ウプサラ大学の図書館 で「銀の聖書(銀文字聖書)」を見たというお話は
ほんのちらりとしただけででありましたけれど、今さらながらやはり少々気になったものですから、
関連本でもないものかと近所の図書館で検索したところそのものずばりといいますか、
「銀文字聖書の謎」なる一冊がヒットしたのですね。


銀文字聖書の謎 (新潮選書)/小塩 節


でもって、著者があの小塩節先生でありまして、
小塩先生にはひと頃のNHKドイツ語講座のラジオでもテレビでも大層お世話になったのですよね。
といっても、勝手に視聴していただけですから、一方的にお世話になったと思っているだけですが。


小塩先生が「銀文字聖書」に対面したのは1962年の夏、
ストックホルムでの学会の合間にウプサラに出向いたときのことだそうで。


そのときには必ずしもゴート文字に詳しいというふうでもなかったようながら、
時の経つのを忘れて眺めやり、何時間も見入っていたといいます。


専門とする言葉は違えど、

言語に関する研究をされている方の知的探究心たるやさもありなむと思うような、
ご自身の知識を総動員して未知のものに挑む姿勢には敬服しきりでありましたし、
このような見方をすれば想像の飛翔は止めようがないかもしれぬと思ったりもしたのですね。
なにしろ個人的には「来た、見た、通り過ぎた」てはふうでしたから…。


とまれ、本書を通じて銀文字聖書の来歴を知るところとなれば、
つくづくチラ見で通り過ぎたことをもったいなく思うところでありますよ。


銀文字聖書に記された新約聖書のゴート語訳は、4世紀の後半頃に
ドナウ川に面した今で言うルーマニア のあたりでウルフィラというゴート人の

キリスト者によってなされたと言います。


というより元々ゴート人は文字を持っていなかったそうで、
ウルフィラは訳出にあたって文字まで作ってしまったというのがすごいことですねえ。


で、今に伝わる銀文字聖書は色つきのなめし皮に銀の文字で描かれるという装飾性豊かなものですが、
ウルフィラの時代から時を経た6世紀に東ゴートの王(族長)であったテオドリクスが
何冊か写本を作らせた中で一冊、とりわけ手の込んだ作りを施して自分用にしたのではないかと
考えられているようですね。


本書ではまず、インド・ヨーロッパ語族に括られるもやがて言葉を違えていった人々が
紀元前5000年から3000年頃に住んでいた中央アジアや黒海あたりから四散していくという、
ゲルマン民族のそもそものお話からヨーロッパ地域での大移動、ローマ帝国との対峙といった
歴史の流れが示されます。


そして、ワーグナー が「二ーべルンクの指輪 」に北欧神話を借用したように、
ゲルマン民族は自然とともにある多くの神々を信奉していたわけですけれど、
ウルフィラが新約聖書のゴート語訳で苦労した点のひとつとして、
一神教であるキリスト教の「神」当たる言葉の訳をどうするかといったことにも焦点があたるのですね。


そもそもゴート人にとって神さまはたくさんおり、それぞれに役割と独自の名前を持っていたわけで、
必要に応じて個別にそれぞれの神の名を称えるか、あるいは人まとまりに「神々」を意味する言葉しか
持たなかったというわけです。


そこで、ウルフィラが考えに考えて当てはめたのが、
「相談相手」といった意味合いを持つ「グス」という言葉なのだそうです。


カタカナでは「グス」ですが、「ス」は英語の「th」のような音らしいので、
そう考えるとゲルマン語の後の姿としてドイツ語の「Gott」、英語の「God」への転訛も
想像しやすいところかと。


ちなみにこの「神」に相当する言葉は種本のギリシア語では「テオス」であって、
ラテン語訳では「デウス」ですが、いずれにしてもギリシア神話の最高神ゼウスとの近さが偲ばれます。


ということは、一神教たるキリスト教がまずもって広く受容される過程で用いられたギリシア語、
ラテン語のいずれもが神を表すのに「神々の最高神」という語を使っていることになりますね。
そもそも「神々」も「その中で一番」という意味もないはずなのに。


