太陽フレアと歳火太過の年 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “『内経』の中に書いてある「歳火太過」の内容と太陽黒点の爆発及びそれが地球に及ぼす色々な影響は、非常に似通ったところがある。”

 

 “「歳火」という言葉は、最初は古典医学文献『内経』に見られる。その中に「歳火」、「歳木」、「歳金」、「歳水」等(『素問・気交変大論』)がある。これらの意味は大体気象変化の周期及び人類の健康に対する影響を指す。毎年の気象変化は「経春―春を経て夏があり、寒さが来て暑さが去る」であるにもかかわらず、毎年の風、寒、暑、湿、熱、燥等の変化及び気象変化が空気の温度、湿度に与える影響は同じとは限らない。

 例えば、ある年の夏は耐えられないほど暑い。また、ある年の冬はきびしい寒さが現われる。このような異常気象は偶然の現象ではなく、規則に従うものだと古代人は思ったのである。これについて、漢方医学は五運の気の交替で歳を主宰すると解釈する。一年ごとに、それぞれ一つの運気で主宰し、五運の気の規則正しい交替で各々の歳を主宰する。これによって、各年の異なった気候が生じるのである。

 五運の気はそれぞれの特長を持っているほかに、それぞれ運の気自身にも、また「太過」、「不及」及び気平の年という区別がある。

 火運を例にして、『素問・六微旨大論』によれば、「火運臨午……所謂歳会、気之平也」という。火運臨午というのは即ち戊午歳で、天干の化運と地支の歳が重なり合って、これは「歳会」と称する。歳会は気の正常な年で、「太過」と「不及」がなく、気平の年である。もし歳会の年でなければ、「太過」と「不及」の相違があり、寒すぎたり、暑すぎたりする異常天候になるのである。

 このような気象観測を計測する方式が、中国医学の基礎理論を貫いていて、ある程度臨床治療の指導にもなっている。古代人のこのような認識と計算方法は実際の状況と合致するか、主観的推理なのか、或いは実際のことを離れての憶測であるか、結論を下すにはまだ早計である。そこで、まず「歳火太過」を探ってみることにしよう。

 「歳火太過」は火の旺盛な年であり、気温の周期的高まりである。即ち、幾年の間に必ず一年の夏は特別に暑い。それでは、その周期は何年であろうか。まず、陳修圓氏が『素問・天元紀大論』に加えた注釈を引用して、説明しよう。

 「五運主歳、如何諸壬年之木運太過、則諸丁年之木運不足矣……」

 この順序で計算していくと、すべての戊年は火運太過ですべての癸年は火運不足となる。これは天干の推算で五運の周期を説明するのである。天干の周期は10年で、甲から始まり、癸で終わるという順序で循環する。この公式に基づき、五運之気を計算すれば、どの運気でも10年の間に、「太過」と「不及」は各々一回ずつ交替することになる。こうすれば、歳火太過と炎暑流行はまちがいなく10年間に一度訪れ、「歳火太過」の周期は10年間ということになる。

 それでは、歳火太過は10年中どの年であろうか。『素問・五運行大論』、『素問・天元紀大論』の論述によれば、天干の各戊年は歳火太過の年である。60年を一周年で計算すると、戊年は六回である。戊午「歳会」は気平の年であるからこれを計算外にすれば、歳火太過は五回だけであり、周期は12年となる。

 10年ごとに、戊年が一回やってくる。計算の便宜上、西暦に合わせて考えてみると、紀元の下ひとケタが8になる年、たとえば紀元8年、18年、1958年、1968年等が皆戊年で、紀元前の場合は下ひとケタが3の年では戊年である。たとえば、紀元前3年、13年……。

 

 紀元の下ひとケタが8の年は戊年に当たり、歳火太過の年である。この法則は客観的根拠と物質的基礎が得られるかどうかについては、天文学に於ける太陽黒点の爆発とそれが地球に与える影響を探索してみよう。

 太陽の黒点は多い時と少ない時がある。黒点の多い時は太陽に大規模な物質的運動が起こる。中国で、太陽黒点の最初の発見は紀元前43年(戊年)で、即ち後漢元帝永光元年である。古代の天文家が大体日の出と日没太陽の光が比較的弱い時に、直接肉眼で太陽を観察する。したがって、太陽表面にわりあい大きな黒点が表われる時、はじめて観察しえる。『漢書・五行志』は「河平元年三月乙未、日出黄、有黒気、大如銭、居日中」と記述している。この記録は太陽の黒点のことをはっきりと描いている。

