もともとTVを見ることは少ないのですけれど、

日曜日の夕方に家にいるときはたいてい見ているかなという番組がありまして。


6時からTBSの「The 世界遺産」、そして6時半からはそのまま「夢の扉」を続けてということもあれば、

TV朝日の「奇跡の地球物語」に移行することもあるという具合。


かつてはこれにTV東京の「トコトンハテナ」を加えて、6時半からは三つ巴状態。

どれを選ぶかは内容次第というふうで、きっと毎週どれを選んだかをレポートしただけで、

当人の指向性をかなり推測できるのでは思ったりするところです。


ところで、昨日の夕刻ですけれど、

まずは「The 世界遺産」でもってカムチャツカ半島の活火山群に驚いたあと、

「奇跡の地球物語」に移行してみたのですね。

冷凍食品がいかに鮮度と風味を保存するかといったところが番組のポイントでありました。


かつては(今でもかもですが)スーパーでマグロの切り身を買ってくると、

じわじわと赤い水気が出てきてしまって、いかにも冷凍後のうまくなさそう感がありましたが、

これは感覚だけでなくって、あの赤い水気の中にはイノシン酸、グルタミン酸という

いわゆる旨味成分が溶け出してしまっているのだとか。


うまくなさそうどころか、実際にうまくなくっていたわけですね。

が、今では冷凍技術が格段に進歩したことから、旨味を流れ出させてしまうような

食品の細胞の破壊をせずに冷凍保存できるようになっているようですね。


番組の中で紹介されたように、例えばイカは取れたてそのものでないのなら

むしろ冷凍した方がおいしくなる(甘みが増す)のだとか。

「ほぉ~」でありますねえ。


ところで、もっと「ほぉ~」だったのは

冷凍技術関連として番組の最後の方で触れられたフリーズドライ製品です。


フリーズドライですから、「凍らせて乾かす…?」てなことくらいにしか思ってなかってすが、

その作り方を見せてくれました。こんなふうです。


一般に地上では沸点100℃ですけれど、気圧の低いところでは沸点が下がりますですね。

高い山ではお湯が100℃にならないうちに沸騰するてなことで、

ここまでは知っておりました。


が、この気圧をどんどん下げていって真空(に近い?)状態を作り出すと、

沸点もどんどん下がっていって、凍らせた食材をおいただけで凍った部分があれよあれよと

気化(昇華)していくのだとか。


結果的には、解凍するということを経ないために

水気の抜けた(つまりはドライな)軽石状の固形物が残るのだと。

これがフリーズドライ食品なのだそうですよ。


これにお湯をそそげば、に水気の抜けた軽石の隙間状の部分にお湯が入り込み、

しかも暖かいわけですから、たちどころに元の食品に戻るという。


これで十分に「ほぉ~」なんですが、考えてしまったのは、

よく宇宙空間で宇宙飛行士姿のいいもんと悪いもんが格闘し、

悪いもんはついに酸素を送るホースを切られ宇宙に漂っていってしまいました…というようなシーン。


ここで問題なのは酸素のホースが切られたということは、

当然息ができないということになりますが、切られたホースは宇宙服の密閉性を損ねるわけで、

真空の(真空に近い?)宇宙では一気に気圧がさがりましょうから、

あの漂っていく宇宙飛行士はフリーズドライになってしまったのか?!と。


「ひぇ~!」怖いですよね、怖いですよね。

さすがにお湯を掛けても元には戻らないだろうし…。

先にトゥルク大聖堂 でパイプオルガンによるランチタイムコンサートをやっていたと言いましたけれど、
なにか軽くランチにいいお店ないかなと思いつつ歩いていたら大聖堂まで来てしまったのでして、
そのついでにシベリウス博物館まで覗いてはまたしても遅めの食事ということに。


次に向かうトゥルク美術館への道をきょろきょろしながら歩いていきますと、ふいに「!」と。
日本でさえ夏場にビールはうまいものですが、気温は極端に高くなくとも湿気が少ないとなれば
やっぱり喉は渇くものでありまして、どうやら自社製造のビールを提供しているらしいお店を発見!

