ウクライナとポーランド  | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

   

*五木 寛之, 中村喜和の対論 『ロシア歌謡と流民の系譜』(1992年)より

 

 “中村喜和 一九三二年生まれ。一橋大学院卒業。一橋大学教授。『聖なるロシアを求めて』で大佛次郎賞を受賞。著書に『おろしや盆踊唄考』、訳書に『ロシア中世物語集』「ロシア滑稽譚」などがある。

 

中村 ウクライナは大体ロシアとポーランドの間にありまして、そして長いあいだポーランドの支配下にあった。ですからカトリック的な文化が相当はいってきているらしいんですね。民謡にもウクライナ独自の中にいくぶんなりともポーランド的なあるいは西ヨーロッパ的な要素がはいっている。そしてやがてウクライナがロシアのものになるわけですけれども――これがエカテリーナのポーランド分割です。そうしますと、ウクライナの地主がペテルブルクへやってきて住むようになりますね。そのころ地主は召使というとぜんぶ自分の農奴を連れてくるんです。ですから街の歌と田舎の歌が絶えず街へ来て、そしていろんな田舎の歌がうたわれる。中でもウクライナの歌というのがたいへん流行したらしいですね。

五木 そうでしょうね。そのお話を聞くにつけてもウクライナという国のことがどうしても気になって仕方がないのですけれども、今度のゴルバチョフが提案した新連邦体制に対して、ウクライナがさっさと独立を宣言しましたね。それに対してウクライナはずいぶん性急じゃないかという意見もあるけれども、われわれが考えている以上にウクライナ人の、たとえばソ連、ロシア側の本家意識というものに体する屈折した感情というのは、根のふかぁいものがあるんですね。

中村 どうもそのようですね。

五木 ですからウクライナが、さっきおっしゃったように、かつてはポーランドの領域であった。それからロシアの領域になる。ウクライナという国と民族と言語をもちながら、あたかもかつて朝鮮半島が支配されたように、一種の属国として屈従されていた状況があった。

中村 まったくその通りだと思います。

五木 先日、ポーランドのワルシャワに行きましたときに、夏の宮殿と同じような、女帝の小さな離宮があるんですね。そこに美術館がありまして、なかなかいい絵があるんですよ。その中に、ぼくがこれは美人画として最高だと思った非常に美しい女性の肖像画がありましてね。この人は何ですかと学生にきいたら、これはチェルノブイリの領主の娘さんですと。チェルノブイリって、あのチェルノブイリですかといったら、そうですって。あれロシア語では〈にがよもぎ〉という意味なんですってね。

中村 そうなんです。

五木 その地名も非常に象徴性があるような気もするのですが、チェルノブイリはかつてポーランドの領地で、そのチェルノブイリを支配していた領主のお嬢さんの絵ですと言われましてね。

中村 ほう。美人なんですか?

五木 なかなか美しい人です(笑)。ですからポーランド人の意識の中では、今でもチェルノブイリとかあの辺はまだ自分たちの旧領土という意識があるんじゃないか。

中村 ですから今度ウクライナが独立を宣言した途端に、ポーランドとカナダがすぐに独立を承認しましたね。カナダにはウクライナからたくさん移民が移ってます。独立できなくて逃げ出した人たちもいますから、カナダが承認するのはあたりまえですが、ポーランドが即座に承認したのには驚きましたね。”

 

(五木寛之「よみがえるロシア ロシア・ルネッサンスは可能か? 」(文春文庫)より)

 

*以前、日本に住むウクライナ正教会の方にお会いして話を伺ったことがあります。横須賀の米軍基地内に礼拝所があり、そちらで聖体礼儀も行われていると聞いて驚いたのですが、アメリカにもウクライナ系の方は相当数いらっしゃるようで、同じ正教会でもロシア正教会とは一線を画して、自分たちの信仰を誇りに思っておられるようでした(ちなみにニコライ堂はロシア正教会系の日本正教会です)。グレンコ・アンドリー氏の『ウクライナ人だから気づいた日本の危機 連載第9回』の記事(「日刊SPAプラス」2018年11月15日)に、長らくロシア正教会の管轄下で自治権すら持っていなかったウクライナ正教会が2018年10月11日に、様々なロシア正教会側からの妨害を撥ねつけてコンスタンディヌーポリ総主教庁から自治権を獲得したとき、ロシア側から「このままでは宗教戦争になる」との脅しがあったということが書かれていましたが、このような一連の動きも、今回のロシアのウクライナへの軍事的侵略と関係しているように思います。現在のロシア正教会は、もはやコンスタンディヌーポリ総主教庁に対しても喧嘩を売っているような状態で、他のギリシャやブルガリア、ルーマニア、セルビアなどの正教会や、非カルケドン派で比較的中立と思われるコプト正教会やアルメニア正教会などが今回のロシアによるウクライナ侵略について、どのような声明を出すのか、どのように事態の収拾に向けて動き出すのかに注目しています。

