久しぶりにミステリを読んでみたいなと思いつつ手にした「蔵書まるごと消失事件 」は、
個人的にはもうひと息の思いを免れぬものであったわけですけれど、
その本のカバー・イラストがあたかも子供向け?と思われるものであったわけですね。


だからというわけではありませんけれど、
此度手にとったのは「子供向け?」ではないはっきりとした児童図書。


さりながら侮ってはいけないことに、

2005年のエドガー 賞(アメリカ探偵作家クラブ賞)受賞作だということ。
もっとも、児童図書部門ではありますが。


題して「フェルメールの暗号」。
丁度フェルメール への関心が戻って来ていたときだけに、
折りよく手に取ったというところでありましょうか。


フェルメールの暗号/ブルー バリエット


コールダーとペトラは、シカゴ大学附属小学校の6年生クラスの同級生。
ふとした偶然に左右されて、二人はフェルメールの絵に関心を抱くようになりますけれど、
そんな時にシカゴ美術館での次回展に向けてワシントン・ナショナルギャラリー から移送される途中で
フェルメールの「手紙を書く女」が忽然と消えうせてしまう。


自分たちの周りで事件に関わりがあると思われることがあれこれと浮かび上がるに及んで、
二人は手紙を書く彼女を救い出すために独自の調査を始める…。


というのが取っ掛かりでありまして、何せ児童向けですから、二人の行動を支配するものは
コールダーの大好きなパズル(ペントミノというらしい)からの暗示であったり、
ペトラの夢のお告げ?であったりするわけですけれど、
全体としては実によく練られた構成になっていると思うのですね。


J.S.バッハの数学的処理 ではありませんけれど、
とりわけ「12」という数字にこだわりぬいたあれやこれやの組み立てなどは、
まるっきりパズルのようだなと思うわけです。


ところでここに描かれるフェルメール消失事件でありますけれど、
お話のかなりの部分を占めるのが、単なる盗難事件というより愉快犯的な状況なのですよ。
犯人と思しき人物がこんな内容の手紙を新聞に寄せるのですから。

二十世紀以降、彼の作品の価値が高まるにつれ、いわゆる初期と晩年の作品の所有者たちは、自分の持っている作品が、ほかの画家の手によるものかもしれないという事実に、目をつぶろうとしました。

…1656年から1660年代にかけて描かれた傑作と、それ以外の年に描かれた作品を、じっくりとながめたあとで、自分に問いかけてみてください。どちらも同じように神秘的か。光にきらめいているか。謎めいた夢を見ているような気持ちにさせてくれるか。さあ、どうでしょう?

こうして一般の人々に対して、真実のフェルメールを見る目をそれぞれが持ち、
疑わしくもフェルメールと称して展示を続ける美術館等に

本当のことを明らかにさせましょうと訴えかけるのですね。


どうしたって思い出すのは、ハン・ファン・メーヘレンによる有名な贋作事件ではないかと。
あれは、ロッテルダム のボイマンス美術館が真作とのお墨付きを与えて大事になったわけですが、
素人(つまりは本書でいう一般の人々の一人)である目で見ても、
黙ってだされたら「フェルメールなわけないよなぁ」と思われる「エマオの食事」だったのですね。


現時点ではフェルメールの真贋問題は片付いているのやもしれませんけれど、
かつてフェルメール作と言われながら、今やそうではないとされるものを見れば、
やっぱり「そうだろうなあ」と思えたりするところでもあります。
その延長線上には、もしかしてもっと真作でないものがあるかも…と思ったり。


ちなみに本書の犯人の言うように「1670年代は怪しいよねえ」となるならば、
ロンドンはハムステッド・ヒースのケンウッドハウス にある「ギターを弾く女」とか
同じくロンドン、ナショナル・ギャラリー 「ヴァージナルの前に座る女」、
そしてニューヨーク 、メトロポリタン美術館の「信仰の寓意」あたりが
「アウト!」ということになります。


これまた犯人が「自分に問いかけてみてください」と言うとおりにしたらどうなるか?
なかなかに悩ましい問題ではなかろうかと思うわけですね。

さりながら、現在まで続く真贋論争みたいなものをフェルメール自身が聞き及んだら、
どう思うでありましょうや。


もしかすると犯人が新聞社に送りつけた手紙に対して、
フェルメールは「これはしたり!」と思ったかもしれん…と、ふと考えてしまったり。


本書の中での事件は、結末として愉快犯的なところから離れて急転直下の解決に至るわけですけれど、
なんでもブラウン大学で美術史を学んだという著者ゆえにでしょうか、
本書自体がエドガー賞受賞の完結した仕上がりを見せるのはもちろんですが、
美術作品に相対する時、権威なるものの評価に無批判に追従することへの一石が
投じられてるようにも思えなくはないのでありました。