GAS MUSEUM 」のことを思い出したついでに、

先日の小平辺りひと周りで訪ねたもう一箇所、「小平ふるさと村」のことも書いておこうかと。


小平ふるさと村


ぐるっと回るだけならほんの10分もかからずに一周できてしまう小さな園内に、
市内にあった古民家の類いを移築してあるという施設。


農家の住居母屋



江戸中期から後期にかけての農家の住居母屋と玄関棟、水車小屋、

穀物倉や釣瓶井戸が配置されたほか、明治末期の郵便局舎や消防小屋と火の見櫓もあるのですね。


小平ふるさと村 水車小屋


小平ふるさと村 釣瓶井戸


小平ふるさと村 火の見櫓


どれも興味深いところながら、いわゆる古民家は他の場所でも見られるわけでして、
そう考えると最も「おお!」と思いますのは、開拓当初の復元住居でありましょうか。


だいたい古民家として保存されているものは、その土地土地の名主や庄屋、
とにかく農家であれば豪農の(農民ながらも)立派な邸だったりするのが普通ではないかと。


それに比べて、開拓当初というのは初めてその土地に入った開拓民の住まいであるわけですね。
保存された現物ではないものの、今の小平市のあたりの開拓を差配した小川家に伝わる古文書に
江戸初期のものと思しき住宅の規模や材料などが詳細に記述されており、

これを頼りに再現したのだそうです。それが、この写真。


江戸初期 開拓当時の復元住居


遠めには案山子ばかりが目立って、さほど強い印象でもなかろうかと思いますが、
近づいてみると、解説板の説明につい頷いてしまう作りが見てとれるのですね。

開拓当初の復元住居 近景


「壁は茅か麦わらでかこっただけ」ですよ。
残念ながら中が思い切り暗かったので写真はありませんけれど、
「床は竹のスノコか籾殻、藁くずを地面に敷きつめ、筵を敷いたもの」だったのだとか。


今から300年以上前の、いわば庶民の住宅。
これを見たときには、今と300年前との住宅事情の違いというよりは、
その300年前の住居はそれよりさらに何千年も前の縄文時代、その竪穴式住居と

さして変わりがないことに驚かされたわけです。


こちらの方がいくらか床面積が広いくらいな違いこそあれ、 
何千年もあんまり変わり映えのしない住宅事情だったのかぁと。


もちろん開拓当初ということですから、そこでの生活が安定したものになるにつれ、
もそっときちんとした体裁を整えてはいったのでしょうけれど、それにしても・・・。


江戸時代の住まいというと、武家屋敷かせめて町家くらいしかイメージできないところでしたが、
「目からうろこが落ちる」とは大袈裟ながら、こうしたこともまたあったのだよなぁと

実に実に感慨深い思いを抱く小平ふるさと村なのでありましたよ。

しばらく前に紙芝居 の話をした折に引き合いに出しました「ハーメルンの笛吹き男」ですけれど、
近くの図書館で見かけた「ハーメルンの笛吹き男」の絵本の表紙にふと「?」と思ったものですから、
唐突ながら「ハーメルンの笛吹き男」のお話であります。


ハーメルンの笛吹き男/レナーテ レッケ ハメルンの笛ふき/ロバート・ブラウニング


見かけた本というのが左側、グリム 兄弟が採集した話をベースに作られた絵本ですね。
そして右側の方はあとから比べるために見てみたイギリスの詩人ブラウニングの詩を

絵本にしたものです。


表紙をご覧になって何とかお分かりになるでしょうか、

ひとつは縦笛が描かれており、もひとつは横笛が描かれている…
まず思ったのは「笛吹き男の笛とは何ぞ?」ということでなのでして。


この笛吹き男の話はそもそもドイツ語では
「Rattenfänger」とネズミを捕る人というタイトルですから、どんな笛を吹いたかはわかりません。

一方、英語では「Pied piper」と言うところからして、

もしかしてここにヒントがありやと期待を寄せたりもします。


「パイパー」が「パイプする人」でしょうから、といってもここでは煙草関係のパイプでなくって
バグパイプとかそっちの方のパイプで、ざっくりと息を吹き込んで音を出す楽器類を演奏する人という。

となれば、「pied」という言葉こそ鍵なのだろうと思うわけですね。
(ちなみに語感的にpideと綴られたケースも見かけますが、これは「トルコのパイ状の食べ物」だそうで…)


