瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

砂灸のために足跡を測る人々

“徳島県の文化施設が一堂に集まる徳島市の文化の森総合公園。春分の日の三月二十日、その公園前を走る国道438号に沿って西に向かうと、田んぼの中を行き交う大勢の人々がいた。道端には、たこ焼きなど数軒の露店も並んでいる。

 車を降りて人々の後に続くと、一軒の農家にたどり着いた。だれもが玄関をくぐり、農家の母屋に上がっている。座敷の床の間には弘法大師を描いた掛け軸がつるされ、訪れた人はまずそこで掛け軸に手を合わせる。やがて家の裏に回って土間へ。幅四十センチ長さ約一メートルの中を三つに仕切った木箱が三個置かれ、中には箱一杯に川砂が敷き詰めてあった。

 九人ずつ並んで順に靴下を脱いで素足となり、砂の上に両足を載せる。しばらくして箱から降りると、反対側に座っている女性たちが砂の上で長さを測る動作を繰り返している。

 「足跡をワラすべ(ワラのヒモ)で測り、その半分の所にモグサを置いて、お灸をしているのです」

と、中年の方が答えてくれた。

 「砂灸」。徳島県では春の風物詩の一つになっている。

 いわれをこの農家のご主人、勝野政一さん(64歳)に聞くと、

 「私で六代目ですので約二五〇年ほど前になるでしょうか。一夜の宿を借りた遍路途中の修行僧が『万病に効く』と、宿泊のお礼にこの砂灸を伝授して行ったそうです。その後絶えることなく、春分と秋分の年二回、我が家で続けられています。多いときには約一五〇〇人の方が訪れますね」

と説明してくれた。

 お手伝いをしている女性たちは、すべて勝野さんの親せき筋にあたり、もう六十年もお灸をすえている人もいた。

 お灸に訪れる人々は近在の人が多いが、高松市から来たという男性は幼い息子を抱きながら「私も子供のころから父親に連れられて来ていました」と、毎年砂灸をすることが当たり前の習慣になっているという。

 足跡にお灸をすえ、いつまでも足腰が健康であることを願う心が、二世紀半もの間、砂灸の風習を守り続けてきたのだろう。四国に根付いた弘法大師信仰の大きさを感じずにはいられなかった。

 今年の春分は三月二十日だったが例年は二十一日で、お大師さんの祥月命日でもある。(毎日新聞高知支局発行本より)”

 

(「心霊研究」2005年12月号 『万病に好くと二五〇年 にぎわう砂灸』)

 

*この砂灸は、明日の春分の日の7時から17時頃まで、徳島市の勝野様宅内で行われる予定です。以下のHPに詳しく載っています。

 

*この砂灸については、岡田明三企画・編集・著「まるごとお灸百科」(医道の日本社)にも写真入りで紹介されています。東向き(日の出の方向)に向かって立ち、砂に残された足跡の湧泉の場所に灸をすえるのだそうです。

 

*砂に残った足跡にすえる灸で効果があるとは、常識的に考えて信じ難い事ですが、インドの聖者によると体と影、そして写真は同一の存在だということですので、足跡もまた本人と感応するのだと思います。

 

シュリ・サーラダ・デヴィーの写真

・シュリ・サーラダ・デヴィー(聖者ラーマクリシュナの妻) と弟子の会話
 

“弟子 「師(ラーマ・クリシュナ)はほんとうに写真の中に生きていらっしゃるのでしょうか?」 
 

マザー「もちろんですとも。体と影は同一の存在です。(原注一〇)そして写真とは影以外の何ものでもありません」 
 

弟子 「すべてのお写真の中に生きておられるのですか?」 
 

マザー「ええ。師のお写真の前で祈りつづけるならば、彼は写真を通してご自分をお現わしになります。お写真が置かれているところは祭壇になります。(ウドボータンの北の土地の一画を指して)たとえばあそこで師を礼拝するなら、あの場所は彼の存在に結ばれます」 
 

弟子 「そうですね。良い記憶も悪い記憶もすべての場所に結びついております」 
 

マザー「それは少しちがいます。師がそのような場所には特別の注意をお向けになるのです」  

 

(原注一〇)この理由から、人は年長の者の影を踏まないのである。ジャイラームヴァ―ティに住んでいたある日、私は沐浴から帰る途中だった。マザーもため池からお帰りになるところだった。私は彼女の横を歩き、ときどき彼女の影を踏んでいた。マザーは私に反対側を歩くようおっしゃった。はじめ私は彼女の影を踏んでいたことに気づいていなかったのだった。”

     
(「ホーリー・マザーの福音」日本ヴェーダーンタ協会より)

 

*霊的に敏感な方は、その人の影や写真に加えられた暴力や悪意を実際に感じるらしいです。もちろん大多数の人には何も感じられませんが、わからないだけで必ず感応はしているはずです。節分祭の「人型」も同じ原理だと思います。

 

*エドガー・ケイシーによれば、以下のように特別な土を足の指の間に挟むことで自殺を防止できるそうですので、四国八十八か所の「お砂踏み」や、光明真言加持土砂や神社で下付される神域の土砂を玄関先に撒いたりする行為にもちゃんと意味があり、確かな霊験が期待できると思います。

 

エドガー・ケイシー、砂灸の霊的効果

・自殺を阻止する土 (エドガー・ケイシー・リーディング)

 

