でした(笑)ってか、1人で興奮しててスミマセン(^^;
いやね、彼女とも話していたんだけれど、やっぱり同じ日本と言えども広いな~と。
関西出身の彼女には「ほうじ茶」が身近だけれど、私はというか、静岡の人は飲む機会がほぼないはず。私も修学旅行で奈良、京都に行った旅館で飲んだのが人生初でした。もちろん妊娠を機にほうじ茶を飲む機会も増えて、今では好きなお茶のひとつですが。
ちびまるこちゃんのマンガに出ていて「そうそう!」と思ったのが、春になると「新茶」という言葉が家族の中でも飛び交い、「新茶が出たから」と聞いてちょっと特別な気分で飲んだこと。もちろん味の違いなんか当時は分からなかったんですけどね(笑)
で、緑茶は美味しいと思ってもなかなか日本のように毎食後飲むということもなく、ずっと余って残っている、という方。
是非是非冷凍庫に入れて下さい!
持ちが全然違います。
紅茶や他のお茶と違って賞味期限が短いので、期限が切れていなくても入れておいた方がいいです。切れたお茶も、これから言う方法↓で美味しく飲めるので、すぐに冷凍庫に入れて下さい☆
古いお茶は、煎れた瞬間は緑だけれど、すぐに黄色くなって味も落ちるのでよく分かります。
そんな古くなったお茶の、ビックリするような煎れ方・・・
沸騰したお湯に、冷凍庫から出したばかりの緑茶を入れる!

これは、かなり雑で大雑把な私が偶然に見つけた方法なのですが(単にお湯を冷ますのが面倒くさかったから(爆))、古くなったお茶が黄色くならない!
コツは温度差です。茶葉とお湯の温度差が大きければ大きいほど良いので、冷凍庫から出してサッと熱湯に入れちゃって下さい。
「これじゃ熱すぎて飲めないワ」という方。
お茶がしっかり出た後で、お水を入れて温度を調節して下さい。すぐにぬるくすると、あっという間に黄色いお茶になっちゃいます。
もともと安いお茶だとか、どうにもできないお茶は、フラインパンで炒ってほうじ茶にしちゃいましょう!
コツは、あまりニンニクなどを使ったフライパンを使用しないことかな(笑)ちょっとニオイがうつっちゃいます。
そしてこれ以上は質問しないて下さい。私、全くお茶に詳しくないので(爆)←ってオイオイ!
書いていたら熱いお茶が飲みたくなっちゃったな~。今から飲んでこようっと♪
ホルモンの変化
昨日はなんか、ホント~~に支離滅裂な内容、すみませんでしたっ
今読み返すのも恥ずかしいくらい「なんじゃこりゃ?」という内容で(^^;今日なんかハッキリ言って削除したい気分(爆)。でも書くって作業は頭の中の整理にもなるし、気持ちが吐き出せた分、その日は少しスッキリしました(笑)
それでも今日は朝起きたらピーカンのお天気!なのに、しょっぱなから泣きたい気分で・・・
旦那さまに
「なんか色々とキちゃってるみたい・・・。ずっとぐるぐる回ってる問題が解決しなくて」
と言ったら
「わかるよ」
と同情してもらえて、もう堪えられなくなって号泣


旦那さまの優しさが染み、さらにコメントやお友達のやさしさが染み・・・・、もう何でもかんでも感情の琴線に触れて、もう涙が止まらず自分でもよく分からない状態(^^;
そのときやっと思い出しました!