即座についふらふらと…というわけです。


で、ビールのチョイスは(フィンランド語が読めないものですから)最も売れ筋のものをオーダーし、
さて食べ物ということですが、何かと肉ばかり食べる機会が多く時間も遅めなので軽くと
スモーク・サーモンを乗せたシーザー・サラダを頼んだのですね。


サラダが出されるのを待つでもなく、まずはビールで喉を潤したために飲みかけになってますが、
やがて出されたサラダに「あいかわらず、でけぇなぁ」と。軽くにならないではないか…。


シーザーサラダ@トゥルクのパブ


外国に来るととにかく料理の量の多さに辟易することしばしですけれど、
このシーザー・サラダも真ん中へんにくるくると巻いたサーモンが見えるだけでなく、
中の方にもざくざく入って、チーズもてんこ盛り。


サラダがヘルシーという印象は裏切られますですね。
もっとも、続いてダーク・ビールをとおかわりするわけですから、
サラダばかりのせいではありませんが…。


ちなみにこのTeerenpeliというメーカー直営パブ。
ビール好きにはもってこいかもしれませんね。
トゥルク以外にも店はあるようですが、ヘルシンキあたりでは混んでてがちゃがちゃしてるかも。
トゥルクののんびりした感じが和むのですが。


とまあ、思いもよらずたっぷりした食事を取った後、
同じ朝に駅方面からマーケット広場に下った坂道を今度は登っていったのですね。


坂の上、丘のてっぺんにはトゥルク美術館が見えています。

で、登っていってもうちょっとというところで、ふと足を止めたところ、
朝に下るときには後ろ姿になってしまうせいかぜんぜん気付かなかった銅像に「?」と。


トゥルクのレーニン像


「これは…」
どう見たってレーニンですよね。


社会主義そのものは高邁な理想なのかもしれないのですが、
それ実践するのが人間という結局欲得から離れらない残念な存在であることに

当時の革命家は気が付かず、結果的には失敗に終わった長い期間の実験の、

初期に指導的立場であった人でありますね(かなり説明が長いですが)。


お膝元のロシアでさえ、

社会主義の終焉にあたってはレーニン像が倒されたりしたように思うのですが、
社会主義の政治形態をとったことのないフィンランドのトゥルクに

なぜレーニン像(頭だけですが)あるのか、不思議な気がしたのですよ。


ロマノフ朝が倒れた後のロシアでは
革命側の勢力争いで当初劣勢に立たされたボルシェヴィキが

フィンランドに逃げて時を待ったりもしたようですから、
内陸の都市タンペレにはレーニン博物館があったりということで

全く関わりがないわけではないでしょうけれど、
トゥルクのこの場所になぜ?には答えが見つからないのでした。


と、坂道の途中で思わぬひと休みになりましたけれど、
たどりついた丘の上はトゥルク美術館(Turun taidemuseo)であります。


トゥルク美術館"


先に訪れたストックホルムの美術館では当然のようにスウェーデン絵画に接したわけですが、
ここでは早速にフィンランド絵画との遭遇ということになるのですね。
ちょうどFanny Churberg(1845-1892)というフィンランドの女性画家の回顧展をやっておりました。
(お名前のカタカナ表記をあれこれ検索しましたが、決定打がありませんでした…)


Fanny Churberg


例えばこうした作品ですけれど、個性的ではないものの味があると言ったらよいでしょうか。
とても素朴な印象なのは、フィンランドの風景というのが助けになっているのかもと思ったり。


一方、別のコーナーにあったアクセリ・ガッレン=カッレラ(1865-1931)という画家は
フィンランドでは有名も有名、フィンランドを代表する画家であるらしいのですね。
名前の音から受けるガチガチとした印象とは異なる絵も描いているようで、「ほぉ」と。
おそらくはヘルシンキで訪ねようとしてる美術館でもまたお目にかかる作家でありましょう。


