年末の何かと慌ただしい頃合いでありますけれど、
静寂の巨匠と言われるらしいジャン・シメオン・シャルダン(1699~1779)の展覧会を見に、
三菱一号館美術館へ行ってきたのですね。
近くの東京駅では丸の内駅舎の復元が終わってからというもの賑わいは一入のようですし、
また東京ミチテラスというイルミネーション・イベントにはわんさと人が押し掛けて
収拾がつかなくなった…てな話もつい先日聞こえてきたわけですが、
美術館の中に一歩入れば全くの別世界。
もっとも静寂の巨匠でなくとも、美術館は基本的に静かな場所ではありますが。
さて、シャルダンでありますけれど、
「フランスを代表する静物・風俗画の巨匠」とフライヤーに紹介されているように
静物画 、風俗画 に作品を残しておりまして、フライヤー自体も
その両方の絵をあしらった2種類が使われてます。
ですが、静物画も描けば風俗画も描くというふうでは必ずしもなくてしてですね、
静物画から出発し、途中風俗画を描いたけれど、やっぱり静物画に戻ったという人だという。
ネーデルラント
ではシャルダンが生まれるかなり前から静物画が隆盛を極めたわけでして、
先駆者の絵に触れてシャルダンは静物画の魅力に目覚めたのかもしれませんけれど、
如何せんフランス
では絵画の題材にはっきりした序列があって、
静物画のステイタスは低い、低い。
これには財のある市民階層が静物画を求めたようなネーデルラントの事情とは異なって、
絶対王制下のフランスではそこらにあるものを題材とした絵は
あまり見向きされるものではなかったのでしょう。
シャルダンが風俗画を描くようになったのは「友人の勧めで」ということらしいのですが、
そこには「静物画もいいけど、それじゃあ食っていけんよ」との含意があったのでは。
実際に風俗画を描くようになって、シャルダンは経済的にも余裕が生まれたようですし、
右側のフライヤーに使われている「食前の祈り」(1740年頃)は
「国王ルイ15世に謁見を許され献呈した」作品ともなるわけで、
風俗画によってシャルダンは功なり名を遂げたと言えましょうね。
確かにこの作品は母子の慈愛がにじむような素敵な作品とは思うのですが、
こういっては何ですが、シャルダンにとって風俗画は
一時的に身を立てるよすがと考えていたのではないかと。
「食前の祈り」別バージョンも展示されてますが、
周囲に散らされた道具類が違っているくらいで、基本的には全く同じ構図。
「同主題の作品は4点のみ現存」と解説にあることからすれば、
現存していない同主題作品がたくさんありそうな気配です。
つまり人気作に注文が入れば、
どんどん描いて貯金をしておこうと考えたのではないですかね。
何のために?やがて、静物画に戻るために。
ルイ15世への献呈作とエカチェリーナ2世の所蔵作の違いは
周囲に散らされた道具類と言いましたけれど、
周辺部に置かれてはいるものの、これら静物画では主たる構成要素になる品々を見ると、
シャルダンの関心はこちらにこそあるのだなと思えてもくるからです。
こんなふうにして静物画に戻ったシャルダンは、美術評論も物したディドロをして
「食欲を刺激して思わず手が出そう」と言わしめる「桃の籠とぶどう」(1759年頃)といった
作品を描くのですね。
そして、左側のフライヤーにある「木いちごの籠」(1761年頃)で
あたかも浜口陽三
のメゾチント作品を思い出させる静謐さを見せながら、
最晩年の枯淡の味わいに向かっていくという。
シャルダンにとって風俗画は寄り道であったのではと思うわけですが、
それによる金銭的な成功と名誉の獲得があったにも関わらず、静物画に戻ったとは
なかなかもって一途な人であったのだろうなあと思うところでありますよ。
ところで、「セリネット」(1751-1753年)という作品がありまして、
セリネットとは日本語で鳥風琴というらしい。
ちょっと見ではスピネットにでも向かっているのかなと思ったのですが、
よおく見ると画中の女性は何やら手回しハンドルのようなものを持っている。
このセリネットとは、カナリアに歌を覚えさせる手回しオルガンとのこと。
18世紀初めに登場し、フランスで大流行した代物なのだとか。
前にフェルメール
作「牛乳を注ぐ女
」の床に置かれたものは何だ?と思えば、
足温器であったということがありましたけれど、
こうした「何だ、これ?」みたいな昔の物が描かれているのも、
静物画や風俗画を見る楽しみのひとつでありましょうね。