 

*ウクライナがソビエト連邦の崩壊に伴い1991年に独立を宣言したときに、ポーランドがいち早く承認したということは、両国の関係が良好であることを示していると考えて良いと思います。これからウクライナの人口の約1割を占めローマ教皇の首位権を認めるウクライナ・カトリック教徒とポーランドのカトリック教徒が連帯していくであろうことは予想できますし、多数派のウクライナ正教徒もそれに加わっていくこともあり得ると思います。今回の軍事的侵略によって、NATO加盟国であり同時に反ロシアの意識の強いポーランドやリトアニアで、17世紀に当時のヨーロッパ最大の領土を誇ったポーランド・リトアニア共和国の記憶が、再び呼び起こされることになるかもしれません。

(ポーランド・リトアニア共和国)

 

*以前紹介させていただいた「ドゥホボール教徒」もウクライナ、南ロシアにその起源があり、中村喜和先生には、このドゥホボールについての著書もあります(「武器を焼け ロシアの平和主義者たちの軌跡」山川出版社)。文豪トルストイも彼らに共感していたということですが、日本ではこのドゥホボールについてほとんど知られていないのが残念です。

 

・ドゥホボールの教義 

 

 “神は人の手でつくられた教会の中にいるのではない。一人一人の心の中に神がいる。したがって人がたがいにおじぎをするのは相手の中の神に向かって頭を下げているのである。彼らは礼拝のために集まって聖歌を歌うが、のちにそれを集大成したものが『命の書』である。しかしそれは本の中に書かれて存在するものではない。信者がそれぞれ心にきざみ、口頭で歌いつがれるものである、ということもポビローヒンの教義の中に含まれていた、結婚も教会ではあげない。男女のカップルが愛し合って相手を選び、証人を立てて夫婦になる。

 正教会の立場に立てば、これは明らかな異端である。とは言っても個々の実践要目のなかにはある種の合理性が含まれている。農民の心に訴えかける力は、けっして小さくなかったことであろう。しかも、彼らの一部は申し合わせて酒を呑むことをやめ、罵詈雑言を吐かなくなり、食べ物や衣服を共通の財産と見なし、隣人を兄弟姉妹と呼んで睦び合い、共同で暮らし始めたのだった。少なくとも、六〇人ほどからなる一グループが、一七六〇年代の後半から原始共産主義的な相互扶助を基盤とする集団生活を営んだことがわかっている。つまりこれは、共通の信仰にもとづく集団的な生活改善運動、暮らしの立て直しという一面をそなえていたのだ。”

 

(中村喜和「武器を焼け ロシアの平和主義者たちの軌跡」山川出版社より)

 

ドゥホボールの世界史的な影響 〔ルドルフ・シュタイナー〕

 

 “ロシアには深い宗教性を内に秘めたドゥホボル派(霊のための闘士たち)という異端の一派がありました。素朴ながら、非常に美しい形の神智学教義をもっていました。この人々はひどい迫害を受けてきましたから、表面的にはもはや眼に見える影響力をもっていません。唯物論者たちは言うでしょう。彼らがどんな目的をもっていたにせよ、その影響力はすでに失われてしまった、と。

 しかしドゥホボル派の人々はすべて、生まれ変わってきたとき、共同の絆で結ばれ、かつて身につけた教えを後世の人類の中に注ぎ込むのです。人々の出会いは、内的な人と人との絆は、転生を通して消えることなく人類に働きかけつづけます。人が一度体得した理念は、世界の中へ流れていきます。その理念はより深められて、後世の人々に受け継がれていくのです。

  

(ルドルフ・シュタイナー「シュタイナー 霊的宇宙論」春秋社より)

 

 

 

 

 

 

 

 


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