そうです、ホルモンが変化してたんでした~
←オイ、そういうオチかいっ!!ってツッコミがきそう~~~(汗)
出産後、こういう状態が頻繁におき、それが1ヶ月に1回、3ヶ月に1回と少なくなっていき、タンタンが2歳を向かえた今、ここ数ヶ月はなかったのですっかり忘れてました・・・。
PMSという、女性特有の生理前の現象、ご存知でしょうか?私の場合は、今回ようにちょっと憂鬱になる症状が出ます。
ぽぽちゃんを出産するまでこれとは皆無だった私も、出産後、毎月経験するハメに・・。ホルモンの変化に敏感になってしまったからかしら。毎月、その前になると表れる症状なので自分なりの対策はあったのですが、今回はまったく時期が違ったので、まさかホルモンのせいだとは気がつかず、流せずにまっすぐに受け止めてしまいました。
おかげ様で今はだいぶ調子がいいです!ご心配おかけして本当にすみませんでした
ちょっとまだ書きたいことはあるのですが、また整理できたら書いてみます

今読み返すのも恥ずかしいくらい「なんじゃこりゃ?」という内容で(^^;今日なんかハッキリ言って削除したい気分(爆)。でも書くって作業は頭の中の整理にもなるし、気持ちが吐き出せた分、その日は少しスッキリしました(笑)
それでも今日は朝起きたらピーカンのお天気!なのに、しょっぱなから泣きたい気分で・・・

旦那さまに
「なんか色々とキちゃってるみたい・・・。ずっとぐるぐる回ってる問題が解決しなくて」
と言ったら
「わかるよ」
と同情してもらえて、もう堪えられなくなって号泣



旦那さまの優しさが染み、さらにコメントやお友達のやさしさが染み・・・・、もう何でもかんでも感情の琴線に触れて、もう涙が止まらず自分でもよく分からない状態(^^;
そのときやっと思い出しました!
そうです、ホルモンが変化してたんでした~
←オイ、そういうオチかいっ!!ってツッコミがきそう~~~(汗)出産後、こういう状態が頻繁におき、それが1ヶ月に1回、3ヶ月に1回と少なくなっていき、タンタンが2歳を向かえた今、ここ数ヶ月はなかったのですっかり忘れてました・・・。
PMSという、女性特有の生理前の現象、ご存知でしょうか?私の場合は、今回ようにちょっと憂鬱になる症状が出ます。
ぽぽちゃんを出産するまでこれとは皆無だった私も、出産後、毎月経験するハメに・・。ホルモンの変化に敏感になってしまったからかしら。毎月、その前になると表れる症状なので自分なりの対策はあったのですが、今回はまったく時期が違ったので、まさかホルモンのせいだとは気がつかず、流せずにまっすぐに受け止めてしまいました。
おかげ様で今はだいぶ調子がいいです!ご心配おかけして本当にすみませんでした

ちょっとまだ書きたいことはあるのですが、また整理できたら書いてみます

もう一人の自分
自分の中にもう1人の自分がいる・・・
って何かホラー映画の宣伝文句みたいですが(笑)、いわゆる「自分の本音」というもの。これを知るのってホント難しいな~と思ったことがあります。
それは旦那さまと初めておつき合いしたとき(彼とは紆余曲折あって2回おつきあいしております)。
とここまで書いて・・・今日は誰も知りたくない、かつ薄っぺらい告白本みたいな内容になっちゃうので(笑)、興味のある方だけ先にお進み下さい。
私はオーストリアに来て数ヶ月で、旦那さまと知り合い、お付き合いすることになりました。
そしておつき合いを初めて、まずはじめにぶつかった難問は、彼が全く結婚する気がないということ。
今考えてみれば当然の話かもわかりませんが、当時私達は20代半ばで彼は就職活動真っ最中。
でもそれまで「お付き合い=いつかは結婚」という図式があった私には、このおつき合いがもたらす意味は何であろうかと、本当に悩みました。誤解されると困るのですが、私にとっては「真剣なおつきあい=その先(いわゆる結婚)がある」と思いこんでいたんです。
