龐統の人物像の描かれ方の変遷(七・涪の奪取)-全十四回
『三国志演義』の成立において、龐統[ホウ統]に着目して人物像の変遷を確認しています。前回は龐統[ホウ統]が劉備の益州攻略を決断させ、劉璋を殺害して一気に益州を得ようとするが、実現しない様子を確認しました。今回、ついに劉備が益州攻略を実行に移し、最初に涪城[フ城](※2)を奪取する箇所を確認します。9.涪水関[フ水関](白水関)・涪城[フ城]の奪取『三国志演義』で劉璋に援助を求めるものの、対応の悪さに腹を立てた劉備は、益州攻略に進みます。龐統[ホウ統]は上中下の献策を行い、いとも簡単に涪城[フ城]を奪取します。【正史】葭萌関にいた劉備は、援助の少なさや張松が斬られたことなどから、劉璋との間に不和が起こる。龐統[ホウ統]は上中下3つの献策を行い、長期留まると大難が起こると説く。劉備は中策を採用して、白水関の楊壊、高沛を斬り進軍を開始する。【平話】(記載なし)【演義】劉璋からの援助が少ないことに腹を立てた劉備に、龐統[ホウ統]は上中下3つの献策を行い、何も動かないと手詰まりになると説く。劉備は中策を採り、龐統[ホウ統]の計に従って涪水関[フ水関]を守る楊壊、高沛の首を斬り、涪城[フ城]を奪う。(第62回)『三国志平話』には該当する場面はなく、『三国志演義』の成立において、『正史三国志』の記述が取り込まれたのは間違いないでしょう。ここまで龐統[ホウ統]には、「連環の計」と「耒陽で仕事を片付ける」のような智謀を見せる場面や、劉璋を殺害する策が劉備に止められることはありましたが、劉備の勢力拡大に直接貢献することはありませんでした。ここで『三国志平話』龐統[ホウ統]の献策が物語に組み入れられることは、龐統[ホウ統]が劉備のために智謀を発揮させるだけではなく、『三国志演義』の史実化(※3)という点からも、必然だったように思います。小結:『三国志演義』に龐統[ホウ統]が涪城[フ城]を奪う献策が取り入れられ、ようやく劉備のために能力を発揮する姿が描かれている。10.涪城[フ城]での劉備とのやり取り『三国志演義』で涪城[フ城]を奪取し喜ぶ劉備に対して、龐統[ホウ統]は皮肉で返します。この部分は『正史三国志』にもみられる逸話になっています。【正史】勝利が続き涪[フ]で宴会が催され、劉備は龐統[ホウ統]に今日は楽しいというと、龐統[ホウ統]は他人の国を征伐して喜ぶのは仁者のいくさではないと諫めた。劉備は腹を立て龐統[ホウ統]を出て行かせたが、すぐ後悔して呼び戻す。劉備は誰が間違っていたか聞くと、龐統[ホウ統]は君臣ともに間違っていたと答え、劉備は大笑いし元通り楽しんだ。【平話】(記載なし)【演義】涪城[フ城]を奪取して宴会で喜ぶ劉備に対し、龐統[ホウ統]は他人の国を奪い喜ぶのは仁者のいくさでないと皮肉る。劉備は怒るが、龐統[ホウ統]は笑って退席した。その後、劉備は一旦眠ったが、後悔し龐統[ホウ統]に詫びたところ、龐統[ホウ統]は君臣ともに間違っていたと答え、劉備は大笑いし、気持ちは元に戻った(第62回)『三国志平話』には該当する場面はなく、『三国志演義』の成立において、『正史三国志』の記述を取り込み史実化することがひとつの背景だと考えられます。加えて、ここまで劉備に対して何人も益州奪取を後押したものの、煮え切らず機会を逃したにも関わらず、唐突に喜びを見せます。そんな劉備に対して、龐統[ホウ統]はひとこと言わずにいられなかったように見えますし、読み手の中には、「よくぞ言ってくれた」と胸のすく思いだった方がいたかもしれません。切れ味鋭い皮肉に対し、劉備は腹を立てたものの、すぐに自らを正して和解します。龐統[ホウ統]も劉備が受け止め行動を改めると信じて、わざと「余計なひと言」を放ったようにも見えます。この場面だけ切り取れば、物語全体に大した影響のない逸話かもしれませんが、度量が大きい劉備と、頭の回転の速さと軽妙さが同居する龐統[ホウ統]の人物造形に一役買っているようにも思えます。小結:劉備とのやり取りを通して、龐統[ホウ統]の人物像が浮かぶ逸話になっている。「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(八・龐統[ホウ統]の死)」に続く(関連ブログ)「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(一・鳳雛の登場)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(二・周瑜の死)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(三・龐統[ホウ統]の仕官)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(四・耒陽県令)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(五・益州攻略を説く)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(六・劉璋との面会)」前回「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(七・涪の奪取)」本ブログ「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(八・龐統[ホウ統]の死)」次回(続き)(※1)各三国志の比較部分では、煩雑にならないよう以下のように表記します。・『正史三国志』を【正史】と記します。内容は蜀書先主伝、蜀書龐統法正伝[蜀書ホウ統法正伝]の抜粋、要旨となります。・『三国志平話』を【平話】と記します。・『三国志演義』を【演義】と記します。カッコ内にいわゆる「毛宗崗本」における巻数を示します。(※2)文献や場面により、涪城[フ城]、涪水関[フ水関]、涪[フ、さんずいにつくりは立+口]、白水関のように、色々な表記があります。本稿では、文献や場面を特定したい場合は表記通りになるよう気を付けていますが、ある程度一般化して細かな差異を気にしなくて良い場合、涪城[フ城]でまとめることで、煩雑になるのを避けることにしています。ただ、使い分けはしていますが、これらの細かな違いはあまり気にせず、大体同じものとしても本筋には影響しないと考えています。(※3)『三国志演義』は成立に際して、従来見られた荒唐無稽な話をなくし、歴史通りの物語になるようにしたとされています。もちろん宣伝文句であり、周知のように多くの虚構が含まれていますが、成立については多くの方が言及しており、例えば金文京『三国志演義の世界』(東方書店)などをご参照ください。