三国志、もしもひとつだけifが叶うなら
三国志において「もしもあの人物が生きていたら」「もしもあの時こうだったら」という、歴史のifがしばしば話題になることを見かけます。ただifの話を始めておいてなんですが、実はあまり三国志のifを考えることに興味はありません。想像する楽しさを否定するのではありませんが、ifを考えた途端、三国志が世界からなくなることを意味するように感じるからです。黄巾の乱から漢が衰退し、三国鼎立を経て、晋が統一するまで約100年に渡る三国志の世界。1800年前の出来事が、今なお人々を魅了していることが奇跡だと感じています。しかし、歴史のifによって少しバランスが崩れるだけで、三国志だった存在が姿を変え、数多くの歴史のひとつとして埋もれてしまう。そして三国志自体が消えてしまうのではないか、そんな考えが頭をよぎるのです。とは言え、そんな当方も三国志で「ひとつだけifが叶うなら」と思うことがあります。三国志そのものの「歴史のif」ではありませんが、横山光輝『三国志』で、特に序盤がリメイクされたものを見てみたいのです。横山光輝『三国志』は本当に素晴らしい作品ですが、だからこそ惜しいと感じる部分があります。それは、劉備が荊州に身を寄せる前まで(コミック版全60巻であれば20巻の冒頭まで)に、しばしば省略されている人物や事柄が見られる点です。もちろん、当時の三国志の知名度や、読者層、漫画として表現するための事情もあっただろうと推測しています。それを承知でいくつか挙げると、以下のような箇所が挙げられます。・軍師が省略される傾向がある(例:孫策の江東攻略時に周瑜がいない、荀彧[荀イク]や郭嘉の影が薄い)・呂布が処刑される場面で、張遼や陳宮が出てこない・官渡の戦いから袁紹の息子たちが滅びるまでの話が省略されている横山光輝『三国志』であれば諸葛亮登場あたりから、『三国志』以外の作品であれば『項羽と劉邦』『史記』などでは、ストーリーをわかりやすく丁寧にまとめ、派手な演出を控えて誠実に描かれる傾向が強くなっているように感じます。これらと同じ筆致であれば、上記のような省略はされなかったのではないかと思います。そうなると、孫策が周瑜とともに戦う姿、処刑される呂布と対照的な張遼や陳宮の堂々とした振る舞い、三国時代で最大の戦役とされることもある官渡の戦い、それらを読むことができたかもしれません。しかし、残念ながら作者は既に亡くなっておられ、叶うことは決してなく、つい「もしも」と考えてしまうのです。もちろん誰か別の漫画家が、丁寧にストーリーを追いかけて三国志演義を描いてくれるかもしれませんが、それでは何か違うように思います。横山光輝氏の歴史漫画は、話題作になるような漫画と比べると、そんなに唯一無二の存在には見えませんでした。ただ、亡くなられてみると、何となく、あんな漫画家はもう出てこない気がするだけなのです。