こんにちは。高橋ゆりこです。
(※ブログを音声で楽しみたい場合はコチラ↓)
「私ばかり責められる。」
そんな風に感じることはありますか?
夫より少し帰るのが遅くなっただけなのに、責められた。
仕事で遅くなっただけなのに。
自分の用事ででかけようとすると、咎められる。
夫はいつも好き勝手に飲みに行っているのに。
家が汚いと怒られた。共働きなのに。
何にも悪いことしていないのに、なぜか私ばかり責められる。
自由奔放に自分勝手に生きている人たちは、何も言われないのに。
一生懸命、真面目に働いて、家事して、育児している、
こんなに頑張っているのに、
私ばかりが責められる。
なんで?
って思うよね。
ずるいよ。
って思うよね。
ちょっと心の中を覗いてみようか。
夫より遅く帰宅したとき、
「遅くなって申し訳ないな」
という思いが、心のどこかになかったかな?
自分の用事ででかけようとするとき、
「私の用事で1人で出かけるなんて悪いな」
という思いがないかな?
部屋が片付いていないとき、
「掃除できてなくて申し訳ないな」
ってどこかで思っていないかな?
かつての私は、
仕事で遅くなるときや、自分の用事で出かけるときは、
ご飯を作り置いて、
子どもの着替えや必要なものも全て事前に準備しておいて、
夫の手を、なるべくなるべく煩わせない準備をしっかりしてから、
出かけていました。
私の中に、
「私は主婦なのに、仕事で夫より遅くなってしまって申し訳ないな」
「ご飯も家事もほっぽって出かけるなんて、主婦としてあるまじき行為では?」
「子どもの送り迎えを夫にお願いするなんて母親失格では?」
という罪悪感が当時すごくあってね。
(ゴリゴリに偏った古い価値観ですね)
そういう罪悪感を持っていたから、
とにかくその罪を少しでも軽くしようと、
夫の手を、
なるべくなるべく煩わせない準備をしっかりしていました。
罪だと思っているから、責められるって無意識に思ってて、
だから無意識に、
「責められたくない」って意識が強く働く。
夫に文句を言われないように。
夫が不機嫌にならないように。
夫に責められないように。
準備を万端にしていた。
それなのに、
嫌味を言われていました。
不機嫌になられていました。
責められていました。
なんで???
って、毎回思ってムカついていました。
こんなに配慮してあげてんのに何で?って。
だけど、
この配慮が、
この意識が、
嫌味を言われ、不機嫌になられていた諸悪の根源でした。
「夫に文句を言われないために」
「夫が不機嫌にならないために」
「夫に責められないために」
という意識は、
「これだけ準備してあげてるんだから文句言うなよ」
「これだけ配慮してあげてるんだから不機嫌になるなよ」
「これだけやってあげてるんだから責めるなよ」
というコントロールの意識です。
「これだけ準備してあげてるんだから文句言うなよ」
「これだけ配慮してあげてるんだから不機嫌になるなよ」
「これだけやってあげてるんだから責めるなよ」
って意識を妻から向けられていたら、
夫がムカついたりイラつくのは当然。
おそらく、
当時の私の準備や配慮から、
「私これだけ準備して配慮してあげてますよ!」
という圧が漂ってたんだとおもう。
作り置きの食事の内容とか、着替えや何やらを置いた場所とか、
それについての説明とかが、
いかにも準備してあげましたよ感っていうのかな。
だから文句言うなよ感っていうのかな。
「私これだけやってあげてますけど何か?」感っていうのかな。
そういう風に、夫には感じられたんだと思う。
だから、
私が用意周到に準備すればするほど、
配慮に配慮を重ねるほど、
夫に嫌味を言われたし、夫は不機嫌になりました。
今の私は、
仕事で遅くなるときや、自分の用事で出かけるとき、
お友だちと遊びに行ったり、お泊まりに行くとき、
な~んも準備せずにそのまんま出かけます。
「家にいる人たちでどうにかしてね~ よろしく~~~」
っていう感覚です。
そしたらね。
家にいる人たちで、楽しくどうにかするんですよ。
必要なものがどこに置いてあるか分からなくて困っても、
それすら「困ったね~」って楽しんじゃってたり。
かつては、
必要なものが見つからないと、
すぐに電話やメールがかかってきて、
「どこにあんの?見つかんなくって困ってんだけど?」
「大丈夫なようにしてあるからって、全然大丈夫なようになってないじゃん」
って不機嫌そうに言ってくるんです。
下手したら、数時間の間に何度も。
それが、今じゃ、何か見つからなくても、
連絡なんてまったく来ません。
「私が居なきゃ夫は何もできない」
「私がやらなきゃ夫はどうにもならない」
なんてのは、全くの幻想でした。
ていうか、
「私はこんなに頑張ってるのに!」
って被害者ぶってたけど、
ほんとうは、
この家から居なくなっては困る重要人物だと、
私が思われたかっただけ。
「私が居なきゃ何もできない!」
って文句を言いながらも、
心のどこかで、
「私がいなきゃ困るんだな」
って必要とされている安心感を得ていた。
歪んでたーーー!