そこで「pied」を辞書検索すると「まだらの、雑色の」と出てくるのでして、
そもそも伝承の笛吹き男は派手な色の格子柄だったりという奇抜な恰好で現れるようですので、
まだら模様の服を着た笛吹きということにしかならないなと。


てなことを考えているうちに見つけた一冊の本が、中世史が専門であった阿部謹也先生の

「ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界」というものなのですね。


ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)/阿部 謹也


その口絵にあった図版に「ハーメルンの笛吹き男」の図像としては最古の例とされるものがありまして、
(1592年に、それ以前にあったハーメルンのマルクト教会ステンドグラスから模写したものらしい)
これを見ると一目瞭然。果たして縦笛が正解ということになりましょうか。


ところで、口絵で問題が解決したことはさておき、

この本を読み出してみるといやはや何とも実に興味深い。
ハーメルンの町から130人の子供が失踪した!ということは歴史的事実と考えてもよいようで、
その原因を探っているのでありますよ。


もともとグリム童話集にあるような他のお話と比べて、

「ハーメルンの笛吹き男」の話は妙に具体的ですね。


おとぎ話といえば「昔々あるところに…」てな言い回しで語られるものが多いでしょうに、
130人の子供たちが笛吹き男の後についていって忽然を消えてしまったのは、

(消えた場所は説があれこれのようですが)1284年6月26日のことであると明示されています。

(ブラウニングの詩では、100年くらい後のことになってますが)


それに130人という人数も、

たくさんという人数を表したいとしたらわりと半端なとも思える具体的な数字ですよね。


例えばこうした具体性の点からも

「こりゃあやっぱり単なる昔話ではないんでないの?」という見方がされていたようで、
ハーメルンで起こった集団失踪事件(!)の謎解きには過去からの研究の結果として

三十近い諸説があるのだとか。


その中で相当に注目されたされたのが集団移住説でして、

笛吹き男は移民の募集人ということのようです。
行き先は東部ドイツとかハンガリーとかで、先々の地でハーメルンとの関連付けが探されたりした結果、
特にハンガリーの方ではかなり太い繋がりとも思える論拠が見つかっていたそうな。


ただ、著者はこの説を魅力的としながらも肯定はしないのですね。
こうした移住はハーメルンに限らず行われていたことであったそうで、
この話がどうしてハーメルンなのかに答えることにはならないということもあります。


それだけに後々までハーメルンでの出来事として

語り継がれるには何らかの独自性があったはずということになるのですね。


となると、130人もの子供がいちどきに失踪してしまったという背景には
事故があったのではないかとも想像されるわけですが、

なんだって子供たちが徒党を組んで出かけてしまったのか。
もちろん笛の音というような魔術的要素はないものとしてです。


ここで示されるのは、中世ならでは様子でしょうか。
キリスト教化されたとはいえ、ゲルマン民族には

元来の多神的(キリスト教から言うと異教的)信仰があり、
その名残りというよりはもそっと馴染んだ習俗としての祭りがあったということですね。


祭りの高揚感といったものは、

現代のように個々人にとってのお楽しみの多様化などない時代ではものすごく大きなもので、
ともすると踊り狂ってるんじゃなかろうかという状態で行列行進したりするわけです。


例えばこうした最中に事故発生!他のどこでもないハーメルンでの不幸な出来事。
これが語り伝えられることになった元ではないかと。


突然起こった不幸な出来事を語り継ぐ中では、

あんなにも酷いことは悪魔の仕業に違いないとなっていっても不思議はないのでして、
どんな悪魔かといえば、祭りの笛太鼓的なところとぴったり来るのが笛吹き男というわけですね。

当時の楽師というのはキリスト教化される以前の習俗に近いと目され、
神の恩寵に預かれない爪弾きものであったといいます。

いわば放浪しながら、祭りの無礼講みたいなところをにぎにぎしくしておこぼれに預かるも、
日常的には異端者としてコミュニティには入れられない。
そこで放浪を続けていくといったところでしょうか。


そして、世の移り変わりとともに音楽が見直され楽師のステイタスが上がり気味になると、
いくら笛に吹かれて連れ去られたという話でも楽師そのものが犯人では具合が悪い。
そこで後付けで登場するのが鼠捕り男というわけですね。


