どうにも天候不順でと言いますか、もっと大きく見て気象状況が穏やかならぬと言ったらいいのか、
季節の選手交代も決してスムーズとはいえず、やおら夏ががぶり寄ったかと思うと、
徳俵で冬が必死に堪えているようでいったい春らしい春はどこへ行ってしまったの?てな具合かと。


それだけに「水温む」なんつう風情にも気付かぬうちに過ぎてしまったかと、
まあそんなことを思いつつ聞いてきた新日本フィルの演奏会でありました。
プログラム・ノートに「音楽の形をした水の便り」てなふうにあったものですから。


新・クラシックへの扉#21


ちなみに曲目は、こんな4曲です。

海、海、海と来て、最後に川が出てくるあたり、
プログラミング の意図は奈辺にありや?と思ったりするところですけれど、
アンコールに演奏されたのが、ヨハン・シュトラウス のポルカ・マズルカ「とんぼ」とあっては
まとまりの点であんまり深い意図は無かったのかなとも。


とんぼは水辺をすいすいっと渡って産卵するなぁと思えば、
やっぱり水に絡んだ曲といえないこともないですが。


この演奏会は実のところブリテン目当てで出かけたのですね。
ほんのちょっと前にFM放送でこの「4つの海の間奏曲」を聴いて、少々くくっときたものですから。
ただ、もそっと聴き込んでおかないとスムーズに入ってこないかなと、個人的には。


ということで、結果的に最大の聴きものはドビュッシーということに。
プログラムを見て普通に考えればそう思うところかもですが、
敢えてモルダウを最後に持ってきているところにやっぱり意図ありやと思ったり。


ま、意図云々はともかくとしてですが、新日フィルの演奏は色彩感を出して
ドビュッシーにも馴染むところながら、どうも木管、特にフルートの音色にいささかの違和感が。
「海」を聴きながら「うむぅ」と思ったところが、モルダウの頭のソロではしっくりいましたので、
もっぱらドビュッシーとの相性の問題なのかなと思うのですね。
もし「牧神の午後 への前奏曲」をやったらどうなるのだろうと思ったり。


全体的には縦の線の揃いをもそっと詰めてくれていて、

さらにもそっとドビュッシーらしいもやっと感(演奏そのものをもやっとさせるということではないですが)を

出してくれていたら申し分なしではなかったかと思うところかなと。


とにもかくにもドビュッシーの「海」は、かつてブーレーズのLPジャケットに使われた
葛飾北斎 の「神奈川沖浪裏」のような大波も、蕪村 の詠んだ「ひねもすのたり」の春の波の風情も
やっぱり生演奏の色彩感とダイナミクスで聴くべきかなとは思ったところです。
(と、言いつつ帰ってきてからマルティノンのCDを聴いてますが…)


ところでところで、気付いてみたら今年はドビュッシーの生誕150年なのだそうで。
読響の演奏会でもちょろっと取り上げられたりしてますが、
ドビュッシーの音楽そのものを演奏会で聴けるのはもちろんお楽しみであるにしても、
7月14日からブリヂストン美術館で始まる「ドビュッシー、音楽と美術」なる企画展は
なかなかに待ち遠しいところでありますね。


「ドビュッシー、音楽と美術」@ブリヂストン美術館告知



世紀末から20世紀初頭、音楽も美術も文学もその垣根を越えて作者たちの交流があり、
お互いに影響しあったパリにあって、あんまり人づき合いのありそうにないように思われる
ドビュッシーといえども無縁ではいられなかったでしょうし。

どんな展覧会で、見る者にどんなインスピレーションを与えてくれるのか、
実に実に楽しみだなぁと思うのでありますよ。

福島県 まで来て翌5月4日もまた、やっぱり雨模様。
本来ならば見晴らしの良いであろう道筋を辿るも霧もやいの中とあっては
眺望もきかずじまいでありました。

中津川渓谷


裏磐梯 は4年前に一度来たからとさらっと諦めて通り過ぎ、喜多方まで抜けてしまいました。
折しも昼食どきとなれば、どうしたって「喜多方らーめん」となりますですねえ。


たまたまガイドブックに出ていた店にひょっと到達したものですから、
そそくさと入り込んだんですが、出る頃には結構な待ち状態になってまして、
このときばかりはタイミングがすこぶる良かったようで。

