2024年9月16日から21日までの5泊6日の日程で京都、大阪、神戸を訪れた際の様子をお届けしています(てか、遂に実旅後、一年を経過してしまいました(>_<))。前回は、ワタクシ、chuが帰依しています「真宗大谷派」(浄土真宗大谷派)の本山であります「真宗本廟」(東本願寺)の参拝を中心にお届け致しました👇

そしてこの日は京都最終日の前日。「城南宮」訪問を終え、竹田駅から向かいましたのは三条京阪付近ですニコニコ出来る事なら、

心置きなく夜の京都を満喫したいところなのですが、お茶屋さんで舞妓さんと戯れる人脈(※夜の祇園街などの花街で過ごすには何方かの紹介が必要、即ち“一見さんお断り”の文化があります)もなければ、お金はお金もっとないので爆  笑ごく普通の過ごし方をしましたニヤニヤ

そしてここは三条大橋の袂。「東海道五十三次」の終点ビックリマーク江戸の日本橋(現在の東京都中央区)から数えて53番目の宿場町ということになるのでしょうが、三条大橋はズバリ、京の都ですから宿場町ではないですねニヤニヤと思ったら、日本橋を出て最初の宿場町が品川宿、そして最後の53場所目の宿場町は大津宿(現在の滋賀県)でした。で、各宿場町の距離はと言うと、短い所では油井~蒲原(静岡県)宿間の1里(約4㎞)、長い所では箱根~小田原宿(神奈川県)の4里8丁(約17㎞)。ま、chuは「駅からハイキング」では10㎞前後は数時間内にて難なく歩いちゃっていますから、この4里8丁も“恐れるに足りず”なのですが、ホレも小田原から箱根までは山道です。お正月恒例の「箱根駅伝」でも御案内の通り、同駅伝の第5区は“山登り”として傾斜の強い坂道を登りながら走る事が出来るスペシャリストのランナーが担うことが殆ど。ですので距離以上にしんどいのは明らかで、この間の峠越えはかなりの健脚さが求められます。しかし“箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川”という川柳にもありますように、大井川を間に挟む島田~金谷宿(静岡県)間の距離は僅か1里なのですが、増水期にはなんと28日間も足止めをされたという記録も残るほどびっくりですが、まぁ東海道五十三次、江戸~京都間の平均的な旅程は早くて10日間、少しゆっくりめだと3週間との事。しかし現在では東海道新幹線「のぞみ」だと2時間10分くらいで行き来出来てしまうのですから、江戸の頃と比べては勿論の事、まだ東海道新幹線が開業する前の東京~京都間は特急電車で8時間近くはかかっていたそうですから、現在と比べると隔世の感がしますウインク

三条大橋を渡ります走る人走る人走る人

こんなものも残っていますが写真を撮り忘れました(>_<)

三条通と河原町通りの交差点は「河原町三条」と呼称。四条通と河原町通との交差点は「四条河原町」ですから、どちらの通り名が先に付くのか何故か順番が逆転していますキョロキョロ理由は分かりませんが爆  笑

そして河原町三条と言えばなんと言ってもこちらです👇chuが持つ“正義の血”が騒ぎますメラメラメラメラメラメラメラメラメラメラ

そうです、幕末、この場所にありましたのは「池田屋」メラメラメラメラメラメラ当時、京を追われて居場所を無くしていた西国藩の不逞浪士らは、どうしたら自藩の息を吹き返すことが出来ようか、と謀議を重ねる中で“風が強く吹く祇園祭の夜、京の市町に火を放ち街中を大混乱させて京都守護職の松平容保を討ち、御所から帝を連れ出して、西国に連れ去ろう”という、末恐ろしい計画を立てていました。しかし不穏な空気を察知し京都の治安維持に奔走していた「新選組」は、古道具商家の枡屋喜右衛門を名乗りながら隠密裏に情報活動と武器調達にあたった長州藩の間者でしたが、これを捕縛。厳しい取り調べの結果、先の謀を知るに至ったのですが、古高の捕縛を知り、その善後策を謀議していた西国藩を中心とする不逞浪士が集っていたのが「池田屋」だったのです。その際「新選組」は近藤局長組と土方副長組の二手に別れ、四条河原町から河原町三条一帯にある旅籠や食事処などを片っ端から臨場(今で言う家宅捜索)していきます。この時の有名な言葉が“御用改めである”ですニコニコそして「池田屋」に巣食っていた不逞浪士を発見し、壮絶な死闘が繰り広げられた結果、不逞浪士の多くは討ち死にし、ごく一部の浪士は逃走しました。これが世にいう“池田屋騒動(事件)”です。詳しくはこちら👇

但し、chuが初めて本格的に京都を訪れ始めた頃の1980年代、今と同様の石碑はありましたが既に「池田屋」の建物は現存してはおらず、建物があった場所には「ケンタッキー・フライド・チキン」のお店と、あのカーネルサンダースさんがニコニコと笑いながら立っていたのでした爆  笑しかしそれも今は昔の話。今回の旅で訪れた際にこの場所はとある居酒屋さんへと変貌を遂げてたのでしたびっくりそれがこちら👇

いろいろなブランド名を用いて居酒屋の全国展開を行っている「(株)チムニー」さんですが、その中でも旗艦のチェーン店が「はなの舞」ウインクそして、ここ河原町三条では「旅籠茶屋池田屋 はなの舞」とした店舗を開業しています。ん、“旅籠茶屋池田屋”というネーミングは凄く言いチューケンタッキーファンの方には申し訳ないのですが、「はなの舞」さんが跡地を取り仕切って下さったことは万々歳です合格クラッカーそしてなんと言いましょうか、このお店に入る時に自動ドアが開くのですが、その際にはあの有名な“御用改めである”のメッセージが流れるのでした爆  笑こちらが「旅籠茶屋池田屋」のホームページです👇

そして店内ではこんなサービスも👇チュー

なおお酒をお召しにならない方でも頂けるメニューもあります(現在は冬向けの鍋がセットになったものに代わっていますので、季節に応じてコンテンツは多少、変わるようです)

こちらは店外に掲示されています「池田屋騒動」の史跡などウインク壮絶な斬り合いの中で、残念ながら「新選組」側にも死傷者が出ましたえーん

以前、こちらを訪れた時にはこれほどの案内掲示板はなく、chuの記憶に残っているのは写真でお見せしました石碑とカーネルサンダースさんだけでしたから、これはこれで隔世の感がありました照れお店を出て、少し付近を巡回しますとこのような史跡ばかり叫びドクロここは大村益次郎と佐久間象山公が暗殺された場所で高勢川沿い、木屋町通の中ほどです。幕末期、この界隈には正にテロリストが跳梁跋扈していたのでした。ですが大村益次郎の場合は、維新後に彼が目論んでいた西洋式の軍改革(徴兵制度)により武士としての職を奪われることを恐れた身内の長州藩士に斬られているのですから、悪事(後に似非官軍となるグループの幹部として南国藩と密かに結び、土佐脱藩の坂本龍馬が仲介する武器商人グアバ―から最新式の武器を買い込み旧幕府軍を壊滅させた張本人です)に加担した報いですなニヤリchuは大村の銅像が、「靖国神社」の参道につっ立っているのも不愉快ですwニヤリ余談ですが、この頃の銃器の性能は目まぐるしく進歩しており、それは当時、アメリカでは南北戦争があったため、銃器性能の著しい進化がみられたのです。当時の幕府は、まだ初期の初期、織田信長が桶狭間の合戦で勝利をおさめた火縄銃に毛の生えた程度のゲベール銃を標準装備していたのですが、それがミニエー銃、そして最後はスナイドル銃へと急速に性能を進化させていくのですが、南北戦争が終結し、古くなった銃をグアバ―はアメリカから仕入れて来ては日本に売り捌いてポロ儲けをしていたのです。坂本龍馬と共にニヤリそして大村益次郎は元々は医師ですが、蘭学に優れていたことで若くして宇和島藩に仕え、そこで翻訳を任されたことで銃器につき詳しくなるのですが、その後、故郷の西国藩に抱え上げられ、その“知識”を西国に伝えた“功績”を崇められ、遂には「靖国神社」に銅像が建てられているのでしたニヤリ何が“日本国陸軍の父”だパンチ!日本の近代軍の創始者は、意味不明の罪名を着せられて斬首された小栗上野介忠順公以外の誰でもありませんビックリマークしかし、歴史の教科書にはその事はひと言も記されてはいませんね真顔なぜでしょう、それは南西国藩主導によって造られた“明治政府”なるものが、徳川幕府の功績を消し去りたいからのもの以外にはありません真顔