こうした話の成立過程にも注目していきますと、

著者が言っているとおりに単なる失踪事件の謎解きではなくして、
この話が生まれた背景、そして変容していった背景たる時代時代の

庶民社会のありようなどにも深く入りこむことになるという。


非常に雑駁にかいつまんでしまっていますので、阿部先生のお叱りを受けそうですけれど、
研究書とは思われながらも実に面白い読み物でもあったなと思うのですね。
改めて中世ドイツへの窓が開ける思いのすること必定と思われますよ。

猪苗代 で訪れた天鏡閣 でもって鹿鳴館時代にタイムスリップ感を得たと書いたものですから、
それでひとつ書き忘れていたことを思い出したのですね。


先に小平霊園 に立ち寄ったときに小平の辺りをひと廻りてなことを言いましたが、
そのときに訪ねた「GAS MUSEUM」のことを書いてなかったなと。


東京ガスでやっている資料館なんですが、
新青梅街道沿いにやおら二棟の煉瓦造りの建物が登場してなかなかに目を惹くところです。
これはこれでまた一気に文明開化の明治日本にタイムスリップというわけなのですよ。


GAS MUSEUM ガス灯館


GAS MUSEUM くらし館


二棟ともに明治期の建物を移設復元したということですから、
煉瓦造りらしきまがいものよりは由緒正しいといいましょうか。
上が明治42年に建築されたという東京ガスの本郷出張所の建物、
下は明治45年建築の東京ガス千住工場計量器室の建物だったそうです。


今ではそれぞれガス灯館、くらし館という名称となって

あれこれの資料が展示されているということですので、
早速ガス灯館から中を覗いてみることにしようかと。


ガス灯館というからには、

「ガスの歴史は灯りから始まった!」こを説き起こしてくれているのですね。

確かにガス灯というだけで文明開化の香り漂うところがあって、

日本でのガスの始まりはガス灯からという気がします。


さりながら、本当のガスの歴史においても灯りとしての利用がそもそもだとは

あんまり意識していなかったような。

なんでも17世紀頃のヨーロッパで石炭を加熱すると不思議な気体が発生し、

これに火を点すという方法が発見されたのだとか。

これが機材にも改良が加えられながらめぐりめぐって、明治日本の灯りとなったといいます。


それではそれまでの日本で夜の灯りはどうしていたのかと言いますと、
パッと浮かぶものに蝋燭がありますけれど、時代劇などによく登場するのが行燈でありますね。
何らかの油に芯になるものを浸して、先っぽに火をつけるというあれです。


これには植物油、動物や魚の油脂といろんなものからとれる油が使われたり、

試みられたりしたようですが、とにかく臭いが出るのが問題であったため、

あんまり大々的に使うんでなしに昔の日本は間接照明だったのですね。


とまれ、こうした灯りの歴史は古く、日本書紀にも
どうやら原油のことらしい「臭水(くそうず)」といった記載があるのだそうです。

(いかにも臭そう…)


かくも灯りの元は臭うものだったようですが、

これが明治になってガスが供給されるようになり、何より臭いの解消は画期的だったのでしょう、

そんなことにも文明開化を実感していたかもしれませんですね。


ところで、ガス灯館の2階は明治錦絵の展示コーナーでありまして、

折りに触れて展示が変わるようですけれど、
出向いたときには「明治鉄道錦絵~レールが繋ぐ開化の架け橋~」展が開催されておりました。


「明治鉄道錦絵~レールが繋ぐ開化の架け橋~」展@GAS MUSEUM



鉄道にガスは直接的に関係ありませんが、

明治期の歴史を見る中ではこれもまた大きな転換を齎したものですから。


後の蒸気機関車から比べると、

あたかも機関車トーマスみたいに小ぶりな汽車とともに沿線風景が描かれていたりするわけで、

当時の様子に思いを馳せるにはこれはこれで大層興味深いものでありました。


さて、ところは変わってもう一つの建物「くらし館」の方には昔の台所の様子が再現してあったりして、
これはこれでまたノスタルジーの世界でありますが、

端っこにおいてあった東京ガスの昔からのCMを見せてくれるコーナーが
なかなか面白かったですねえ。

そうそう、こんなCMあったなぁと懐かしくあれこれを見てきました。


そもそも東京電力も東京ガスもCMに費用をかけるなら、

料金を加減してもらいたいなと思ったりもするんですが、
最近の「東京ガス・ストーリー」なんかもまあ面白くできてるから、

ここでとやかく言うのはやめとくかなと。


ひとわたり見て回ってまた中庭に出たときに気がついたのですけれど、
中庭のそこここにあるガス灯はどうやら本当にあちらこちらで使われていたものらしいのですね。
こちらが横浜、あちらが新橋…とか。


