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kai遊録

日本国内の城郭を回遊してます

大河ドラマにしてほしい人物 ブログネタ:大河ドラマにしてほしい人物 参加中


城レポがおっつかないのでブログネタで記事稼ぎ知らん顔


書くネタは山ほどあるのですけどね・・・。





私は『大河ドラマにして欲しい = 好きな大名(武将)』ではないです。




マイナーな武将を好きでありたいので、世間に取り上げらると逆に冷めちゃいます(   `-3)プイッ


といっても、知識ないので歴史好きな人と語らえないのですがあせる





前置きが長くなりましたが、取り上げて欲しいのは “太田資長(太田道灌)”




上杉氏は『上杉××』じゃなくて『扇谷上杉××』『犬懸上杉××』って表現してくれないと、


ぜーんぜん分からない思うけどぽけ~



というより、知識ない人が大河ドラマ見る場合、


相関図とか家系図ないと全然わからないですよくまった…





でも、私今まで1回も大河ドラマを最初から最後まで見たことがないんですよズゥーン


「コレは絶対全部見る!!」って意気込んでいた「新撰組!」や「風林火山」も途中離脱。




「面白くないから」という理由じゃなくて、


旅行や買い物などで見逃しちゃって、見る気が失せるパターンチエッ(石蹴り)




過去の大河ドラマが見たくて、時代劇専門チャンネルも見るのですが、


これも見逃しやら寝落ちで、結局最後まで見ずじまい寝ながらTVぐぅぐぅ






レンタルすればいいんでしょうけど、DVDが繋がってるTVを占領されてたりと、


そこそこ障害があるんです・・。


新しいTV買ってやったんだから、そっちで見ればいいのに(-皿-)





小谷攻めレポ、行きまーす!(前回はコチラ

いよいよ、本丸ですaya



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【本丸の説明版 要約】



「東西の石垣の下には土塁が築かれ、敵が側面に回れない構造」



彦根城の西ノ丸の三重櫓は小谷城の天守と伝わる





思わず「うっそだー」と呟いてしまいましたaya



だって想像画に描かれている天守、二層じゃん。


wikiペディアにも「二層の天守が推定される」って書いてあったし。



まあ「伝わる」ですからねー・・・(´ε`;)



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本丸の石垣




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本丸の石垣大きさ比較(彼女は確か162cm)   本丸(二段構造)





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竪土塁




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竪土塁(大堀切側からみる)



竪土塁ですが、裾部分は石塁になっていましたおおーっ!!



本丸側から石が見えないのは埋もれてしまったのかな。



想像図ではこれら一帯が石垣で描かれてるけど、ご覧のとおりのです。



崩壊したにしても、石を持って行ったにしても


こんなピンポイントで残すのは不自然だから、実際は本丸の南側だけ石垣だったんじゃないかな?考える





やや石垣が斜面を登っているので、崩れた“登り石垣”かと思いましたが、


あれは、秀吉の朝鮮出兵時(1592年~)に考案されたものなので違うそうです。


(登り石垣は国内では伊予松山城、洲本城、彦根城の限られた城でしか見られません)




追記:読者さまよりご指摘いただきました。


「登り石垣は九州豊前の長岩城というところにもある」そうです。


(syunpasturyoku1号さん、情報&ご指摘ありがとうございましたaya







桜馬場からずーーっと続いている帯曲輪は“御局屋敷跡”



【(竪土塁脇にある)御局屋敷跡 説明版要約】


「本丸を守るための曲輪」


竪堀が何本が配置されている」




御局屋敷跡に降りる道は整備されてませんので、


降りる場合は十分気をつけてください




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屋敷跡内にある説明板              同 石碑


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御局屋敷跡




帯曲輪全体を御局屋敷跡でくくられていますが、屋敷があったのはこの一角でしょうね。


籠城時の女性たちの屋敷といったカンジだと思いますンー



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で。


「こんなにくっきり描かれた竪堀なら遺ってないの?」ってことで


また例のごとく竪堀を探して、尾根を伝い歩きましたエヘあせる




想像図にあるような、明確な竪堀は見当たらなくて、


「それらしいかな~?」っていうのがコレ。




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竪堀?

竪堀っていうより、両脇が盛り上がってる感じですが・・・。…(汗)






マネしないことをオススメします。×


こんな危険を冒さずとも、素晴らしい遺構を見られますようしし♪





次回 大堀切はコチラ


ここ2~3日の日記にコメントくださった方、返信が滞ってましてスミマセン。


旅先からスマホで返信しようとしたのですが、何回も強制終了になってしまいました。


今日中にコメントしますので、見てやってくださいaya





小谷城攻めレポ行きまーす!


(前回はコチラ



 

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現地案内板(加工&加筆)





御馬屋のすぐ脇に“首据石”がありますが、


お墓の類になるので、写真掲載は端折ります。



【首据石の説明版 要約】


「初代 浅井亮政が敵方に内通していた家臣の首をさらした石」



このときだけなんですかね、首を据えたのってポリポリ


ドラマでよく出てくるルミノール反応液を使ったら、青く光るかなぁ?





この脇の道を行くと“赤尾屋敷”です。



家臣団屋敷は清水谷にあるのに、赤尾清綱さんだけ城内にあるんですね。


そしてここが浅井長政自刃の地でありますアーメン




ググってみたところ、赤尾さんは浅井三将のひとり赤尾城の城主とのこと。



他2名の雨森清貞さん(あめもり きよさだ)と海北綱親(かいほう つなちか)さんの


屋敷跡(の看板)は清水谷にも見当たりませんでした。





奥の腰曲輪はみつけたのですが、虎口は手前だったのか~Me



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腰曲輪








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黒金門



ここは通らなかったので、門の礎石を確認するの忘れていました。




「ここを通らずに、どこを通って大広間に行ったんだ?顔 じー




そんな声が聞こえてきそうな、聞こえてこなさそうな・・・汗




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大広間 説明版(加筆)



図の竪堀を見たくて帯曲輪沿いに歩いていたら、大広間に突入していましたMe




帯曲輪に下りる道があってもよさそうなんですけど、見当たらなかったですMe



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帯曲輪




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城址碑





次回はコチラ