およそ30分遅れの東北新幹線 で福島駅にたどり着いたときには、やっぱりこちらも雨模様。
いささか足元不如意な両親を連れ立って、さあどうしたものかを思ったわけですね。


東京ではとう終わってしまった桜のシーズンも東北ではこれからでもあるかなと
天気次第では花見山にでも誘うかと思っていたのですけれど、
それも叶わず差し当たり昼飯の蕎麦を啜りながら検討の結果、
母親の行ってみたいという場所に行くことにしたのでありました。


なんでも福島市は作曲家古関裕而さんの生まれ故郷ということで、記念館があるのだそうで。
ただ「古関裕而が作った曲って、すぐに浮かぶの一曲しかないんだけど、何の歌作ったの?」と
母親に聞いてもすぐには出てこないようす。


さりながらたどり着いた記念館では「ああ、あれも!おお、これも!」とまあ、
さながら昭和の歌謡史を垣間見る思いでだったのですね。


とはいえ、個人的にすぐ浮かんだ曲と言いますのは夏の甲子園の歌である「栄冠は君に輝く」でして、
♪雲は湧き、光溢れて…というあれですね。


あとはもう、何の番組だか忘れましたけれど、
とにかく「審査委員長の古関裕而さんです」と紹介されるTVの歌番組かなにかの審査委員長としての
古関さん(記念館で、「オールスター家族対抗歌合戦」だと判明しました)。


両親にとっては何をおいてもNHKのラジオ・ドラマでもって、
放送時間には「風呂屋が空になる」と言われた「君の名は」の主題歌が印象深かったようで。


またいわゆる軍歌だと思っていた「若鷲の歌」ですけれど、
(♪若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨~という曲です)
これは戦争中(のまだいくらか余裕のある時代)の映画の主題歌なんだそうですね。
いわゆる軍歌のなりたちというのは、実は映画からだったりしたでありましょうか。

ただ両親はこの「若鷲の歌」を小学校で歌った(歌わされた?)覚えがあるそうです。


とまれ、古関さんは生涯に5,000曲以上の作品を残されたそうですから、
ひとつひとつ挙げていったきりが無いわけですが(もちろん知ってる曲には限りがありますが)
もそっと多くの方がご存知と思われる曲を備忘的に記してみましょう。

  • とんがり帽子(ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌)
  • 紺碧の空(早稲田大学応援歌)
  • 六甲おろし(阪神タイガースの歌)
  • 闘魂込めて(巨人軍応援歌)
  • 高原列車は行く(宴会カラオケの定番)
  • 東京だよ、おっかさん(島倉千代子の歌) 等々…

それにしても、巨人も阪神も分け隔てなく?依頼に応じるお人柄と、

そのメロディメーカーぶりを買われてか、日本全国の学校や企業に校歌や社歌を提供しているのだとか。


特に福島県内には古関メロディーを校歌にしている学校が102校もあるとなると、
そりゃ記念館くらいは出来てもおかしくないのかもしれませんですね。
まさに郷土が誇る作曲家なのでありましょう。


ちなみに館内には仕事部屋を再現したコーナーがありましたけれど、
おや?と思うのはピアノがおいてないことでしょうか。


そんな仕事部屋で忙しいときには座卓を3つ組み合わせたそれぞれに
五線紙を置いて同時並行で数曲を作曲していたと聞けば、
思いもよらず審査委員長は大したものだったのだなぁと思わずにはいられないのでありましたよ。

藪から棒の記事タイトルですけれど、原語では「Tengo Famiglia」でありまして、
「テンゴ」と聴こえただけで「お、スペイン語か」と思ってしまったのですが、
実際はイタリア語でありました。


スペイン語としてはもっぱら英語の「have」の意味かと思ってたわけですが、
語尾変化する前のイタリア語「tenere」は「保つ」といった意味もあるそうで、
ここでの「テンゴ・ファミーリア」は「家族を養う」と解するのがよろしいのだとか。
なんでも米国のイタリア系移民が挫けず頑張って一家を成していく「合言葉」のようなものであるそうな。


…とここまで来てもまだ藪から棒のふうではありますが、
おそらくはジョー・ディピエトロというお名前からも推測されるように

ご本人もイタリア からの移民の子孫と思しき脚本家の手になる芝居「川を越えて、森を抜けて」を

見てきたものですから。


加藤健一事務所公演「川を越えて、森を抜けて」@紀伊國屋サザンシアター


フランク・クリスターノ(加藤健一)は14歳の時にたった一人で移民船に乗せられ、アメリカに渡ってきます。
イタリアで漁師をしている父親がこのままでは子供の行く末ままならぬという苦渋の決断だったのでしょう。


