西洋美術館常設展ふたたび
先ごろ国立西洋美術館を訪れたのはユベール・ロベール展 を見るためでしたけれど、
ついでといっては何ですが、やっぱり常設展にも足を向けてしまいますよね。
当然展示替えやら新たな収蔵品の展示もありましょうし。


ということで、以前にも所蔵品三昧をやりましたけれど、

こたびは改めて前回 取り上げたのとは別の作品で三昧再びというわけでして、

早速新しく収蔵された一点からまいりましょう。


ヴィンチェンツォ・カテーナ「聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネ」


これは、ヴィンチェンツォ・カテーナ作「聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネ」(1512年頃)であります。

いささか硬そうな素材かなと思えるものの、聖母マリアの見事な青いマントには目が行きますですね。

個人的には同館のカルロ・ドルチの柔和さの方が好みではありますけれど。


お次はバルトロメオ・モンターニャに帰属するとされる「城の見える風景」(15世紀末~16世紀初頭)。

手前のカモにはつい笑ってしまいますですねえ。


バルトロメオ・モンターニャに帰属「城の見える風景」


この作品もどこまで風景そのものを描くことを目的にしていたかという点で、

年代的には別の主題があったやにも思われますが、よりはっきりしているのはこちら。


ギリス・ファン・コーニンクスロー「『パリスの審判』が表された山岳風景」(


ギリス・ファン・コーニンクスローの「『パリスの審判』が表された山岳風景」(16世紀末~17世紀初頭)です。

タイトル読んでそのまんまですよね。確かに左下を見れば「パリスの審判 」であるものの、

描きたかったのは山岳風景だったのでありましょう。


ギリス・ファン・コーニンクスロー「『パリスの審判』が表された山岳風景」 (部分)


唐突に時代は飛びますが、こちらはギュスターヴ・ドレの「ラ・シエスタ、スペインの思い出」(1868年頃)。

しばらく前にダンテの「神曲」 だのペローの昔話 だのと版画による挿絵でもってドレを見ていましたが、

油彩画も実によくしたものではあるなと思うところでありますよ。


ギュスターヴ・ドレ「ラ・シエスタ、スペインの思い出」


さらに飛んでキュビスム 作品、
アルベール・グレーズの「収穫物の脱穀」(1912年)です。


アルベール・グレーズ「収穫物の脱穀」


キュビスムは対象を複数視点で見て描き出したものなだけに、

基本的には視野に収まる範囲を対象にしておかないと、一枚の絵の中が混乱するような気がするのですが、

(もっともキュビスム作品はそもそも一見して混乱してるふうですが)

これはかなり大きな作品なので「ほぉ~」と思ったものです。


マルケ「レ・サーブル・ドロンヌ」


こちらはマルケの「レ・サーブル・ドロンヌ」(1921年)ですけれど、

全般的に厚い塗りでもないながら、波頭だけに盛ってあって写真でもわかりますよね。

これが、なんとも可愛いわけです。


最後はハンマースホイ で締めるとしましょうか。「ピアノを弾くイーダのいる室内」(1910年)。

この静謐さはある種、締めにふさわしいかなと思いまして。


ハンマースホイ「ピアノを弾くイーダのいる室内」


前回も今回も印象派を放っておいてしまってますので、

またの機会には西洋美術館印象派特集とまいりますかね。


とまれ、こうした作品群が東京にいながらにして見られる贅沢をたっぷり味わうひとときなのですよね、

国立西洋美術館は。

アンリ・ル・シダネル展 で見た「閉じられた鎧戸〔ジェルブロワ〕」(1932年)という作品。
鎧戸からうっすら灯りの漏れる窓の様子が描かれているのですけれど、
我ながら誠に唐突だなとは思いつつも「こりゃ、サウロンの目のようだな…」と思ったのですね。


だいたいサウロンと聞いてぴんと来る方がどれほどおいでかとも思いますが、
トールキンの「指輪物語」、というより視覚的なことを言ってますから

映画「ロード・オブ・ザ・リング」に出てくるダークサイドの王の名前でありまして、

中つ国(middle earth)の一角に位置するモルドールという、
常に暗雲垂れ込めた王国に立つ高い塔の上でサーチライトのように光る目だけの存在、
それがサウロンでありますね。


ル・シダネルには申し訳ないながら、思い出してしまったものはしょうがない。
そこで改めて映画「ロード・オブ・ザ・リング」を見てみることにしたという。


ロード・オブ・ザ・リング スペシャル・エクステンデッド・エディション トリロジーBOX セット.../イライジャ・ウッド,イアン・マッケラン,リヴ・タイラー


DVDのSpecial extended editionという代物で、「旅の仲間」208分、「二つの塔」223分、

「王の帰還」250分とただでさえ長いのに全3部作で681分(つうことは11時間21分)にもなるという長尺。
もうおなか一杯というくらいですが、これを一気見で見てしまいましたですよ。