夫が何もできないのは当然。
だって何もさせてないんだから。
全部私がやっちゃってたんだから。
そうやって、夫を何もできない人に仕立て上げたのは自分なのに、
私が居なきゃ何もできないなんて!大人なのに!
とか怒ってて、マジで不毛なことやってたなって思います。
それとね。
何かをしたいときは、必ず夫の許可を取る。
夫からお許しが出なければ諦める。
そもそもお許しが出なそうなことは、先回りして諦める。
ということを、かつての私はしていたのですが、
「お許しをもらう」って時点でね。
夫は許可を出す人。
私は許可を出してもらう人。
って構図を自ら作っていたんだよね。
たぶん、誰でもそうなると思うんだけどね。
相手から「お許しを請われる」ということを、
何度もくり返されると、
自分の方が立場が上なんだなって感じるようになっちゃうよね。
自分が許可するかしないかで、相手の行動を決めることができる。
許可を得たい側は、許可を得るために必死で、
機嫌を取ろうとしたり、あれこれ尽くしたりするわけです。
そりゃ夫婦が対等じゃなくなるよね。
横暴にもなりますよ。勘違いするし。
「夫ばかりが好きなことをやって、自分の都合だけで予定を決められて、ずるい!!」
って当時の私は思ってたけど、
そもそも私が夫の許可を取りに行ってたから、
そんなことになってたんだよね。
当時は、モラ夫だと思ってたし、横暴だと思っていた夫ですが、
実は、とても優しい人です。
今では、いつも私を労り優先してくれます。
そんな優しい夫を、横暴なモラ夫にしていたのは、
紛れもなく私、でした。
罪悪感を持っている人がそばにいると、
人間はなぜか、攻撃したくなります。
罪悪感を持っている人は、
さっきも書いた通り、
その罪を少しでも軽くするために、あれこれ画策します。
かつての私で言うと、
「夫の手をなるべくなるべく煩わせない準備」
これこそが夫を苛立たせ不機嫌にさせていた原因ですが、
私の「責めないでよ」というコントロールの意識の他にも、
私の罪悪感が、
夫の罪悪感を刺激していたという作用も起きていました。
夫の中には元々、
「妻も働いているのに、いつも家事も育児もしてもらっていて申し訳ない」
という罪悪感がおそらくあったのだと思います。
それなのに、
私が必要以上に準備万端にして、
それでも申し訳なさそうにしているから、
夫はバカにされたような気持ちになったんじゃないかな。
オレは、
妻が仕事を頑張っていることを嫌だと思うような
小さな器の男じゃない!
保育園の送り迎えを頼まれることを
煩わしいと思うような人間じゃない!
そういう反感を、夫は無意識に感じていたんだと思う。
もし、
「私ばかり責められる」
と思うことがたくさん起きる場合は、
「自分はどんなことに罪悪感を感じているのか?」
ということに目を向けてみて欲しいです。
その罪悪感は、いつから持っていますか?
何がきっかけで、その罪悪感を自分の中に持ちましたか?
それは本当にあなたが持つ必要があるものですか?
その罪、幻だったりしませんか?
高橋ゆりこの情報はメルマガを中心に発信しています。
メルマガは多くの方に読んで頂いております。
「長いのに面白い!」
「小説のようで読んでて楽しいです」
「メルマガが届いてたらルン♪ってなってます」
と大変ご好評頂いております。
ほぼ毎日、正午に配信中。
個人コンサルや講座、オンラインサロンやイベントの募集は、メルマガのみでご案内することがほとんどです。
ぜひメルマガ登録しておいてください(*^^*)
もちろん無料で、要らなくなったら即解除できます。
「高橋ゆりこ公式メルマガはこちらから」↓
携帯3社(au・docomo・softbank)の
**********@docomo.ne.jp
**********@ezweb.ne.jp
**********@softbank.ne.jp
icloud・ hotmail は、届きにくい報告が多数届いています。
yahooやgmailのアドレスには届きやすいようです。
変更してみてくださいね。
メルマガが届かない場合は、こちらをお読みください。
シェア・リプログ大歓迎です
お知らせ頂かずとも、ご自由にどうぞ。
ユリコばなし(ユリコバ)オンラインコミュニティ
テーマは「高橋ゆりこの人生から学ぶ」
私の実体験をひたすらシェアしまくる場です。