先日プラジャーク弦楽四重奏団 の演奏会を聴きに所沢のホールに出向くに際しては
八国山の周辺散策 をしてから向かったのでしたが、

実はそれでも少々時間に余裕があったものですから、
所沢航空発祥記念館にも立ち寄ってみたのでありました。


所沢こそ日本航空の…でなくて日本の航空の発祥地、即ち日本で初めての飛行場があったことは
ご近所の人以外にはあんまり知られてないような気がしますけれど、

高い天井に航空機の実物が吊り下げられていて、

子供たちがあれこれの体験で楽しめるような工夫もあり、

この記念館を通じて広く知ってもらいたいという意気込みが感じられるといいますか。


所沢航空発祥記念館


館内の片隅では、飛行機関連の計器類の即売がされてたり。

何にでもマニアはいるということでありましょうね。

計器即売会?@所沢航空発祥記念館


とはいえ、こう言ってはなんですが時間つぶし的に入り込んだものですから、

隅から隅までじっくりととはいかず、鳥や昆虫の飛ぶ仕組みや

ライト兄弟の飛行実験成功のエピソードを伝える映像を見ていたりしたのですね。


その途中で足を止めたのが、ベルヌーイの定理を実験器具でもって紹介するコーナー。
今では何百人もの旅客を一度に運べる機体の重さたるや大変なものでしょうけれど、
それを持ち上げているのはエンジンによる推進力だけではないわけで、揚力が関係している。
その揚力を説明するコーナーでありますね。


しかしながら、そこのところの説明にどうも納得できない…。
そもベルヌーイの定理は気流が速くなると圧力が下がるということで、

それ自体は館内の実験器具が見せてくれるとおりだろうということまでは理解できるわけです。


されど、これを飛行機の翼にもってきた場合に、
翼の下面はフラットで、上面は膨らみを持たせた流線型をしているところから、
翼の前方から当たった空気(気流)は翼の上下に分かれて、翼の後縁でまた一緒になりますが、
平らな下面を通りぬけるよりも上面の流線型を通りすぎる方が速度が速くなり、
ここで上下の速度の差から上方への揚力が発生する。


とまあ、こんなふうに説明されていたわけですね。
この解説を読んだ人は、普通「ふむふむ、なるほど」となるんでしょうか。


個人的には予てより「文系頭で理科数学はちんぷんかんぷん」であることを表明しておりますので、
「ああ、だからこの人、わかんないのね」と思われるところかもですね。


ただ分からないんでなくって、納得がいかないというのは、
説明が説明になってないではありませんか!ということなのですよ。


翼の前方からの気流ですけれど、どうして翼の上側を通る方が速度が速くなるんでしょう。
「だからぁ、翼の下は平面なのに上の面は膨らんでるんだから、移動距離が長くなるでしょ」
ということで、移動距離の短いのと長いのが翼の後で出会うんだから、移動距離が長い方が速い…
というのですが、翼の前の空気と通り過ぎた後の空気がおんなじ空気ってのが

どうして分かるんでしょう?


どんどんどんどん空気が通り過ぎていってるのは分かりますけれど、
空気はそこらじゅう空気であって、翼の前で「じゃあね」といった二人の空気?が
翼の後でまた同じ二人が出会うというより、下側を通った方は待ってられずに

もうずっと後に過ぎてしまってるかもしれないですし、

上側を通った空気が頑張って速く通りすぎることの理屈がない…。
そこに「納得いかんなぁ」感を抱くんですが、そうした感覚を抱く方がへんでありましょうか。


とまれその辺のことをはっきりさせてもらえんだろうかと本で探究することにしたのですが、

あまりに専門的な内容だととてもついていけそうにないので、
見つけ出したのは中公新書の「飛行機物語」という一冊。


科学の歴史的な展開と合わせて航空関係の発達史を語ってくれるというもので、
ようやくこのほど読み終えたものですから、ようやくこうしてこの話を書き始めたわけなのですね。