 近年、科学の発達するにつれ、太陽黒点及びそれが地球に及ぼす影響はますます分かるようになった。太陽黒点の運動周期は11年くらいである。即ち、11年ごとに黒点数が最大限に達する。歳火太過の周期は10年(平均周期12年)であると前述したが、これは太陽黒点の運動周期にかなり接近している。しかし、この接近は偶然かそれとも必然か、大量の資料がなければ、この問題のうらづけができない。前回、太陽黒点がさかんに爆発したのは1968年で、この年は丁度申年で、恰も歳火太過の年である。まったく一致している。

 さらには以前の年月にさかのぼってみよう。1749~1960年の時期内の黒点数の年ごとの平均相対値を、天干の各字をそれぞれ合計して比較すると、はっきり分かるのは、戊年の値が、一番高く、その次が戊年に近い丁、巳年である。(図表参照)

 さらに本世紀の黒点最大年を干支で推算すれば、大体は1905年(巳)、1917年(巳)、1928年(辰)、1937年(丑)、1948年(子)、1957~1958年(酉~戌)、1968年(申)である。本世紀において、黒点の最大値はかつて七回あった。その中で、三~四回は戊年で、丁度歳火太過の年である。二~三回は丁年(木運不及の年で、時には「炎暑流火」の異常気象になる)に現われ、「歳火太過」の戊年とはわずか一年の差だけである。外に一回だけは乙年で、歳火太過の年と関係ない。

 これによっても分かるように、太陽黒点の多く爆発する年は、その大部分が「歳火太過」に合っている。また非常に近いのもある。極わずかだけはまったく関係ないのである。

 

 太陽の活動は対流層の気候に影響する時、まず対流層中の大規模な気流運動に影響する。即ち大気環流を通じて世界各地の気候に影響するということが研究によって証明されている。

 我が国の研究者によれば、大爆発の後、一カ月以内に我が国の温度が平均して0.5―1℃高くなる。また何回か著しい増暖期が来る。樹木の年輪の研究から樹木の生長も太陽の11ヶ年の周期で変化することが分かった。太陽黒点の多い年に、樹木の生長が早く、年輪間の幅も狭い。これは中国の気候変化と太陽活動との間に明らかな関係がある。太陽黒点の多い年に、中国の気候は大体夏の気温が高い。これは中国医学の「歳火太過」炎暑流行の論述とほとんど一致している。

 

 歳火太過と人体発病との関係については、『素問・気交変大論』に「歳火太過、炎暑流行、金肺受邪、民病瘧、少気、咳喘、血溢、血泄、注下、嗌燥、耳聾、中熱、肩背熱……」と記述してある。

 気温が特に高まり、余りにも高温になると、人体がこうした気候の特別編かに適応できなくなる。こうなると、病気を招く火熱の邪が生じ、上記の病変が引き起こされる。心経脈の運行が失常し、心火が旺盛になれば疼痛と瘡痛が発生する。即ち「諸痛瘡瘍、皆属於心」である。

 同文はまた「甚則胸中痛、脇支満、脇痛、膺背肩胛間痛、両臂内痛、身熱骨痛而為浸淫」と述べている。もし火勢が頂点に達すると、抑えることができなくなる。即ち「火燔焫、水泉涸、物焦槁、病反譫妄狂越、咳喘息鳴、下甚、血溢泄不已、太淵絶者」となり、最後に「死不治」になってしまう。”

 

 “太陽黒点の多い年は、気候変化に密接に関係するだけでなく、生物の生長、人類の健康にも一定の関係がある。細菌が太陽活動にどのような反応を示すかを研究する人は数百種の細菌を育成基、温度、育成方法等の条件かで研究し、結局、ある種の最近が太陽活動に対する反応が非常に敏感で、太陽の活動が激しい時、それの活動も活発であるというのを発見した。また太陽活動による地磁混乱がウサギや犬の心臓、神経系統に一定の影響を与えると指摘する研究者もいる。さらに太陽活動は人体のある種の疾病と関係があると考えている人もいる。

 例えば、血管梗塞及び心筋炎は太陽爆発によって発生した地磁混乱と関係があり、地磁混乱の時期の発病率は地磁安静の時より高く、死亡率も相当高い。また、太陽黒点活動の時に、人の血圧が高くなり、心臓の拍動が早くなり、反応も鈍くなる。自動車のドライバーがこうした鈍い反応によって事故を起こす場合もよくある。

 これらの症状は漢方の八綱を以て弁証すれば、恐らくその大部分は陽証、熱証、実証の範疇に属するであろう。歳火太過で誘発されやすい病症とかなり似ていることが、偶然の一致であるとは思えなかろう。”

 

(「漢方の臨床」1988年第35巻第7号 趙明鋭『「歳火太過」と太陽黒点を探索する』より)

 