鴨川に架かっていた橋は三条大橋でしたが、高瀬川に架かっているのは三条小橋です爆笑

こちらは木屋町通の西を流れる高瀬川ニコニコ

京と大坂(当時の書き方)の間を行き来していました高瀬舟の模型ですウインク

“勤皇派”でありながら、不逞浪士の内輪もめ(内ゲバですな真顔)で惨殺されたのが本間精一郎の遭難碑

こちらは旧土佐藩の屋敷跡。土佐藩と言えば、外様ながら幕末の藩主は山内容堂(当時は豊信)公。最後の将軍・徳川慶喜の良き理解者であり佐幕はでもある「公武合体」推進派の一人でした。しかし藩主を甥の豊範に譲る頃には、藩内は倒幕の急先鋒となった脱藩藩士である坂本龍馬らの力を抑えきれず、また京の土佐藩邸は「新選組」に追われている不逞浪士どもが逃げ込む館と化すなど、chu的には許すことの出来ない史跡としての館なのでありました。またこの当時、後に「明保野亭事件」と呼ばれる“事件”が発生。これは會津藩士の柴司が土佐藩士の麻田時太郎を不逞浪士と誤認し攻撃を加える傷を負わした出来事で、その際、麻田は傷を負ったものの生命に別条はなかった。また当時の會津・土佐両藩は公武合体を進める友好関係にあったのですが不逞浪士が潜伏しているとの報を受け、「新選組」と會津藩士との合同の探索方が「明保野亭」を急襲、その際、西国藩の不逞浪士は居なかったのですが、たまたま居合わせた土佐藩士の麻田が現場から逃走しようとし、會津藩士の柴司が追撃します。攻撃を受けた際、麻田は初めて自身が土佐藩士であることを名乗り、そのため柴は攻撃を止め、屯所(金戒光明寺)に戻った後に事の顛末を報告します。會津藩では(この時は)友藩の藩士を誤認とはいえ誤って攻撃を加えてしまったことを詫び、医師及び医薬品の提供を申し出るものの土佐藩はこれを固辞。と言うのは土佐藩内では、後ろ傷を負って戻った麻田に対し、敵に背を向けて逃走したことから“士道不覚悟”の者として、かような者の傷の手当はせず、それどころか切腹を命じます。しかしその後、土佐藩内の一部の者から公然と會津藩に対し報復すべしとの声が高まり、會津藩としては柴司の行為は職務上の行為であるとして不問としていたのですが、土佐藩との関係悪化を避けるべく、苦悶します。そもそも「明保野亭」探索時に名も名乗らず、逃げ出そうとした麻田に非があるのは明らかなのですが、松平容保公を始めとして會津藩がこの問題に苦悶する姿を知った柴司は兄と相談の上、自らの切腹を決断し、兄に介錯を頼み切腹。これにより會津・土佐両藩の緊張関係を回避することが出来たのでした。柴司の葬儀には會津藩士の他、新選組隊士たちも参列してその死を惜しんだのでした。墓所はchuが午前中に訪れました金戒光明寺にあります。「明保野亭事件」についての詳細はこちらから👇

木屋町通を散策中走る人走る人走る人派出所(交番)と🚻を発見ウインクいかにも“京都”っぽい造りです爆笑

そして記念すべき京都最後の夜の“食べ納め”がこちら👇「餃子舗眠眠」三条店ウインク

って、京都の方には全く珍しいお店ではないと思われます。それに京都発祥の町中華と言えばなんと言っても「餃子の王将」ビックリマークところで、世界中の全てのお料理の中でchu華料理が大好きなchuチュー(あ、いわゆる町中華が出すメニューでして、ふかひれ何とかとか、ツバメの巣とかの類のコース料理ではありませんニヤニヤ)。実は「餃子の王将」も「餃子舗眠眠」もchuは初めて京都で食べましたビックリマーク確か10代も最終晩の頃だったと覚えています。で、この二つのお店の味とメニューと安価さに、当時は貧乏学生でしたchuは大感動チューしかし京都旅行を終えて松戸に戻っても、「餃子の王将」も「餃子舗眠眠」も当然、市内にはありません。松戸市内どころか当時は東京都内にもなかったと思います。で、30代になってからでしょうか(或いはそれよりもうちょっと前かも知れません。「東京ドーム」になる前の、まだ「後楽園球場」があった時代。最寄りの水道橋駅近くに「餃子の王将」が出来、喜び勇んで駆けつけたことを昨日のことのように思い出します爆笑そして時代は変わった⚡⚡⚡なんと今ではchuの地元の千葉県松戸市にも「餃子の王将」は出店しています。ところが、もう一つの“餃子の巨匠”であります「餃子舗眠眠」は、京都に行かなければ食べられないショボーン…しかしこれはchuが知らなかっただけ、だったようでして、実は「餃子舗眠眠」の店舗は関東にも進出していたようですびっくりしかしchuはそのことを知りませんでしたので、東京都内の「餃子舗眠眠」には行ったことはありません滝汗で、今回の上洛時には“何としても「餃子舗眠眠」に行くんだ”と固く心に誓っておりましたことが、遂に京都最後の夜に実現することが出来たのでした合格クラッカーチュー爆  笑拙blog読者の皆様におかれましても、「餃子の王将」や「大坂王将」は知っていても「餃子舗眠眠」は知らない、という方は案外多いのではないかと思われます。現に“町中華命”のchuですら、“「餃子舗眠眠」の餃子は京都に行かなきゃ食べられない”と信じて疑いませんでしたからニヤニヤ(ですが「餃子舗眠眠」の発祥は実は大阪ミナミの千日前。ですので京都発祥ではなく大阪生まれ、なのですが京都への進出はかなり昔に遡りまして四条に進出したのは1956年のこと。そうです、chuは四条にあった「餃子舗眠眠」に行っていたのでした。ちなみに「餃子の王将」は、1967年に四条大宮に一号店を開いたのが最初でしたから、「餃子の王将」よりも「餃子舗眠眠」の方が歴史があるのでしたウインク)と言うことで、chuが京都で食べていた「餃子舗眠眠」と「餃子の王将」の店舗は、東山安井にありましたchuの定宿の「寿栄屋」さん(※2025年7月19日出稿の拙blog「三都物語」その15を御参照下さい)から徒歩圏内の四条河原町界隈にあったものですウインクしかし、chuが知らないうちに「餃子舗眠眠」が関東に進出されていたとは…これは“迂闊だった”では済まされないことですよガーンしかしchuは今では、「駅からハイキング」等のイベントや何か特別な所用でもなければ中々上京することも少なくなりましたから、やはり「餃子舗眠眠」は、“上洛した時のお楽しみウインク”にとっておきたいお店なのですニコニコ

炒飯と餃子の、これぞ“王道”ですぅチューてか、「旅籠茶屋池田屋 はなの舞」にて、少しだけでしたが生ビール日本酒してましたので、これだけ食べ終わったらお腹がいっぱい絶望苦しいですあせるあせるあせる爆  笑

お腹もいっぱいになり、楽しかった5日間、素晴らしい思い出がたっぷりと詰まりました四条河原町まで歩きます走る人走る人走る人またいつの日か、この景色を見られますようにウインクとの思いを込めて照れ

前々日にも四条河原町から千本旧二条行きの🚌(46系統)に乗っていましたので、バス停までは迷わず直ぐに行く事が出来ましたウインク

 

そして以上、ここまでが2024年9月16日から21日までの5泊6日の日程で京都、大阪、神戸を訪れた際の様子の、5日目までのものです。金閣寺参拝に始まり、個人旅で訪れるのにはハードルが高い丹後半島にある伊根町や、日帰りでしたが神戸タウン、あ、大阪は“三都物語”と言いながらも電車の乗り継ぎだけの滞在に終わりましたニヤニヤその後は京都の各神社仏閣、思い出の地を辿りました。そして最終日前日になっちいましたが、真宗大谷派門徒のchuがどうしても参拝したかった「真宗本廟(東本願寺)」など、月曜日から金曜日までの5日間、天候にも恵まれ(てか、35℃を超える連日の猛暑にはまいりましたがゲロー)最高でしたチューで、本来であれば旅最終日の様子も語りつつ、この5泊6日の京都滞在記を〆括りたかったのでした。ですが…誠に残念なことに、京都滞在最終日(2025年9月21日)に見たものは、blogに綴るのも憚れる、そして楽しかった旅の想い出、憧れの都・京都のイメージを大きく損なう事象に出会うだけのものとなりました。旅の最終日、5日間の疲れもピークに達していたため、朝は久しぶりの寝坊をし、チェックアウトの11時少し前までホテルで寛いでいました。ここからは荷物もある事ですから遠くには行けず、また混雑している寺社にも行けません。ですので「新京極」を訪れお土産屋さんの軒先を眺めつつ、最後は“京の台所”として知られている「錦市場」を訪れ、そこで昼食を頂いた後にはいかにも“京都らしい”“京都に行ってきました”的なもの、例えば数種類もの「おばんざい」などを見繕おうと思っていました。なに、例えナマものだとしても、保冷剤さえ入れれば新幹線で東京まで2時間ちょい、東京から松戸までは30分ちょいですから自宅までであっても3時間ちょい。であれば十分、「おばんざい」は持ち帰れるなウインクと思っていたのです。ホテルをチェックアウトする前までは…ところが、現実はこんな感じ。しかも周りに居るのはインバウンドの外国人観光客ばかり。まぁそれはそれでいいのですが、超円安を受けてかインバウンド客の財布の紐は緩く、それを目当てにしている店側の対応のなんと情けないことよプンプンまるで“日本人など、相手にしてないよ真顔”“外人さんの邪魔なんだよ、早く出てってくれよ”パンチ!的な対応を受けたのでしたプンプン“え、ちょっと待ってよ、ここは“京の台所”と言われた「錦市場」ぢゃないの!?”と言いたくても、聞きたくても、とてもとてもそんな疑問すら挟むことすら許されない、異様な空間なのでありましたゲローそしてもちろん、ここに関わられています人、以外の京都の方が大多数だと思われますので、chuは“錦の住人”に対してはっきり言っちゃいますプンプン“誇り高き都人(みやこびと)が、こんな商いをして恥ずかしくないのですかプンプン”とムキー  (※東京都内にもインバウンド客は溢れていますし、「築地場外」など、いわゆる“観光地価格”で商売しているスポットもある事にはあります。ですがこんなにもあからさまに“ニッポン人お断り”的な商売をしているスポットは、東京にはありませんからねニヤリ)

とても思い出深かった今回の京都訪問、久しぶりの上洛でしたが、最後の最後に来てガッカリチーンショボーンえーんその「錦市場」、オフィシャルWebサイトには今だに“400年の歴史を有し「京の台所」として親しまれる「錦市場」、各お店が自信をもってお勧めする厳選する 京料理の食材など云々”と謳われていますが、はっきり言ってこれは大ウソですムキーオフィシャルWebサイトをリンクする気にもなれませんので、しません真顔「錦市場」の商店主たちはこれから先もこうした商いを続ける気なのでしょうかニヤリ“「錦市場」が、日本人から見放される”日が来るのは、そう先の事ではないような気がしますニヤリ

