「向ふの国と和合いたしたら……」  | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・「大本神諭」より

 

 “日本は日本で立てて、外国を助けて遣らねば成らぬ、誠一つを貫く神国の一の番頭が、何も解らんから、畜生の尻馬に乗りて、外国の守護神の真似斗(ばか)り致して、終(しまい)には外国の自由に為(し)られると言ふ事が判らぬか。”

 

 “露国へ昔から上がりて居りた悪神の頭が、露国の国を無茶苦茶に乱らして了ふて、モ一つ向ふの国へ渡りて、外国の隅々までもワヤに致して、金の要るのは底知れず、人の命を取るのも底知れず、行きも戻りも出来んやうに致して、食物も無い所まで致して、終(しまい)には日本の神国へ攻めて来て、世界を我の儘に致すドエライ悪い奸計(たくみ)を致して居るが、モー九分まで悪の目的は成就いたした成れど、日本の国の先祖の一厘の経綸(しぐみ)で、手の掌を返して、天下泰平に世を治めて、跡は七福神の楽遊びと致して、世界の人民を助ける日本の元からの経綸(しぐみ)であれども、今の世界の守護神人民の心では、三分も助ける身魂が無いぞよ。

 誠一つの天地の先祖は、違ふた事はチットも申さんぞよ。違ふた事を致したら、茲(ここ)まで忍耐(こばり)て来た事が水の泡に成るから、皆が揃ふて今度の二度目の世の立直しの御用を勤めて下されよ。今度の御用は何に附けても辛い事ばかりであるから、確(しっか)りと胴を据ゑて居らねば約(つま)らんぞよ。

 大本の中も日の出の守護と成りて来ると、何彼の事が辛くなるぞよ。善し悪しが厳重に判りて来て、是迄の心を全然(さっぱり)変へて了はんと、辛うて辛抱が出来んぞよ。口を閉(つま)へて、男も女も腹帯を緩まんやうに確りと締めて居らんと、此先は是迄のやうな事には行かんぞよ。

 斯世(このよ)の上へ上がりて居る悪の守護神が、皆揃ふて体主霊従(あく)では行かんと云ふ事が発根と判りて来て、霊主体従(ぜん)の道へ立復らんと、世が治まると云ふ事は致さんぞよ。

 向ふの国はチットも急(せ)きは致さんぞよ。我の代に奪(と)れな児の代に奪る、児の代に奪れな孫の代に奪ると云ふ、気の永い経綸(しぐみ)であるから、何時に成りても奪りさへしたら良いと申して、チットも急ぎも動きも致さんぞよ。

 日本の国はソンナ事を致して居りたら、国家(くに)が潰れて了ふから、日本の国には天地の元の生神(いきがみ)が、一寸の秘密が致してあるぞよ。”

 

“今度の大戦いは人種同志の戦争では無いぞよ。神と神と、国と国との、末代に一度より無い大戦いであるぞよ。今度の日本と外国との戦には、男も女も小供も一つの心に成りて、日本の国を奪られては成らんから、年寄り迄も日本魂(やまとだましい)に立復りて、神国を守らねば、日本の先祖の大神へ申訳が立たんぞよ。今の如(や)うな我れさへ良かりたら、人はドウでも構はんと云ふ如うな精神でありたら、日本のエライ事に成るぞよ。”

 

 “モウ此先は霊主体従(ひのもと)の経綸(しぐみ)通りに致して、早く立替えを致して後の立直しに掛らんと、何んでも無い事に国を潰して、脛腰の立つ、間に合ふ人民を、大根の葉房を切る如(や)うな惨い事を致しても、向ふの国の何一つも効能の有る事は無いが、是も皆悪神の玩具(おもちゃ)に成りて居るのであれど、世界に気の附いた人民は一人も無いとは、惨い事に成りたもので在るぞよ。”

 

 “向うの国にモチトらしい身魂が在りたら、国と国とを立分けて、国の奪合(とりあい)と云ふやうな事を致さずに、皆手を引合ふて行きたいは神の一心なれど、余り向ふの国の身魂の性来では、国が治まると云ふ事の出来ぬ、悪い性来であるから、バタバタと埒(らち)を附けねば、世界は何時までも治まらぬぞよ。

 向ふの国へ上がりて居りた外国の悪神の霊魂(みたま)が、日本の国へ上がりて来て、四ッ足や豆狸、蛆虫同様の悪(わ)るシブトウて、日本の国には使いやうが無いから、一旦は世界中を洗い替と致さねば、日本の国が外国の性来ばかりで、是ぞと曰ふ身霊が無いから、茲(ここ)まではドウゾドウゾと思ひ過ごして気を揉みたなれど、到底助ける方法は今に無い処まで曇りて来て居るぞよ。