老麺まるや@喜多方


ちなみに「老麺まるや」というお店ですけれど、
ガイドブックに書かれた「太めの縮れめんで醤油味のあっさりスープ」という
喜多方らーめんの特徴どおりとは言いながら、これはかなり旨いもんでありましたねえ。

チャーシューメン@喜多方・老麺まるや


らーめんと言うと普段はかなりこってり系を嗜好してしまい、
ついぞ醤油味のらーめんを頼むことはないのですけれど、ここのはイケます。

実にまろやかなこくのあるスープにすこぉしもっしりした太麺。
万人向きと思いますが、だからといって過不足なしのような。
昭和29年創業というのは、ご当地ものとしては確固たるものなんではないですかね。


らーめんのお次に向かいましたのは、お酒であります。
街なかを見る限り、そこここにらーめん屋もありますけれど、
もしかするとそれ以上に目につくのが実は酒屋(全部が全部造り酒屋ではありませんが)なのでして、
酒の消費量も多かろうなあ、そうなると味に自ずとうるさくなったりするのかも。


ところで、出向いたのは小原酒造なる作り酒屋でして、
「蔵粋」と書いて「クラシック」と読ませる銘柄でお酒を出しているという。

小原酒造@喜多方


以前から通販で入手したものを頂いておりますけれど、やってきたのは初めて。
「クラシック」と読ませる銘柄ですから、その中でもお酒の種類によって
「交響曲」だの「協奏曲」だのといったのがあるんですが、飲んだことのない新しいのがまた出てました。


ところで、こうしたお酒にこうした名前をつけてしまうということは
社長さんは大のクラシック音楽好きかと思えばさにあらず。
なんでもジャズがお好きなんだそうです。


では何ゆえにかようなネーミングかと申しますと、
クラシック音楽、それもモーツァルト を聴かせて寝かすことで出来たお酒だからなんですね。


とかく価格競争になっていってしまった時期があったそうなんですが、
ともすれば安かろうに悪かろうになってしまうところを「これではいかん」と個性を求めた果てに
たどりついたのが音楽を聴かせてお酒を熟成させる方法であったとか。


ただ社長お好みのジャズではうまくいかない、試しに北島三郎を聴かせてもだめ、
バッハベートーヴェン でも違う…と試行錯誤の末にモーツァルトで決まり!となったらしい。
こそっと聞いてみますと、聴かせているのはカラヤン 、ベルリン・フィルらしいです。


蔵の方も見学させてもらいましたが、個性を追求するとなれば造り方にもこだわりたいながら、
それでは昨今の法律はクリアできなのだそうで、木の樽ではなく
自動で温度管理のできる金属製のを使っているのだそうです。
造り酒屋とはいえ伝統と新技術との折り合いをつけなくてはならないのですねえ。

映画「アーティスト」を見てきました。
モノクロ映画であること、フランス映画であること、それなのに(?)アカデミー作品賞の受賞作であること、
これだけの予備知識しかなかったものですから、始まって早々に「え?サイレントなの?」と。
それこそがこの映画のポイントでしょうにねえ。


映画「アーティスト」


舞台は1920年代のハリウッド。
サイレントのロマンティック冒険活劇で鳴らした人気俳優ジョージが
到来したトーキーという技術革新に懐疑的なあまり、
時代から取り残されて没落していく様を描いているのですね。


ただ最終的にわびしく寂しく敗残の余生を過ごすてなふうなのではなくして、
一縷の光明でもって終わるところが「うむ、いい話だ」となる所以でありましょうか。
ずたぼろになってそのまま終わってしまっては何ですし。


ところで、この映画の中で主人公たるサイレント俳優ジョージが言う一言が印象的ですね。
映画の台詞そのまんまではないですが、「俺は単なる演じ手じゃない。アーティストだ」てな言葉。

ここには、ジョージがサイレント映画ならではの芸術性への思いが込められているように思われます。


観客に提供している映画というのはなるほど冒険活劇ですから、
そこのところをもって芸術云々はおこがましいような気がしないでもないですけれど、
トーキーができる前の映画というものは映像と同時に音声を収録し再生する仕組みができていなかった。