ところで全編を見終えてふと思いましたのは、邪悪なパワーを持った「指輪」の処分が
なぜフロド・バギンズ(イライジャ・ウッド)に託されることになってしまったのかということなんですね。


ここで誠に勝手な思いつきをつらつら記していきますけれど、
この物語がお好きな方には「何と異端な!」と思えるものかもしれませんのでご注意を。

といいつつ、広くそう考えられているのを知らないだけなのかもではありますが…。


魔法使いのガンダルフ(イアン・マッケラン)の呼びかけで、
指輪がサウロンの手に渡ることを恐れるエルフ、ドワーフ、人間といった各種族の代表が集まります。


そこで誰に指輪を葬り去る役を委ねるかということになりますが、
結局のところガンダルフはホビットという小人族の若者フロドに託すことにするわけですね。


これは、ホビットがおよそ戦闘力のない平和なのんびりした種族であるのに対して、
それ以外の種族の場合にはどの種族であっても
指輪のパワーを利用して中つ国の覇権を握ろうとするような行動に出てしまうかわからない、
そうなれば中つ国全体が暗雲に閉ざされてしまう、そうした可能性があるからでしょう。


では、フロドが指輪の邪悪さに負けて、指輪を我が物としてしまう可能性は考えられなかったでしょうか。
指輪をモルドールの火山に投げ込んで葬り去るという旅の途中で、幾度も幾度もフロドは

指輪の誘惑に負けそうになりますね。


最後の最後になっても危うい状態が続くわけですが、

これを何とか振り払って、時には相棒のサムの手を借りながら克服して…
とまあ、この辺りがビルドゥングス・ロマン的な感動に繋がるのかもしれません。


が、とりわけフロドができた人物かといえば他の登場人物に比べれば、

子供も同然(ホビットだからというばかりでなく)。
そこで考えが及んでしまうのは、ガンダルフとしては

指輪の魔力に負けてしまってもいちばん世の中に害のない人物を選んだとしか
言いようがないわけですね。


つまり、フロドが指輪の処分に最適の人物であったわけではなく、
他に任せる者がいないからというネガティヴ・チョイスに他ならない。
まあ、ここまではもしかしたらどなたのご意見とも一致するところかもしれません。


では、ネガティヴ・チョイスであるにしても、

安心してフロドの旅を見ていられるかというとそんなことはないわけで、
ガンダルフには、ホビットには組織的軍事力もなく、たとえ指輪を我が物としてしまったとしても、
ぜいぜい元の保有者である伯父ビルボのように隠し持つか、

悪くしても執着のあまりゴラムという醜い姿になってしまった
スメアゴルのようになってしまうかというくらいなものという考えがあったのではないかと。


スメアゴルも元々はホビットだったわけで、持ってる間指輪を偏愛するものの
それを使って世界制覇をもくろむようなことはなかった。
つまり、指輪の魔力に負けても世界を大きく騒がせる可能性が少ないのはホビットに預けること、
それがこの場合はフロドに託すということになったわけですね。


ガンダルフとしては、大なる犠牲(中つ国の混乱)を免れるために
小なる犠牲(フロドの危険)は止むを得ないと考えていたのではないかと。
さらにいういと、ガンダルフはフロドの旅が本当はうまくいかないことも想定して

布石を打っていたのではないかとも思えるのですが、

それが再三再四現れれるゴラムなのではと思ったり。


塔から落ちても、地下洞窟で落ちても結局無事であったガンダルフなればこそ、
断崖絶壁から落下してよもやもう現れまいと思われたゴラムを再登場させるくらいなことは

お茶の子であったわけですね。

ちと都合よ過ぎの解釈かもですが、

本当に最後の最後でゴラムが現れなかったら指輪は葬れなかったとも言えますし。


最終的には指輪が葬れればベストですけれど、

そうでなくともフロドかゴラムが隠し持ってしまうならそれも次善ということですね。


ただ、そうであるなら最初からゴラムに指輪を与えてしまえばそれでお終いではないかとも言えますが、
それではゴラムを指輪が持っていることを知る機会のある者が多々生じてしまい、
指輪を追ってゴラムを探す輩が現れないとも限らない。