GAS MUSEUMのガス灯


でもって、よおく見るとちらちらとガス灯が燃えておりました。
暖炉の炎の揺らぎにリラックス項かがあるようなことを聞いたように思いますが、
このガス灯の揺らぎの方も昼日中ながら「何となくいいね」というもので、
きっと夕暮れ時にでも見るといっそう「いい感じ」かもしれんなあと。


電気の普及でガス灯は光源から熱源へと役割を変貌させたということですが、
電気の灯りのクリアな明るさとは別の風情があったのだなと思ったのでありました。

ミュージカル・コメディと言っていいんでしょうか。

普通にミュージカルと言えば、芝居の中でやおら歌を歌いだすものをいうのでしょうけれど、

(「Movin' out」みたいにひたすらダンス・パフォーマンスで見せるものもありますが…)

ここでの音楽要素はもっぱらピアノ演奏なのですね。

「2ピアノ4ハンズ」という舞台のことであります。


「2ピアノ4ハンズ」@日生劇場


なんでも今回の来日公演に当たっているお二人がオリジナル・キャストということで、

自ら作・演出なのですけれど、カナダ人のお二人がトロントで掛けた舞台が大当たり!

オフ・ブロードウェイでも6ヵ月のロングラン公演になったそうなのですね。


登場人物は彼ら二人だけ。

ステージ上にはグランド・ピアノが向かい合わせに2台おいてあり、

それぞれのピアノの背景として大きな額縁が置かれているというシンプルなもの。


この額縁に様々な補助的要素が映し出されるわけですが、

影絵だったり、場所を示す紋章やら文字やらだったりするだけで、

例えば動画や何かが出てくるわけでもなく、なんだか手作り感を偲ばせるもの。


それだけにいかにもオフ・ブロードウェイというのがしっくりくる舞台なわけですが、

それが日生劇場でというのは大きすぎることもありますし、

何とはなし今はなきシアター・アプルくらいのイメージでしょうか。


ところでお話でありますけれど、

カナダのどこかしらの町の、ピアノを習っている少年二人。

ときに両親からピアノの練習を強要されてうんざりもし、


はまたまピアノが面白くなってくると「たまには外へ出て遊べ」などと言われたりもしながら、

だんだんとソロ・ピアニストとして活躍する自分の将来像を思いながら、

そして二人が出会ってから互いにライバル意識を抱きながらも同じ境遇を感じていったりするわけです。


そうこうするうちに、「ピアニストになりたい」ではなく「絶対になる!」というリッチーは

音楽学校の試験に臨むも試験官から「才能を浪費してきただけ」と切り捨てられてしまう。


一方、クラシック音楽での行き詰まりを感じたテディは

心機一転、ジャズの世界に飛び込むべくやはり学校の門戸を叩きますが、

「ジャスをなめんなよ」とばかり「クラシックへ戻れ」と言われてしまいます。


確かにこのときにテディが弾いた「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は素人が聴いても

「ジャズになってないんでないの?」という演奏。

もちろんそういう風に弾いてるんでしょうけれど。


やむなく初心者向けの音楽教室のピアノ教師のアルバイトを始めたリッチーは、

習いにきてるのか世間話をしに来ているのかわからないおばさんの相手に辟易し、

テディの方もカクテル・ラウンジのピアノ弾きをやっては客に絡まれてうんざり。

(ここでの演奏は、やっぱり!と思えるビリー・ジョエルの「ピアノ・マン」)


こんな二人が再会して、「俺たちは世界一のピアニストかな?」と自問自答しますが、

もちろん「No!」。では「カナダで一番?」、これも「No!」…。

こうして二人がたどり付いた結論は…?