彼に思い切って心中を打ち明け、「結婚なんてとんでもない」「でも君とつきあいたいという気持ちに嘘はない」という言葉をもらった後、私にできることは何かと悩み、考え抜いた結果は、
「今、自分にできる限りのことをしよう。勉強でも何でも。そして何かの転機があれば、そこでまた考えれば良い」
という、至極単純なもの。下手な期待を抱いて無駄な時間を費やすよりよっぽどいいと、彼の言葉はショックではあったものの、かえってスッキリした気分だったのを覚えています。
でもそう一筋縄にいかないのがオーストリアの長い冬!!(笑)
留学という勉強の先にある自分の姿(どこで働く等)がなかなか想像できず、しかもまるで進展する気配のない旦那さまとの関係。
毎年冬はどんより厚い雲に覆われて、見るものどこもかしこも灰色の日々。私は一体どうしたいのだろう。何をしたいのだろうか。煮え切らない天気はまるで自分の心中そのものだと、いつも下を向いて街を歩いていたのを思い出します。
転機が訪れたのは、旦那さまにお別れを告げられたとき。
目の前が真っ暗になるとはこのことかと思うほどショックを受けたとの同時に、不思議なことに、自分の中の張り詰めていたものが一気に溶け出してホッとしたような感覚。
その翌日に偶然次の引越先が見つかったり(彼とは同居していたので)、しかもその部屋が自分にピッタリの趣味で、音出しできるか確認する時間がなかったのに、上も下も横も隣人はみな「大丈夫よ!」と笑顔で言ってくれるほど音楽家には恵まれた環境。もう一つ付け加えるならば、別離を告げられる前は、週1で鍼に通っていたほど治らない左肩に悩んでいたのに、翌日から痛みが消えていたこと(爆)
新しい出だしがコレで救われたと同時に「これは偶然じゃないな・・・」と思わされるような気分でした。
落ち着いてから、何故自分がこんなにも傷ついているのにホッとしているのだろうかと考え、そこで初めて気づいたこと。
私は旦那さまのことがそんなに好きではなかった(爆)←オイオイ、爆弾発言だよ!
好きという表現にも色々深さがあってこれは本当に表現しにくいのだけれど、「いいな」と思う瞬間があってもそれが持続しないというか、これは彼のせいではなく、自分が心を許せなかったのだと。(多分、傷つきたくなかったんだろうな)
そして、私が最も欲しかったのは
「君が、僕にとって一生の人だ」
という言葉。
私が彼の心を変える人になれなかったことが悔しい。会った瞬間から「この人だ!」と思われる人でなかったのが残念。自分が彼を好きという感情より、彼からそういう感情が欲しかった。
そしてそれは、いつのまにか執着に変わっていったということ。
私がごはんを作って一緒に食べて「楽しいね」という瞬間一つ一つに、そのときには気づかなかったけれど、潜在意識には「いつかこれが積み重なって、彼の決心となれば」という期待があったんだということ。オーストリアに残るか、日本に帰るか、自分の進展を含めて彼に委ねていた部分もあると思います。
こうやって書くと、典型的な(?)チャランポランな留学生の行く末そのもので恥ずかしい・・・でもその時は私なりに必死でした。
何度も何度も心のフタを開けようとしたけれど、いや実は開けて見たけれど、
「だからどうする?」
となったとき、簡単に決断できなかった。
そう、冒頭にも書いたけれど、「本音を知る」というのは、「知っているけれど何もできない」ということではなく、「知って、ではどうしたらいいかアイデアが湧いてくる」という状況。白黒つければいいというものでもないけれど、自分のことなのに難しいと思えるのは私だけでしょうか。
ホントに「前にも後ろにも進めない。どうしようもない」という心境、状況ほど厄介なものはないですね~(笑)
なんでこんなことを長々と書いたかというと、やっぱり冬になるとどうしても気分がすぐれない。