で、結局のところベルヌーイの定理の話を枕に、
この本に散りばめられたエピソードで「へえ~!」と思ったことを書こうと思ったら、
すでにだいぶ長くなってしまったので、本の話としては後に譲ることにしましょかね。

ところで、この本の始めの方にこうした部分がありました。

(ベルヌーイの定理を使った揚力の説明は)巧みな説明なのだが、残念ながら決定的に間違っている箇所がある。上下の流れが翼の後ろで同時に合流するという点である。実際には、上下の流れは、なにも同時に合流する必要はない。

そうでしょ、そうでしょ、やっぱりねえ。

でも、風洞実験で確かめてみると、確かに翼の上の流れは速くなっているのだそうです。

ではどうしてそうなるのか?につきましては、もそっとしっかり理解しなくては…というのが、

精一杯のところでありました…。

三鷹市美術ギャラリーで開催中の「芸術家の肖像」なる展覧会を見てきました。

副題に「写真で見る19世紀、20世紀フランスの芸術家たち」とあるだけに、
今回の企画は「肖像画 」ではなくって「肖像写真」なのですね。


「芸術家の肖像」展@三鷹市美術ギャラリー


多くの画家(それ以外に文筆家も一部含まれてます)が写真に収まり、
ときにはさりげなく制作に励んでいるさまを装い?、

ときにはしっかりとポーズをとっていたりするのが、
何とも興味深いものであったのですね。


おそらく画家たるもの(と言っては変かもですが)、

わざわざ他の画家に自分の肖像画を描かせる人も少なかろうと思ったりするところでありまして、

例えばデューラーレンブラントゴッホ といったように専ら自画像を描くことで
本来的には自分の肖像画を手にしていたのかもですね。


もっとも、自画像を描く画家たちの制作姿勢というのは、
単に自分の肖像画を手にすることが目的であったとは思われないわけで、
人間性の表出に挑む!てなこともあったんでしょう。


ただ、自分をいちばん知らないのは自分だとも言われたりしまうから、
難しいところではありますが。


ところで画家にとっての写真というのは、

あるときは写実性の点から敵対勢力と見られたものが徐々に棲み分けも出来ていったのでしょう、

ドガ などのように絵の制作のために使う補助的な手段でもあったわけですね。
ユトリロ が絵を描く材料に使ったのも、パリの街角風景を切り取った写真絵はがきだったそうですし。


ということで、画家にとってカメラの前に立つことは
少なくとも他の画家のキャンバスの前に立つこととは違うという意識であったでしょうから、
自画像を含めて肖像画のない人でも写真だけはあったりするてなこともありましょうね。


