エスペラントの内在思想 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・エスペラントの内在思想(インテルナ・イデーオ)  〔ラザル・ルドヴィコ・ザメンホフ〕

 

 “エスペラントがすこしずつ広まってくるにつれて、それは他の外国語と違って、人びとを兄弟のようにしてしまう不思議な力をもっていることがラザルにも感じられたし、初期のロシアのエスペランティストたちもこのことに気付いて、この力をエスペラントの「内在思想(インテルナ・イデーオ)」と名づけた。

 英語やドイツ語には見られない、この魔法のような力はいったいどこから出てくるのだろうか。

 一九〇六年八月にジュネーブで開かれた第二回世界エスペラント大会で、ザメンホフは述べている。

 

 「この〈内在思想〉は、エスペラントが生まれ出た瞬間から今日までいっしょに育ってきたものであります。それは、わたしがまだ子供であった自分に私を奮い立たせ、励ましてくれたものであります。……私や初期のエスペランティストたちがおこなったすべての著作、言葉、行動は、常に明らかにこの思想を呼吸していました。……人はみな、ただエスペラントの中に含まれている内部の思想だけを想っていたのでした。人がエスペラントを好んだのは、エスペラントが人々の頭脳を近づけるからではなくて、心を近づけるからなのです。」

 

 同じ演説の中で、ラザルはあの第一回大会のときにエスペラントは特定の思想と関係ないことを決めた「ブーローニュ宣言」を誤解する人がいると嘆いている。宣言を、「エスペラントにはどんな思想をも結びつけてはならぬ」と解釈して、エスペラントの内在思想に対して自由に発展する可能性を与えないで、内在思想を殺してしまおうとした、と悲しんでいるのだ。

 「エスペラントは単なることばにすぎない」という声に対してラザルは強く反対した。

 

 「エスペラントのもっとも重要な、またもっとも神聖な部分を、エスペラント事業の重大な目標であり、常にすべての戦士を導いてきた星であった、その思想を、私たちすべてのエスペランティストの心からむしり取れというのでしょうか。決して、そんなことには従えません。

 もし私たちの行動から思想的なすべてのものを消し去れというならば、私たちは憤然として、今までにエスペラントのために書いたものをすべて破り捨ててしまいましょう。……商業その他の実用にしか役立たないようなエスペラントならば、『ない方がましだ』と叫びましょう。……

 エスペラントのために働くように私たちを奮い立たせるものは、実用に役立つという考えではなくて、国際語の中にある尊い偉大な、大切な思想についての考えだということを私たちみんなはたいへんよく気付いております。……それはすべての民族のあいだの兄弟愛と正義とであります。……

 ブーローニュ大会で私たちを感激させたものはエスペラントの内在思想なのであります。私たちは、民族の間の障壁が倒れ、諸民族はみな兄弟だと感じたのです。……」

 

 ラザルは第三回世界大会(一九〇七年ケンブリッジ)でも述べている。エスペランティストのために働いている多くの人々を一つの共通の思想が結び付けており、その思想が彼らを励ましている。それは単なる言語としてのエスペラントを超えるものとしての内在思想なのだ、と。

 

 「私たちは、民族の内部の生活にはいりこみたいとは思わない。ただ民族のあいだを結びつける橋をつくりたいと思うのだ、と絶えず繰り返してきました。思想的なエスペランティストのスローガンは、いままでにはっきりと系統だてて示されたことがありませんでしたが、いつもはっきり感じられていたのは、次のことです。私たちは、さまざまな民族がおたがいに自分たちの民族的なものをおしつけることなく、平和に兄弟のように通じ合える中立的な土台を、つくりだそうと望んでいる。これが、私の考えによれば、緑の旗のスローガン、すなわち、人類のもっとも美しい理想の名において、世界各地から毎年、私たちを呼び集める、あの美しいりっぱな旗のスローガンなのです。」

 

 したがって、ザメンホフの考えによると、エスペランティストはエスペラントという言葉のために働くばかりでなくて、内在思想のためにも働くべきであり、世界大会は内在思想の大会であるべきであった。

 一九一二年八月十一日、ポーランドのクラコウで開かれた第八回世界エスペラント大会でもラザルは次のように述べた。

 

「エスペラントの内在思想は次のようなものです。中立言語の基礎の上に立って、民族間の障壁を取り除き、自分の隣人を人類の一員として兄弟だとみなすような習慣をつけること、です。」

 

         (朝比賀昇「世界を一つの言葉で ザメンホフ伝」国土社より)

 

*何年か前にテレビで「不死身の身体を持つ男」として紹介された、ミリン・ダヨ(1948年没)という名のオランダ人をご存知の方はいらっしゃるでしょうか。Wikipediaに詳しい説明がありますが、彼は胴体に剣を突き刺されても、毒や釘を飲み込んでも平然としており、医師たちがいくら調べても、なぜそのようなことができるのか、皆目わからなかったそうです。彼は、毒や釘を非統合化、非物質化する、金属が自分の中に入るのではなく、自分がその金属の中に入る、など謎めいたことを語っており、また助手の証言によると、三人の目に見えないガーディアン・エンジェルの指導を受けていたとも言われています。彼のパフォーマンスは単なる見世物ではなく、自分の思想を大衆に説く機会を得るためのものであって、その言動から彼が高い霊性の持ち主でもあったことが推察されます。若くして不可解な死を迎えることになったのですが、彼について調べようにも、あまり資料がないのが残念です。彼の本名は、アーノルド・ヘンスケンズといい、“世界は一つである”という自身の思想に基づき、エスペラント語で"素晴らしい(Wonderful)"を意味する"Mirin Dajo"と名乗るようになったと伝えられています。かつて出口聖師は、「将来、エスペラント語が世界共通語になる」と予言しておられますが、その予言は現状ではとても信じ難く、現在、エスペラント語を学んでおられる方はごく少数しかおりませんし、ほとんどの日本人は、エスペラントという言葉さえ知りません。これまでエスペラント語は、しばしば「人工言語」と説明され、そのせいで何か人為的、機械的に組み立てられた無機質的な言語であるかのような印象を人々に与えてきましたが、本文で紹介させていただいたように、兄弟愛と正義という高貴な思想を内在する、むしろ深い霊性を有する言語であることを皆さんに知っていただきたいと思います。この神秘の人、ミリン・ダヨ氏もまたエスペラント語に関心を寄せていたことなどから、私は、エスペラント語の普及の程度は、もしかしたら人類の霊性の発達のレベルとリンクしているのではないかと思っています。