 

さて、“三都物語”と題しました今回の「京都/大阪/神戸の旅」は26回もの永きに渡る連載となりました。実際に旅をしたのは2024年9月16日から21日までの5泊6日の日程でして、既に1年間が経過してしまいましたが、“長期連載物”ゆえに途中にちょこちょこと旬ネタが入り込み、完結までの期間がこのような結果になりましたことをお詫び申し上げます。とても思いで深き京都紀行ではありましたが、最後の最後に実に嫌な思いをしたのもこれまた事実。そしてそのことは是非とも正直かつ正確にお伝えいたしたく、また、今回のblogのサブタイトルは“~河原町&木屋町三条界隈+α~”としましたが、この「α」こそ「錦市場」であることのchuなりの抗議でもあります真顔1000年の歴史を持つ京都。日本の都はなんと言っても「京都」です。このことを最後にお伝えし、今回の旅の、〆の言葉とさせて頂きます。長々とお付き合い下さいましたことに衷心より御礼申し上げます。 by chu

 

【次回以降ですが予定稿のblog宣伝】てへぺろ

2025年9月2日から2泊3日で訪れました博多旅、は既にごく一部だけですが“速報版”としてお届けしています。この本編が始まりましたならば、またそこそこの長編となる予感がします爆  笑その際はどうぞ宜しくお願い申し上げますニヤニヤ

 

2025年10月上旬、「体育の日」を含めます“秋晴れの三連休”と思われそうな10月初旬の三連休のスタートでしたが、台風23号の影響もありしょっばなから雨予報にガーンえーんそのため、当初予定されていました10月11日の予定を一日先延ばしにして12日の開催になりましたウインクただ、11日開催予定で参加をエントリーされていました方々には雨天順延の連絡をしなければなりませんあせるあせるあせるすると、“11日であればオッケーだけど12日は生憎都合がありNG”という方も少なからずいらしたようで…ショボーンそこで、(参加人数を充足させるための、 あ、10日の段階で11日朝の天気は雨との確率が100%でしたので)“緊急参加のお誘い”を頂きましたのが10日の夜、それを受けてchu一行は参加を決断ビックリマーク“え!?chuさんは元々、参加予定ぢゃなかったの??”そーなんですよ、chuの仕事は土日祝日。しかしその分、平日には“気ままなお出かけ”を楽しめているのですが、それとは別に経年劣化だからなのでしょうニヤニヤ身体のあちこちにガタがきているための定期的な病院通いも忙しいドクロ真顔と言うことで、基本、週末はお仕事なんです。ただ今回の緊急事態を受け、たまたまシフトを午後からのものにスライド出来たため、午前中のイベントに参加する事が叶ったのでしたウインク

 

今回の「芋ほりツ!」告知ビラがこちらウインク受け入れて下さる農家さんは松戸市古ヶ崎エリアで水稲耕作、葉物野菜、そして今回のお芋など、都市部故に決して広い農耕地を持つ農家さんではないのですが、バラエティに富んだお野菜を栽培され、また御近所には新鮮野菜の自販機を設置されたりと、地域の方々との触れ合いもたくさんある待山(まちやま)さんと言う農家さん。また待山さんでは年何回か、こうした収穫作業を「農業体験会」として、広く皆さんに農業との触れ合いの持てる企画を立ち上げて下さっているのでした照れ

で、その待山さんと、こうした企画を共有し、SNS等を使って広く周知させて下さっている、言わばコーディネーター的な役割を担って下さっていますのが関根ジローさん。ジローさんとは「立憲民主党松戸市選挙区」から選出されている千葉県議会議員です。ところでジローさんには9月半ばには「戦後80年 平和を学ぶ日帰りバスツアー」でもお世話になったばかりでしたので、“12日、急ですが芋ほり、どうですか!?”のお誘いには仕事のシフトを変更してでも応えるのが漢(男)ってもんですW💪爆笑(但し急な案件では変更できない時もありますのでその時は申し訳ありませんお願い)

 

さて、こちらが「さつまいも」掘りの会場です。待山さんの農耕作地は千葉県道県道5号線(通称「流山街道」)を挟んで両サイドにあります。chuは農地面積の算出は瞬時には出来ないので何とも言えないのですが、二つ合わせても東京ドーム1個分、があるかないか、と言ったところでしょうか。ですので大規模農家ということではなく、いわゆる“中山間地域”の農家さんと一緒のレベルと言うことになると思われます。ですが人口50万人を超えている千葉県松戸市の、しかも松戸の中心街である松戸駅からも比較的近い場所に、これだけの規模の農業を展開されているのですから、それは凄いこと合格クラッカーと、思います照れ

chuは午後から仕事ですので朝一番の9時の部に参加させて頂きましたニコニコ

参加費は1家族1000円ウインクこれで「紅はるか」2株と「安納芋」2株の4株を掘り起こすことが出来ちゃいますから、こいつぁお得だ爆  笑受付をしているのは現役の学生さんで政治塾インターン生の方。市民との最前線での接点から政治を見つめていく、将来の政治家志望のインターン生ですウインク手前の男性は、こうしたイベントではテキパキと常にスタッフを束ねる弓削田よしあき・立憲民主党松戸市党政策委員ウインク暑い時も涼しい時も、いつも淡々とお仕事をこなされています照れ次、ガンバレビックリマーク

そしてこちらが我らがジローさんチュー関根ジロー・立憲民主党千葉県議(松戸市選挙区選出)さん。しかしジローさん、こうした場ではいわゆる“お仕事のお話”は一切なさらず、農家さんと市民の方々をつなげるコーディネーター役に徹しているんですよウインク

それでは、9時の部に参加する方々が集まって来ましたので開催の挨拶を行います。

ジローさんの開催の挨拶を受け、より具体的なタイムスケジュールなどを伝える弓削田よしあき・立憲民主党松戸市党政策委員ニコニコ

さ、“お偉いさん爆笑”の挨拶が終わりましたら、待山さんのお母様が軽トラで運び込んで下さいました“採れたて新鮮野菜”の直売所に向かう参加者の皆さんビックリマークまだ芋ほりをしていないのに、先にお目当ての野菜をゲットの図爆  笑ニヤニヤ

バターナッツは1個200円 白菜、小松菜、あとそれ以外の物は100円。待山さんが育てた地元(古ヶ崎)産のコシヒカリは3㎏で2000円びっくり(もちろん2025年産の新米です)、ですからこのご時世だとかなりお得な価格設定ですチューで、わが家もごっそりお買い上げしました爆  笑(芋ほりは、9時、10時、11時スタートの三部制ですが、遅い時間帯になると人気のある品物がなくなっちゃいますグラサンなので、農業体験での収穫物以外の新着野菜をお求めになりたい方はあさイチの回(9時)参加一択ですよ口笛)

で、ここからが待山さんの芋ほりの実演です。地上に出ている茎が赤いのが「紅はるか」、そして白っぽい茎が「安納芋」です。待山さんはプロですから、芋が埋まっていそうな場所を瞬時に見つけ出し(てか、ご自分で苗植えされていますから、どの辺りが良く育っているのかはそりゃわかりますよね爆笑)、その場で芋の掘り出し方を実践して下さいましたニコニコ

それでは9時ちょうど、スタートビックリマークのホイッスルが鳴ったわけではありませんが、皆さん、縦一列になっての行軍の如く、続々と畑の中を進んでいきますニコニコ

で、ここぞとみ見つけた場所に照準を定め、お借りしたシャベルで掘り起こします。しかし“ここぞと見つけた”場所にある株にどれくらいのさつま芋が連なっているのかは、地上から一目見ただけでは分かりませんので、それは運しだい爆  笑下手すりゃ小さいのが1個ということもあるのですグラサンそれでも一株はひと株ですニヤニヤけど、少ない場合には申告するとちゃんと別のところを掘らせてくれますのでどうぞご安心をウインク

皆さん、わぃわぃキャーキャー言いながら楽しそう照れ爆  笑

しかし「紅はるか」に関しては掘れば掘るほど、一つの株に繋がるお芋が出てきました拍手拍手拍手

こちらが9時の部に参加した皆さんウインク全員で60人くらいでしょうかキョロキョロ

ところが「紅はるか」掘りはなかなか快調だったのですが、「安納芋」になると一転、苦戦あせるあせるあせると言いうのは、「安納芋」の方が地中深くで育ってるようでして、お借りしたシャベルでは中々、株の本体にまで辿り着けない叫び地中の、浅い所に出て来る「安納芋」は「紅はるか」に比べても大きさは精々1/4くらいと小ぶりのものばかり。またシャベルで掘り進めても、中々、地中深くまで掘り下げることは出来ませんショボーンするとそんな時、待山さんや、待山さんのお母様ら、本職の方が“苦戦”しているグループのところに来て、スコップでぐぐっと地中深くを掘り出して下さり、そこで見事ビックリマークたっぷりとした安納芋もゲットすることが出来ましたOK

こちらはchuの直ぐ近くで大汗かきかきあせるあせるあせる汗だくになりながらも、たくさん収穫されましたと嬉しそうな御婦人が居ましたのでインタビューさせて頂きましたビックリマーク今日の成果をお見せ頂き大満足の御様子でしたが、お隣の方はもっと獲ってましたよ、とお伝えするとポーンびっくりガーンとばかりにさらにパワーパワーパワー爆  笑メラメラメラメラメラメラ

そしてわが家の収穫の成果はこちら👇

 

【特別おまけてへぺろ】こちらは、昨日の「農業体験会」の様子をお伝えする関根ジロー立憲民主党千葉県議会議員(千葉県松戸市選出)のブログからの転載です(ジローさん、事後承認ですが転載させて頂きまして、ありがとうございましたウインク)