ただ、20世紀に入ってくると写真に撮られること自体珍しくなくなりますから、
もっぱら19世紀の中ごろあたりの写真で見る画家たちというのが

「おお、こんな人だったのか?!」ということになろうかと。


展示でもいちばん最初にあったのが、オーギュスト=ドミニク・アングル でありました。

優しい絵を描くから見た目も優しげな人…とまあ(当たっていないと思いつつも)想像して

しまったりするところですが、のっけから見事に裏切られる形になりますね。

厳しそうな人でありますよね、アングルおじさん。


あたかもさ敢然と挑みかかるようにファインダーを睨みすえているふうなのは、

やはりカメラに対する敵愾心の表れでありましょうか。

戸外で制作中にふと振り返ったふうのカミーユ・コロー の目線もまた厳しい。


…てなふうに、ひとりずつ見ていったとおりを記していってはキリがありませんので、

全般的にと言ってしまいますけれど、やぱり何事かをなしたひとかどの人物には

それなりの風貌が宿るといったらいいでしょうかね。


ちなみに上のフライヤーの右半分に大写しなのが、アンリ・マティス

そして左側の小さい方、上は左から、マネシニャックロダン

下段はモネクールベ 、そしてサラ・ベルナール という具合。


それぞれに個性と独自の陰影を含んだ肖像になっているのではないでしょうか。

これに比して、かってに一般人代表を騙って個人的なことをいいますと、

左側のコラムの中ほどに出てくる拙いイラストがせいぜいなところなわけですよ。

ま、比べても詮無いところですけれど…。

営団地下鉄東西線の門前仲町駅を降りて豊海水産埠頭行きの都営バスを待ち、

越中島を過ぎ、月島を過ぎて勝どき二丁目のバス停で降りる。

目の前の交差点を左に折れ、運河にかかる橋を渡って左側、

そこにかつて通った自動車教習所があった…。


今では営団地下鉄は東京メトロといい、豊海水産埠頭行きのバスは門仲を通らず、

勝どき二丁目は大江戸線の勝どき駅となり、教習所があった場所には何と!

晴海トリトンスクエアという再開発された複合施設になっていたのですね。


2001年に開業したといいますから今さら驚くにはあたらないのかもですが、

とんと近寄ることのなかった身にとっては驚愕以外のナニモノでもないという…。


そんな昔話はともかくとして、その晴海トリトンスクエアの中にある第一生命ホールという

音楽ホールでの演奏会を聴きにいったのでして。

個人的にはやおら盛り上がりを見せている弦楽四重奏

アマリリス弦楽四重奏団の演奏会でありました。


アマリリス弦楽四重奏団@第一生命ホール


メルボルン国際室内楽コンクールの大賞受賞ということで若いグループなのでしょう、

ハイドン の「騎士」、ベルクの抒情組曲、ベートーヴェン の作品131とは

中々に意欲的なプログラムだなと思うところなのですね。


それにしても、この第一生命ホールはいい音ですね。

先日プラジャーク弦楽四重奏団 を聴いた所沢のホールがちと大き過ぎ?てなふうだったんですが、

ここは弦楽四重奏に程よい空間であるような。残響も心にくいふうでありました。


そんな中で聴いたアマリリスSQですけれど、最初のハイドンでは

野球の監督がマウンドのルーキーに近寄って

「どうした、投げ急いでないか。ひと呼吸おいて間合いを取っていこう」

てなアドバイスをしたくなる感じで、楽章間の息継ぎが足らなくて少々息苦しく感じるふう。


このままベルクに突入しては酸欠になってしまうのでは思いましたが、

さすがに一曲を終えて落ち着いたのか、そもベルクということでいささか身構えたところに、

まだまだ深みにはまる前の20世紀音楽 で堪能させてもらいました。


不思議だなぁと思いますのは、

最後のベートーヴェンよりもベルクの方が聴き易いということでしょうか。

20世紀音楽と身構えたところが(もちろんそれなり響きではありつつも)

タイトルどおりの抒情性も伺えるベルクに対して、音楽史的には古典派とされるベートーヴェンが

最晩年にはおよそ古典派とは思われないところに行ってしまっていたことに

イメージが追いつかないといいましょうか。


ちなみにアンコールがヴェーベルンだったことからも、

結構このあたりを得意技としているのではと思われるアマリリスSQ。

グループとしてはまだまだ若い印象ですけれど、

その名の優しい印象とは別に、これからの熟成が楽しみだったりするところでありますよ。

ラズモフスキー伯 の依頼によってベートーヴェン が作曲した弦楽四重奏曲には
ロシア民謡の旋律が使われていることでしたけれど、民謡というのは実に豊かな世界でありますね。


ずいぶん前にも「なぜか懐かしいイギリス民謡 」てなことを書いたりしましたけれど、
ロシア民謡もまたどうして、どうして。


しばらく前のことですが、例によってFM放送 を聴くともなしに聴き始めたところ、
「お、これはストラヴィンスキー の『火の鳥』であるな!」というメロディーに出くわしたのですね。