右も左も分からぬまま、ニュージャージーはホーボーケンの町で大工として腕を磨き、
アイーダという伴侶(竹下景子)を得て家族をもち、早や60年。
すっかり老人になって、今では孫のニックが週末のディナーを共にするためにやってくるのを
最高の楽しみにしている様子。


それにしても、なぜ孫のニックがひとりだけで?
娘夫婦はフロリダに居を移し、もう一人の孫であるニックの妹は結婚してサン・ディエゴに行ってしまい…と、
身寄りで近くにいるのはニックだけになってしまっているのですね。


そのニックが仕事の関係でシアトルへ転勤になるという話を聞かされたフランクとアイーダは、
やはり近くに住んで行き来も頻繁な娘の亭主の両親ともども、何とかニックを引きとめようと画策するが…

というお話。


時の流れは核家族化を呼ばれる現象を見せて、取り分け日本(の都会)では
親戚付き合いのようなものも相当に希薄になっているやに思われますが、
現実は分からないものながら、映画なんかで見る限りは

アメリカでの家族関係、親戚付き合いはまだまだ日本よりも濃い形で残っているようにも見受けられなくもない。


とりわけイタリア系移民の場合には先の「テンゴ・ファミーリア」の思いが強いようですが、
そこんところをあんまり考えてしまうと「ゴッドファーザー 」なんかを思い出してしまいそうになります。


とまれ、家族が平穏にいつまでも共にいられることをひたすら望んできたフランクとアイーダには
ニックがまさに最後の砦であって、ニックが去ることは「自分たちが棄てられる」ことにも等しいのですね。


この辺り、ニックの両親も妹も先にいなくなってしまって

最後に残ったニックへの思いが強烈になってしまうのは
ニックにはいささか可哀想な気がしないでもない。


ニックにしても、シアトルへの転勤は栄転であることから出かける気満々ながら、
全く祖父母のことが気に掛からないわけでなく中々に思い悩むところでもあるという。
こうした話を見ながら我が身を省みると、毎週末とはいかないまでもせめて月に一度くらいは
両親と食卓を囲んでも悪くはなかろうてなこと思ったりもするところですね。


幸い(?)電車と徒歩で1時間もあれば親元にたどりついてしまうような距離。
芝居の中のフロリダやサン・ディエゴ、はたまたシアトル(これはわざと散らしてあるんでしょう)と

ニュージャージーほどに離れているわけではなし、

またニックのように孫でなくって自分は子供なわけですから。


もっとも世の中では子供が成長して孫でもできようものなら、

そっちの方が断然可愛いてなことになるのでしょうけれど…。


東京公演は終りながらこれから全国巡業でご覧になられる方がおいでかもしれませんから、

筋書きをこれ以上書くことはしませんが、
大笑いしながら家族のことをつらつら考えしまったり…という話でありましたよ。


おっと、ひとつだけ筋に関わることではないですが、

お年寄りらしい台詞がよく書けてる芝居だなぁと思ったのですね。


どうしても物忘れが激しくなりますから(最近実感しつつありますが)、

何かと「あれよ、あれなのよ」みたいに「あれ」で台詞を済ませてしまうかもしれませんが、

長年連れ添った夫婦だからって何でもかんでも「あれ」では済まないとすれば、
もそっと違うひと工夫が必要ですね。それをうまいこと料理していたような。
何か芝居めいたことを書こうかなというときのことを考えると「なるほど!」と思わせてもらったのでありました。

福島から帰ってきました。
日頃の行いのせいか?すっかり雨にたたられた感がありますが、
昨日の寒さなどは冬に逆戻りかと思われるものなのでありましたよ。


ところで、出発日であった5月3日のことですけれど、
東北新幹線に乗るために東京駅まで行ってびっくらこいてしまいましたですねえ。


東京駅は普段でも構内の人通りは大変なものながら、
新幹線改札口に到着してみますと文字通りに黒山の人だかり状態。
「GWとはこういうものなのくわぁ?!」と思ったわけですが、
「そうともいえんぞ」を山さんの声(あ、「太陽に吠えろ」です)が聞こえてきそう。


その場ではあんまり詳しい状況が分からなかったのですけれど、
どうやら東北新幹線のいずこかで停電があったそうで、
連休後半初日の朝からダイヤが思い切り乱れているというのですね。


普段でさえ「こんな高速列車が、これほど頻繁に発着してよく大丈夫だな…」と思える東京駅ですが、
連休には合間を縫って臨時列車が入るのでダイヤは一層の過密状態なのですよね。