優れない原因を突き詰めようと思うと、その本音に蓋をしている部分がパカパカ開いて「聞いて!」と言ってくるんですワ。
もちろん当時と比べれば、基本となる自分のすべきことが自分のやりたいことと重なっているという点で有り難いのだけれど、でもでも、旦那さまがいても子供が二人いても、悩みも見たくないこと逃げたいこともたっくさんあって(爆)、そのうち蓋が外れ落ちそう・・・
もっと自分のエネルギーを補給しないといけないかな。
国際結婚の本当の現実とか、ド田舎に住むかもしれないこととか、もっと旦那さまに頼らず自立することとか、自分の子育ての仕方とか、日本人の私を無視する幼稚園のオーストリア人ママのこととか(あ。でももちろん優しいママさんもたくさんいます)、姑のこととか・・・まだまだあるけど、すべてポジティブに考えられるのかな。
もう1人の自分を大切にしなきゃね。
って何かホラー映画の宣伝文句みたいですが(笑)、いわゆる「自分の本音」というもの。これを知るのってホント難しいな~と思ったことがあります。
それは旦那さまと初めておつき合いしたとき(彼とは紆余曲折あって2回おつきあいしております)。
とここまで書いて・・・今日は誰も知りたくない、かつ薄っぺらい告白本みたいな内容になっちゃうので(笑)、興味のある方だけ先にお進み下さい。
私はオーストリアに来て数ヶ月で、旦那さまと知り合い、お付き合いすることになりました。
そしておつき合いを初めて、まずはじめにぶつかった難問は、彼が全く結婚する気がないということ。
今考えてみれば当然の話かもわかりませんが、当時私達は20代半ばで彼は就職活動真っ最中。
でもそれまで「お付き合い=いつかは結婚」という図式があった私には、このおつき合いがもたらす意味は何であろうかと、本当に悩みました。誤解されると困るのですが、私にとっては「真剣なおつきあい=その先(いわゆる結婚)がある」と思いこんでいたんです。
彼に思い切って心中を打ち明け、「結婚なんてとんでもない」「でも君とつきあいたいという気持ちに嘘はない」という言葉をもらった後、私にできることは何かと悩み、考え抜いた結果は、
「今、自分にできる限りのことをしよう。勉強でも何でも。そして何かの転機があれば、そこでまた考えれば良い」
という、至極単純なもの。下手な期待を抱いて無駄な時間を費やすよりよっぽどいいと、彼の言葉はショックではあったものの、かえってスッキリした気分だったのを覚えています。
でもそう一筋縄にいかないのがオーストリアの長い冬!!(笑)
留学という勉強の先にある自分の姿(どこで働く等)がなかなか想像できず、しかもまるで進展する気配のない旦那さまとの関係。
毎年冬はどんより厚い雲に覆われて、見るものどこもかしこも灰色の日々。私は一体どうしたいのだろう。何をしたいのだろうか。煮え切らない天気はまるで自分の心中そのものだと、いつも下を向いて街を歩いていたのを思い出します。
転機が訪れたのは、旦那さまにお別れを告げられたとき。
目の前が真っ暗になるとはこのことかと思うほどショックを受けたとの同時に、不思議なことに、自分の中の張り詰めていたものが一気に溶け出してホッとしたような感覚。
その翌日に偶然次の引越先が見つかったり(彼とは同居していたので)、しかもその部屋が自分にピッタリの趣味で、音出しできるか確認する時間がなかったのに、上も下も横も隣人はみな「大丈夫よ!」と笑顔で言ってくれるほど音楽家には恵まれた環境。もう一つ付け加えるならば、別離を告げられる前は、週1で鍼に通っていたほど治らない左肩に悩んでいたのに、翌日から痛みが消えていたこと(爆)
新しい出だしがコレで救われたと同時に「これは偶然じゃないな・・・」と思わされるような気分でした。
落ち着いてから、何故自分がこんなにも傷ついているのにホッとしているのだろうかと考え、そこで初めて気づいたこと。
私は旦那さまのことがそんなに好きではなかった(爆)←オイオイ、爆弾発言だよ!
