栄養失調の妙薬 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “寒にしては暖かい雨の日である。亀岡の中矢田農園では、つい先頃蒔いたばかりだという麦の芽がもう一面に逞しい伸び方で、この調子で行けば、今年も亦反当五石に近い収穫が予想せられるといふ素晴らしい勢。牛小屋から「モー」と聞こえる声も何となく豊かな農園情景である。

 本家の奥の離れから出口先生夫妻の朗らかな笑ひ声がもれて来る。そこへ行っていきなり、

 「今日は一つ開祖様のお食事についてお話を伺いたいのです。随分お粗末なことだったのでせうね」

と突飛な質問をした。

 薯の皮をむいて中身は信者に食べさし、御自分はその皮ばかりを食べて居られたといふやうなことを教祖伝のお話で聞かされたことがある。又子育ての最中には、食べたり食べなかったりといふよりも、殆ど食べなかったり食べなかったりの日が続いたのであった。殊に晩年には、自分が節食することによって世界の人を飢餓から救ひたいといふ深い宗教的念願の下に、極端なまでに食量を減らされたといふことである。徹底的な粗食、小食、恐らく開祖の日々は、今日でいへば栄養失調間違ひなしの食生活であったと思はれる。而もあの健康とあの八十三才までの長寿を保つてあの偉大な御用を勤め上げられたのである。その一端を聞かして頂くだけでも毎日「栄養失調」に脅かされてゐる現代人がどんなに救われるだらう。といふのが私の狙ひであった。

 「それはそれはひどいお食事でした。しかし開祖さんは特別の方やから、皆が、そのやうにと言っても無理でせう。しかし私等も大阪では少なかったぜェ。ほんまに三口でしたよ」

と、出口夫人の未決に居られた当時の差入弁当のお話である。

 「弁当箱にすーッと一並べしてそれが底が見えて居りました。お菜でも薄う薄う切ったのが一寸附いてゐるだけです。差入れて貰ふ以外は何一つ食べることの出来ぬ所で、そしてその弁当は二遍も三遍も調べて入れてゐるのだのに、役人といふものは不思議なものだ、こんな事で人間が行けると思ってるのだらうかと思ふと、急に腹の底から癇が立って思はず弁当箱を向ふへ突きやったこともありました。しかし直ぐ済まんと思ひ直して、神様にお礼を申し、差入れしてくれた人の名前を口の中で呼んでお礼を言っては有難く頂きました。初めはそれ程でもなかったのだが、終わりの七、八ヶ月といふものはとても少ないものでした。それでも不思議にちっとも痩せなんだが、かはいそうに伊佐男は、年が若いのにこんな弁当ではと思ってそればかりが心配でした。裁判所で会った時に、小さい声で(腹が空るだらうなあ)と言ふたら、(此頃はお茶の殻を食べて居ります)と言ってゐました。独房の中に菜種の花が活けてある。それをちぎって食べて見たり、水を飲んだりしてゐたが、何となく頼りないので寝る時はお腹に枕を当てて寝ていました。それでもお陰やったな。腹がへって耐らぬと思ったやうなことはなかったし、衰へもしなかったから、皆ももう暫くだから此處で辛抱せんならん。外で居れば草でも食へるが、監房の中では草も食ふことが出来ぬのやから……」

 このお話で大抵の頑固な栄養失調恐怖症もふっ飛んでしまふだらう。夫人は更に附加へて言はれた。

 「松葉をし嚙んだら宜しいぜ」

 出口先生は脇から、

 「煎じて飲んでも力になるのや」

と。ホンに日本の國は松の國、松葉なら無限と言って良い程ある。ロシア等ではヴィタミンC剤は主として松葉から採ってゐると言ふことだ。「お松さん、お松さん」と言って古い信者が盛んにお松を頂いたものだ。お松を飲んでゐると血が浄まると言ひ、又大抵の病気はお下がりのお松を煎じてそれで癒ってゐたが、今の栄養学から言っても、それでヴィタミンCを補ひ、血液の酸毒症を救ってゐたわけである。ヴィタミンCを松葉から摂れば野菜や果物の不足は殆ど心配無しだ。

 出口先生は運ばれてきた軽い夕食をサッサと済ましてゐた。

 「随分細いお食事ですね」

 「ウン、わしは若い時分の一番食ふ最中でも一合七匁位やった。此頃やったら一合五匁も要らんやらう。余計食ふても何にもならん。沢山食ふと体がえらいばかりや」と。出口先生の無雑作なこの言葉と、夫人の体験のお話、これをよく噛みしめ味はして貰って、せめてお互ひ愛善道の同志は餓鬼道亡者のお仲間入りは御免蒙って、乏しい中にも感謝と大安心の中に、たとへ一握宛の愛善米でも人々のために捧げさして貰ふ立場になり度いものである。”

 

(「愛善苑 創刊号」昭和21年4月 亀山泉月『栄養失調の妙薬』より)

 

 

・松葉によるヴィタミンC補給

 

 “仙台市で、九十歳を超えた今もお元気で、独自の医学的見地から多くの人を助けていらっしゃるのが、橋本敬三先生です。「操体法」という、気持ちのいい方向に体を動かし、力を抜いて病気を治す体操療法の創始者として知られる方です。

 

 先生は、戦時中、軍医として働いておられ、戦後はソ連に抑留された経験をもっています。日本人兵士たち数千人とともにナホトカ収容所に収容されてしばらくたったころです。野菜のほとんどない粗末な食料が原因で、兵隊のほとんどがビタミンC不足による壊血病にかかってしまいました。

 

 歯ぐきからの出血や全身の衰弱、皮膚に赤い斑点が出てくるなど、患者は増える一方でした。そこで橋本先生は軽症者を山に引っ張っていき、松葉を採らせ、それを大釜で煮て、できた汁を患者に飲ませました。それ以外にも、松葉を一日数十本嚙ませたり、汁を吸わせました。そのうちご飯に炊き込んだりして、松葉を大量に摂らせたといいます。

 

 その結果、壊血病だった全員が回復。多くの命が救われました。以来、橋本先生は、「松葉軍医殿」と呼ばれるようになったそうです。”

 

(上原美鈴「驚異の健康飲料 松葉ジュース」(朝日ソノラマ)より)

 

 

*松は日本全国の山に自生しておりますし常緑樹ですので、松葉なら冬でも入手が可能です。出口聖師は「山に登るときは松葉を噛みながら登ると疲れない」とも言われています(もちろん、環境への配慮は必要です)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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