2012年5月3日朝の東京駅新幹線ホーム



いつもどおりであっても、自分の乗る列車の出発時刻に合わせてやってくるたくさんの乗客を
そそくさと捌いていかなければならないところにもってきて、このディレイに気付かず続々と
乗客はやってくるわけです。


幸いにして駅員に詰め寄ったりする輩を見かけることはなかったものの、
駅員は問い合わせ対応に追われている様子。
アナウンスではお詫びを繰り返しつつも、遅れた列車の到着・出発を実に淡々とこなしていく。
つくづく「駅員さんよ、ご苦労さん」と思ったわけですね。


こちらはまあ遊びに行くだけですし、遅れといっても30分くらいなところで動いてましたから
(といっても、その間にいったい何本の新幹線が発着したことか)
大騒ぎすることもないんですが、こうした乗客を相手にしつつ駅員のみなさんにとっては
「GWに連休もへったくれもない!」てなことでありましょう。


普段の通勤電車で駆け込み乗車があったりすると、発車後すぐに「駆け込み乗車はおやめください!」と
言葉は丁寧ながら「イラっと感」丸出しの車内アナウンスが流れるものですから、
「駆け込んだ奴に行ってくれ」と聞かされた方までイラっと感が急上昇したりすることがありますが、
このときに新幹線ホームのアナウンスは冷静そのもの(少なくともそう聞こえた)。
「うんうん、この人の差配に任せとけば安心」みたいな気になったものでありますよ。


ところで、元々の過密ダイヤを捌く、GWはそれにもまして臨時列車も含めてこなすというのは、
日本人ならでは的なところがあるような気がしてしまいますですね、つくづく。


民族性というのかどうかですけれど、

およそ他の国でこれほどのダイヤをそもそも組めたものではないような気がするわけです。
でも考えてみるとですね、こうした日本人気質が世の中を結果的に忙しくしてしまっているような。
(この辺りまで来ると話は駅員さんに限ったことではありませんが)


実は運の悪いことに帰りの新幹線も途中駅でドアの不具合を点検したとかで、9分遅れでやってきました。
さらに東京駅に着いて、中央線に乗り換えていざ帰宅というときに中央線が2分遅れになってました。


9分?2分?
何の問題があるわけでもない。


新幹線ではありませんけれど、中央線の過密ダイヤぶりも大変なものでして、
むしろ遅れることが当たり前と思った方がいいのでしょう。

けれど、何事もなければこの過密ダイヤを難なく日本人は実現してしまうわけですね。


そして、冷静には過密と理解しながらも、

中央線は2分おきにやってくることが当たり前化してしまうと
「時間通り来ないとイラっ」というぎすぎすした感情も生まれるという。


それなら「最初からどだいそんなダイヤは無理なんですよ、だから列車間隔をあけて運行してるんです」
てなことが日常であれば、そんなもんかと思うんじゃないですかね。
例えば中央線が10分間隔だとしても(今、2分間隔なんでそれと比べると不便と思うでしょうけれど)
最初からそうであったら、そういうもんだと思うのではと。


されど、過密都市東京が機能していくには

これだけの列車を走らせることが前提になってしまってましょうから言っても詮無い話ですが、

大事故無しに運行させている駅員さんよ、ありがとうと言わねばですね。


もっとも、乗客の側も(これまた日本人気質でしょうか)下車駅が近づいたというアナウンスだけで、
そそくさと荷物をまとめて出口付近まで移動して待っているという協力?があって、
ダイヤの定時性が保たれているのでしょうけれど。


Chain reaction of curiosity

ご来訪者各位


平素はjosh's blog 「Chain reaction of curiosity」にご愛顧を賜り、

有難く厚く御礼申し上げます。


毎度お馴染みのお知らせとはなりますが、

このたび、弊店ではうつくしま福島への温泉療養を兼ねての職員慰安旅行のため、

5月3日(木)より5月5日(土)までの間、休業させていただきます。


5月6日(日)より通常営業とさせていただく予定ですが、

仕入れ等の関係により、若干の遅れが生ずることもありますので、

予めご容赦いただきたく存じます。


それまでは、過去記事などをひとつふたつ、ご覧いただけましたら幸甚です。


店主謹白

自立する電波塔としては世界で最も高い634mを誇る東京スカイツリーが間も無く開業とあって、
便乗商品、便乗企画が目白押しの状況でありますけれど、江戸東京博物館で開催中の
「ザ・タワー~都市と塔のものがたり~」というのもまさにその一つでありましょうね。