ところが、「火の鳥」だと思って聴いていると、どうも様子が違う。

ということは、「火の鳥」の旋律を使った変奏とかそういう類いだろうか…

と思っているうちに曲が終わり、改めて紹介された曲名はというと、

リムスキー=コルサコフ 作曲の「ロシアの民謡によるシンフォニエッタ」だったという。


つうことはですよ、ストラヴィンスキーが「火の鳥」の中でロシア民謡の旋律を使っていた。
それと同じ民謡のメロディーでもって、リムスキー=コルサコフが別の曲を書いていたということかと。


もっとも作曲年代的にはリムスキー=コルサコフが先でしょうから、もしかしたら民謡そのものより
この曲からストラヴィンスキーは「お、いいメロディーめっけ!」となったのかもですが。

ちなみに「火の鳥」のどこいらがロシア民謡なのかと言いますと

「王女たちのロンド」でありますよ。


ということでですね、唐突ながら

近所の図書館にあった「ロシア民謡集」といったCDを借りてみたというわけなのですね。
てっきり赤軍合唱団とか、そういういささか武張った感のある名前を持った団体による

合唱の形なのかと思ってましたら、これがバスのソロ。


シャリアピンではありませんけれど、これもロシアっぽいかなと思うと同時に

メロディー・ラインがよりくっきり分かるから、これでもいいかなと思ったわけです。


トロイカ(ロシア民謡集)/ペトコフ


ただ、バスの低音は結構ピシっとくるとしても、女声だとしっくりこないのかもとは思いましたですね。
例えば「ヴォルガの舟歌」の「♪えいこーらー、えいこーらー」とか

「♪あいだだあいだ、あいだだあいだ」とかフレーズはあんまり女声で聴くイメージが湧きません。

もっともコントラルトで迫真の歌唱なんてのもあるのかもですが。


さて、このバス独唱によるロシア民謡集ですけれど、「そういえば、これもあれも」という具合に
予想以上に結構知っていたのだなぁと。収録曲から知っていたのをちと羅列してみるとしましょう。

  • カチューシャ
  • ヴォルガの舟歌
  • ステンカ・ラージン
  • 黒い瞳
  • モスクワ郊外の夕べ
  • トロイカ
  • カリンカ
  • バイカル湖のほとり

思い出してみればですが、個人的には歌声喫茶世代でもないのに知っているというのは
こうしたロシア民謡もほかの国の民謡同様に小学校の音楽教科書や歌集に載ってた

のかもしれんですねえ。


たぶん今の小学生が使う音楽の教科書など見ても

知らない曲ばかりになってるのではと想像しますけれど、
いくら古びたとしても、たまに思い出して聴いてみると

「こりゃあ、やっぱりエバーグリーンだな」と思わずにはいられない。


…てなふうに感慨にふけりつつ、何度もこのCDを聴いていたんですが、

そのうちに「ううぬ、ちと待てよ」と思い始めたのですね。


どうも日本人たる聴き手に余りにも、というよりあざといくらいに響くのですよ、伴奏が。

だもんで、ライナーノートをよく見てみると、レコーディングの場所がToshiba Studio No.1とある。

これって、日本なんでないの?


さらには、伴奏のアンサンブル・バルカンという安直なネーミングの団体がまた怪しい。

これは推測でしかありませんけれど、たぶん日本のスタジオ・ミュージシャンが集まって

とりあえず「アンサンブル・バルカン」ってことでいきましょーよ!と言うノリなのではないかと。


となれば、当然のように誰かは知らねど、日本人のアレンジャーが伴奏を作ったのでしょう。

聴けば聴くほどにムード歌謡の雰囲気に似たものを感じてきたわけです。


録音されたのが、1969年の10~11月。

それこそ歌声喫茶はピークを過ぎていたにしても、その余韻はあったのでしょう。

そうした時期ならでは企画された一枚だったのかもしれませんですね。


メロディー的には十二分にエバーグリーンと思われるロシア民謡の数々。

もそっとロシア色をたっぷりとと思えば、やっぱり何とか合唱団か何かで聴くべきなのかもです。


そうそうCDを聴いてて思い出しましたが、
「バイカル湖のほとり」も断片的にストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ 」に使われてましたですねえ。

