「アキツトナメ」の法則 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “聖師の示された相応の地名=大本の教理に「アキツトナメ」ということがある。至大天球(タカアマハラ)即ち大宇宙の縮図が太陽系天体であり、太陽系天体の縮図が大地球であり、大地球の縮図が日本列島である。日本列島の縮図が奄美大島である。「大本は型の出るところ」であるから、世界にあることは先づ大本にあるから、大本の中にあることは世界に顕現するから、霊界物語の地名は、「アキツトナメ」の法則の上から理解すべきものである。特に注意すべきことは、「アキツトナメ」も相似相応に国魂学上と地理学上があることである。”

 

(木庭次守編「出口王仁三郎聖師玉言集 新月のかけ」より)

 

*ちなみに国魂学上の相応も地理学上の相応とあまり変りませんが、イギリスは隠岐ではなく対馬、黄河は阿武隈川ではなく北上川、揚子江は利根川ではなく阿武隈川が相応することになっています。

 

 

・日本は世界の雛型

 

 “「こころみに世界地図を開いて、世界各国の地形と、日本国の地形とを比較研究して見よ。そのいかに類似し、その同一典型に出たるかのおもかげを認むるに驚かざることを。

 世界の各大洲に、幾多の変遷があったに相違ない。日本の地形にも幾多の変遷があったのである。双方に幾多の変遷をかさねた大小の秋津洲は、いまやその形容をはなはだしく変化せしめてはゐるが、神誓神約の太古のおもむきは、髣髴としてこれを認むるに難からざる次第である」(「神霊界」大正七年五月)”

 

 “「現在の地理学上のアフリカの大陸は、太古の神代においては、筑紫の洲(しま)と言った。さうしてこの洲は身一つにして面(おも)四つあり、火の国、豊の国、筑紫の国、熊襲の国と大山脈をもって区画されてゐる。さうして島の過半は大砂漠をもって形作られている。

 現代の日本国の西海道、九州もまた総称して筑紫といふ。国祖国常立之尊が大地を修理固成し玉ひし時、アフリカ国の胞衣として造り玉ひし浮島である。また琉球を竜宮といふのも、オーストラリアの竜宮洲の胞衣として造られた。されど大神は少しく思ふところましまして、これを葦舟に流し捨て玉ひ、新たに一身四面の現在日本国なる四国の島を胞衣として作らせ玉うた。ゆゑに四国は神界にては竜宮の一つ島とも称へられてゐるのである。丹後の沖に浮かべる冠島(おしま)もまた竜宮島と神界にては称へられるのである。

 昔の聖地エルサレムの附近、現代の地中海が、大洪水以前にはモウ少しく東方に展開してゐた。さうしてシオン山といふ霊山をもつて地中海を両分し、東を竜宮海といったのである。今日の地理学上の地名よりみれば、よほど位置が変はってゐる。神代におけるエルサレムは小亜細亜の土耳古(トルコ)の東方にあり、アーメニヤと南北相対してゐた。

 またヨルダン河はメソポタミヤの西南を流れ、今日の地理学上からはユウフラテス河といふのがそれであった。新約聖書に表はれたるヨルダン河とは別物である。さうしてヨルダン河の注ぐ死海もまた別物たることはいふまでもない。今日の地理学上の波斯(ペルシャ)湾が古代の死海であった。しかしながら世界の大洪水大震災によって、海が山となり、山が海となり、あるひは湖水の一部が決壊して入江となった所もたくさんあるから、神代の物語は今日の地図より見れば、多少変はった点があるのはやむを得ぬのである」(「霊界物語」第三五巻 『言(こと)の架橋』)”

 

 “……現今の地中海は、この物語において、古代の名を用ゐ、瀬戸の海と称へられてゐる。この瀬戸の海は、アーメニヤの附近まで展開してゐた。しかしながら、これも震災のため瀬戸の海の東部は陸地となってしまったのである。ゆゑにこの物語は、地球最初の地理によって口述するものであるから、今日の地理学の上から見れば、非常に、位置または名称が変ってゐることを、あらかじめ承知して読んでもらひたいのである」(「霊界物語」第三七巻 『富士山』)”

 

 “聖師は「世界は六回地殻の大変動があった。今度は七回目である」と教えられている。”

 

    (木庭次守編「霊界物語の啓示の世界」日本タニハ文化研究所より)

 

*「アキツトナメ」とは、「雌雄のトンボが交尾している姿」のことで、神武天皇が日本の国土のことをこのように表現されたことはよく知られています。しかし、なぜ日本の国土がこのアキツトナメ、つまりトンボが繋がって飛び回っている姿に譬えられたのか、どこがどう似ているのか疑問に思われる方は多いと思います。山並みの続く様子を例えられたとも言われていますが、山は不動であって羽ばたきながら飛び回ることなどありません。霊学的にもいくつか解釈があるようですが、これは日本の国土の姿ではなく、日本が全世界と霊的に繋がり、互いにヒビキあっている状態にあることの譬えでもあります。

 

・神国の人民の大責任

 

 “古き神世(かみよ)の有様を早く世界の人民に解いて聞かさんと、日本の神国の人民が、天地を経綸する主宰者(つかさ)でありながら、外国の人民と同じ如(や)うになりて了(しま)ふて居るから、第一番に日本の人民が我身霊の天職を覚りて日本魂(やまとだましひ)に立ち帰りて、神世からの尊い因縁を覚りた上、世界の人民を助けて與(や)らねばならぬ天来の大責任者であるぞよ。世界の大混雑が起こるのも悪い病が流行るのも、日本の人民の上下の身魂が曇りて、天までも曇らして日本魂の活動ができぬからの事であるぞよ。世界の小言(こごと)が絶えぬのも日本国の責任であるから、斯の地の世界を守護いたす日本の守護神と人民が一番に改信を致して天地の間を清浄(きよらか)に致さねば、何時までも天下泰平には治まらんぞよ。日本の人民は尊き神の生宮に拵へてあるのであるから、神の生宮をよほど清浄に致さんと、神が生きた宮に住みて天地経綸の御用を勤めることは出来んから、一日も早く今までの汚い心や小さい物欲を速川の瀬に流し捨てて、身禊の行を致して居らんと肝心要の世界改造(よのたてなおし)の御用が勤め上がらんぞよ。(大正八年旧正月十八日)”

 

(「神の國」昭和10年8月号 『皇道大本神諭』より)

 

 

 

 

 

 

 


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