好きという表現にも色々深さがあってこれは本当に表現しにくいのだけれど、「いいな」と思う瞬間があってもそれが持続しないというか、これは彼のせいではなく、自分が心を許せなかったのだと。(多分、傷つきたくなかったんだろうな)
そして、私が最も欲しかったのは
「君が、僕にとって一生の人だ」
という言葉。
私が彼の心を変える人になれなかったことが悔しい。会った瞬間から「この人だ!」と思われる人でなかったのが残念。自分が彼を好きという感情より、彼からそういう感情が欲しかった。
そしてそれは、いつのまにか執着に変わっていったということ。
私がごはんを作って一緒に食べて「楽しいね」という瞬間一つ一つに、そのときには気づかなかったけれど、潜在意識には「いつかこれが積み重なって、彼の決心となれば」という期待があったんだということ。オーストリアに残るか、日本に帰るか、自分の進展を含めて彼に委ねていた部分もあると思います。
こうやって書くと、典型的な(?)チャランポランな留学生の行く末そのもので恥ずかしい・・・でもその時は私なりに必死でした。
何度も何度も心のフタを開けようとしたけれど、いや実は開けて見たけれど、
「だからどうする?」
となったとき、簡単に決断できなかった。
そう、冒頭にも書いたけれど、「本音を知る」というのは、「知っているけれど何もできない」ということではなく、「知って、ではどうしたらいいかアイデアが湧いてくる」という状況。白黒つければいいというものでもないけれど、自分のことなのに難しいと思えるのは私だけでしょうか。
ホントに「前にも後ろにも進めない。どうしようもない」という心境、状況ほど厄介なものはないですね~(笑)
なんでこんなことを長々と書いたかというと、やっぱり冬になるとどうしても気分がすぐれない。
優れない原因を突き詰めようと思うと、その本音に蓋をしている部分がパカパカ開いて「聞いて!」と言ってくるんですワ。
もちろん当時と比べれば、基本となる自分のすべきことが自分のやりたいことと重なっているという点で有り難いのだけれど、でもでも、旦那さまがいても子供が二人いても、悩みも見たくないこと逃げたいこともたっくさんあって(爆)、そのうち蓋が外れ落ちそう・・・
もっと自分のエネルギーを補給しないといけないかな。
国際結婚の本当の現実とか、ド田舎に住むかもしれないこととか、もっと旦那さまに頼らず自立することとか、自分の子育ての仕方とか、日本人の私を無視する幼稚園のオーストリア人ママのこととか(あ。でももちろん優しいママさんもたくさんいます)、姑のこととか・・・まだまだあるけど、すべてポジティブに考えられるのかな。
もう1人の自分を大切にしなきゃね。
結婚記念日と結婚指輪
先週は5回目の結婚記念日でした
旦那さまとも知り合って9年にもなります。もう5年かァ~早いもんだなぁ、というのが正直なところ。
「結婚記念日に特別何かしたいことある?」
と旦那さま聞いたところ、
「新しい結婚指輪を作ろうか
」
と言う彼。
実は私達の結婚指輪↓、見えないかもしれないけれど1円玉とほぼ同じ軽さ!!(爆)

旦那さまの楽器を作ってくれたバイオリン工房の人が作ってくれたんです。
結婚指輪って、男性陣はみなつけるものなんでしょうか?
旦那さまは当時、
「作ってもずっとつけたいと思わないかもしれないし、それ以前に楽器を演奏するときに邪魔になるかもしれない」
と言って、無駄に高価な指輪を買うことに躊躇していました。「結婚指輪を作ったら当然一生つけてくれるんでしょうね」という無言の圧力に(笑)反発していたのかもしれません。
私もまだどんな指輪がしたいか具体的な案がなく、彼のバイオリン工房の人が金属類の加工も扱うということで、一度素材について話を聞いてみようということになったんです。
私は色は金色がいいという要望だけあったものの、素材としての金は(一生使うには)耐久性に乏しいとのこと。
その工房の彼が
「一番のおススメはね~・・・・チタンなんだよ!!」
と。
私が「は?」と旦那さまの顔を見たら、
「なるほど~!実は僕の時計もチタンでできているんだよ!」
とすっごく嬉しそうな表情!!