ガッレン=カッレラ作品をあしらったトゥルク美術館リーフレット

というところでいささか尻端折りの感ありですが、
トゥルク駅に戻って特急列車で2時間、いよいよヘルシンキに入ります。


ヘルシンキ行き特急列車

…ということで、ナーンタリ から往路のバス代の

倍以上の運賃(といっても正規運賃と思われますが)を払って、
トゥルクに戻ってきました。たどり着いたのは、やはりマーケット広場であります。


ここからまずはトゥルク大聖堂を目指して歩き始めたのですけれど、

最初は単なる街中の印象。

こう言ってはなんですが、

ヨーロッパと思うとどうしても古い装飾的な街並みを想像してしまうものですから、
通りの両側にただのビルが続くようすはアメリカの都市のよう(失礼!)にも思えたり。


トゥルクを流れるアウラ川


ところが、アウラ川に架かる橋を越えると、中心部からちょっと抜け出すのか、
空の広がりが大きくなって目の前に大聖堂も見えるという雰囲気一変といったところ。


トゥルク大聖堂

さて、そのトゥルク大聖堂(Turun tuomiokirkko)ですけれど、
石造りの堅牢さとは別にちょっとおもちゃのようなかわいらしさが感じられます。


堂内はと言いますと、まずは大きくモダンな感じの絵画を背景に置いた

立派な祭壇が目を惹きます。


トゥルク大聖堂主祭壇


その一方で、反対側にあるこのパイプオルガン、

これが思い切り耳を惹く(?)のでありましたよ。


トゥルク大聖堂のパイプオルガン

何となれば、弾いている方の姿は見えねど、ちょうどランチタイムコンサートが行われており、
全身に振動が直に伝わってくるような低音ともども、

かのパイプオルガンが鳴り響いていたのですね。


折しもJ.S.バッハ の「パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582」と思しき曲が流れていて、
ワイマールの宮廷オルガニストであった頃の作のようですが、
どうしてどうしてやはり教会という場所に何とも馴染む気がしたものでありますよ。


しばしじいっと耳を傾けておりましたが、およそ聴きいる人の姿もなく…。

もったいなくも贅沢な気分に浸っておりましたが、

曲がいささか現代風のものに変わったのを潮に大聖堂を後にして、
ほんの200mくらいの移動でしょうか、シベリウス博物館(Sibelius-Museo)に到着です。


フィンランドでというより北欧に枠を広げたとしても、

最も著名な作曲家は?ということになれば、
フィンランドのシベリウスかノルウェーのグリーグ かてなところでありましょう。


クラシック音楽をあまりお聴きにならない方はピンとこないかもですが、
映画「ダイ・ハード2」 にはシベリウスの作曲した交響詩「フィンランディア」が

たっぷり使われてましたので、「ああ、あれか」と思われるのではなかろうかと。


ただ、あれかと思われたのであれば、この曲の本来は1899年に作曲されて、
フィンランド人の愛国心を多いに鼓舞したものと言われているのですね。


当時のフィンランドはロシア帝国領の大公国(ロシア皇帝を大公としていただく)で、
自治の許容範囲はロシア皇帝のお人柄?でずいぶん変わったようですが、
1894年ロシア皇帝に即位したニコライ2世(あの大津事件 のニコライ皇太子のその後)は