(と、下にその結論を書きますので、ご容赦ください)


人生そうそううまくいくことばかりではないですよね。

彼らがたどりついた「俺たちは近所で一番のピアニストだ」という結論には

思わず笑ってしまうわけですけれど、そうした身の丈にあった理解に達して

それを許容できれば、ある意味では幸せかもしれないですね。


そうした失敗と挫折の苦味と今の自分のありようを肯定するところから来る満足感。

互いに反対の感情だとは思いますけれど、なかなか身に沁みるところではなかろうか。

ピアノというに限らず、多くの人には何かしら自分の身に置き換えて「そうだよなぁ」と思える

ものがあるのではないかと思ったり(もちろん自分もですが)。


とまあ、こうした中にピアノの演奏がふんだんに盛り込まれた楽しい舞台でありました。

先に書いたように器としては大きな会場だったのですけれど、

見ているときだけはあたかもオフ・ブロードウェイの小劇場にでもいるかのような

そんな雰囲気にさせてくれたのでありますよ。

ストーリーのことは後回しにして、やっぱりアキ・カウリスマキの映画は
こうであったかと思ったのですよ、映画「ル・アーヴルの靴みがき」を見て。


映画「ル・アーヴルの靴みがき」


といっても、カウリスマキ作品を見るのは「影のない男」以来ですけれど、
極めて台詞の少ないところで見せる点ではなかなかに圧倒的だなと思ったものですから。
(圧倒的という形容自体はカウリスマキ作品には適当ではないにしても、そういう印象で…)


先日見た映画「アーティスト」 はそもそもサイレントで撮っているわけで当然音声はありませんけれど、
映画の中では音は出ないものの何かしら喋っているという場面はあるわけですね。


こちらの映画はといえば、音が出る状態でありながら極めて口数少ないわけで、
その分どうしても映像そのもの、つまり表情やしぐさに集中してしまうことになります。
小津安二郎映画で笠智衆を見てるようなふうでありますね。


トーキー以降、音遣いが自由になったからと言って溢れんばかりの音の洪水へ向かうのとは
大いに異なるところというわけで。


さてお話の方ですけれど、
フランスの港湾都市ル・アーヴルでしがない靴みがきで生業を立て、もはや老境のマルセルが主人公。
たまたまガボンから運ばれてきたコンテナに不法移民が隠れていたのが見つかり、
警察に保護(あたかも逮捕?)されようというところから一人の少年が逃げ出しますが、
これを何故かしら匿うことにマルセルはなるのですね。


匿うこと自体はいかにも港の裏町人情的なところもあって、
普段はマルセルの一向に払われることのないツケ払いに業を煮やしているパン屋のおかみさんも
八百屋の店主もマルセルの行いにはひと役も二役も買うわけです。


そうはいっても、窓奥からカーテン越しに路地の様子を窺っているような御仁の中には
警察に通報する者も出てくるのですね。


ところが、ここで登場する警視というのがあたかも刑事コロンボが犯人と目した人物に付きまとうように
マルセルの行く先々に出没しては常に警告を発するものの、それ以上のことはせず、
マルセルは疑心暗鬼ながらどうも腹の中が読めない人物。

見てる側としてはマルセルよりは楽観視すると思いますので、最終的にはやっぱりなですが。


結局のところ、難民センターに収容されている少年の祖父を訪ねて話を聞いたマルセルは、
母親がいるというロンドンへ向けて少年を密航させる手はずを調えることまでしますけれど、
さてその結末やいかに…。


話は並行して、重篤な病で入院するも病状をマルセルにひた隠しにする妻アルレッティの姿があり、
つつましやかな暮らしであればこそとも思わせる夫婦愛や近所との関わりがここでも出てきます。
でもって、このアルレッティの病気の行方は?…とこのあたりは「魔法のお話」みたようなふう。


細かいことを言い出すと切りがないほどに、「なぜ?」と思われる部分の登場するストーリーではあります。
少年はなぜマルセルにこうも気を許すのか。
逃げ隠れしていた少年がマルセルと関わるとなぜ平気で人前に身をさらすようなことをするのか。
なけなしの貯えを少年のために吐き出して、妻の治療にかける費用はどうなってるのか…などなど。


でも、こうしたことはどうでもいいわけです。
なぜならば、これが大人の寓話だからなんですね。


不法移民のこともともすれば、

滔々と語ってしまうような問題ではあろうと思いますけれど、そうはしない。


それだけに現実的ではない、リアリティがないとも言えますけれど、
そういう見方をしない心積もりで見て、「これも理屈じゃない人間らしさだね、きっと」と思ったりすることで

何となく「気分もまずまずだぁ」という気持ちで映画館を後にするのが

いいところなんではなかろうかと思うのでありますよ。