指輪が葬られないとするなら、最終局面でもって誰の手に渡ったのか分からないまま、
指輪共々姿を隠してしまうということになる必要がありますね。


最初は「旅の仲間」と威勢よく出掛けた一隊は、やがてフロドとサムだけの行動に移りますけれど、
後になってフロドが一人で旅を続けたものと思ったガンダルフが、

サムも一緒であると知ったときの微妙な表情をご記憶の方もおいでかと。


その後ガンダルフはひと言「サムも一緒。それなら安心」みたいなことを言いますが、
ガンダルフにとっては思惑違いだったろうなあと見えましたですねえ。


…とまあ、物語全てに敷衍された点で合理的な考えになっていたかどうかはともかく、
こうも考えられるかなと思ったまでということはありますよ。

今回のうつくしま福島紀行は5月3日から5日まででありましたけれど、
最初から最後まで天気がよろしくないというのはそうそうないことかなと思うわけですね。

毎日毎日雨が時折ぱらつくどんよりとした曇り空で、気温も上がらずなかなかに寒い思いをしてました。


そんな中で、東京ではひと月ほど前に終わってしまった桜の花がここでは見事に咲き誇っておりました。
猪苗代で泊まった宿への行きしなに通りかかった土津(はにつ)神社でも桜が見えましたので、
帰りがけに立ち寄ってみたというわけです。

猪苗代土津神社


東京での桜の名所と言えば

公園のようなところに実にたくさんのソメイヨシノが一面を桜色に染めるふうですけれど、
ここでは山間にあって他の木々と桜が同居しているわけでして、

これはこれで引き立つ対比だなと思ったり。

土津神社の桜①



土津神社の桜②


なんでもこの神社は会津藩初代藩主保科正之を祀っているのだそうですが、
保科正之とは徳川二代将軍秀忠の庶子である幸松(大河ドラマ「江」 にも出てきたですね)の後の名で、
奥の院には墓所もあり、これが国の史跡にされているという由緒でありました。


土津神社の桜③


それだけに当地の人々の尊崇を集めてたりするのか、
いささか尋常ならざる熱心さでお祈りをしている女性がおりましたですね。


一方で、「保科正之を大河ドラマに!」みたいな貼紙がみられたのも同様の熱意かもですが、
客観的に考えると「大河ドラマの主人公には、ちとインパクトが弱いような…」と、

大きな声では言えませんが。


それにしてもこの神社を最初に見たときに「おや?」と思いましたけれど、
白い鳥居というのは珍しいのではないですかね。

土津神社の白い鳥居


少々ネット検索してみると、普通に見られる朱塗りの赤い鳥居は赤が魔除けの色だからということで、
白の方は神聖さを表しているのだとか。他に何の塗りも施していない白木の鳥居も見かけますが、
どれを採用するかは神社次第なのでしょうかね…。


ところで、桜といえば「天鏡閣」でもなかなかに立派な桜が咲いておりましたですね。
売店の人曰く、今年は桜が遅そうだと見込んで桜まつりを5月12日にしたら、
4月終わりに真夏日が来てしまって一気に咲いてしまったらしい。


天鏡閣の桜


おそらく5月12日の桜まつりは結果的に葉桜の元で行われたかもしれません。
こうしたことを全国各地で巻き起こしながら、桜前線は日本列島を北上し続けるのでありますなぁ。

ユベール・ロベールが描いたルーヴル美術館を廃墟に見立ててしまった絵を見たのは、
軽井沢のメルシャン美術館 だったでしょか。

そのときに「廃墟」というのもまた実にあれこれと想像力を逞しくさせるものがあるものよと思ったのですね。


工場萌え 」ならぬ「廃墟萌え」なるものも一つの嗜好としてあるのも頷けるというか何というか。

ですから、国立西洋美術館で開催中の「ユベール・ロベール-時間の庭-」展は気になるところでして、
まもなく終わってしまうとなってようやっと見てきたというわけであります。


「ユベール・ロベール-時間の庭-」展@国立西洋美術館

さりながら、見てくるにあたってのアプローチを誤ったかなと思うですね、個人的に。
先に言ったようにユベール・ロベールを見る魅力は何よりもそこに描き出された廃墟から
自由な想像力の遊びを愉しむことにあったのではないかと、これまた個人的ですが、思うわけです。


それを絵画作品としてじっくり目を向けてしまうと
「ロベールって画家は本当に上手なのか」てな思いが湧いてしまい、
そうなると何とも楽しめないままに会場を一巡するということになってしまったという。


そもそもユベール・ロベールは、父親がスタンヴィル侯爵の侍従であった関係から、
侯爵の息子であるスタンヴィル伯爵がローマ大使として赴任する際に随行して
イタリアに行ったのですね。


11年間も滞在していたローマでは、
アカデミー・フランセーズでも寄宿も勉強も許されたそうですから当然絵画の素養はあったでしょうけれど、
本来ローマ賞というアカデミスム的な栄誉を勝ち得て初めて来られるところに
およそ美術上のバックグラウンドなしに入り込んでしまった。


よほどの素養だったのかとも思うものの、
そういう例外的なことってあんまりアカデミーの人たちがやりそうなことではないなと思えば、
やっぱりローマ大使のご威光?と思ったりしてしまうわけです。


でもって作品の方を眺めやってみると、数々の素描を見ながらだんだんもやもやしてくるのですね。
そんなところで参考的に展示されている他の画家の作品を見てみると「やっぱり…」と思ってしまったり。