たまにはお気楽な映画もいいかなと出かけてみたのが「テルマエ・ロマエ」でありました。


映画「テルマエ・ロマエ」


予備知識は全くなく、「テルマエ・ロマエ」という語感が「お手前」とか「当たり前」とかいう言葉を

想起させるだけでいったい何の話と思っていたのですけれど、

たまたまTVでさわりを紹介されたのを見たものですから、
気晴らしには打ってつけかもと思ったのでありますよ。


古代ローマから現代日本にタイムスリップ するというのがポイントにもなりますけれど、
それにしてもローマ帝国側の人々でも主だった役柄は日本人役者が演じているのに、
日本人をして「平たい顔族」とはよく言ったものだと思わなくもない。


まあ顔の平たさ加減は別としても、阿部寛 さんが演じた

ローマの浴場(これをラテン語でテルマエというのですね)設計者ルシウスの見せる尊大さ、
大仰さは笑いの前提としてなんと的確に機能していることかと思うと、
これ以上の配役はおそらく無かったのではと思いますですね。


そもそもタイムスリップが何故起こるのか、という点にはいささかの理屈も用意せず、
ひたすらに異文化との出会いによるカルチャーショックを描こうという突き抜け感はむしろ清々しいかも。
ただ元いた場所に帰るためには「涙を流す」ということが関わっていることだけ、

後から示唆されるだけです。


そして、現代で出くわしたさまざまな新しい設備を

どんどんローマ帝国 の浴場に導入していくルシウスですが、
目にした新奇な設備の仕組みにいっさい興味を示すことなく
自分なりの創意工夫で作り上げている(らしい)のは大したものです。


大したものと言っても、やはりそこにあるはずの仕組みらしい仕組みは語られませんが。

例えば泡風呂の実現に多くの奴隷たちが地下から息を吹き込んでいるようすが映されたりするものの、
浴槽の下から息を吹き込むときにお湯が逆流するのではと思ったりしますが、
そういうことはともかくとして…なわけですね。


ところで、ルシウスがたどりついた日本の温泉旅館では、ルシウスには何もかもが新鮮であるのに
経営が立ち行かず廃業の危機に立たされていることが囁かれていたのですね。


そこでまた思い出したのが先月訪れた福島県の土湯温泉

(映画の中に土湯温泉街入口にある名物の土湯こけしが映っていたそうですが、わからなかった…)


行ったときにはピンと来てなかったんですが、
つい先日の日経にも関連する記事が出ていて遅まきながら検索してみますと、
なんと!震災前には16軒あった旅館のうち6軒が廃業に追い込まれていたのだとか。

いつとは知れず「ここ、やめちゃっただぁ」と思った施設は目にとまりましたけれど。


個人的には湯量豊富ないくつもの風呂場をはしごして、その後も元気に過ごしているわけですが、
(そうそう、病いにも効果的だったような…って、ちなみにまだ通院してますが…)
全ては風評被害のなせる業であるのだそうですよ。


となると、今の土湯温泉にこそルシウスが必要なのではと思ったり。
もちろんもっと必要なのは、土湯にたくさんの方々が漬かりに行くことなのでしょうけれど。


すっかり話は飛んでしまいましたけれど、とにもかくにも大笑いしながら

日本の風呂、日本の温泉を再認識する「テルマエ・ロマエ」でありました。


ところで、ローマ風呂で有名な熱海 の大野屋にルシウスが現れたら、

何を思ったでありましょうかねえ・・・。

ただ、差し当たりは熱海に行くのは次にして、土湯へ行って見ようではありませんか。