いつくしみのイエス | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

*この右手を掲げて、心臓から赤と青の光を放つイエス・キリストの絵は、2000年の大聖年にローマ・カトリック教会によって列聖されたポーランドの修道女、シスター・ファウスティナ・コヴァルスカ((1905~1936)の幻視にもとづいて描かれたものです。世界的に有名な絵ですので、目にされたことのある方は多いと思いますが、この絵の由来について、ぜひ知っていただきたいと思います。

 

 “ファウスチナの使命は、一九三一年二月二十二日、ここプオツクでの啓示から始まったと言えるでしょう。

 「夕方、部屋にいたときに、白い長衣を着た主イエスを見ました。イエスの片方の手は祝福するために挙げられ、もう片方の手は、長衣の胸のあたりに触れていました。そして長衣の胸元の開いたところから、赤と青白い二本の大きな光が放たれていました。わたしは静かに主をじっと見つめていました。わたしの魂は、畏敬の念に打たれると同時に大きな喜びにも満たされていました。しばらくしてから、イエスはわたしに言いました。『あなたが見ている通りに絵を描きなさい。その絵には、【イエスよ、あなたに信頼します】と書き込むように。

 わたしはこの絵が崇敬されることを強く望む。まずあなたたちの聖堂で、そして世界中で』(日記四十七)

 『わたしはこの絵を崇敬する人は滅びないと約束する。さらに、この世ですでに、また臨終の時に、敵を打ち負かすことも約束する。わたしは、その人をわたしの誉れとして守る』(日記四十八)

 『わたしは司祭が、罪びとに対して、わたしの偉大ないつくしみを宣べ伝えることを望む。罪びとがわたしに近づくことを恐れさせないように。わたしはなんとしても彼らにいつくしみを注ぎたい』(日記五十)”

 

 “またミカエル・ソポチコ神父は、地元の画家エウゲニュシ・カジミロフスキ氏にファウスチナが見たイエスのビジョンの絵を描く仕事を依頼しました。この仕事は一九三四年の一月二日に始まりました。しばしばファウスチナは画家のもとに行き、彼女が見たイエスのイメージを説明しました。絵は、六月に完成しました。

 しかし、その完成したイエスのご絵を見たファウスチナは、彼女が見たイエスとはあまりにも美しさが違うので悲しみのあまり涙を流しました。

 しかし、主はファウスチナに告げます。

 

 『この絵の偉大さは、色彩や外見、筆使いの美しさにあるのではなく、わたしの恵みにある』(日記三一三)

 『二つの光は水と血を意味する。青白い光は霊魂を義とする水をあらわし、赤い光は霊魂の生命である血をあらわす。この二つの光は、十字架上で苦悶していたわたしの心臓が槍で貫かれたときに、わたしのいつくしみの深淵から流れ出た。この二つの光のもとに生きる人は幸い、なぜなら神のみ手が彼らの霊魂を守るからである』(日記二九九)

 ご絵自体は、もちろん神のいつくしみを思い起こすしるしです。このエウゲニュシ・カジミロフスキ氏が描いたご絵は、現在、ヴィルノの聖霊教会におかれ、崇敬をうけています。

 しかし、わたしたちがよく目にするのはこの絵ではなく、アドルフ・ヒワ氏が描いた絵です。彼は、一九四三年に、戦争から家族が守られたことへの感謝のしるしとして自ら描いた絵をクラクフにある、あわれみの聖母修道女会のワギエフニキ修道院に捧げました。(この修道院でファウスチナは天に召されました)

 

 主の望みは続きます。

 『わたしは復活祭後の最初の日曜日がいつくしみの祭日となることを望む』

 『わたしの信頼するしもべ(ソポチコ神父)に頼みなさい。いつくしみの祭日に、わたしの偉大ないつくしみについて全世界に宣べ伝えるように。いつくしみの祭日にわたしのいのちの泉に近づくものは誰でも皆、罪と罰の完全な赦しが与えられる。

 人類はいつくしみへの信頼なしに平和を得ることはできない。

 ああ、わたしはいつくしみを信頼しない人によってどれほど傷つけられているか。彼らはわたしを聖なるものとは言うが、わたしがいつくしみ深いとは信じず、わたしの思いやりに信頼しない。悪魔でさえわたしの正義を讃えるが、決してわたしのいつくしみに信頼しないものだ。

 わたしの心には、いつくしみという称号が含まれている』(日記三〇〇)

 