こちら👇は👆の写真をトリミングして拡大したものでchu(赤で〇囲み)が写ってましたチューしかし実は今回の芋ほり、chuは“芋ほり農業体験”されている皆さまのレポートに励むばかりに撮影に追われ、あまり手は動かせませんでしたあせるあせるあせるだって、一家族に1つのシャベル、でしたが芋ほりに熱中しすぎていた家人が(独占して)手放してくれなかったんですぅグラサンニヤニヤ

こちらが関根ジロー県議のブログ、インスタグラム、Facebookです👇ウインク皆さん、関根ジローさんをどうぞ宜しくお願い致します照れ年末まではほぼ隔週ごとに、千葉県6区選出の安藤じゅん子衆院議員(立憲民主党ですよウインク)と共に行く国会見学ツアーが開催されている他に、来年1月には平和を学ぶ南房総を巡る日帰りバスツアー、同じく来年3月には福島県「東京電力福島原子力発電所」廃炉を考えるツアー(こちらは1泊2日の予定です)などが予定されいます。あ、こうしたイベントに参加出来る方は(選挙権をお持ちの)“千葉県6区(即ち千葉県松戸市民のみが安藤じゅん子さんや関根ジローさんに投票できる千葉6区の有権者なのですが)にお住まいの方に限ります”なんていうキン〇マの小さな制約は一切ありませんのでジローさんの太っ腹ぶりを是非、見に来て下さいねウインクこれらの企画は、全てこちら👇のサイトから情報発信されていますので、“お気に入り登録”をされておきますとお聴き逃すこともありませんので安心ですニコニコ※なおこうした農業体験やバスツアー、国会見学会(国会見学は無料ですが昼食代は自己負担です)などには必要な経費は全て自己負担となっています。議員さんを囲んで「後援会」が行う“お楽しみ会”的などんぶり勘定の行事とは異なりますこと、申し添えます。

【国会見学について】

 

2024年9月16日から21日までの5泊6日の日程で京都、大阪、神戸を訪れた際の様子をお届けしています(てか、遂に実旅後、一年を経過してしまいました(>_<))。前回は、治安が極度に悪化していた幕末の京都において、その治安維持に奔走した「新選組」が誕生した経緯や、結成直後に駐屯していた「壬生寺」を訪れた際の様子などをお届け致しました👇

そして今回上洛の最大の目的を遂げる時がやって来ましたビックリマークそれが「東本願寺」参拝ですチューと言うのは、chuは浄土真宗大谷派(同派の事を「真宗大谷派」と称することが多いです)の敬虔な門徒(浄土真宗では、お他宗さんが自派に属する俗人を「信徒」と呼びますが、浄土真宗では門徒と呼んでいます)。本来であれば東海道新幹線「のぞみ」が京都駅に到着した直後には「東本願寺」をお詣りせねばならぬところを、ホレ、何せ5泊6日分の荷物を持ち歩いていたので、一旦、ホテルに行き荷物を預けることとしたのは良しとして、そこからは観光ルートを勘案した結果、京都駅近くにある「東本願寺」には戻らず、「金閣寺」に出向いてしまったのは既報の通りニヤニヤ

本来であれば入洛直後に参拝を予定していたところだったのですが、その他の旅程の都合上、なんと最終日前日の旅5日目の参拝となってしまったのでした滝汗皆さまからは“敬虔な真宗門徒なんでしょえー”とお𠮟りを受けそうですショボーンはいスミマセン、私はその程度の信仰心なのです…ってことは全くなくて、熱い篤い信仰心を持っています。「正信偈」も諳んじる事が出来ますよニコニコただ、「東本願寺」への訪問が遅くなったことに対しては深く反省することとして、先に進みましょうかウインクで、こちらが「東本願寺」の山門の役割を果たしています「御影堂門(ごえいどうもん)」。このように道路の反対側から眺めていてもその大きさが判るというものですが、正面21m、側面13m、高さ27mで、木造建築の山門としては世界最大級ビックリマークまた木造建築の二重門としては、日本一の高さを誇ります。重層造りで、楼上には東本願寺の正式名称である「真宗本廟(しんしゅうほんびょう)」の額が掲げられ、浄土真宗の根本聖典『仏説無量寿経』が説かれた場面を表す、釈迦如来・弥勒菩薩・阿難尊者の三尊像が安置されています(通常非公開)。国の重要文化財にも指定されています。

そして、今の説明の中で“楼上には東本願寺の正式名称である「真宗本廟」の額”と言及してしまいましたが、実は「東本願寺」の正式名称は「真宗本廟」と言いますニコニコその理由を語る前に「東本願寺」が誕生した経緯などにつき、ごく簡単に御説明させて頂きますことお許しください。真宗大谷派の本山である真宗本廟(東本願寺)は、親鸞聖人が亡くなった後、彼を慕う弟子たちが聖人の遺骨を納めた廟堂を建て、そこに聖人の影像(お姿を写した像)を安置したことに始まります。当初は簡素な墓所でしたが、1272年頃に現在の大谷本願寺湖地がある場所に改葬され、聖人の影像を安置する廟堂が建てられました。これが「大谷廟堂」と呼ばれるようになりました。その後、第3代覚如上人の時代に「本願寺」という寺号が名乗られるようになり、次第に寺院としての形が整えられていきました。現在の「真宗本廟」は、親鸞聖人の影像を安置する「御影堂」と、本尊の阿弥陀如来を安置する「阿弥陀堂」という二つの主要な建物で構成される両堂形式となっています。 また浄土真宗の本山には、この「東本願寺」とは別に直ぐ近くには「浄土真宗本願寺派」の総本山である「西本願寺」があります。浄土真宗には10ほどの分派があり「真宗教団連合」による緩やかな連携関係にはあるのですが、その中でも一番勢力(門徒数)を持つのが「西本願寺」(門徒数790万人は日本国内の宗派別の中で最大です)を総本山とする「浄土真宗本願寺派」で、親しみを込め“お西さん”とも呼ばれています。対するchuが属する「真宗大谷派」(門徒数は浄土真宗本願寺派に次ぐ780万人)の総本山が「東本願寺」でして、愛称は“お東さん”、浄土真宗各派閥の中では2番目の規模を誇ります。では、本願寺派の本山が「西本願寺」と呼ばれているのに対して、大谷派の本山には「東本願寺」という立派なお寺があるのに正式名称を「真宗本廟」と呼ぶのでしょうか。例えば大谷派の最高規範である『真宗大谷派宗憲』(以降、『宗憲』)には、「真宗本廟は、宗祖聖人の真影を安置する御影堂(ごえいどう)及び阿弥陀堂を中心とする聖域であって、本願寺とも称し、本派]の崇敬の中心、教法宣布の根本道場である」と規定されています。しかし1969年になり、いわゆる「お東騒動」という真宗大谷派内部での対立が顕在化。大谷派内部でのこの抗争はこの後10年にも及びました。この対立の背景には、“法主を絶対的な存在として尊崇し、権限を集中させる考え方”と“各個人の信仰を大切にし、教団の民主的な運営を求める改革派の考え方(同朋会運動)”という、近代社会における宗教のあり方をめぐる二つの異なる考え方がその根底にありました。この対立を受け大谷派内部は大混乱をきたすと共に、外からは単に大谷派内部の権力争いとみられていたことから“お東騒動”と揶揄されていたのです。しかしこの騒動の結果として1987年(昭和62年)には「単位宗教法人本願寺(通称 東本願寺)は、「包括宗教法人 真宗大谷派」によって解散させられ、「包括宗教法人 真宗大谷派」に吸収され、その直属の宗教施設とされたのでした。その結果、「東本願寺」は単位宗教法人(真宗大谷派)としての寺院ではなくなったこともあり通称「東本願寺」は正式名称を「本願寺」から「真宗本廟」に改めることになったのでした。そのため現在、「真宗本廟」は真宗大谷派が管理する礼拝施設等(伽藍)の総称であり、宗教法人法による「寺院」ではないのであります。こうした流れを受けて、これ以降厳密には、本願寺と呼ばれる寺院は、「浄土真宗本願寺派」本山の「本願寺」(通称「西本願寺)のみとされています。ですがしかし、真宗大谷派の門徒の多くはchuも含めまして“真宗大谷派の本山の名称は「東本願寺」”と信じて疑わず、現在でも「真宗本廟」の通称として「東本願寺」の名称が引き続いて使用されているのでしたニコニコ「東本願寺」と「真宗本廟」との関係につきましてごくごく簡単に記しましたが、門徒ではない、ごく普通の皆さんにはあまり関係のないことですよねウインクしかし実はこれよりすっと昔の、浄土真宗が東(真宗大谷派)と西(浄土真宗本願寺派)に分裂した経緯などにも言及したいのですが、その話をするには織田信長による宗教弾圧と、「関ヶ原の戦い」辺りまで遡らなければなりませんので、紙面の限られたアメーバブログではとても不可能滝汗ですので、墓石屋さんが簡略に説明していますサイトを見つけましたので謹んでこちらにリンクさせて頂きますね👇