 モチツトらしい身魂がありたら、セメテ二国ほどは残して遣りたいと思ふたなれど、余りエグイ身魂斗(ばか)りであるから、昔からの天地の神の経綸(しぐみ)どほりに致して、埒良く致さんと、悪が何時迄も絶えんぞよ。チット可成(まし)な身魂がありたらと思ふて延ばす程、向ふの国の極悪が猶ほ悪くなる斗りで、モ一つ日本の国を下に為(し)どころか、日本の国を欺(だま)し討に致して奪取(とり)て了ふ、悪い巧みを致して居るから、霊主体従(ひのもと)の経綸(しぐみ)に神が致してやらんと、未だ未だ悪い事を仕組で居るぞよ。”

 

 “人民の眼に判らん誠の善でないと、是だけに曇りた世界を、善一筋の道に立替える事は悪では能う致さんぞよ。誠の善は一旦は悪に見えるぞよと、筆先で毎度知らして在るから、一度知らした事は皆出てくるぞよ。一通りや二通りの事では無いぞよ。今の日本の人民は男も女も外国の教(おしへ)の方が良いと申して、外国魂になりて居るから、一番に取損ないを致して今の体裁、取返しの成らん事が出来て、日本の今の国会、何う仕様にも今の処では取戻しの成らん事であるぞよ。日本の霊主体従(ひのもと)の身魂と、外国の体主霊従(から)の身魂との、性来と云ふものが能く見えるのが、是が時節で在るなれど、大きな取違いを致したもので在るぞよ。小さい間違いで無いと云ふ事が、毎度申して在ろうがな。モウ取返しの出来ん事であるぞよ。

 向ふの国の身魂は、悪い事ならドンナ事でも致すエライもので在るぞよ。

 向ふの国と和合いたしたら、末代嬉しいと云ふやうな事は一日も無しに、乱世斗(ばか)りが続くぞよ。悪の精神斗りで善と云ふ性来がチットも無いから、向こふの国の仕組ではヤレうれしいと申して、人民の気の休まると云ふ事の無い、何時になりても利己主義(われよし)の、人は倒(こ)けやうが仆(たお)れやうが、起こしてやると云ふ様な優しい身魂は、何時になりても在りはせむから、全部(すっくり)と極悪の身魂の性来を直すのには、言い聞かした位に聞くやうな、素直な身魂は有りはせんから、帰幽(でなおし)をさして充分の行を命(さ)せて、新(さら)つに致さん事には、エグイ性来の悪のカンカンであるから、そう致すより道は無いぞよ。

 今度の世を立直したら途中で又た変るといふ様な、ヤニコイ経綸(しぐみ)で無いから、今助けるだけは助けて遣らねば成らぬから、シカリたりタラシたり、何時まで掛りて居りたとて、到底今の人民の耳へは這入らんから、気の毒でも神も助け様が無いぞよ。……”

 

(「大本神諭」大正六年旧十一月二十三日より)

 

 

 “守護神人民に、最(も)う一つ気を付けて置くぞよ。甚大(えら)い取り違いが今にあるから、最う延期(のば)すことが出来んから、日本の仕組(しぐみ)通りに致して、速う埒(らち)を付けんと、

 むこうの申すようにして居りたら、日本の国は、何(ど)う斯(こ)うない、呵成的(いちころ)に奪(と)られるぞよ。

 

(「大本神諭」大正七年旧正月十三日より)

 

 

*我が国が、これからも諸外国との交流や協力を促進させ、互いに友好関係を深めていくべきであるのは当然です。しかし、それと移民政策の推進は全く別のものであって、日本国内の移民の増加が大神様の御神意に反するものであることは明らかです。もちろん最終的には全世界を和合させ、恒久的な世界平和を樹立することが大神様の御意志であるはずですが、今はまだ「悪神の覇張(はば)る世」であり、このような具体的な警告が出されている以上は、日本人はよくよく注意せねばなりません。

 