てなことを考えてみると、ヨーロッパの諸民族がキリスト教を受容するにあたってラテン系では

言外に「最高神」を匂わせるからには「それには劣るけれど神に次ぐ存在がいてもいいよね」という

具合にあれやこれやの「聖人」が文化としても根付きますし、

もとからギリシアもローマも多神教であったのですから、その方が根付きやすいものと想像します。


多神教である点はゲルマン系であっても同じですから、
ここでウルフィラが「神」の訳語として最高神的意味合いを持たない言葉を使ったとしても、
やはり民衆にはいろんな神的な存在、たとえばたくさんの「聖人」の類がいた方が

受け入れやすかったのではないかと。


ただ、ラテン語系とゲルマン語系でその後の信仰のありようにもつながる決定的な違いはやはり、
「神」を意味する言葉に何を使ったかということにはなりましょう。

唯一無二というよりは最高神という裏の意味を持つ言葉を使うラテン語系では諸聖人を認めつつも、
最高神との格の違いを意識させることに努めていくのではないかと。


一方でゲルマン系の方はといえば、

神の意味合いは「相談相手」といった祈りを捧げると同時に語らう存在として、
そういう存在はむしろ唯一無二でしょうという方向に向かったとも言えましょうか。


そう考えれば、諸聖人を祭るのではなく唯一神の「神」に向き合うことになるプロテスタントが

ゲルマン系から生じたのもむべなるかなと思ったりもするところなのですね。


本書の紹介のように始めた話が途中から素人の思いつきに変わってしまっていますので、
ここでの話、特に最後の方はあんまりあてになるものではありませんけれど、
そんなあれこれを考えさせてくれる興味深いものに満ちた内容であったことは間違いないかと。


ともすると、ウプサラ大学図書館で「銀の聖書」を見ました…で終わってしまうところが
「もちょっと何かしら」と本を読んだら、こうしたことをつらつらと。
やっぱり興味の湧いたことを追いかけてみると、より面白いものに出くわすものだと思いましたですよ。


トゥルク行きフェリー


バルト海 というところは、それにしても静かな海でありますねえ。

外洋から大波やうねりはデンマークとスウェーデンの間の海峡でせき止められるせいか、

まるで湖のようです。

この分なら船旅に付き物の「揺れてる感」を引き摺るようなことは全くないなと思いつつ、
到着間際の時間にもう一度デッキに上がって見たのですね。


ほどなくトゥルク到着

いい天気です。
ストックホルムでもウプサラ でも結構雨に煩わされたので、こりゃあ幸先いいなと思ったのですよ。
(実は、ヘルシンキでまた降られますが…)


トゥルク(Turku)という街は、もしかしていちばんスウェーデンに近いのではないかと。
地続きのところは距離的に隣合わせというのもありましょうけれど、人の行き来の感覚の点でです。


実際、フィンランドがスウェーデンの統治下にあったときには、
オーボ(Åbo)と言われたこのトゥルクの街こそがフィンランド側の首都のようなものであったとか。
今でも、トゥルクを含めた沿岸あたりにはスウェーデン系フィンランド人が多いようですし。


ということで、スウェーデンから移動してまずトゥルクに立ち寄るというのは、
歴史的にも理に適ったことであるなぁと思ったりしながら、フェリー・ターミナルから外へ。
フィンランドに上陸であります。


トゥルクのヴァイキング・ターミナル


この日はトゥルクとナーンタリをささっと巡って

夕刻にはヘルシンキへ向かう列車に乗ろうと考えてましたので、
フェリー・ターミナルからまず一番に目指したのは鉄道の駅。
荷物をコイン・ロッカーに放り込んでいざ参らんというわけです。


フェリー・ターミナルには隣接して鉄道駅もあるのですけれど、
ターミナル前のホテルを回り込むとバスが停まってましたので

「駅へ行くか」という問いに頷かれたものですから、
取りあえずバスに乗り込んだのですね。


ところが、前にストックホルムのバスは使い勝手が良いと言いましたけれど、
それとは正反対にバスはどんどん進んでいけども、一向に何のアナウンスもなければ、
車内に次のバス停を案内する表示もない。


