龐統の人物像の描かれ方の変遷(終・最後に)-全十四回
19.最後に龐統[ホウ統]の描かれ方を整理『三国志演義』での龐統[ホウ統]は、赤壁の戦いでの連環の計、耒陽県令となり故意に政務を滞らせてから能力を見せる、落鳳坡での落命といった、存在が際立つ場面がいくつもあります。しかし、益州攻略時に、涪城[フ城](※1)で劉璋を害そうとしたこと、劉備に涪城[フ城]を奪取する献策をしたことを除き、龐統[ホウ統]の姿は多くが創作されたものです。ここまで『正史三国志』および中間地点としての『三国志平話』と、『三国志演義』を比較することで、龐統[ホウ統]の人物像の変遷を見てきました。『三国志演義』に組み込まれた史実ならびに脚色、『三国志平話』内の創作の取捨選択、『三国志演義』になって取り入れられた創作などから、龐統[ホウ統]および周囲の人物の描写には、以下のような特徴があると考えられます。・劉備のために智謀を発揮するまで期待を高め、早すぎる死が惜しまれるようにされている。・軍師(※2)としては一風変わった人間味ある言動を見せる一方、実力主義で合理的な面を持ち合わせる。・劉備の人徳を高める創作の影響で、智謀が強調された面がある。・諸葛亮が占星で死を予兆できるよう、超常的な姿を削除された。・劉備陣営との対立や、諸葛亮との優劣が回避されている。『三国志演義』での龐統[ホウ統]は史実に近い姿は少ないですが、創作が丹念に積み上げられており、諸葛亮と並び称される存在として、強く印象が残る人物になりました。また、時折見せる奔放な姿と、目的のためなら手段を選ばない合理性が同居しており、型にはまらない軍師という印象を受けます。さらに、優れた智謀を持つ龐統[ホウ統]は劉備のみに仕えたとすることで、劉備の徳を表現することにも活かされています。三国志のifとして「もし龐統[ホウ統]が生存していたら」は度々話題にあがりますが、『三国志演義』の巧みな創作による影響が大きいと言えるでしょう。知られている龐統[ホウ統]の姿には創作が多く、『正史三国志』に記される功績は涪城[フ城]の奪取以外に目立ったものはありません。それでも龐統[ホウ統]は劉備の益州攻略を推進し、その死を劉備は深く悼んだといいます。また、名声は呉に届き、耒陽の県令を免官になった時は魯粛や諸葛亮が取りなしています。実際に相応の能力や影響力を持つ人物だった可能性は十分あるでしょう。そんな龐統[ホウ統]は、『正史三国志』で臥龍、鳳雛としてその名が諸葛亮と並んでいることから、創作される対象として選ばれたように思います。その集大成が『三国志演義』であり、諸葛亮と並ぶ智謀を表現し、早すぎる死が惜しまれる軍師としての人物像を作り上げたのではないか。それが龐統[ホウ統]の描かれ方の変遷を確認し、想察した結論となります。(関連ブログ)「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(一・鳳雛の登場)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(二・周瑜の死)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(三・龐統[ホウ統]の仕官)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(四・耒陽県令)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(五・益州攻略を説く)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(六・劉璋との面会)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(七・涪の奪取)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(八・龐統[ホウ統]の死)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(九・まとめ1 智謀と早い死)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(十・まとめ2 人間性)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(十一・まとめ3 劉備の人徳を補強)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(十二・まとめ4 超常的な姿の削除)」「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(十三・まとめ5 劉備陣営との対峙を回避)」前回「龐統[ホウ統]の人物像の描かれ方の変遷(終・最後に整理)」本ブログ(※1)文献や場面により、涪城[フ城]、涪水関[フ水関]、涪[フ、さんずいにつくりは立+口]、白水関のように、色々な表記があります。本稿では、文献や場面を特定したい場合は表記通りになるよう気を付けていますが、ある程度一般化して細かな差異を気にしなくて良い場合、涪城[フ城]でまとめることで、煩雑になるのを避けることにしています。ただ、使い分けはしていますが、これらの細かな違いはあまり気にせず、大体同じものとしても本筋には影響しないと考えています。(※2)軍師という言葉はあいまいな面があり、状況によって指している立場や役割が変わります。「戦場で策略を立てる」「主君を支え助言をする」「勢力の将来像を描く」のようなものがありますが、ここでは「主君のそばにいて、勢力のグランドデザインを描いたり、策を立てたりする参謀」のような意味合いとお考えください。