で、ここにきて漸くと言いましょうか、やっと「東本願寺(真宗本廟)」の公式Webサイトをリンクさせて頂ける運びとなりました照れ嬉しいですチュー

いよいよです、胸が高まりますビックリマーク
ここで「東本願寺」と京都駅との位置関係👇正面に見えているのが「京都タワー」ですウインク京都駅は「京都タワー」のバスロータリーを挟んだ向かい側にありますので、「東本願寺」と京都駅とは意外と近いと言うことがお判り頂けますニコニコ
「御影堂門」前まで来ました。大きいびっくり一枚のフレームには入り切りませんあせるあせるあせる
「東本願寺」境内の案内図です。光線の関係で見え難いですねニヤニヤ
ですのでホームページに掲載されています案内図をこちらに貼り付けます
そしてこちらが境内のほぼ中央に建つ「御影堂(ごえいどう)」。宗祖・親鸞聖人の御真影ごしんねいを安置する真宗大谷派の崇敬の中心をなす重要な建物です。正面76m、側面58m、高さ38mの規模をもつ世界最大級の木造建築物で、「意匠的に優秀」、「技術的に優秀」という基準を満たし、2019年に国の重要文化財に指定されています。現在の御影堂は、1864(元治元)年の禁門の変(蛤御門の変)による焼失の後、 1895(明治28)年に再建されたもので、阿弥陀堂、御影堂門とともに2011(平成23)年の宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の特別記念事業として大規模な修復がなされました。堂内の正面中央に親鸞聖人の御真影が安置されており、左右には歴代門首の御影や第8代蓮如上人の御影、また十字・九字名号が掛けられています。また中に入ると内陣・外陣に敷かれた畳をあわせると927畳にも及びます(Webサイト内から引用させて頂いております)ニコニコ
「御影堂」内への入退場は自由。拝観料もかかりません。こちらで靴を脱ぎます。
そして後ろを振り返ると「御影堂門」
広い縁側からいよいよ中に入ります。なお「東本願寺」は、真宗大谷派の門徒にとりましては崇敬の中心をなす重要な建物ではありますが、お他宗さんや、そもそも仏教に関心を持たない方には何が何でも訪れなくてはいけない場所ではありません。そのため京都駅から至近というアクセスの良さがあるのですが、この時点での拝観者はそう多くはありませんでした。今まで「金閣寺」「銀閣寺」「龍安寺」などの、写真映えのする人気寺院を訪れていましたので、なんか拍子抜けしましたニヤニヤ京都市内のどこに行ってもあれだけ街中に溢れていたインバウンドの外人さんもチラホラと居る程度。しかし真宗門徒にとりましてはこの静けさの中で親鸞聖人に触れることを夢想できるわけですから有難いウインク広い畳に座り、静かに瞳を閉じ、「南無阿弥陀仏」の念仏を心の中で唱えることは、真宗大谷派門徒にとりましては何にもましてかけがえのない所作なのであります照れ
広大な畳敷の本堂内部。いったい何畳あるのか数えられませんでしたが、927畳と、Webサイト内の案内にありましたよねウインクこんなに広いのですから、思わず寝転がりたくなりますが、それはNGですウインクもちろん、ここで“柔道世界選手権”が開催されることもありません爆  笑
そして今回も、時間さえ合えば「東本願寺」にお勤めされていますお坊さんたちの勤行に邂逅することも出来たのでしょうが、残念ながらそれは叶いませんでしたショボーンま、chuは毎月、自宅近くの真宗大谷派寺院「安楽寺」
にて、月一の「安楽会」に出席し、多くの門徒衆とお勤めをさせて頂いておりますから、今回は「東本願寺」をお詣りできたことで、それで良しとしましょうかウインク
そしてもう一つの重要な建物であります「阿弥陀堂(あみだどう)」。Webサイト内に掲載されています「阿弥陀堂」の写真と、その説明文も転・掲載させて頂きます「阿弥陀堂」👉御影堂の南側に建ち、御本尊・阿弥陀如来を安置するお堂です。御影堂と同じく1895(明治28)年に再建され、正面52m、側面47m、高さ29mの規模をもちます。阿弥陀堂の内陣は、『仏説阿弥陀経』の世界が表現され、天井から柱にいたるまで金色で荘厳されています。また、御本尊・阿弥陀如来の左右には、法然上人をはじめとする七高僧や聖徳太子の御影像が掛けられています。
「御影堂」と「阿弥陀堂」南北に立ち並ぶこの二つのお堂こそ、真宗門徒にとり「東本願寺」最高位の崇敬の中心となる重要な建物なのですニコニコ
それでは、参拝記念のお買い物をウインクお勤めの本や親鸞聖人に関する書籍、CDやDVDなど、東本願寺出版発行の出版物をはじめ、念珠や蝋燭、東本願寺のオリジナル記念品やお土産品などを販売しています。ま、ここにあるグッズは何れもインターネットでも購入できるものなのですが、そこはホレ、やはり“本山に来た”という高揚感がありますので、例え荷物になってもこちらで買い求めちゃいます照れそれが篤い宗教心でもあり信徒とはそういうものなのですニヤニヤ
参拝の記念にお土産をチョイス。chuは自宅にありますお仏壇と実家(姉夫婦が住んでいます)用の二つの御線香を購入しました。なお浄土真宗の御線香のお供えの仕方には特徴があり、その長さが短く、かつ高炉には立てず、火を灯した後は寝かせて置きます。
さて、静かな中でお詣りさせて頂くことが叶いました。とても嬉しいウインク今回、京都を訪れた目的はこれで全て果たせましたチュー最後の最後になってしまいましたが、本当にありがとうございました照れ
しかし、参拝を終えた後も、まだ「東本願寺」への未練…ではないのですが、もう少し深くかかわってみたいとの思いから「本願寺」の境内を出た後に、「東本願寺」の北側に隣接している「しんらん交流館」を訪れました。“浄土真宗の教えに触れる”ための施設でして、ここではこのような体験が出来ます👇
しかしいかんせん、それを全て体験するとなるととてもぢゃないですが時間が足りませんあせるあせるあせる例えば“真宗大谷派について深く触れる”のみが今回の上洛の目的であれば5泊6日の全日程をここに費やす時間と覚悟が必要。しかしchuは「三都物語」として京都府北部の伊根町や京丹後市、はたまた京都府を脱出して神戸まで足を延ばしていましたのでchu自身が頻繁に口上としています“敬虔な真宗門徒”の冠は外さなくてはいけませんね滝汗ニヤニヤグラサンしかしまぁ、それはおいといて、「しんらん交流館」を訪れたことで、教義を深く学ぶにはどうしたらいいのかキョロキョロということを“学び”ましたし爆笑あとはここでは綺麗な🚻をお借りしてから、建物1階に併設されていますcafeにて、早朝より歩き疲れた足を休めましたウインク
以上、「東本願寺」参拝の様子をお届けさせて頂きました。しかしこの日のchuの動きはまだまだ続くのですウインク「東本願寺」から地下鉄烏丸線の五条駅に向かい、そこから地下鉄の終点、竹田駅に向かいました。なお竹田駅には烏丸線と近鉄京都線が通っています。そしてchuは竹田駅から京都駅に戻る際に、複雑な形態があることを後で知ることになるのですニヤニヤ
で、竹田に来ましたのは「城南宮」の史跡を観たかったから。「城南宮」とは京都市伏見区にある神社。創建年は不明と言う程、歴史の古い社なのですが、chuが「城南宮」に関心を寄せるのは、1868年(慶応4年)に始まりました「戊辰戦争」の緒戦である“鳥羽・伏見の戦い”で開戦の火ぶたが切って落とされたところ、軍勢的には圧倒的に優位を保っていた旧幕府軍は、“とあること”をきっかけに形成が逆転され、その後は敗走に敗走を重ね、遂には大阪城を明け渡し江戸に壊走することになりました。その“とあること”とは南西国藩の行った錦旗の偽造ですムキー正義は旧幕府側にありました当時のこと、幕府の温存されている軍事力を恐れた後の歴史に「官軍」を名乗る、南西国藩を主体とする似非官軍は、元々は何もなかった自軍の正当性を吹聴するために、なんと天皇陛下から頂戴すべき錦の御旗を偽造したのでしたガーンムキーそして、元々、帝(天皇陛下)に刃向かうつもりなど、毛頭なかった旧幕府軍ですが、戦の最前線で南西国藩の部隊が掲げた「錦の御旗」ポーンしかしまさかこの御旗が偽造されたものとは露知らず、帝に刃向かうと言うことは即ち“賊軍”のレッテルを貼られるわけですから、それだけは避けたい旧幕府軍は戦意を失い退却を余儀なくされました。“鳥羽・伏見の戦い”では最初こそ旧幕府軍側が優位にたっていたのですが、似非官軍側の狡猾な作戦により形成が大逆転ゲローその戦いの場所となったのがこの「城南宮」付近だったのでした。「新選組」を、そしてchuの第二の故郷でもある福島県の「會津藩」をこよなく偲ぶchuにとりまして、聖地「城南宮」は彼らに哀悼と最大級の敬意を捧げる場所なのでした。滞在時間こそとても短いものではありましたが、今回の京都旅行では実質的に最後の訪問先となりました「城南宮」が、それであったことは、とても意義深い旅だったと思います照れそれにしても天皇陛下が直接、手渡してこそ意味のある「錦の御旗」を勝手に偽造するという、後に明治の元勲と言われた南国藩の首領の卑劣さは、本来であれば日本史の汚点として残さねばならぬところ、“新しい国家を造った”と吹聴する奴らが黒歴史を後世に伝える筈はありません。自分で読み解いていくしかないのであります真顔
竹田駅に戻り、京都駅を目指します。すると竹田駅からは地下鉄で戻るルートと、近鉄京都線で戻るルートの二通りの方法があります。この時chuは「地下鉄バス共通一日券」を利用していましたから利用するのは地下鉄一択なのですが、観光客と思しき三人組が“あら、どちらの電車を使っても京都駅に出られるのね”と会話をしているぢゃありませんかニヤニヤ“おぃおぃ、貴女たちは切符を購入する際、どちらの切符を買ったのですか”とその言葉が口から出かかりましたけど、あの方たちのきっぷを購入した時の様子は判りませんし、所詮、chuもいち観光客に過ぎないのですから、余り出しゃばったことはしないでおこうと、静観したのでしたニヤニヤあの3人グループは、その時来た近鉄京都線の急行電車に乗車しちゃってましたが、購入した切符が地下手鉄のものでしたら、近鉄京都駅の改札口で“お客さん、この切符は使えませんよ、近鉄の運賃のお支払いをお願いします”と言われてただろうなあせるあせるあせるなお、京都駅で繰り広げられていたかも知れない、こうした顛末については見聞しておりませんグラサンま、この手の構造の駅は実は東京でもありまして(JR中央線と東京メトロ東西線の中の駅と、JR総武線と東京メトロ東西線の西船橋駅間は、始点終点が同じですがルートが異なります)、違うルートを使った場合は当然、片一方の切符は無効になります。しかし目的地に着いてからその事実に驚愕することになりますニヤニヤ

