三鷹市美術ギャラリーで開催中の「芸術家の肖像」なる展覧会を見てきました。
副題に「写真で見る19世紀、20世紀フランスの芸術家たち」とあるだけに、
今回の企画は「肖像画
」ではなくって「肖像写真」なのですね。
多くの画家(それ以外に文筆家も一部含まれてます)が写真に収まり、
ときにはさりげなく制作に励んでいるさまを装い?、
ときにはしっかりとポーズをとっていたりするのが、
何とも興味深いものであったのですね。
おそらく画家たるもの(と言っては変かもですが)、
わざわざ他の画家に自分の肖像画を描かせる人も少なかろうと思ったりするところでありまして、
例えばデューラー
、レンブラント
、ゴッホ
といったように専ら自画像を描くことで
本来的には自分の肖像画を手にしていたのかもですね。
もっとも、自画像を描く画家たちの制作姿勢というのは、
単に自分の肖像画を手にすることが目的であったとは思われないわけで、
人間性の表出に挑む!てなこともあったんでしょう。
ただ、自分をいちばん知らないのは自分だとも言われたりしまうから、
難しいところではありますが。
ところで画家にとっての写真というのは、
あるときは写実性の点から敵対勢力と見られたものが徐々に棲み分けも出来ていったのでしょう、
ドガ
などのように絵の制作のために使う補助的な手段でもあったわけですね。
ユトリロ
が絵を描く材料に使ったのも、パリの街角風景を切り取った写真絵はがきだったそうですし。
ということで、画家にとってカメラの前に立つことは
少なくとも他の画家のキャンバスの前に立つこととは違うという意識であったでしょうから、
自画像を含めて肖像画のない人でも写真だけはあったりするてなこともありましょうね。
ただ、20世紀に入ってくると写真に撮られること自体珍しくなくなりますから、
もっぱら19世紀の中ごろあたりの写真で見る画家たちというのが
「おお、こんな人だったのか?!」ということになろうかと。
展示でもいちばん最初にあったのが、オーギュスト=ドミニク・アングル
でありました。
優しい絵を描くから見た目も優しげな人…とまあ(当たっていないと思いつつも)想像して
しまったりするところですが、のっけから見事に裏切られる形になりますね。
厳しそうな人でありますよね、アングルおじさん。
あたかもさ敢然と挑みかかるようにファインダーを睨みすえているふうなのは、
やはりカメラに対する敵愾心の表れでありましょうか。
戸外で制作中にふと振り返ったふうのカミーユ・コロー の目線もまた厳しい。
…てなふうに、ひとりずつ見ていったとおりを記していってはキリがありませんので、
全般的にと言ってしまいますけれど、やぱり何事かをなしたひとかどの人物には
それなりの風貌が宿るといったらいいでしょうかね。
ちなみに上のフライヤーの右半分に大写しなのが、アンリ・マティス 。
そして左側の小さい方、上は左から、マネ 、シニャック 、ロダン 、
下段はモネ 、クールベ 、そしてサラ・ベルナール という具合。
それぞれに個性と独自の陰影を含んだ肖像になっているのではないでしょうか。
これに比して、かってに一般人代表を騙って個人的なことをいいますと、
左側のコラムの中ほどに出てくる拙いイラストがせいぜいなところなわけですよ。
ま、比べても詮無いところですけれど…。