領内に渦巻く革命の気運に圧政で対抗し、
フィンランドの自治も自ずと制限されていたことから、独立気運が沸々とという状態。


そうした時期に生み出されたシベリウスの

「フィンランディア」(フィンランドなるもの、みたいな意味でしょうか)は
多くの同胞を結び付ける機能を果たしたのでありましょう。


それだけに、シベリウス博物館のビデオ鑑賞コーナーで見た

シベリウスの葬儀の様子を伝えるニュース映像を見ても、
この作曲家に対するフィンランド国民の思いたるや

尋常ならざるものがあると見てとれたのですね。


ヘルシンキの大聖堂で営まれた葬儀に弔問に訪れた人たちは数知れず。
また葬儀後に終の住処となったアイノラ(ヘルシンキからバスで1時間くらいの場所)へと

棺が移送される際には、それこそ大聖堂からアイノラまでの沿道に

途絶えることのなり人の列ができたということをニュースは伝えていました。


「こんなにまで思われていた人だったのだね、シベリウスは」

と思いを新たにしたのでありましたよ。


と、こうしたビデオ鑑賞コーナーのあるシベリウス関連の展示は、

博物館の器のわりには実は少なめで、
実状から言えばむしろ楽器博物館といった方がいいかもという内容。


そのつもりでいけば面白い発見があったかもですが、

お目当てをシベリウスに置いているとちと肩透かしをくってしまうだろうなぁと。


シベリウス・コーナーの小さいシベリウス博物館

ところで、トゥルクという町は

スウェーデンからはオーボ(Åbo)と呼ばれていたと前に書きましたけれど、

この「å」という文字はスウェーデンに特有の文字ですね(ノルウェーも使ってるかも)。


ドイツ語の思わせる「ä」や「ö」という文字がスウェーデン語でも使われますが、

「a」の上に丸がついた文字というのは、とても特殊な気がしたものです。


が、帰ってきてから知ったところによれば、この文字は「a」の上に丸が付いているのでなくして、

「a」の上に「o(オー)」が乗っかっているのだそうな。


ですから、スウェーデンで書き取りをするときには、この丸は下から時計回りに書くとダメ出しされ、

上から反時計回りに書く(要するにアルファベットの「o」の書き方)が正解だといいます。


ということで「å」は、「a」と「o」の合わせ文字であって、

発音は本来は「a」と「o」の中間の(日本人にとっては)あいまいな音…かと思いきや

どうやら「おー」と言えばいいようです(かつては曖昧母音の一種だったかもですが)。

新宿の損保ジャパン東郷青児美術館へ行ってみたのですね。
開催中の展覧会は「ジェームズ・アンソール 写実と幻想の系譜」展であります。


「ジェームズ・アンソール 写実と幻想の系譜」展@損保ジャパン東郷青児美術館

と言っても、その作品に馴染んでいるとはとてもいえませんで、
5年前に訪れたブリュッセルゲントの美術館 で見かけたときには
「James Ensor?ジェームズ・エンサー?」、要するに「誰?」という感じだったわけです。


ただ絵にははっきりした個性があるとは思われたのでして、
後に「仮面の画家」とも言われるてなことを知ると「なるほど」と思うところですね。


ベルギーではアントワープの美術館 にも行って、

そこでもちと特別扱いふうに一室が設けてありました。


でもって、こたび新宿の展覧会は

そのアントワープ王立美術館所蔵作品を主に構成されているということで、
初めて見たときには「うむむ…」だったものに、時を経て

果たしてどんな印象を抱くでありましょうかと我がことながら興味を感じたのでありますよ。


画家ジェームズ・アンソール(1860-1949)のことをまずはざっくりとつかんでおくために、
会場にあった解説の引用をしておくとしましょう。

ブリューゲルやボスといったフランドル絵画に見られるユーモアのある幻想をこよなく愛したほか、静物画、海景画では印象派の画家たちと同様に、現実の移ろいゆく光の効果に鋭い眼を差し向けました。

と、ブリューゲルボス といった幻想に想起させる名前も見られるものの、
この解説からはまだ仮面や骸骨の絵で知られるアンソールの姿は

浮かび上がってこないわけで、主に初期の特徴ということになりましょうか。


展覧会の副題どおり、最初は写実から入り、印象派その他の影響も受け、
やがて独自の境地に達するという過程を見て行く構成になっているという。

ただ、画風の変遷には「やっぱりこういう人がいたかあ」という存在がありますね。


アンソールが1877年から1880年にかけて学んだブリュッセル美術アカデミー。
そこの学長先生であったジャン・フランソワ・ポルタールスは
「進歩的な考えの持ち主で学生たちに自由に進路を選ばせていた」ということです。


後にベルギーでアルフレッド=ウィリアム・フィンチやヤン・トーロップ らによって結成される
「二十人会(Les Vingt)」のメンバーのほとんどは、このポルタールスの教え子だったそうな。
フランスで言えばさしずめギュスターヴ・モロー の教室から
アンリ・マティスやジョルジュ・ルオー が育っていったふうでしょうか。