今回はここまでパーこの後は、京都最後の夜に繰り出します。ですが“料亭”などには行ってません、てか、行けませんというのが正確ですねニヤニヤグラサン爆  笑

 

 

 

今回は“学生駅ハイ”と題する「駅からハイキング」ニコニコ法政大学「地理学研究会」の皆さんが企画する、開業120年を迎えた日暮里(にっぽり)駅を中心とした街歩きコース。日暮里駅を中心として東へ南、西へ北へとぐるりと回るコース設定で、最後は“日暮里大カーブ”のある金杉踏切を渡った後に常磐線の三河島駅をゴールとする、まぁ、“常磐線沿線民”のchuとしては馴染みのある、かつ、お手軽なコースウインクしかしこの“お手軽”さでありましても、実はだんだん“お手軽”ぢゃなくなってきそうな理由もblog末尾にて告知しますねショボーン先ずは今回のコースがこちらです👇

受付開始は9時30分ですが、早く歩き始めると早く歩き終えちゃいますから、あまり早い時間からは飲みたくない生ビールニヤニヤので、11時ちょい前に日暮里駅に到着ビックリマークわが家からは30分もかからないですからね(電車の実質乗車時間は16分です口笛)で、日暮里駅をスタートしました走る人走る人走る人ここ日暮里駅は、chuの最寄り駅でありますJR常磐線の松戸駅から快速で16分と、わが家から最も近い“都心”と言うことになるのですが、chu的にはこの駅は通過駅(上野・東京方面に行く場合)か乗換駅(池袋・高田馬場方面行く場合)で利用することが殆どで、同駅で下車することは「駅からハイキング」以外ではまずありません。と言った位置付けの駅なんです爆  笑

最初のチェックポイントは「夕焼け小焼けの記念碑」。「荒川区立第二日暮里小学校」の一画にポツンとある記念碑は、童謡「夕焼け小焼け」の作詞者である中村雨紅さんが、同校に勤務していたことからここに設置されたとの事です。しかし日暮里駅からこの場所までの通りの名称は「繊維通り」という、繊維モノを売るお店が密集しているのですが、今回の「駅ハイ」ではその紹介は全くありませんが何ゆえにえー(日暮里駅を起点とする過去の「駅ハイ」ではちゃんと説明されていますけどね真顔)

で、👆のポイントに立ち寄らせるだけのために日暮里駅から東に向かい、しかし直ぐに角度を南に向けると今度は日暮里~鶯谷駅間にあるJR各線(常磐、山手、京浜東北、宇都宮、高崎線)を跨ぐ「寛永寺陸橋」にて日暮里駅の南西方向に移動します。こちらは「寛永寺陸橋」から日暮里駅を眺めた写真。正面左側、3棟のタワマンが建っている所が日暮里駅です。

そしてこの辺りはいわゆる「寺町」。色々な寺院が所狭しと密集しており、中には御守りの自動販売機まで設置している寺院がありました👇「浄名院」さん、おぬし、やりますなグラサン(「駅ハイ」のチェックポイントではありませんでしたウインク)

そしてこちらはチェックポイントの「旧吉田屋酒店」。台東区谷中6丁目で江戸時代から代々酒屋を営んでいた「吉田屋」の建物がここに移築され、種類の販売に用いる道具や資料が展示されているのだそうな。しかし月曜日は閉館の“月曜あるある”爆笑のため残念ながら立ち寄れずえーん(今回参加した日にちは10月6日の月曜日でした)。結果として今回の「駅ハイ」コース中で指定されたスポットの中では最も見どころありそうな場所でしたが残念無念泣と言うことで、リンクにて御紹介致します👇

こちらは、立ち寄りポイントではないのですがお洒落な建物で「HAGISO」。HAGISOの隣にある宗林寺の創建は1701年。境内には多くの萩が植えられ地元では「萩寺」と呼ばれてい親しまれていたそうです。その境内に1955年に建てられたのが「萩荘」という現在の「HAGISO」の前身である木造アパート。元々はアパートでしたが2004年頃から東京芸大の学生さんらがアトリエ兼シェアハウスとして使用し始めました。しかし2011年の東日本大震災後には耐震性への不安と、老朽化も重なり建物の解体が決まったそうです。しかし解体前の2012年に入居者たちによる展覧会が催されたところ、予想を大幅に上回るギャラリーが来場、その好反響を受け建物は改修されることになり2013年3月には民間の「最少文化複合施設」として生まれ変わったそうです。「HAGISO」の1階には「HAGI ART」と「HAGI CAFE」が、2階には宿泊施設「hanare(離れ)」とシェアサロン「HAGI saion」が。“東京の中にポツンとした存在でも、濃密な引力を持っていることで巨大資本により出来た多くの複合施設にも負けない魅力的な場所にしてみせる”という自負とコンセプトを感じさせてくれるスポットです。しかしなぜ、これほどのスポットが「駅ハイ」コース中にありながら、ただのひとっ言も触れられていないのでしょうかえー摩訶不思議な「駅ハイ」と言わざるを得ませんなニヤリ

続いてこちらは“夕やけだんだん”で著名な「谷中ぎんざ」ウインク

日暮里駅のすぐ西側で、駅からは300m、徒歩5分もかからない場所ですが今回の「駅ハイ」では90分近くかけて辿り着きました爆笑ま、それはいいのですがいわゆる“谷根千”(谷中、根津、千駄木)散策の中心的なスポットとして知られており、しかし今ではなんとここにもインバウンドの外人さんが押し寄せていました絶望昔のような下町風情が感じにくくなったことが残念ですチーン

こちらは猫のオブジェ。“谷中と言ったら猫”なのですウインク人慣れした地域猫がそこかしこにごろごろと寝ています爆笑

こちらは日暮里駅方面。今回はここから北に向かいましたからオレンジ色の〇で囲んだこの階段は登りませんでしたが、この階段が“夕やけだんだん”の“だんだん”の所以です。夕方の時刻、この階段をゆっくりと下って来る時の夕焼けの中の景色は「ザ・昭和」の光景なのですねウインク

そしてこちらは「谷中ぎんざ」近くにある「富士見坂」。例えば“富士見坂”や“富士見台”“富士見ヶ丘”なる地名は東京都内に限らず関東近県、或いは山梨県や静岡県、長野県などにも見られる地名。要は“富士山が眺められる”坂であり、台地であり、丘なのですが、実は東京都内にも複数の「富士見坂」はあります。しかし、こうした地名が命名されたのは恐らく江戸時代に遡ると思うのですが、特に戦後の復興期になると高層ビルがどんどんと立ち並ぶようになり、今では、実際に富士山を眺められる坂や台地、丘が残っている所はあるのかも知れませんが、東京23区内ではそのような場所は残念ながらなくなりました。で、この谷中の「富士見坂」に関しては、都内に残る“富士見~”の中では最も最近まで富士山が眺められたそうなのです。しかし今では視界の正面にはそう高くはないのですがビルが立ち並び、見えなくなってしまったのだとかチーン👇によりますと2013年(平成25年)まで、ここから富士山を眺められたのだそうです

あ、ところで“23区内からは、今では富士山が見えなく…”なってませんよニヤニヤ「東京スカイツリー」や「六本木ヒルズ」「渋谷スカイ」などの超高層建築物に登らなくても、ごく普通の高さのビルからであれば富士山を眺められるところは幾らでもありますから、都内及び首都圏の皆さん、どうぞご安心を爆笑

「富士見坂」に飾られていました写真集。こちらの「富士見坂」からは写真のような形でホンモノの富士山が眺められていたようでした。

レンガに囲まれた石畳の谷中の「富士見坂」は中々ロマンチックですよねウインク

荒川区教育委員会による「富士見坂」の説明です。“都内各地に残る「富士見」を冠する地名のなかで、現在でも富士山を望むことができる坂である”と明記されているのですが、その左側には“都心にいくつかある富士見坂のうち最近まで地上から富士山を眺められる坂でした”と書かれたシールが貼られていました爆笑その“最近まで”が、2013年だったのですねウインク

さらに北に進んでこちらは「田端台公園」前から山手、京浜東北線の地上線路と、東北(山形、秋田)上越、北陸各新幹線の高架線路を望みますニコニコ

そしてこの日の“北限”は田端駅。山手線と京浜東北線の分岐駅でもあります。この後は、反転して南に進むのですが、コースマップには“橋から車両センターに入庫する新幹線が眺められます”と紹介され、ビュースポットと案内されていました。ですが金網の目が細かすぎて、あれぢゃ写真が撮れないですよパンチ!プンプンと言うことで写真はありませんドクロ※「お出かけ」と地理が大得意なおじさん(chuの事ですグラサン)の小言。“ビュースポット”とは、映える写真が撮れる撮影ポイントにのみ使える言葉です。ここを“ビュースポット”と紹介しているようぢゃ、「地理学研究会」を名乗る資格はないよなぁ…と、ちょいと厳しめの感想を言わせて頂きましたニヤリ

この後は、山手、京浜東北線の東側の線路沿いを、南に向かって進むだけの何ら変化に富まない、面白みに欠けるルートを淡々と歩かされます絶望ただ唯一の発見と言えばこちら👇オレンジ色で〇囲みしたものですが、何のマークだかお判りですか!?