だもんで、船の中で入手しておいたトゥルクの市街図を片手に車窓の景色と見比べながら、
走っているあたりを特定することにしたわけです。
(ちなみに日本のガイドブックでトゥルクの地図は載ってても本当に小さい…)


やがて街中の賑やかな一角に出たなと思えば、これがマーケット広場だなと分かり、
ほどなく駅だと思ったところがですね、どうも走る方向は駅から離れていくのですね。
街中のごちゃっとしたところから広い道に出ると、

地図で見る限りその道はどんどん駅から離れていくとしか思えない。


ドライバーは「駅にいくか」の問いに頷いたわけですから

、トゥルク駅でない駅がこの先にあるのかもしれませんが、
後々のことを考えたら絶対的にトゥルク駅でなくては具合が悪い。


そこで手にした地図で見る限り、ここで降りねば取り返しが付かなくなりそうというところで
意を決して下車に及んだのでありました。


ちょうど鉄道の線路が見えているところでしたので、地図に照らして駅の方角と思しき方へ歩く歩く。
結果的に何とかたどりつくことができましたけれど、おそらくフェリー・ターミナルから駅へ行くためには
素直に鉄道を待つか、でなければバス・ターミナルにもなっているマーケット広場で乗り換えるというのが正解なんでしょう。


トゥルク駅


とにもかくにも駅に着いたので、ひと安心。
予定どおりに荷物をコイン・ロッカーに預け、コーヒーとサンドイッチで軽く朝食を取り、
列車の切符は何時の列車に乗るか決めていないので後から買うことにして、

いざ改めてトゥルクの街へ。


地図によれば駅から数ブロック先にさきほどのバスが寄ったマーケット広場があるのですけれど、
単純に考えれば一番賑やかな場所から直線で進めば駅に出られるのに

なぜバスがそういう経路を通らないのか。


歩いてみてよおくわかりました。

駅とマーケット広場の間、その数ブロックの昼間に

やおらこんもりと丘が立ちはだかっているではありませんか。


うんしょうんしょと登っていくと、丘のてっぺんにはなかなか立派な建物が。
果たしてこれがトゥルク美術館であったのですが、

開館時刻はまだまだ先なので後から寄ることにして、
こんどはマーケット広場めがけて下って行ったのですね。


マーケット広場に向けて


トゥルクでいちばん賑やかな場所…だと思うんですが、
ストックホルム といわずウプサラと比べても「う~ん、垢抜けないなぁ」と。

それが「フィンランドらしい」のでもありましょうけれど。


トゥルクのマーケット広場①



でも、これがきっとフィンランドなんだろうなあと、

回りを見てスウェーデン語以上にとっつきようのないフィンランドの表示に

囲まれながら思ったのでありますよ。


トゥルクのマーケット広場②

おっと、これもちなみにですが、マーケット広場はフィンランド語で「Kauppatori」。

広場に相当するのが「tori」ですけれど、スウェーデン語の広場は「torg」でして、

いずれも発音的には「トリ(トーリ)」てな感じ。


言語的にフィンランド語(フィン語というべきなのか)とスウェーデン語は全く近くないのですから、

(縁もゆかりもなく、音的に近い言葉ってのがあっても不思議はないものの)

想像するに「tori」は「torg」からの音の借用なんではなかろうかと。

こう考えると、やっぱりスウェーデン統治600年の歴史はあるなぁ…と思うところでありますよ。

ちょっと前に渋谷のBunkamuraギャラリーでサヴィニャック展を見たときに、
ミュージアムの方で開催中のイリヤ・レーピン の展覧会はまた後でと言いながら
すっかり遅くなってしまいましたが、いよいよそのレーピン展のことなのですね。


レーピン展@Bunkamuraザ・ミュージアム


これまでにレーピンに関しては、これまでちょこっとした探究を試みたというくらいで

必ずしもよく知っているわけではなかったわけです。


されど、今回たっぷりレーピン作品に接したことで
「こりゃあロシアにも行かんといけんね」と思ったという。
ひと言で言ってしまうと「レーピン、なかなかやるのぅ」でありますね。