例えばイタリア滞在中のロベールが一緒にスケッチに出かけたりもしたというフラゴナール の作品。
統一感のある柔和さがあるといいましょうか、実に素敵だなと思えるのでして、
スケッチとはいえ、人間が活き活きと描かれているのですね。

残念ながらロベールの描く人間は、いかにも線描の絵だなと。


油彩の方もブーシェが描いた風景の中のほんの小さな一部としての子供や洗濯女たちも
同じような対象を描いたロベールと見比べると、どうしてもブーシェ に目が向いてしまいます。

そんな個人的な印象をよそに、ロベールはイタリアからの帰国後には本国のアカデミーに迎えられ、
「国王の庭園デザイナー」としてもサロンはもちろん画家としても成功していくのですから、
この残念具合はいったい何なのだろうと改めて思うところではあります。


ただ、本展を開催している国立西洋美術館の館長さんの新聞寄稿に

「そうなのか!」と思えるところがありました。
「自然に帰れ」と言ったルソーの思想に関心が寄せられた18世紀ヨーロッパでは、
「かつて自然を奪った建造物が自然へ回帰しつつある象徴」として
廃墟が新しい意味を託されるようになったのだそうです。


つまり、ロベールが関心を向けた廃墟はまさに時流が見方したというか、

時流にのったものであったわけですね。
同じく館長さんの言葉として「時の風景画家」というのがありましたけれど、なるほどなあと。


もちろん、それだけの存在で片付けてしまってはロベールが可哀想かもしれませんし、
最初に言ったような見方をすれば大きな楽しみを与えてくれるとは思うのですけれど。

猪苗代湖喜多方 寄り、というより会津若松寄りと言ったいいでしょうか、
遊覧船の桟橋がある裏手の高台に天鏡閣という洋館が建っているのですね。
4年前にも猪苗代湖の辺りを自転車で走りましたけれど、ここまでは来ていなかったので、
今回立ち寄ってみたのでありました。

天鏡閣@猪苗代湖


なんでも明治40年(1907年)に有栖川宮威仁親王が猪苗代湖に立ち寄られた際、
風光明媚な土地柄をすっかり気に入ったことから、翌明治41年に建てられた別邸ということでありますよ。


ちなみに「天鏡閣」との命名は、まだ皇太子であった大正天皇が完成直後に訪れた折りに
李白の詩の一節「明湖落天鏡」からなされたとのことでして、
これにつられて猪苗代湖自体も天鏡湖と呼ばれるようになったのだとか。


さりながら訪れたときにはうっすら霧がかかったような曇天で眺望は全くきかず、
建物ばかりを愛でるということになってしまったのは、いささか残念な限りでありましたことよ。


名前の方は漢詩からもってこられたものの、これはあくまで大正天皇の趣味嗜好でありまして、
有栖川宮は青年期に3年余りの英国留学を経験していたせいか、

瀟洒な建物となれば洋館となったのでありましょうか。


アール・ヌーヴォー の意匠を凝らした内装などからは明治の香りといいますか、

世紀末の香りといいますか、そんな雰囲気が漂っておりました。


また観光客向けのサービス(有料ですが)として

明治時代のドレスを纏って館内でどうぞさまざまにお写真を!というのがあって、

実際にそうした衣装を身に着けた女性と廊下ですれ違ったりしますと、
鹿鳴館 時代にタイムスリップしたかのような気分。
ドレスを借りてる人以外も楽しめてしまいますですね。


ところでそうした内部の様子ですけれど、ちと細かくクローズアップしてみるとしましょうか。
まずは照明あたりを中心に。


天鏡閣 照明①


天鏡閣 照明② 天鏡閣 照明③


天鏡閣 照明④ 天鏡閣 照明⑤


照明ばかりではなんですから、ちと違うところにも目を向けてみます。


天鏡閣 椅子の背



天鏡閣 暖炉 天鏡閣 鏡台化粧板


天鏡閣


ときに、ここがしっかりと使用人を抱えたお邸なんだなと思わせるのがこれではないかと。
使用人を呼び出す呼び鈴のようなものと考えたらいいのでしょう。

主賓客室などには押ボタンがあったのだとか。

天鏡閣 呼出用受信機


おお、そうそう明治の香りといえば、こんな言葉遣いにもそれらしい雰囲気がしますよね。
館内で売っていた「天鏡閣ケレー」。カレーのことでしょうね。

天鏡閣ケレー


建物外の売店もこんな看板になってました。
「コロッケレー」とは、果たしてコロッケカレーなのか、カレーコロッケなのか、はたまた?


天鏡閣 コロッケレー


ためしに食べてみたらば、カレーコロッケでありました。
とまれ、こんな辺りにもレトロ感がありましたですよ。