これですよこれビックリマークチャーハン好きなら誰もが一度はお世話になったことでしょうウインクそしてchuは類まれなき大の“炒飯Freak”ですので、それこそ物心ついた時から知っているものなのですチュー

答えはこちら👇チャーハンの素を製造販売しています「あみ印食品工業株式会社」の本社屋。

今回の「駅ハイ」に参加していて、“今日の一番の発見は何!?”と聞かれたら“「あみ印食品」の本社に邂逅出来たことですチュー”と答える参加者はそう多くはないでしょうグラサン恐らくchuただ一人だけかも知れません爆  笑でもchuにとりましては“チャーハンのルーツ”に出逢えたようでとっても嬉しかったのでしたチュー

 

で、感動する心を抑えて再び「駅ハイ」に集中…するとここは今では東京23区内には数少なくなりましたJR線の鉄道踏切。そう言えば何時ぞやの「駅ハイ」ではやたら“これでもか”と踏切を渡らせることを目的にしたかのプログラムもありましたよねニヤニヤ

しかし今回渡る踏切はこの一ヵ所のみでして、金杉踏切と言います。chuは常磐線沿線民ですので、常磐快速線を使って都心に出る時は車窓から眺めている踏切なのですが、自分で歩いてここを渡るのは今回が初めて🔰です。このエリアの常磐線が開通したのは1905年。今回の「駅ハイ」タイトルにもあるように“開業120年”を迎えたのですが、この踏切は日暮里駅と今日のゴールである三河島駅との中間にあるのですが(とは言っても殆ど日暮里駅に近い場所です)、常磐線の開通に伴い誕生したこのカーブは都内にある各所の鉄道路線のカーブの中でも最大級のもの滝汗そしてこの踏切に立つと、そのカーブの凄さが判るのだとかびっくりまた踏切の頭上には京成本線の高架線路が通っており、急カーブと、頭上を走る京成線線路との構造は“大都会東京ならではの景色”と、「駅ハイ」マップには記載されていますが、はて、これのどこが“大都会東京の景色”なのかは、よく分かりませんなぁニヤリ

金杉踏切から三河島方面を眺めると、向こうに見える高架橋は新交通システム「日暮里舎人ライナー」の線路。で次の写真は京成本線の高架線。そして確かに大きなカーブであると言うことは分りますウインク

ちょうどこの時、常磐線の上りと下りの特急が行き交いました。最高速度時速130㎞を出す、品川・東京・上野と、一番遠くは仙台までも結ぶJR常磐線御自慢の特急「ひたち」号ですが、ここは急カーブですのでかなりスピードを落としての通過となります。

下り特急「ひたち」と、次は常磐線の高架線に沿って、「駅ハイ」ゴールの三河島駅に向かい歩いています走る人走る人走る人写真の電車は常磐快速線ですウインク

金杉踏切付近の地図を拡大してみました👇御覧のように凄いカーブを描いていることがお判り頂けますウインク

そしてゴールの三河島駅に到着ウインク実はchu、三河島駅から常磐線に乗車するのは今日が初めてクラッカー合格

そしてこちらがゴール地点での“完歩手続き” 前年度まではこのようなシステムはありませんでしたが、2025年度から始まった「駅からハイキング」新アプリで導入されたもの。予め決められた時間内にゴール到達手続きをしないと当該コースに参加したことが認められなくなりましたので、なんか窮屈になりましたよえー

こちらが三河島駅のホーム。chuが同駅ホームに降り立った…ぢゃなくて、これから乗るのですウインク初体験です照れ

で、常磐快速線に乗って帰宅🚃ダッシュ🚃ダッシュ🚃ダッシュ 三河島~松戸間は南千住、北千住そして松戸は3つ目の駅。時間にして14分ですが、普段はただの“通過駅”ニヤニヤしかし同駅周辺では現在、駅前再開発が急ピッチで進められており、とてつもなくデカいタワマンが建つのだそうですびっくり

そしてchuの地元の松戸に到着ビックリマークしかし時間は全然早かったのですが、“お疲れさん会”は松戸駅西口駅前にあります何時もの「大都会」照れなおこのお店は「駅ハイ」の帰りにしか寄らないため、マスターから“随分、御無沙汰ぢゃない口笛”と言われちゃいました爆  笑秋の「駅ハイ」シーズン、始まりましたので、またちょくちょく立ち寄らせて頂きますねウインク

そして最後はblog冒頭にも記しました“だんだん“お手軽”ぢゃなくなってきそうな理由”がこちら👇実はJR東日本の東京近郊の鉄道運賃には「山手線内」と「電車特定区間」という、要は多くの利用者がいるため、少ない経費で沢山の利益を上げられる路線として、この区間に指定されているエリア内の運賃は、通常の距離換算の運賃よりも安く設定されていたそうなのです。ところが昨今の物価上昇…“JR東日本よ、お前もか”えーと、利用者からは言いたくなっちゃうのですが、この“優遇制度”を止めるのだとかプンプン利用者の一人として思うのですが、だって赤字路線、例えば100円の利益を上げるためのコストは何千円もかかる、という路線の場合には運賃を割り増ししたり、或いは廃止路線予定の議論の俎上に乗せたりしているのですが、山手線内や特定区間など、言わば“ボロ儲け”している区間であればそれを利用者に還元するのは公共交通機関としては当然ぢゃないのえーと、chuは言いたいのです真顔しかし既に決まったこととして、女将ぢゃなかった、お上(国土交通省)も認可しちゃったそうですので、2026年3月14日以降には、首都圏近郊の電車特定区間、山手線内の区間の運賃は“爆上がり”する予定ですゲローさて、この便乗値上げを受け、chuは今までのように気軽に「駅からハイキング」に参加出来るのか、或いは出来なくなるのかは…来年4月以降の拙blogを見て皆様に御判断頂ければと思います。え!?“運賃が値上がりしたのだから、倹約経費節減のために「お疲れさん会」を止めにしたら”って??おぃおぃ、そいつぁ出来ねぇ相談だぜパンチ!仮にオイラが納得してもアッちの女房(chuの家内です爆笑)が了見しねぃぜい、と、千葉県民でありながら、何故か江戸っ子言葉で断言するchuでした爆  笑

 

 

 

2025年10月4日と5日の2日に渡り、地元の秋祭りに出向いてきました(^^)/ 一つ目は10月4日(土)に京成松戸線みのり台駅近くで開催された「稔台ふるさと祭り」、二つ目は5日(日)にJR常磐線&京成松戸線松戸駅界隈で催されました「松戸まつり」ウインクなおこの二つのお祭りは開催日は毎年10月第一の土曜日曜と決まっており、必ずバッティングしますニヤニヤまた、普通、10月初旬の土日の2日間、なんとなく“晴天に恵まれそうな気候でしょ”的な感覚になるのですが、あにはからんや、2日間の開催のうち、土日の何れかは、或いは二日間とも雨、というのが極めて多い、ある種、“呪われたお祭り”の様相すらあるんですよ叫びそしてそのデータは今年も踏襲されましてゲロー祭りが始まる4日の正午過ぎには、この二つのお祭りが開催された場所の上空には雨雲が広がり、遂には大粒の雨を降らせるではありませんかえーん二つのお祭りとも、演台で演じるものに関しては、タイムスケジュールに従ってのプログラムが組まれていますから、雨に降られた日にゃ、一年間、努力してきた練習の成果を見せる事が出来なくなります泣しかし夕方前には雨も上がり、またchuの知り合いの方が出演するのは18時40分からでしたので、雨が上がりました17時少し前に、「稔台ふるさと祭り」の会場に到着したのでしたウインク同祭りの会場は、京成松戸線みのり台駅の南側、県道281号線(鮮魚街道と呼ばれる、昔からある主要道路ですが、この辺りでは産業道路と呼ばれています)を渡った場所から、南に300m程の駅前通り商店街のエリアをホコ天にしたところです。なお地名の表記は松戸市稔台と漢字なのですが、駅名の表示はみのり台、と平仮名交じりになります。これは「稔」という字が中々、難しいということで、駅名は平仮名交じりとなったそうなのですが、地名の「稔台」は、この地が戦後に外地より復員してきた軍人さんが大挙して入植&開拓された場所でして、入植当初は荒地の台地であり農作物の生産は行われていなかった土壌。そこで入植者は全員で苦労されて台地を耕し、農作物の生産を始められたのだそうです。そのため、この場所の地名は“農作物が稔りますように”との願いを込めて「稔台」としたと聞いたことがありますウインク

では早速、色々な屋台を覗いてみることにしましょうウインクなんつったって屋台は祭りの一番の華…ああせるあせるあせる違った滝汗本当は「みのり神社」の御神輿でした爆  笑しかし神輿の担ぎ手は、毎年、「稔台睦」というグループが担われており、“神輿担ぎたきゃ睦にお入り”なんてキャンペーンは一年を通して行われており、chuは「稔台睦」には入ってませんので神輿を担ぐことは出来ませんニヤニヤなのでchuのこの日の楽しみは屋台の梯子です爆笑またこのお祭りは、入植され当地を築いた方々への感謝を伝えるお祭りなため、主体は地域住民の方。各町会ごとに屋台を出したりキッチンカーを呼んだりと、様々な飲食関係の屋台が出店しているのですが、各町会による出店のため価格は何れもリーズナブル。ま、出し物と言ったらどの屋台を覗いてみてもカレーライスや焼き鳥、焼きそばにフランクフルトソーセージなど似たり寄ったりではありますが、祭の中で食べるのは美味しい。また生ビール生ビールや、日本酒日本酒の飲み比べなどもありますから、こりゃ、タマランチんですチュー

こちらが「スーパーTAIRAYA」前に設けられた演台です。この日は祭開始のの直後からの大雨で、17時頃までのステージは雨天中止となっていたそうでして、この日のために一緒懸命、練習をされていたであろう出演予定者の皆様には本当にお気の毒と申し上げたく思いますショボーン