*これは決して移民の排斥とか人種差別とかではなく、「大本神諭」に示されているように、日本へ大量の移民を送り込んで、日本の人民を根絶やしにして国を奪い取ろうとする外国の悪神の企みというものが現実にあるのです。多くの移民を受け入れることで一時的に労働力不足の問題は解決するかもしれませんが、賃金が上昇しなければ国民の暮らしが良くなることはありませんし、AI化が進めばそれだけ多くの方が仕事を失うことにもなります。移民先との同化を拒むどころか、古くからの伝統や習慣を尊重せず、法律すら守らない、働きもしない連中の増加が国家にとって有害でしかないのは当たり前で、既に欧米諸国もこれまでの移民政策が失敗であったことを認めています。もちろん、移民がすべて悪人ばかりだというわけではありませんが、彼らの母国にとっても労働力の流失は国家の発展にとってマイナスでしかありませんし、いくら出稼ぎに行った者達が稼いだ金を本国に送金しても、経済が発展するためには、まずは道路や電気水道などのインフラが整備されねばならず、それは個人レベルでは不可能な事業であって、国家レベルの援助でなければ実現できません。そして、国際交流とは互いの国が尊重し合い、共存共栄を目指すということが原則であって、それにはまず自由と民主主義という価値観の共有、法令の遵守が前提で、それがなければ先へ進むことは不可能です。

 

*既に悪神の支配下に置かれてしまった世界各国の人民を救済するために、我が国は何としても主なる神、天地の元の親神様の御経綸を遂行せねばならず、そして世界平和を実現するためにも『国魂による国家形態』は維持されねばなりません。

 

 

・国魂による世界秩序

 

 “「民族自決」の言葉が第一次欧州大戦の平和会議で日本から提案されたとき、一応否決されたが、既にそれより以前に、出口聖師は、

―― 国魂を源流として民族というものが発展したのであるから、国魂を混合したり、無視したりしたら、世界は治まるどころか混乱する。真の平和な世界をつくろうとすれば、国魂によって民族は自決し、国魂に基づいた国家の形成ができなくてはだめだ。将来民族問題は大きく紛争を繰り返して、如何な大国が力をもって統治しようとしても、どうにもならぬことになる――

と主張されていた。

 『わしは平和の世界をつくるには垣をとれといって来た。その垣というのは一つは民族と民族の垣だ。優秀な民族だの、劣等民族だのと、時代の盛衰によって征服されたり、征服したり、民族の発展期のものと眠りにおち入ったものとを表面から見て批判し優劣をきめるようでは平和は来るものではない。神性の解放、魂の解放によって、相互が平等に、互いに尊重し合うようになれば平和の世界は期せずして出現する。わしの平和論は根源を神性に発しているのだから、近代思想などから結論される平和論とは本質において異なっている』

といっておられた。

 そこで、

 「神意によるみろく世界の構想は、それでは国魂の国家形態でなくてはならないのですね」

と念を押して尋ねてみると、

 『そうだ、国魂を無視して、いかに国家形態をつくり、力で統治していても、いつかは反抗して争うことになる。世界に流布されている思想も、その国魂の反抗や不平等から変形的に発生するものが思想の形をとって現われたものもあるから、その点を注意して見ないと、思想だけを見たのでは判らないところがある。だから歴史というものも、国魂の動きと関連して見るようにしなくては真実をつかむことはできない』

ということであった。

 国魂ということになると、これは容易ならぬ問題であって、世界の創造の歴史にさかのぼってゆかなくてはならなくなる。しかし、そうした研究資料というものは無いといってよいのだから、どうにもならないことになる。

 「国魂の歴史を研究するには、どういう文献によったらよいのでしょうか」

 『それは古い宗教書によることになるが、それだとて断片的だ。そこでわしは霊界物語で国魂の配置や、そのかんながらの性格や、動き方について比喩的に発表しておいた』

 「霊界物語に国魂のことは出ていますが、なかなか判りません」

 『知識的に見ても判るものではない。神的英知によったら判る』

 神的英知ということになれば、普通人としてはあり得ないことである。不可能に近いのであきらめるより仕方はない。そこで、

 「研究は不可能ですね。われわれには神的内流はないのですから」

 『ある。信仰信念によって身魂を浄化向上させ、天的な相応の状態になれば、おのずから英知は輝いて来る』

 「そうすると、みろく世界の構想も、真の世界平和のあり方も、すべて宗教的根源から研究しないと判らないことになるのですね」

 『そうだよ。みんなは宗教的宗教的というが、神の創造した世界で神の守護にある以上、神意、神則を見ないで、世界の構成や発展が判るはずがないじゃないか。しかし神ということが判らぬから宗教的にゆかなくてはならないだけのものであって、神の世界ということが判っているものには、宗教的とか信仰的とかいう言葉が、いかにもつけ足したように感じられる。要は宗教的に進んで行くことが真実をつかむのに早いだけであって、神の世界ということが確かになっている者には、みろく世界も、平和世界も、メシヤの降臨する世界も一つで、国魂によって人類はその位置を得、互いに協力一致すれば、それが神代なのだ』