ですから、20代のアンソールは印象派の前段階風な風景画を制作する反面、
当時は女性がものを食べる姿を描くのはタブーであったにも拘わらず、
「牡蠣を食べる女」(1882年)といった写実と言えば写実的な絵をものして
物議を醸したりしていたのですね。


ジェームズ・アンソール「牡蠣を食べる女」


もっともこの作品には「または色彩の国にて」という括弧書きがあるように、
アンソールとしてはテーブルに並んだ多様なガラス瓶に当たる光が織りなす
色彩のヴァリエーションを描きたかったのではないかと思えなくもない。


でなければ、207㎝×150㎝という大きさはむしろ異様に思えてしまいますし、
ガラス瓶ばかりでなくいろいろな装飾が多彩さを生み出すことからすれば
男性よりも女性を配置した方が画面の中を「色彩の国」にしやすいものと思われなくもない。


ところで、写実から入ったアンソールは対象を見つめていく過程で、
こんな言葉を残しているそうです。

目に見えるものは観察を通じて変化する

じっと観察していると描かれる対象が変化するという、

このことを対象が人物であるとした場合に当てはめてみますと
観察によって生ずる変化というのは、例えばその人間の内面がにじみでてくるといったことなのかなと。

そうしたところから出てくるのが仮面であり、骸骨だったとも思えてくるのですね。


会場内の解説には、

カーニバルなどで人が仮面をかぶると人格が変わったようなふるまいに及ぶことに
アンソールは関心をしめしていた…というようなことがありました。


その人その人の本質を描きだすためには、あえて仮面をかぶった姿で描くというふうにとれるわけで、
展覧会フライヤーにあしらわれた「陰謀」(1890年)のように仮面だらけの作品が生まれてくるという。


この絵は実は結婚を描き出していると言われます。
一般に結婚を祝う集まりとなれば、一様に喜んでいたりする姿が想像されるところですけれど、
その実新郎新婦も含めてその場の一人一人の腹の中は何を考えているのか分かったものではない、
それがにじみ出て視覚化されたとき、絵のような仮面だらけの人たちになったしまうのだと。


ですが、ふと気が付いてみるとですね、ここで仮面とされるものと普段の顔とをひき比べて
本当の仮面はどっちなんだ?…と思ったりしてしまいますね。


日常の中で人間が持つ本音をひとりひとりさらけ出していては、
とても平穏な生活は送れないであろうことは想像に難くないところかと。


それだけに、仮面をつけた姿を描いているように見せておいて、
アンソールにしてみれば「仮面を剥いでやった」と思っていたかもしれません。


最後に仮面と骸骨が共に登場する「首吊り死体を奪い合う骸骨たち」(1891年)を見てみます。


ジェームズ・アンソール「首吊り死体を奪い合う骸骨たち」


この絵がどういった情景を描いているのかは措いておいてになりますが、
骸骨として描かれている二人はもはや人間性をかなぐり捨てて、
奪い合うという本能的なことしか行ってない状態です。


こうなってしまうと、仮面をつけるつけない(自分を装う装わない)ということとは
違ったレベルの剥き出し感があるわけで、こうなると人体の基本的構成要素でもって
その原初性を描くしかないと考えたのかもしれぬと思えたり。


左右から覗きこむ人たちも(意図まで推し量れないながらも)

二人の骸骨の闘争に実は加わりたくて仕方がない。
でも、それを押し隠そうとしてはいるわけで、その内実の表出として仮面化して描かれてますが、
右側には包丁を、左側には剃刀を手にしている者もいて、

骸骨と化して中央に躍り出ん一歩手前かと想像させます。


ベルギーでアンソール作品に出くわしたときには、

ありていに言って浮かんだのはとまどいだったのですけれど、
本展でもってまたずいぶんと違った印象を受けたなと思ったものでありました。

トゥルクのフェリー・ターミナル からトゥルク駅にバスで出るには

マーケット広場で乗り換えるのだろう…てなことを書きましたけれど、
ここからナーンタリ行きのバスに乗ろうとして急に思い出したことは言えば、

バスのシングル・チケットは2時間内の乗継可だったなということ。


実際にはその手を使わずじまいでしたので、

ナーンタリ行きのバスに乗り込む際に試しに「このチケット、使えますか?」と聞いてみると、

怪訝そうな顔をしながらも頷きが返ってきたのですね。


考えてみれば、フェリー・ターミナルからのバスで買った乗車券ですから
もう使うこともあるまいとくしゃっとポケットにねじ込んであったしわしわになっていて、
そのしわしわを示して「これ、使えますか?」と聞くような輩は