前の探究といささかかぶる部分はまま出てきますが、

とりあえず展覧会の印象から勝手に書いていくといたしましょう。


レーピンは写実 主義の画家ということなんですが、
描こうとしていたのは「切迫した真実」だというのですね。


ですから、パリに留学して例によってルーヴル通いという時期もあったのでしょう、
レンブラントベラスケス 、そしてフランス・ハルスなどに傾倒したといいますから、
肖像画に腕を揮うのは必然でもあろうかと。


フライヤーにもあしらわれている妻を描いた作品(「休息-ヴェーラ・レーピナの肖像」1882年)などは
単に写実的な肖像画というよりは慈しみが溢れているような。


では、それがレーピン流の「切迫した真実」となるとどういうことになるかといいますと、
作曲家
ムソルグスキー を描いたこの有名な一枚を(以前の記事にも引用しましたが)ご覧くださいまし。


イリヤ・レーピン「作曲家ムソルグスキーの肖像」


40代そこそこで亡くなってしまうムソルグスキーの、

いわゆる肖像画としての美化的要素のまるでない容赦のない姿が描かれているではありませんか。


それもそのはず、この作品はムソルグスキーが入院中の病室で、
しかも亡くなる十日余り前に描かれたそうな。


以前は作曲家の「荒らぶる姿」なんつうふうに思ってましたが、

解説を読んで実物に見入るとなんとまあ、病人が見たらそれこそ

「もう駄目か…」と思ってしまいそうな写し絵ではないかと。


ということで、本来的な写実に巧みなのはもちろんのことですけれど、
「切迫した真実」を描き出すにはむしろ積極的に事実にはない(かもしれない)演出を加えて
作品を作り出すということもあったのでしょうね。

例えば、この「思いがけなく」(1884-88年)という作品はどうでしょうか。


イリヤ・レーピン「思いがけなく」


ナロードニキ運動に身を投じた息子の里帰り風景でしょうか。

タイトルのままに「思いがけなく」帰宅した様子を描いているものと思います。


ついつい、思いがけなさは驚きに通じると考えてしまうところでして、

腰を浮かした後ろ姿は母親でしょうか、ここにはあるのは驚き、文字通りの思いがけなさですね。


一方で右はじには帰ってきた男の息子なのか、弟なのか、

おそらくはこの父親か兄かがナロードニキ運動の将来を熱く語る姿を幼い頃から見ていたのか、

憧れの人の帰宅という感じで喜びにあふれた顔をしてます。


その隣の女の子の訝しげなまなざし。

男にとっては娘か妹か。いずれにしても「この人、誰?」といった表情からは

この男の家を空けていた期間の長さが偲ばれますね。


そして、扉を開けてたたずむのはやはり奥さんかなと。

いかに熱意があろうともそれだけでは食べてはいけない、

家族を放って出かけてしまった亭主には「よく帰れたものだ」という冷ややかな視線が。


それぞれの立場で、思いがけなさがはっきり現れてしまっているこの一枚。

レーピンの思う「切迫した真実」の瞬間とは、こんな一瞬でもあったのでしょうか。


リアルであることは、イコール露わであることにも通じるのだなと

改めて思うレーピン展なのでありました。

さて、スウェーデンからフィンランドへの移動と相成りました。
この移動手段に関しては北欧関連のガイドブックの全て(たぶん!)でご推奨状態なのが、
フェリーの利用ではなかろうかと。


それもストックホルム~ヘルシンキの航路を行くタリンク・シリヤ・ラインが
必ずと言っていいほど紹介されてますね。


両国を結ぶ航路にはも一つヴァイキング・ライン(現地的にはヴィーキングだったような)があって
二社競合状態にあるにも関わらず、ほぼ間違いなくタリンク・シリヤ・ラインが紹介されるのは、
競合とはいえ実際にはヴァイキング・ラインがいささか見劣りするのかも知れません。