 「そうですか、元の神代にかえすぞよといわれるのは」

 『元の神代の元ということには国祖という意味もある。現代は神をないものにして、人間主体となっている。元切れて末続くと思うなよという神諭もあるが、すべての元、根源に一応帰一して、そこから一切の眼鼻をつけなくては、神的の順序が違うのだよ。外流ではものはなりたたない。内流が外へと流れて形体ができるという根本がつかめておれば、わけなく理解されるじゃないか』

 「知恵や学では世は治まらぬというのですなあ」

 民族問題については、霊界物語の山河草木の卯の巻にも出ていることであるが、出口聖師の民族論も、国家再編成というみろく神世の構想も、神的秩序による根源からいわれるのであって、平和論のごとき、時には誤解を招いたこともあるが、時代思想から批判すると間違いが起きるのもうなずけるのである。”

 

(「おほもと」昭和32年8月号 大国以都雄『出口聖師と現代社会』より)

 

 

・神国としての日本の使命  〔出口王仁三郎聖師〕  

 

 “……覚也はさらにこんなことを尋ねている。

 「日本はなぜ戦争を起こしたのですか」

 これに対して聖師は、

 「いまの日本のえらい人たちは、『われよし』で自分たちが一番正しく、えらいと思っている。それで戦争が起きるのだ。日本ばかりではなくアメリカもソ連も他の国の人々も、この『われよし』を改めないかぎり戦争はあとをたたない。」

と答えられた。覚也はさらに、戦争に敗けたあとの日本はどうなりますか、とも問うてみる。

 「いま、戦争を起こしているのは、ほんとうの日本ではない。また、ほんとうのアメリカでもない。日本に巣くう、もっとも悪い日本の一部と、アメリカのそれが戦っている。そして『われよし』主義の日本が敗ける。こんなめでたいことはない。早く敗けてほんとうの日本に生まれ変わることだ」

というのが聖師の答えであった。この時代に日本が敗けるというだけでなく、それがめでたいとは実に剣呑な放言で、警官がきいていようものなら、またまた監獄へ逆もどりだ。それでも聖師はおかまいなしに談論風発をつづけられ、

 「ほんとうの日本は、世界人類愛善の旗のもとに、世界平和を打ち建てる宿命を神からおわされているのです。好むと好まざるを問わず、自然にそういう使命の道を歩かざるを得ない」

 なるほど神国日本という真の意味はそういうものなのかと覚也は感じた。”

 

(島本邦彦「大地の叫び 島本覚也の生涯」(酵素の世界社)より)

 

 

*出口王仁三郎聖師が『いったん共産主義が天下を取る。それから神様と共産主義との戦いや』と言われたように、悪神の手下となるのは共産主義者やそのシンパ達です。そして、かつて日本が新聞に煽られた軍部の暴走によって戦争へと突き進んで行ったように、戦争はまずはマスコミの偏向報道、捏造報道から始まります。いずれ我が国へのロシア、中国、朝鮮による攻撃が始まるでしょうが、そのとき同盟国は、国内の共産主義者、リベラルらによって攪乱され混乱状態に陥って、日本を守るために何らかの軍事的な行動を起こそうとしても、それはもはや不可能になっているはずです。

 

*「霊界物語」を日々拝読(音読)しておれば、マサカの時には内流がある、何をすればよいか直感的に悟らせてもらえる、と教えられていますが、「霊界物語」の拝読者の数があまりにも少ないのが気がかりです。もちろん「霊界物語」だけが救いではなく、他の宗教にも救済の力はありますし、役割分担というのもあるようですが、少なくとも皇道大本に発する瑞霊の霊統による救いということであれば、「霊界物語」は必ず読んでおかねばなりません。出口聖師は、『たとえ忙しゅうても一日に一頁だけでも読め』『一巻だけでも読め』『霊界物語を読まぬ者は自分に反対する者だ。なんで瑞霊の天国に入れるかい』などとも言われており、忙しいからとか、巻数が多いからとかの理由でただの一巻すら読むのを拒んだ人たち、自分では読もうとせずにただ必要な情報だけを得ようとする虫のいい人たちが、「霊界物語」を通じての救いに与れるとは私には思えません。お筆先に『マサカの時にはモウ間に合わんぞよ』とあるように、その時になってあわてて読んでも、それは『自分かわいさ』によるものなので神様とはつながりませんし、内流もありません。