このことをもっぱら技術的な面でもって音無し演技にならざるをえなかった…と思ってしまうのは
今から思えばということであって、例えば演劇との違いでいえば
「映画は音も声も出ないのに見せなきゃいけない」ことがむしろ特徴、
というより特長であったのかもしれないと思えたりもするわけです。


トーキーで大成功する新進女優ペピーに

「(音声なしだからこその)大げさな芝居は皆見飽きた」てなこと言われて、
ジョージが怒るのは「自分の演技を嘲笑われた」という以上に

サイレント映画の全否定に思えたからなのではないかと。


「観客は俳優の声を聞きたがっている」という考えも、
サイレントはトーキーに進化するためのステップボードにすぎないと考えればこそであって、
サイレント映画というものの自立性を考えると、ジョージではありませんけれど
ずいぶんな話だなぁと改めて思ったりするのですよ。


ですから、サイレント映画はサイレント映画として確立した手法なのだと考えればよいのかも。
かなり飛躍した例えで言いますと、日本の「能」でもって能役者の声が聞きたい、
あるいは能役者は何故自分で語らないのだとは誰も言わないのではないかと。
「能」は役者が語らないものだと決まっていると誰もが知っているからではないですかね。


サイレント映画も同じように音声なしに見せる演じ手の技が問われるものだとすれば、
能役者が普通の芝居の役者以上にアーティスト的に見られるように
ジョージが「俺はアーティストだ」と言うものも頷けてしまうところではないでしょうか。


本作のミシェル・アザナヴィシウス監督はインタビューに答えてこんなことを言ってます。

映像だけで語るのは映画の純粋型。ヒチコックら名監督の多くはサイレント出身で、視覚的に語るスタイルを持っている。サイレント出身ではないスティーヴン・スピルバーグにも視覚的に展開する手法がある。映画史には視覚的に語る系譜があり、多くの監督がサイレントをやりたいはず。

とかく技術革新の名の下に新しくできたものへどんどん移行していくことがいいことで、
古くからあるものは取って代わられる運命にあるかのようなことは、何も映画に限った話ではないですね。


でも、新しいものに移行していくのが本当にいいことなのか、
古いものをうっちゃってしまってほんとにいいのか、やっと多くの人が考え始めた頃合いなのかも。
そんな折に登場したモノクロサイレント映画「アーティスト」は、映画として面白くできているだけでなく、
そんなことを考える契機にもなるのではと思ったりするのでありました。

福島 での一泊目は土湯温泉というところ。
福島市の市街地をはずれてしばし田畑の間を進んで行き、すこし登り加減の道かなと思ったあたりで、
土湯温泉の看板でひとつ裏道に入ると急に驚くほど山懐といったふうになりました。


歓楽的な温泉なら飯坂だろうけれど、もそっと鄙びていた方がと思ったところ、
思いもかけずの温泉街出現にいささかびっくり。あんまり予備知識がなかったもので。


ところで、相変わらず雨は降り続いていたわけですが、
宿に向かうために渡った橋の下の濁流を見て「これは?!」と思ってしまったのですね。
部屋に入ってから、取る物も取りあえず、ついつい川を見に行ってしまいました。

土湯温泉その1


画像が小さいので迫力(といっていいのか)はかなり減殺されてると思いますが、
直接目にしたときには「すんげぇことになってんな」と思ったものです。
ひとつ上流にあるホテルが建物ごと流れてくるんじゃないかと思いましたですよ。

土湯温泉その2


ちなみに最初の写真の右側に塀のようなものが見えますけれど、
この塀の向こう側には「太子の湯」なる露天風呂があるのですね。


夕方五時までは「混浴たぁいむ!」ということを聞き、勇んで出かけましたら、
(混浴の時間にはまず女性は来なかろうと踏んで、という意味ですが)
他には誰もいないという状況。


寒風ともども吹き付ける濁流の飛沫に身を曝しながらドボンと浸かったものの、
まかり間違ってさらに大きな濁流でも到来した日にはおもむろに流されてしまい、
発見されたときにはすっぱだかてなことが脳裏をよぎり、
ほうほうのていで退散したのでありました。