*この、山西省中医学校の趙明鋭による論文『「歳火太過」と太陽黒点を探索する』は、最初1981年11月の「上海中医薬雑誌」に発表されたものですが、日本からの問い合わせが多かったとかで、訳文が東亜医学協会の「漢方の臨床」誌に掲載されました。長いので、ここに紹介させていただいたのは全部ではありませんが、確かに非常に興味深い内容です。

 

*私はSDGSなどは欺瞞であって、太陽光パネルなどは地球環境にとって有害なものでしかないと思っています。たとえ二酸化炭素の排出量を激減させることが出来たとしても意味は無く、太陽黒点の活動が活発である限り、地球の温暖化は進行します。オゾン層破壊による紫外線量増大の問題にしても、オゾンは硫黄化合物と反応するので、つまり火山の噴火ガスや工場や自動車からの排気ガス、アマゾンなどでの焼畑の煙なんかでも破壊されますし、これらの方がフロンガスの排出量よりもはるかに膨大です。大体フロンガスが原因なら、オゾンホールはなぜ北極ではなく南極に出来るのか、あれこれ理由は述べられておりますが、どれも私にはこじつけのようにしか思えません。1980年以前は観測自体がなされていなかっただけで、私はオゾンホールは周期的に発生と消滅を繰返してきたものだと思っています。そもそもフロンガス(紫外線により活性塩素に分解)によるオゾン層の破壊は、モデルは示されておりますが、実際に観測されてはいませんし、フロンガス原因説を否定する論文もあるのです。それに、大規模な火山の噴火であれば、噴煙は一気に成層圏まで到達しますが、フロンガスは空気よりも約四倍重く、対流によって一部が上昇できたとしても、対流圏の上にある成層圏では上昇できないはずです(オゾン層は成層圏にあり、成層圏には対流はありません)。さらに、たとえ地表に降りそそぐ紫外線量が増大しても、オゾンとはもともと紫外線と空気中の酸素や一酸化窒素が反応して発生するものなので、紫外線量が多ければ多いほど、オゾンの発生量も増大します。なので、たとえ一時的にオゾンホールが出現するほどオゾンが減少したとしても、増大した紫外線によってオゾン層は徐々に回復するはずですし、実際に回復しています。フロンガスは触媒として優秀で安価でもあり、かなり前から回収・分解処理の技術も実用化されているのに使用できないとは本当に馬鹿馬鹿しい話で、私たちは、もっと環境利権団体の悪辣さについて関心をもつべきだと思います。

 

*趙明鋭先生が述べておられるように、太陽黒点活動の活発化、太陽フレアの発生には周期があり、通常は「歳火太過」の年、つまり十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)の「戊」の年、あるいはその前後の「丁」、「巳」の年に起こります。しかし、今年令和6年(2024年)は甲辰(きのえたつ)で十干の「甲」の年(土運太過)であって、「癸」の年とともに太陽表面の活動はそれほど激しくはない時期であるはずなのに、どういうわけか過去最大級の太陽フレアが発生してしまいました。本来は4年後の2028年がその「戊」の年(戊申)なのに、いったいこれはどういうことなのか。単に周期が狂っただけなのか、あるいはこれからさらに今回を上回る規模の大爆発が起こるのか、ここ数日このことが気になっております。出口王仁三郎聖師によると、大峠のときに降るという「火の雨」は人間が作ったものではなくて、『空気の働きが狂うてしもうて電気がおこって火花が散って火の雨が降る』ということですが、ガラバンダルの聖母マリアのメッセージでも、『その時には、すべてのモーターと機械が停止する』と告げられており、これはどう考えても巨大な太陽フレアの発生による磁気異常によるものとしか思えません。それに、ガラバンダルでは猛暑についても告げられています(『猛暑がやってくる。この暑さのために深刻な水不足になる。絶望のあまり人々は殺し合おうとする……』)。さらに、ルドルフ・シュタイナーによれば、ヨハネ黙示録の666の獣「ソラト」とは、太陽の悪魔のことですし、私には、今回の太陽フレアの大規模な爆発は、カウントダウンが始まった合図のように思えてなりません。

 

 

・ガラバンダルの幻視者の一人、マリー・ローリーへのインタビュー

 

“「忠告が行なわれるその時になったら、飛行機が空にとまるとききましたけど、あなたはその場面を、まぼろしで見たのですか?」

 

 「いいえ、わたしはただ、『その時になれば、すべてのモーターと機械が停止するだろうと聖母が予言なさった』とだけいいました」とローリ。”

 

(デルコル神父「天の母の警告」(聖ヨゼフ修道院司祭館)より)

 

 

*あと、ガラバンダルのメッセージでは、『神からの大警告の前に、ローマ教皇がモスクワを訪問する』ということが告げられています。今後のヴァチカンの動きにも注意したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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