 

・「マルクスはシロアリなり」  出口王仁三郎聖師 

 

  マルクスは大和神国(やまとみくに)の白蟻と つくづく今日は深く悟りぬ

 

(歌集「東の光」より)

 

 

  大本は差別的平等を説き 悪平等のマルクスを排す

 

  マルクスは無差別的の悪平等 我が日の本にそはぬ説なる

 

  資本家は資本家としての平等あり 労働者は労働者らしき平等あるなり

 

  貴賤貧富賢愚位置により 各々平等ある世なりけり

 

  人はその時所位によりて平等あるを 上下一致の道といふなり

 

  マルクスに心酔したる青年の おほき現代は禍なるかな

 

  無差別なマルクス主義の平等は 皇国の基礎をくつがへすなり

 

  大本の青年達よ心せよ マルクス主義では治まらぬ国と

 

  マルクスの悪平等を用ふるは 自ら亡びに陥ると知れ

 

  名位寿富是ぞ神賦の正欲ぞ 働かざれば名も富もなし

 

  貧民は浅薄至極なマルクスを 謳歌する世ぞ禍なるかな

 

  マルクスを実行したる国をみよ 民は塗炭の苦をなめており

 

  大本とマルクス主義を混同し 僻目に見てる世人もあるなり

 

  大本は絶対マルクス反対ぞ 神より出でし神の道なれば

 

  大開祖(おほみおや)宣らせたまひし御教(みおしへ)は 共産主義とは絶対反対

 

  名も大事位も大事生命も富も 人生に肝要物なる

 

  マルクスのブローカー多き今の世ぞ 欺かるるな皇国の青年

 

  偽聖人偽君子等が現れて マルクス主義もて人を惑わす

 

  (出口王仁三郎「庚午日記」(第一天声社)より)

 

 

 『外国へ服順(つく)と云ふ者が八分も九分も有るが今度の最後審判の瀬戸際で外国に服従(したが)ふた人民は、畜生道へ堕落(おち)て万劫末代モウ日本の神国へは帰る事はできんぞよ。』(「大本神諭」明治三十六年閏五月二十三日)

 

 

・これからの戦争   出口王仁三郎聖師

 

 “……そして物語第六十八巻の農民歌革命歌のところを森良仁氏に拝読され、「こんど来る時代は、これやぞ」と二度も三度もおっしゃられる。

 「後の世のために聞かせておく。今度お出ましになるみろく様は「弥勒最勝如来」である」

と仰せられ、「瑞の神歌」は、今度のこと(第二次世界大戦)と違っておりませんか。と申し上げると、

 「何が違うか、少しも違っておらん。三番叟が終わって今度の戦争が初段で、今からが二段になる。人さえ殺したら戦争と思っているがそうではない。思想戦、経済戦などあらゆる戦争なんだ。今から二段目に入るんだ。三段いよいよ開くとき、みたま集る大本の、いづのみたまを元帥に、みづのみたまを指揮官に‥‥‥

と仰せられ、

 「これが三段目や。いま二段の最中や。二段目をこまこう書かなんだのは、日本の軍隊はつぶれるぞ。天皇制がつぶれるぞ。そんな阿呆なことを書いたら、わしの首いくらあっても‥‥‥へんがな。お前たちの首いくらあっても‥‥‥。やがて今度くるのが三段目や。いよいよ開くときじゃ。その覚悟は充分にしておけよ。」

と念入りに申された。”

  

(出口王仁三郎他「仏説法滅尽経と弥勒下生」(みいづ舎)より)

 

 

 

 

(江戸川啓視・原作/ 石渡洋司・画「青侠 ブルーフッド」(集英社)より)

*この作品「青侠 ブルーフッド」は20年前に「スーパージャンプ」で連載されていたもので、日本の支配を目論む中国人民解放軍の将軍に対し、アジアの平和を守るため台湾の青幇(チンパン)のメンバー達が立ち向かうという内容です。漫画ですが、ちゃんと青幇(日本安清協会)に取材した上で描かれています。中国の歴史においては、特に動乱の時代は「青幇」や「紅幇(ホンパン)」などの様々な秘密結社が暗躍し、阿片貿易などの非合法な活動にも手を染めており、あの蒋介石も青幇のメンバーであったことは有名です(青幇は『反共』でもありました)。言い伝えによれば、青幇は春秋戦国時代の墨子を祖とし、明代に臨済禅の流れを汲む「羅教」を信仰する水夫組合を母体として成立しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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