猪苗代
で訪れた天鏡閣
でもって鹿鳴館時代にタイムスリップ感を得たと書いたものですから、
それでひとつ書き忘れていたことを思い出したのですね。
先に小平霊園
に立ち寄ったときに小平の辺りをひと廻りてなことを言いましたが、
そのときに訪ねた「GAS MUSEUM」のことを書いてなかったなと。
東京ガスでやっている資料館なんですが、
新青梅街道沿いにやおら二棟の煉瓦造りの建物が登場してなかなかに目を惹くところです。
これはこれでまた一気に文明開化の明治日本にタイムスリップというわけなのですよ。
二棟ともに明治期の建物を移設復元したということですから、
煉瓦造りらしきまがいものよりは由緒正しいといいましょうか。
上が明治42年に建築されたという東京ガスの本郷出張所の建物、
下は明治45年建築の東京ガス千住工場計量器室の建物だったそうです。
今ではそれぞれガス灯館、くらし館という名称となって
あれこれの資料が展示されているということですので、
早速ガス灯館から中を覗いてみることにしようかと。
ガス灯館というからには、
「ガスの歴史は灯りから始まった!」こを説き起こしてくれているのですね。
確かにガス灯というだけで文明開化の香り漂うところがあって、
日本でのガスの始まりはガス灯からという気がします。
さりながら、本当のガスの歴史においても灯りとしての利用がそもそもだとは
あんまり意識していなかったような。
なんでも17世紀頃のヨーロッパで石炭を加熱すると不思議な気体が発生し、
これに火を点すという方法が発見されたのだとか。
これが機材にも改良が加えられながらめぐりめぐって、明治日本の灯りとなったといいます。
それではそれまでの日本で夜の灯りはどうしていたのかと言いますと、
パッと浮かぶものに蝋燭がありますけれど、時代劇などによく登場するのが行燈でありますね。
何らかの油に芯になるものを浸して、先っぽに火をつけるというあれです。
これには植物油、動物や魚の油脂といろんなものからとれる油が使われたり、
試みられたりしたようですが、とにかく臭いが出るのが問題であったため、
あんまり大々的に使うんでなしに昔の日本は間接照明だったのですね。
とまれ、こうした灯りの歴史は古く、日本書紀にも
どうやら原油のことらしい「臭水(くそうず)」といった記載があるのだそうです。
(いかにも臭そう…)
かくも灯りの元は臭うものだったようですが、
これが明治になってガスが供給されるようになり、何より臭いの解消は画期的だったのでしょう、
そんなことにも文明開化を実感していたかもしれませんですね。
ところで、ガス灯館の2階は明治錦絵の展示コーナーでありまして、
折りに触れて展示が変わるようですけれど、
出向いたときには「明治鉄道錦絵~レールが繋ぐ開化の架け橋~」展が開催されておりました。
鉄道にガスは直接的に関係ありませんが、
明治期の歴史を見る中ではこれもまた大きな転換を齎したものですから。
後の蒸気機関車から比べると、
あたかも機関車トーマスみたいに小ぶりな汽車とともに沿線風景が描かれていたりするわけで、
当時の様子に思いを馳せるにはこれはこれで大層興味深いものでありました。
さて、ところは変わってもう一つの建物「くらし館」の方には昔の台所の様子が再現してあったりして、
これはこれでまたノスタルジーの世界でありますが、
端っこにおいてあった東京ガスの昔からのCMを見せてくれるコーナーが
なかなか面白かったですねえ。
そうそう、こんなCMあったなぁと懐かしくあれこれを見てきました。
そもそも東京電力も東京ガスもCMに費用をかけるなら、
料金を加減してもらいたいなと思ったりもするんですが、
最近の「東京ガス・ストーリー」なんかもまあ面白くできてるから、
ここでとやかく言うのはやめとくかなと。
ひとわたり見て回ってまた中庭に出たときに気がついたのですけれど、
中庭のそこここにあるガス灯はどうやら本当にあちらこちらで使われていたものらしいのですね。
こちらが横浜、あちらが新橋…とか。
でもって、よおく見るとちらちらとガス灯が燃えておりました。
暖炉の炎の揺らぎにリラックス項かがあるようなことを聞いたように思いますが、
このガス灯の揺らぎの方も昼日中ながら「何となくいいね」というもので、
きっと夕暮れ時にでも見るといっそう「いい感じ」かもしれんなあと。
電気の普及でガス灯は光源から熱源へと役割を変貌させたということですが、
電気の灯りのクリアな明るさとは別の風情があったのだなと思ったのでありました。