まあ、見た目もまっ白いタリンク・シリヤ・ラインがとてもスマートな印象であるのに対して、
ヴァイキング・ラインの赤はちと野暮ったいふうでもあろうかと。


Viking Line


されど個人的にはいささかへそ曲がりなたちでもあり、迷わずヴァインキング・ラインを利用することに。
そして航路もストックホルムから直接ヘルシンキを目指すのでなくしてトゥルク行きに乗船しますと、
およそ日本人を見かけることがない…やはり皆タリンク・シリヤのヘルシンキ行きにでも乗ってるのでしょうか。


とまれ、時間を少々巻き戻して、ストックホルム中央駅の上にあるバス・ターミナルから始めます。
このターミナルにはヴァイキング・ラインのカウンターがありまして、
フェリー・ターミナルへの連絡バス乗車券の購入すると、

フェリー自体の乗船手続きも一緒にやってくれるのですね。


バスは出航時刻20:00の1時間25分前に出発します。
中途半端な時間ですけれど、おそらくはフェリー・ターミナルに出航の1時間前に

到着することからの逆算ですね、きっと。


というわけで、バスを降りるともはやボーディング・パスを持っておりますから、
そそくさと乗船して…と思いましたら、そうはスムーズに行かないようで。

皆考えることは同じなのか、

トゥルク行きの船は3番ゲートからと知るや続々と人が並んでいくという。


いったん並んだものの一向に列が動かないので、フェリー・ターミナルをひと回りしようかと思っても、
いつの間にやら後ろにずらりと通路幅いっぱいに並んだ人で進退極まった状態。

ひたすら乗船を待つしかないということに。


とにかく「船ってこんなに乗るんだなぁ」という行列ですから、

ゲートは45分前くらいには開くかな…開かない。
30分前ってのが妥当なところかな…開かない。


結局、出航20分前に山のように荷物を抱えた人々が
怒涛のように船に雪崩れ込んだという形容がぴったりでありましたよ。


飛行機なんかと違って、持ち込み荷物が本当に大きくて大きい。
それぞれのキャビンまで移動する船内エレベータがまた大混雑。


幸いにして自分自身の客室はボーディング・ブリッジのひとつ上の階でしたので、階段であがりましたが。
まあ、こんなばたばたがタリンク・シリア・ラインの方ではもそっとスムーズに行ったりするとしたら、
そりゃあ評価は上でしょうねえ。


とまれ落ち着いた先はこんな客室でありまして、本来ここは4ベッドルームなんですが、

一人で入ってちっさいビジネスホテルの雰囲気。


4ベッド・キャビン


窓なしの内側に向いた部屋はやはり安いのですけれど、

せめて朝起きたらまず日の光を拝みたいものと外側にしました。


と、部屋に入っていささかリラックス…とくつろぎかけたところに、
どうも部屋のドアの取っ手ががちゃがちゃとうるさい…。


出航間際でまだまだたくさんの人が狭い通路を右往左往している状況でしたから、
危ないこともなかろうとドアを開けてみますと、

バックパッカーの外人女性(こちらの方が外人か?)が戸惑い顔。


それもそのはず、その人が出したボーディング・パスには

まさにその部屋番号が書かれていたのですね。


ただ、ボーディング・パスそのものがルーム・キーになってますから、
自分のでは開いたのに彼女のでは開かない…ということは、

彼女のボーディング・パスが何かおかしいということに。


彼女の方でもすっかりくつろいでるふうの外人(これは自分のことですが)が

すでに荷解きしている様子を見て、早速に通路にいた案内係を捕まえて

何とかしてくれろと話を始めたようす。
いやあ、怖そうなおっさんでなくってよかったよかった。


ところで、トゥルク行きの船はストックホルムを20時に出航して、トゥルク到着が翌朝7時。
ですが、スウェーデン、フィンランド間には時差が1時間ありますので、

トゥルクの7時はストックホルムの6時なんですね。


北欧ガイドブックでは、いろんなお楽しみのあるクルーズを満喫しよう!