まさか、こんな話の展開になるとは・・・
チタンが金属的にどれくらい価値があるのだろーかと考えている間に(考えても知らないから答えは出ないのだが)、旦那さまと工房の彼は話が盛り上がっており、
「チタンでも金色で作れるよ!」
と言われ、同時に頭を過ったのは、旦那さまと私のおサイフは既に一つ。新生活を始めた今、高価なものを買っても自分達の生活が苦しくなるだけだ、ということ。←私もけっこう現実的(爆)
「じゃーチタンでいいよ!!」
と、チタン製の結婚指輪を作ることになったのでした
一生分の強度を確保されたものの、あまりにも硬いため、加工が難しいんだそう。
「文字を掘りたいなら、ひと文字600ユーロ(当時で8万円くらい?)かかるけど。ひと文字彫るのに一日かかるんだよ~」
と言われ、イニシャルさえもあっさり諦めることに(笑)その代わりと言っては何だけれど(?)、すべて無料でプレゼントとして作って下さいました☆
でもね、このことで旦那さまと数ヶ月前に軽い言い合いをしたんです。ま、犬も食わない何とやらですが。
私は「チタンでもいいよ」と思っているわけで、「チタンの指輪最高!!これが一番!!」と思っているわけではないと。価値ある素材だったらいいのかと言われると即答できないので、自分でも何が一番大切なのかよく分からないんですが、もちろんその当時、金銭的に余裕があったら普通に金の指輪を買っていたのかなと思っていたので。
彼に「ショックだ!!君も僕と同じように、世界に一つしかない(確かにチタンの指輪を持っている人はそういないだろうけど(笑))この指輪に誇りを持っていると思った
」
と言われて、「まーまー、そんな深刻な問題じゃないから」と、その後すっかりその話を忘れていた私ですが、旦那さまは覚えていたんですねぇ。
それが冒頭の、「(価値のある素材で)指輪を改めて作りに行こう」に繋がるんです(話、長っ!)
そして私は即答。
「そのお金で、日本から食材送った方がいいなァ~
」
旦那さま「・・・・(無言)」
現実的な旦那さまよりさらに現実的になっていた妻でした(爆)オットよ、せっかくの申し出を無下に断ってしまってゴメンね(^^;
でもその時に気がついたこと。
私が欲しかったのは
「君の望むように、金の指輪を結婚指輪として買おうと思うんだけれど・・・」
「いいのよ、あなたの好きなチタンで・・・」
↑このやりとりだったんですねー!!
最初から「チタンでいいよね?チタンに決定!!」という方向性だったので、釈然としないものがあったんですね(笑)
というわけで、今じゃスッキリサッパリ
思いもかけない、結婚記念日プレゼント会話(?)をいただきました♪
チタンの指輪最高!!みなさんにもおススメしますよ~!(笑)←ホントかい!
今やオーストリアも離婚率は半分と言われ(都市ではそれ強とも)、結婚して5年だなんて先を考えればまだまだ序の口。これから何が起こるか・・・と漕ぎ出した船出を思うと戦々恐々とすることもありますが
、でも、自分にできることは毎日できる限りの笑顔でいること
、そしてその積み重ねが、旦那さまと一つ一つ歳を重ねていくことに繋がるのではないか・・・と思っています。まだまだ安心はできないし(笑)、今年も頑張ろ~!と改めて思った結婚5周年でした☆
旦那さまとも知り合って9年にもなります。もう5年かァ~早いもんだなぁ、というのが正直なところ。「結婚記念日に特別何かしたいことある?」
と旦那さま聞いたところ、
「新しい結婚指輪を作ろうか
」と言う彼。
実は私達の結婚指輪↓、見えないかもしれないけれど1円玉とほぼ同じ軽さ!!(爆)

旦那さまの楽器を作ってくれたバイオリン工房の人が作ってくれたんです。
結婚指輪って、男性陣はみなつけるものなんでしょうか?