「ザ・タワー~都市と塔のものがたり~」@江戸東京博物館


内容的にスカイツリーべったりだったとしたら「うむむ…」ということになりますが、
副題に「都市と塔のものがたり」とあるように工夫された展示内容があり、
それなりに楽しむことができたなと思うのでありました。


まずは塔の起源として、バベルの塔と仏塔の紹介がされます。
これは東西対比、キリスト教と仏教とを象徴的に取り上げたということでしょうか。


もっとも「バベルの塔 」は旧約聖書で語られる話であるにしても、
展示解説にもあったとおり、紀元前3000年から紀元前1000年くらいのメソポタミアで建設された
ジッグラトをモデルとしているのですから、オリエントのものであってそもそも東西対比とは言いがたいですが。

一方、仏塔の方はサンスクリット語のストゥーパとして仏舎利の器として始まったものが

巨大化していったわけですね。


ストゥーパの語は日本で「卒塔婆」として生きていますけれど、「塔」という言葉そのものも
ストゥーパから来てると言われれば「なるほど」と思うところです。


言うまでもなく仏教はインドから中国経由で日本に入ってきますけれど、
ストゥーパも中国を経由する段階で楼閣建築による多層塔になって日本に入ったわけで、
日本のお寺さんに五重塔とか三重塔とかが作られることになっていくという。


ただ思い返してみると、歴史の中で都であった都市、代表的には奈良や京都ですが、
立派なお寺さんがたくさんあり、そのお寺さんには(全部ではないにせよ)ストゥーパ由来の塔が多々見られますね。


ところが、歴史上長らく日本の首都であった江戸にはさほどにょきにょきとは塔があったようには思われない。

もちろんあったものも度重なる大火や地震 で焼失・倒壊したりしたこともあったのでしょうけれど、
ひとつの理由としては、江戸の町の発祥は軍事政権の都であって、いわば「武都」であったというのですね。


つまり、軍事的要請からおいそれと町の全貌を見渡せるようなものを作ってはならん!

ということだったのだとか。


ですから、展示されていた江戸の町の俯瞰図(もちろん想像で描いているのでしょうけれど)を見ると、
そこここに建つ火の見櫓が妙に高層建築物然と描きこまれていたりして、むしろ笑いを誘うと言いましょうか。


これが明治になると一挙に方針転換されるわけでして、
民家はともかくとして多くの建物が西洋化した多層の建築物になって行く。
高層住宅なんかは当然ありませんから、こうした西洋風建築物の上に登ればこれが、

なんとまあ見晴らしのいいこと。


これに気付いてしまうと、江戸の町ではご法度とも思われた眺望の良さをあちこちで競い出すわけですね。

有名なところでは浅草十二階と言われた凌雲閣でしょうか。
さらに面白いのは、富士山縦覧場なるもの。


かつて江戸の町をはじめ関東地域には富士塚 が作られていましたけれど、

そこから実際に富士山が見えるようにといった展望台的な意味合いは無かったものと思われます。


これに対して「富士山縦覧場」はさも富士塚のように富士山を模して作りながらも、
そもそも富士山を遠望できることをお目当てに作られてますから、何と高さが32メートルもあったとか。
そして驚くべきはこの建物、木造でまわりをしっくいで固めたというハリボテ富士山だったのだとそうで。


一時は大変人気を呼んだものの、

悲しいかな2年ももたずに暴風雨で倒壊してしまったそうでありますよ。


とまあ、江戸から東京になった町では

高いもの好き、見晴らし大好きが高じて(そればかりではないでしょうけど)、
やがては当時世界一の東京タワー、そして今回の東京スカイツリー建設へと繋がっていったのではないかと。


されど、いかに江戸東京博物館とはいえ、展示は江戸と東京の話ばかりではないのでして、
大阪の通天閣の初代(現在は二代目なのかな)は

凱旋門の上にエッフェル塔 を乗っけたような外観だったというびっくりものでしたし、

本家エッフェル塔にしてもパリ万博 終了後の「撤去か、保存か、改装か」の議論の中では
さまざまに奇想天外な改装案が出されのがたいそう興味深いものでありました。
これに関しては、また折りを見て探究してみたいなとも思いますですよ。


特集展示「太陽の塔 黄金の顔」@江戸東京博物館


お、そうそう常設展会場の一角に大阪万博のシンボル「太陽の塔」の顔だけが横倒しで展示されてました。
子供の頃に大阪はとてもとても遠く行けませんでしたので、

「これだったのかぁ」という感慨をもって見てきました。


目のライト点灯中の黄金の顔@江戸東京博物館