みたいな紹介になってたりしますけれど、個人的には寝ることが第一義でして、

寝ている間に運んでくれる、ああ何とありがたいと思っていたわけです。


もっとも、最初から船内のお楽しみ(レストランで食事をし、ショーを見ながらカクテルを傾け…とか)を

求めるならばやっぱりヘルシンキ行き(16時30分発翌朝10時10分着)くらいの時間がなくてはですよねえ。


…ということで船内の様子を紹介するような要素の持ち合わせもなく、
食事も貧相ながら持ち込んだものでそそくさと済ませたのでありました。
(ただし!売店ではアルコール度数5%のいわゆるビールを買えましたですよ、ようやく)


とうに出航し、売店でビールを買って食事も済ませ…ということで、夜の10時くらいになった頃でしょうか、
階上のオープン・デッキに出てみますと、全く波もないような海をしずしずと船は進んでおりまして、
ちょうど日が落ち切る頃合いでありました。


バルト海に日は落ちて…


船内はまだまだ賑わいの最中でしたけれど、
翌朝トゥルクに着いたら着いたでやりたいことはいろいろあるので、
しっかりと睡眠をとるべく部屋に戻ったのでありましたよ。


そうして、船はバルト海を行く…。


船はバルト海を行く…

現代博物館らしい企画ということになりましょうか、
東京都現代美術館で開催中の「特撮博物館」展のことであります。


「特撮博物館」展@東京都現代美術館


「昔はよくウルトラマンなんかを見てたものなぁ」てなことで、
なんとなく出かけたのですけれど、いやあ結構入ってましたですねえ。

いわゆる「お好きな人にはたまらない!」という類いなのでしょう。


まず最初は、主に日本のSF映画(怪獣 映画も含む)のポスターやら
映画の中で使われたメカの類いの模型やらが置いてあるコーナー。


いささか古すぎて付いていけなかったり、名前くらいは何とか知ってるかなというものまで含めて、
あれこれありましたけれど、「ほぉ~、そうなんだ?!」みたいに思う場面もちらほらと。


例えばですけれど、巨大な蛾というわりには妙に愛嬌のある顔つきをしているモスラでは
撮影にあたっていくつも作られた着ぐるみで最大のものは約10mもあったそうな。


モスラ [DVD]/小林恵,山口紗弥加,羽野晶紀


9人がかりで動かしたとは大変な作業だったろうと思いますが、
むしろ巨大な芋虫をひと皮むけば、9人がもぞもぞ動いていると想像すると、ついつい笑いが…。


また、1963年制作?公開の?の映画「海底軍艦」の轟天号ですが、
「旧海軍の決戦兵器として計画された」との筋書きになっていたようで、
戦後18年くらいのところで「旧軍」のことを持ち出してよかったのかと思う一方、
先頭部分に巨大なドリルが付いた姿かたちは、まるでTV人形劇(?)「サンダーバード」の

ジェットモグラと同仕様。


海底軍艦 [DVD]/高島忠夫,藤木悠,藤山陽子 1/72 サンダーバードシリーズ No.03 電動ジェットモグラ/青島文化教材社


いったいどちらが先なのだろう?と思いましたので後から調べてみましたら、
「サンダーバード」は1965年に始まったそうですから、1963年の「海底軍艦」の方が早い。

すでにそのころから、やがてアニメが一大産業化する日本の先進性?はあったというべきですかね。


妖星ゴラス [DVD]/池部良,久保明,水野久美


も一つ映画「妖星ゴラス」(1962年)用に描かれたVTOL機のデザインを見て「うむむ」と。
ちなみにVTOL機は垂直離着陸が可能な飛行機で、

シュワルツェネッガー の映画「トゥルー・ライズ」に出てきたハリアーなどのこと。
で、「うむむ」の背景はと言えば「これ、ウルトラマンに出てきたような…」と。


続くコーナーがウルトラマン関連を集めた一角で
(バルタン星人が出てくるときの、鈴鳴りのような効果音がBGMだったような)
先ほどの「うむむ」はすぐに解決したのですが、