「もしかして拾ったかなんかしたチケットか」と訝しく思うのも当たり前かもと。


もっとも、聞いた側としての「使えますか?」の意味合いは、
30分余りも乗車するくらい距離のあるナーンタリまで行くのに使えますか?だったのですけれど。


終点のナーンタリで下車するときに、

やはりフェリーの中で調達した市街図(ガイドブックには載ってない)で到着したバス停の位置が

はっきりしなかったのでドライバーに「私は今ここにおるのか?」と地図で指さし確認をしたところ、

気持ちよく「そうだ、そうだ」と送り出してくれたので、まあ運賃的にも2ユーロ50セントの

シングル・チケット使いまわしで問題なかったのだと思ったわけです。


が、これは帰りの話になりますが、

トゥルクに戻るバスでドライバーに何の疑問もなく2ユーロ50セントを出し、
片道乗車券を求めようとしますと、ドライバーが「トゥルク?」と聞いてくる。


どうやらトゥルク・ナーンタリ間の正規運賃は5ユーロなにがしだったようでありますね。
往路のドライバーはどうしちゃったんでしょう…。


とまあ、そんなことは旅のあれこれの中ではままあることでしょうから、

ともかくもナーンタリ(Naantali)街歩きのお話であります。


ナーンタリの海へ続く道


バス停から2ブロックくらいのところに、並木の続く遊歩道があるのですね。
これをまっすぐに進んでいくと海に出るということになりますが、
何となく三保の松原 を思い出してしまいましたですよ。


花いっぱいの公園


そして、海へ抜ける手前に観光案内所と公園、その向こうの小高いところに教会がありました。

このナーンタリを歩き回っていたときが、今回の旅の間ではいちばんいいお天気でしたので、
花々に囲まれた公園を見るだけでも気分がよいですし、こんな看板を見るにつけ
「なるほどムーミン・ワールドのある町だな」と思うわけです。


ムーミン・ワールドはこちら


石造りの教会のある丘を超えた向こう、

橋でつながった島の中にムーミン・ワールドはあります。

ムーミン・ワールドへようこそ


夏場だけオープンするようですけれど、

盛期を過ぎたのか8月下旬には12時からの開園ということでしたので、
橋を渡って歩きまわれる園外部分をひとまわりしてきたのですね。


ムーミン・パパのカフェ


ここまで来たのだから開園を待ってと思わなくもないですが、
ムーミン の着ぐるみとご対面しても照れくさいだけですから。


ナーンタリのボートだまり


島から戻って海沿いに歩くとそこは船だまり。
おそらくは自家用の小型ボートがたくさん置いてあって、
ボートを使うことが生活と密着しているのだろうなぁと思いましたですよ。


ボート用ガソリン・スタンド


ですから、最初は何でこんなところにガソリン・スタンド?と思ったものの、
要するにボート用なのですよね。浮かんだまま給油するには当然こうなるのでしょう。


ニルスに出てきたような底抜けのボート


水際に沿って歩いているうちに、こうしたどんずまりのおよそ観光客はここまで来ないよな…

と思しきあたりまでやってきてしまいました。

ニルスのふしぎな旅 」に出てきた底抜けボートの話を思い出しますですね。


とまれ、お店の並ぶあたりに戻ってひと休み。

お昼にはちと早いのでアイスクリームを買ったんですけれど、

写真付きで貼りだされたメニューに書かれたフィンランド語の商品名をなんとか伝えて、

望みのものと思しき品を手に入れました。


ナーンタリの休息


「もしかして、キミたちがニルスと旅をしたのかいね…」とつぶやきたくなるような。

休憩中の鳥たちと一緒にこちらも休息のひととき。

おだやかでゆったりした時間が流れるナーンタリはいいところだなぁと思ったですよ。