 『わたしの娘よ、想像もつかないわたしの大きないつくしみについて全世界に伝えなさい。いつくしみの祭日はすべての人びと、特に哀れな罪びとの逃れ場と隠れ場である。その祭日にはわたしの優しいいつくしみの深淵が開く。わたしはいつくしみの泉に近づく人に大きな恵みを注ぐ。その祭日にゆるしの秘跡を受け、ご聖体を拝領する人は完全な罪と罰の赦しを得る。その祭日には、神の恵みが流れるすべての水門が開かれている。誰もわたしのもとに来るのを恐れてはならない、どんなに罪深くても』(日記六九九)”

 

 “『いつくしみを伝え、いつくしみに栄光を帰す人をわたしは全生涯にわたって守る。あたかも母親がその幼な子を守るように。さらに臨終の時には、わたしは裁きの審判者ではなく、いつくしみ深い救い主として来る。臨終の時に、人はいつくしみ以外にすがるものはない』(日記一〇七五)”

 

(「神のいつくしみの使者 聖ファウスチナの生涯」(いつくしみセンター)より)

 

 “イエスは彼女に直接言われました。「旧約時代に、わたしは雷鳴をあやつる預言者たちを我が民に遣わした。今日、我が慈しみと共にあなたを全人類に遣わしている。わたしは苦しんでいる人類を罰することを望まず、彼らを癒し、わたしの慈しみ深い心に抱き締めたいと望んでいる」(日記、1588)。”

 

 “シスター・ファウスティナが命を終えた場所はクラクフ市ワギエヴニキの修道院でした。そのシスターの帰天と共にクラクフ・ワギエヴニキの大聖堂に神の慈しみのメッセージの賜物が置かれたのです。

 ヨハネ・パウロ二世教皇は、この大聖堂において世界を神の慈しみに委ねたときに言われました。「わたしは望みます、シスター・ファウスティナの仲介によって、ここで公表された神の慈しみの愛の宣言が、地球上に住むすべての人びとに届きますように、そして皆の心を希望で満ち溢れさせますように。このメッセージがこの場所から我が愛する祖国ポーランド全土に、そして全世界に広まりますように。わたしたちに義務を負わせる主イエスの約束が実現しますように。つまり、ここから「わたしの最終の来臨のために世界を準備する火花が出る」(日記、1732)。この神の恵みの火花を飛ばして、燃え上がらせねばなりません。世界に慈しみの火を伝えなければなりません。神の慈しみのうちに世界は平和を、人類は幸せを見出します!」”

 

 “「ポーランドのために祈っていたとき、次の言葉を聞きました。『わたしはポーランドに対して特別な愛を抱いており、もし彼女(ポーランド)がわたしの意志に従うなら、彼女を力と聖性において高める。彼女から、わたしの最終の来臨のために世界を準備する火花が出るだろう。』”(日記1732)

 

(「【聖ファウスティナの日記】 わたしの霊魂における神のいつくしみ」(聖母の騎士社)より)

 

*『わたしは復活祭後の最初の日曜日がいつくしみの祭日となることを望む』とありますが、この「いつくしみの主日」は、2000年にヨハネ・パウロ二世教皇によって、正式にカトリック教会の祭日として制定されました。今年は明日4月11日の日曜日となります。また、ヨハネ・パウロ二世は、2005年4月2日の夕方、翌日がその祭日である「神のいつくしみの主日」のミサにあずかったその夜に帰天され、2014年の「神のいつくしみの主日」であった4月27日に列聖されました。イエス・キリストは聖ファウスティナに、「ポーランドから、わたしの最終の来臨のために世界を準備する火花が出るだろう」と告げていますが、これはヨハネ・パウロ二世のことであったと言われています。キリストの再臨が近づきつつあるのかもしれません。

 

*文中にゆるしの秘跡を受け、ご聖体を拝領する人は‥‥‥とありますが、これはカトリックの洗礼を受けている者に限られます。洗礼を受けておられない方は、ミサの時、ご聖体を拝領することはできませんが、司祭の祝福を受けることができます。聖痕者テレーゼ・ノイマンは、司祭による祝福を特に重視し、司祭の誰かが彼女に祝福を与えた時は、それがどんなに遠くであったとしても、すぐさまそれを感知しました。

 

*シスター・ファウスチナは、イエスから、チャプレットやロザリオを用いて行う「いつくしみの花束の祈り」を教えられ、その祈りを行うことによって、イエスから大きないつくしみ、恵みを与えられると語っています。詳細は、「いつくしみセンター」のHPをご覧ください。

 

https://divinemercy.jp/

 

 『たった一度でもこの祈りの花束を祈るなら、もしそれが最もかたくなな罪人であったとしても、私の限りないいつくしみの恵みを受ける』(日記六八七)