やはり先ほどのデザインは「ジェットビートル」に流用されたのだそうですよ。


ところでまた映画コーナーの話に戻ってしまいますけれど、
映画の中で使われた新聞、劇中新聞なるものが展示されておりまして、
これはこれで面白いものだなあと思いましたですね。
例えば、昭和39年8月16日付の毎朝新聞の一面トップはこんな具合です。

全地球SOS!!被害八十三ヶ国に達す

何の映画だったかはメモってくるのを忘れてしまいましたが、
この手の映画にありがちなスケールの大きさです。
でもって、日本映画ですから当然に主戦場は日本になるわけで、
これがハリウッド映画だったらアメリカが主戦場でありましょうね。

卵の正体つかめず 謎に挑む京南大 三浦博士

こちらは昭和39年9月5日付日東時事なる劇中新聞の一面。
たぶん「モスラ」の中で使われたと思いますが、
先ほどの「全地球SOS」といい、昭和39年は大変な年だったようですねえ。

フランケンシュタインか 三浦半島の恐怖
各地に目撃者続出!! スチュワート博士は否定

昭和41年の5月16日付時事新聞の一面大見出し。
たぶん映画「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」と思われます。


フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ [DVD]/ラス・タンブリン,佐原健二,水野久美


前に小説の「フランケンシュタイン 」を読んで

怪物としてのイメージがひとり歩きしてることに触れましたが、
そういえば日本にはこんな際物があったのでありましたよ。


ところで、その後はこうした映画・TV番組を彩った特撮の技が披露されていきます。
特撮とまではいえませんが、ウルトラマンのカラータイマー。


これが青から赤に変わるとドキドキハラハラしたものですが、
このカラータイマーの中に青いセロファンと赤いセロファンを入れ替えながら撮影したと知っては、

苦笑を禁じ得ない…。


溶岩が流れるシーンでは本当の溶鉄を使って撮影するという危険なこともやっていたようですし、
飛行機を飛ばすシーンでは上から吊っているピアノ線が見えないようにと

背景も飛行機もさかさま状態の設営で撮影をしたり。

(こうすると、上下反転させて放送するときにピアノ線は飛行機の下側になるので

あまり気にならないのだとか)


三谷幸喜さんの「ラヂオの時間」に出てくる手作り効果音ではありませんけれど、
とにかく手作りでそれらしくできることをやろうとする工夫、

いかにもモノづくりの日本らしいところなのかなとも思ったりしますねえ。


現在はCGばやりながら、特撮の心意気は残っているようで

昔よりもさらに洗練されたテクニックを駆使して映画を撮るとどうなるか。
これが会場内で上映されていた短編映画「巨神兵、東京に現わる」ということになるのですが…。


映し出される都市はいかにも東京、いかにも渋谷といった

場所が特定できるようなリアルさで臨んだミニチュアセットで、
ここに宮崎駿の映画「風の谷のナウシカ」に出てきた巨神兵が

天空より舞い降りて、あたり一帯を焼き尽くすというお話。


確かに特撮の威力は絶大ではあったと思うのですけれど、

ありのままのようなリアルさを再現できるようになっているとして
現実世界そのままのリアルさを追求して、しかもそれを破壊するリアルさを作り出すことに

どれほどの意味があるのかなと思ってしまいましたですね。とっても後味が悪いなぁと。


かつては作りものらしさが残るが故に本物の場所(例えば東京タワー )を登場させることで
少しもリアルに見てもらおうというところがあったのかもしれませんが、
今や(映画だから作りものだろうと思いつつも)ほんとの東京?と思えるような背景を作れるとすれば、
むしろ現実の都市を再現するのではない見せ方ってあるんじゃないですかねえ。


取り分け大きな震災などがあって、

人間の作った街なぞは自然の力で一瞬のうちに壊滅してしまうことを目の当たりにした後に、
こうしたリアルさを付きつけられても、「凄いなぁ、特撮は」というのとは違う印象が残るような。
それとも例によって単に考えすぎなだけなんでしょうかね…。


特撮博物館のジオラマ