別の大浴場に足を向けてみると相当な混雑状況でしたから、
みなさんは当然のように理性ある選択をしたのやもしれませぬ。


ところで、露天風呂に付けられた「太子の湯」と言いますのは、
どうやら聖徳太子に肖ってのものらしいのですね。

Wikipediaにはこんな記載があります。

用明2年に聖徳太子の使者、秦河勝(はたのかわかつ)がこの地で湯治を行ったという伝説も残る。

なんでも秦河勝が土湯で湯治したのは、夢枕に立った聖徳太子の薦めがあったからなのだとか。

つまり、聖徳太子も薦める湯治の名湯ということであるらしい。


それから、土湯と言いますとこけしで有名らしいのでして、
温泉街の入口では巨大こけしがお出迎えとなるのですが、到着時にちらりとは見たものの
なにしろ雨模様だものですから改めて見に行くことができず、
宿の中にそこここに飾られたこけしを見て、ふむふむと思うのみ。

土湯こけし


てなわけで、そんな名湯でもってもっぱら食って飲んで温泉入って寝て、温泉入って食って…と
温泉療養とはいいながら健康的なんだか不健康なんだかという滞在をした土湯温泉でありました。


ちなみに先に見た川の様子ですけれど、
一夜明けていささか穏やかにはなったようでしたけれど、いかがでありましょうや。

土湯温泉その3


土湯温泉その4

しばらく前に埼玉県立近代美術館で開催しているときに行こう行こうと思いつつ、
見逃してしまった「アンリ・ル・シダネル」展。
これが新宿の損保ジャパン東郷青児美術館でやってるとなれば、言ってみようと思うわけでして。


とはいえアンリ・ル・シダネルという画家の名前は
今回の巡回展で知るまではついぞ知らずじまいできてまして、
フライヤーに使われた作品を見てむくむくと関心が!といったらいいでしょうか。


アンリ・ル・シダネル展@損保ジャパン東郷青児美術館


1862年生まれのアンリ・ル・シダネル。

遅めの印象派 風にも見えますように「最後の印象派」と呼ばれることもあるそうで。


時期的には当然のように印象派やポスト印象派の影響を受けているものの、
ひと影のない街中の風景などからはフェルナン・クノップフ あたりを偲ばせる象徴主義が感じられなくもない。


アンリ・ル・シダネル「運河〔アミアン〕」

それは、印象派には極めて少ない夕暮れや夜の景色という

輝く光がない世界を描いていることが関係していますですね、きっと。


経歴としてはアカデミスム側のアレクサンドル・カバネル の私塾に学んだこともあって、
初期作はいかにも正統的な風を湛えていたものの、もやっとした空気感が出てきたと思うと、
クノップフを思わせるところまではほんの一投足といったふうでしょうか。

この「朝〔モントルイユ=ベレー〕」(1896年)などまさにの印象です。


アンリ・ル・シダネル「朝〔モントルイユ=ベレー〕」


ただ、光がちらつくような筆触が見えてくるとまた違った趣きでありまして、
「夕日のあたる大聖堂(ボーヴェ)」(1900年)あたりを見ると、
アンリ・マルタン と仲良しであったのもむべなるかなと思ったりしますね。


アンリ・ル・シダネル「夕日のあたる大聖堂〔ボーヴェ〕」

一方でひと影がないとは先に書きましたけれど、
これが際立つとひと気のなさに繋がって例えば岡鹿之助 のような独特の、
なんだか落ち着かない気にさせられる静謐さ、シュルレアリスム の空気に近いものなりますね。


アンリ・ル・シダネル「階段〔ジェルブロワ〕


ところが、ル・シダネルの場合には
描かれた窓のひとつに(多くはひとつにだけ)ポツンと灯りが点っていて、
これが人のぬくもりを想起させる、どうやら特徴なんではないでしょうか。
こうしたぬくもり感はおよそマグリット などには感じないもところではないかと思うわけです。


別の画題、家族の肖像などでは
モーリス・ドニ 描く家族像に温かみを感じたのと同じようなものがあるような気もしますから
ル・シダネルの本来はやっぱり冷たい静謐さにあるのではないなと思われますね。
「手近なもの、特に室内画を、情感を込めて描く画家」とされるアンティミストに位置づけられるのも
分かる気がするところです。


初めて作品に接した画家ではありますけれど、
風景だけでも何やら物語が醸し出されるようでもあるル・シダネルの作品。
また図録でもってじっくりと反芻するといたしますかね。