さて、夜が更けてきますといよいよ、祭りの華である神輿の登場ビックリマーク歴史は古くはないものの、戦後にこの地に入植したされた皆さんが、この地をなんとか“農作物が稔る土地になりますように”と祈念して建立されました「みのり神社」に普段は奉納されているお囃子と、女神輿、男神輿が祭りのハイライトとして商店街の駅前通りを南下して進むのですウインク

こちらは「稔台睦」婦人会の方々が担ぐ女神輿ニコニコ  少し前まで雨が降ってましたから、神輿はビニールで覆われたままの出陣となりましたのはやや興ざめですが、大切な神輿は守られなければなりませんからねウインク

そしてこちらが「稔台睦」の男メンバーが担ぐ男神輿 なかなか迫力がありました合格クラッカー

段々近づいて来まして、その様子は「chuの気ままなお出かけチャンネル」からウインク

 

そしてこの日のchuのお目当てがこちらビックリマーク「両さんバンド」のフォークソングの演奏です。リードボーカルは“両津勘吉”ことT中さんでchuの知り合いの方。他のメンバーはギター2名、オーボエ兼サックス1名、パーカション1名の計5名の皆さんニコニコchuが知っているのはT中さんだけなのですが、年齢層はchuよりもかなり高めながら、この日、披露して下さいましたのは何れも昭和40年代後半の名曲でして、「両さんバンド」の皆さんが恐らく青春時代を謳歌されていた頃に流行った楽曲と思われまして、chuは聴いた事、ありますよウインクと言った世代のものでした爆笑

で、ここでも「chuの気ままなお出かけチャンネル」から、最初に披露して下さりました「岬めぐり」と、ラストの曲となりました「落葉」、そしてアンコール曲として、この会場に居た全員が声を張り上げて歌いました「あの素晴らしい愛をもう一度」を録画しましたウインクこちらが山本コータローとウイークエンドの名曲「岬めぐり」👇

こちらではメンバー紹介と、吉田拓郎さんの「落葉」👇

 
実はchuは吉田拓郎さんの楽曲は好きなんですが、世代的には拓郎さんは少し上ですので多くの曲を知っているわけではありません。ただ拓郎さんの曲の中に「流星」という名曲があり、多分、拓郎さんの曲の中では新しいものとなるのですが、chuはこの「流星」をカラオケでよく唄ったものです照れ(映像は吉田拓郎さんの「流星」です。今回のお祭りとは関係ありません爆  笑)今回、このblogを書く際に検索してリンクさせて頂いたのですが、久しぶりに聴いたら涙が出てきましたチューchuにはまだ泪が残っていましたチュー
そしてこちらがこの会場に居合わせた皆さんで声を張り上げて歌いました「あの素晴らしい愛をもう一度」👇

いやいや、中々、感動的なステージでしたクラッカー合格チューT中さんを始め「両さんバンド」の皆さん、本当にありがとうございましたビックリマークこんな感じで、沢山のリスナーに囲まれての「両さんバンド」のステージでした。そして何より雨が上がってホントにいがったですチュー

そしてコンサート鑑賞後も続きました祭り会場での彷徨爆笑たっぷり食べてたんまり飲むことが出来ましたクラッカー合格

 

日付変わって翌5日の日曜日。こちらは「松戸まつり」ですが、松戸市民を永くやっているchuですが、祭りの起源については知りませんニヤニヤ“松戸の総鎮守”である、あの水戸黄門さまも参拝されました「松戸神社」の例大祭とは異なる、ただの町興しのパフォーマンスだと思うのですが、これが意外や意外、人口50万人強を誇るわが松戸市ですが、駅周辺にはこれと言った商業施設も少なく、お隣の“東の渋谷”と言われている柏市や、“東のニコタマ”の流山おおたかの森駅周辺と異なり、普段の松戸駅周辺の人の回遊がとても少ない、活気に欠ける駅前なのですが、「松戸まつり」開催日に限って言えばもの凄い人出でして、松戸市50万人市民が全員、祭りに訪れたのかって話の混雑模様でしたびっくりポーン市民の皆さん、普段は一体どこで何をされているのでしょうねグラサン

👆と👇 御覧のように工事中の松戸駅。本来であればもうとっくの昔に完成していた「第2駅ビル」なのですが、「2020東京オリンピック」の開催決定を受けた直後の作業員の不足と、人件費や資材の高騰などを受けて開業は大幅に後ろ倒しとされた上に、予定していた箱モノが造れなくなり規模も縮小えーんもうこの工事、10年近くもやってる気がしますよえー

こちらは松戸駅西口のメインストリートを使っての路上パフォーマンスウインクすると、これを見るために出向いたわけぢゃなかったのですが、見事、どんぴしゃりで始まりましたのが、松戸市立松戸高等学校(市立松戸高校、通称「市松(いちまつ)」わが後輩たちの吹奏楽部による演奏でした合格クラッカーチュー

吹奏楽部の演奏…昔はただ楽曲を奏でていたのですが、今ではエンターテインメント性を持たせていろいろな工夫がなされていました。「太陽に吠えろ」「Gメン75」「大都会パートⅡ」のテーマ曲に合わせて、刑事と犯人に扮した部員に別れての捕り物パフォーマンスなど、十二分に楽しめましたウインクけどこれらのTVドラマって、恐らくは部員の皆さんが生まれる前の作品ですから、まぁ、楽譜があれば曲の演奏は出来るのですが、TVドラマは見たことがないでしょうから、想像を膨らませてよく頑張ってパフォーマンスを見せて下さいましたチューちなみに同校は今年で開校半世紀を迎えたそうですが、残念ながら野球部はただの一度も甲子園球場に出場したことはありません。しかし甲子園のアルプススタンドは吹奏楽部の皆さんにおかれましても、きっと思いっきり力を発揮されたい場所でもあるはず。ま、野球部がこの先何時になったら甲子園出場を果たせるのかはまったく分かりませんが爆  笑、「松戸まつり」では高校野球の定番応援曲なども演奏頂ければ松戸は少しは活気づくのではと期待していますウインクちなみにchuは「アフリカンシンフォニー」を聴くと勇気が出てきますよウインク

あとで、高校時代の同級生のグループラインには“「松戸まつり」で吹奏楽部の演奏会を観たビックリマーク”なる書き込みが多数ウインクchuの友達の何人かは、この中に居たのですねウインク皆さん、どちらに居たのかわからなかったので、御挨拶は出来ませんでしたあせるあせるあせるゴメンナサイ爆  笑

なお一つのプログラムは概ね30分刻みでして、間に10分間を挟んで次のグループが準備を始めます。しかし凄い人出でした滝汗滝汗滝汗普段の松戸駅前はゴーストタウンか真顔って感じですから、この日の人出にはホントにたまげましたです叫びドクロ

こちらはもう一つのメイン会場でショッピングビル「キテミテマツド」。昔の「伊勢丹松戸店」を居抜きで使用しているのですが、百貨店の「伊勢丹」と言えば名門百貨店で、松戸に店舗を出したのは1970年代半ばの事。松戸市は明治の頃より千葉県東葛飾エリアの中心都市でして、その証拠に千葉県の支庁や裁判所、地方検察庁の支局など、県や国の主だった機関の地方支分部局(出先機関)があったのですが(※出先機関は今も残っています)、1970年代は東葛エリアの中心地と言うことで名門百貨店も松戸市に進出したのでしょう。その店舗が松戸市の中心街に存在していた頃は松戸駅周辺にも活気があったのですが、やがて「伊勢丹」は撤退。“鶏が先か卵が先か”ぢゃないのですが、「伊勢丹」としては松戸に魅力を感じなくなった(売り上げ減など)ために撤退を決めたのですが、松戸市にとっては“伊勢丹が撤退してから急に街から活気が失われた”と市民の皆さんは感じていますチーン

ま、理由はともかくとして、前述しましたように松戸駅周辺が近隣の自治体と比べ、極めて元気がないのが現状です。但し「松戸まつり」開催期間中だけは違うんだとニヤニヤなおこの「キテミテマツド」ですが、元々は「伊勢丹」がメインテナントでしたので、地下1階から12階までのキャパを持つ、そこそこ大きな営業床面積を有していますが「伊勢丹」退去後に入りました寄り合い所帯の各店舗ですが、全ての床が埋まっているわけではなく、“歯抜け状態”で営業しています。“Coming Soon”の案内は方々の区画に出てはいますが、いったい何時になったら入居してくれるのやら、ですえー

松戸駅西口⇒「キテミテマツド」前⇒松戸駅西口へと回遊しました。ホント、こんなに混んでいるわが松戸市を見たのは一体、いつ以来のことでしたでしょうかキョロキョロ

今度は東口に回って、期間限定・場所限定(千葉県内限定です)で販売されていますモスバーガーの「黒アヒージョベーコンバーガー」を購入ウインクこれは“千葉の醤油グルメフェア”に出品されている商品の一つでして、千葉県内にありますモスバーガー全57店舗にて期間限定で販売されているもの。こちらが“千葉の醤油グルメフェア”のラインナップです👇今回chuが購入したものが左上のものでした。chuはバンズを使ったファストフード系は元々は好きなのですが(学生時代にはバイトもしてたことがあります)、加齢になったためでしょうか、どうもあの手の店舗に入るのも気恥ずかしくてニヤニヤ最近ではトンと御無沙汰していましたが、とても美味しいハンバーガーでした照れ

こちらが“千葉の醤油が決め手”とアピールされています「黒アヒージョベーコンバーガー」で590円ビックリマーク美味でした照れなお醤油は、「キッコーマン」「ヒゲタ醤油」「ヤマサ醤油」にも代表されおります、わが千葉県の特産品でもあるのですウインク

以上、2025年10月4、5日両日に渡り開催されていました「稔台ふるさと祭り」と「松戸まつり」の様子をお届け致しました。それではまた来年バイバイバイバイバイバイ