旦那さまは当時、
「作ってもずっとつけたいと思わないかもしれないし、それ以前に楽器を演奏するときに邪魔になるかもしれない」
と言って、無駄に高価な指輪を買うことに躊躇していました。「結婚指輪を作ったら当然一生つけてくれるんでしょうね」という無言の圧力に(笑)反発していたのかもしれません。
私もまだどんな指輪がしたいか具体的な案がなく、彼のバイオリン工房の人が金属類の加工も扱うということで、一度素材について話を聞いてみようということになったんです。
私は色は金色がいいという要望だけあったものの、素材としての金は(一生使うには)耐久性に乏しいとのこと。
その工房の彼が
「一番のおススメはね~・・・・チタンなんだよ!!」
と。
私が「は?」と旦那さまの顔を見たら、
「なるほど~!実は僕の時計もチタンでできているんだよ!」
とすっごく嬉しそうな表情!!
まさか、こんな話の展開になるとは・・・

チタンが金属的にどれくらい価値があるのだろーかと考えている間に(考えても知らないから答えは出ないのだが)、旦那さまと工房の彼は話が盛り上がっており、
「チタンでも金色で作れるよ!」
と言われ、同時に頭を過ったのは、旦那さまと私のおサイフは既に一つ。新生活を始めた今、高価なものを買っても自分達の生活が苦しくなるだけだ、ということ。←私もけっこう現実的(爆)
「じゃーチタンでいいよ!!」
と、チタン製の結婚指輪を作ることになったのでした

一生分の強度を確保されたものの、あまりにも硬いため、加工が難しいんだそう。
「文字を掘りたいなら、ひと文字600ユーロ(当時で8万円くらい?)かかるけど。ひと文字彫るのに一日かかるんだよ~」
と言われ、イニシャルさえもあっさり諦めることに(笑)その代わりと言っては何だけれど(?)、すべて無料でプレゼントとして作って下さいました☆
でもね、このことで旦那さまと数ヶ月前に軽い言い合いをしたんです。ま、犬も食わない何とやらですが。
私は「チタンでもいいよ」と思っているわけで、「チタンの指輪最高!!これが一番!!」と思っているわけではないと。価値ある素材だったらいいのかと言われると即答できないので、自分でも何が一番大切なのかよく分からないんですが、もちろんその当時、金銭的に余裕があったら普通に金の指輪を買っていたのかなと思っていたので。
彼に「ショックだ!!君も僕と同じように、世界に一つしかない(確かにチタンの指輪を持っている人はそういないだろうけど(笑))この指輪に誇りを持っていると思った
」と言われて、「まーまー、そんな深刻な問題じゃないから」と、その後すっかりその話を忘れていた私ですが、旦那さまは覚えていたんですねぇ。
それが冒頭の、「(価値のある素材で)指輪を改めて作りに行こう」に繋がるんです(話、長っ!)
そして私は即答。
「そのお金で、日本から食材送った方がいいなァ~
」旦那さま「・・・・(無言)」
現実的な旦那さまよりさらに現実的になっていた妻でした(爆)オットよ、せっかくの申し出を無下に断ってしまってゴメンね(^^;
でもその時に気がついたこと。
私が欲しかったのは
「君の望むように、金の指輪を結婚指輪として買おうと思うんだけれど・・・」
「いいのよ、あなたの好きなチタンで・・・」
↑このやりとりだったんですねー!!
最初から「チタンでいいよね?チタンに決定!!」という方向性だったので、釈然としないものがあったんですね(笑)
というわけで、今じゃスッキリサッパリ
思いもかけない、結婚記念日プレゼント会話(?)をいただきました♪チタンの指輪最高!!みなさんにもおススメしますよ~!(笑)←ホントかい!
今やオーストリアも離婚率は半分と言われ(都市ではそれ強とも)、結婚して5年だなんて先を考えればまだまだ序の口。これから何が起こるか・・・と漕ぎ出した船出を思うと戦々恐々とすることもありますが
、でも、自分にできることは毎日できる限りの笑顔でいること
、そしてその積み重ねが、旦那さまと一つ一つ歳を重ねていくことに繋がるのではないか・・・と思っています。まだまだ安心はできないし(笑)、今年も頑張ろ~!と改めて思った結婚5周年でした☆