 “新しい波動だ。とてもよろしい。ここに生まれた人たちについて、非常に興味深い事実がある。(ここ(オクラホマ州Bokhoma)で生まれた人は)1万人に一人だって、自殺なんてばかなことはしない。土壌に何かあるようだ。その特殊な土を足の指の間に入れて見なさい。あなたは、二度と自殺なんていう考えは起こさないから。5125-1”

 

(光田菜穂子「美しの宮」からの贈り物」(有)テンプルビューティフルより) 

 

 

*砂灸は、年に二回春分と秋分の日のみ、弘法大師によって示された勝野様宅内の特別の場所で行われるそうですが、確かに聖地のお土や砂には何かしら神秘的な力があるようです。

 

徳島 砂灸 弘法大師

・砂の神業

 

 “大正十三年に聖師は入蒙され半年ほどでお帰りになり「人類愛善会」を作られた。そして西村光月さんを欧州に派遣された。その出発の直前に出雲参拝があり、西村氏はお供されている。この時聖師からお土をもらわれている。これはあとでわかったことであるが、西村氏は欧州に出発され二年程おられてこちらに帰られた。綾部に帰られてまだ旅装もそのまま、すぐまた出雲にお供された。西村氏が旅館で服を脱いだ時、ポケットから砂包みのようなものが落ちた。橋本庶務課長がこれをみつけて、「これは何だ」ときくと西村氏は

「これは欧州に行く時、聖師からお土を撒いてこいといわれ撒いてきたが、その残りだ」

といわれた。行きはインド洋、帰りはシベリア鉄道をずっと撒いたという。私がこれを念を入れてきくと、行く先々で毎日撒いたがただ三日間だけ撒かなかった。インド洋で船に酔い、その時だけ撒かなかったという。行く先々で聖師の命令でお土(出雲のお土)の経綸をされた。綾部の宮屋敷の屋敷どりについては先ほどふれたが、京都でも二条城とか鞍馬山を役員がまわった。また新発足後、平和会議で副団長として栄二先生がソ連に行かれた時も(昭和37年)栄二先生はクレムリン宮殿でも撒いて回られた。また南米に行かれた時も撒いて回られたときく。要所要所で神様のご経綸の手がうたれているのである。”

 

(「愛善世界」1993年12月号 徳重高嶺『松雲閣と霊界物語また神定聖地綾部について』より)

 

 

・「オリオンの砂は光っている」

 

 “それより二、三年後の事、三十五、六才の奥様風の女性が天恩郷に尋ねてきて、公孫樹のところへ登りたいのですがお許しをいただきたいと申し出て、公孫樹の前でひざまづき長く祈っておられた。日も暮れかかる頃、月照山の方へ降りてこられたのを見て聖師様はおどろき、呼び寄せ面会されました。これより度々尋ねて来られるようになりました。ある時、聖師様は大国さんに、三寸角位の木箱を出されて、

「この中に砂がある。いま山科に刑務所が新築中だ、あの奥様が案内してくれるから周囲に撒いて来てくれ」

と命じられました。案内されて山科に行くと、その婦人は刑務所新築中の大工工事の総監督の奥さんで、許可を得て砂を撒いてきたそうです。それから幾歳月流れた昭和十年、第二次大本事件で聖師様外五十数名が収容されることになりました。

 大国さんが聖師様の前の房に入れられる時、聖師様は房の中から大きな声で

オリオンの砂は光っている」

と独語されたので、大国さんは昔のことが思い起こされたと話されていました。オリオン星座より救世主が降ると聞かされておりますが、聖師様は先々の事をご存知で、その手を打っておかれたのでありましょう。”

 

(「愛善世界」1998年8月号 徳重高嶺『芋大根事件とオリオン星座』より)

 

 

・原爆症の治療 

 

 “聖師についていると、いろいろなことがあった。私も第二次大本事件では四年ばかり獄屋に入って、体をいため南郷(亀岡市内)の小屋みたいな小さな家に住んでいた時に、あの広島に原爆がおちた。そのとき聖師から呼び出しがあり、何事ならんと伺うと、聖師は、「大国すまんが広島に行ってくれんか」と言われる。「原爆をおとされたところに行って、一体どうするのですか」と伺うと、

「土を掘って調べて来てくれ。学者は十年、二十年、三十年も荒廃して何物もできんと言うておる。しかし、わしはちがうと思う。神様が霊気というものをもっておられて、その霊気によって土そのものは全部殺していない。どんな化学作用といえども、神の霊気には勝てん。それを調べてきてくれ」

 そんなこと私に分かりますかいな、と申し上げても、お前でなくてはいかんと言われ、私は苦労して広島にたどりつき、駅前の広場の土の上に寝て、聖師様の言われたごとく、いたるところの土を掘ってみた。そうすると土の底には植物の根が、みな生きておる。上のほうは死んでいるが下のほうは生きているんです。それを調べて帰って聖師に報告した。これぐらい掘って、これぐらいのところは生きていた。こういう状態の時はこうだったということを申し上げた。聖師は、

「そうか、神さまが勝ちだ。霊気というのは、どんな悪いガスであろうと、何であろうと殺すことはできん。神霊の霊気というものが勝ちだ。いまに広島も立派になるぞ」

と言われた。そんなこと調べても発表できるものではないが、「わしが霊界で見聞してきたものと合致するかどうかということを調べてもろうたんじゃ。ありがとう」と喜ばれた。その時に言われた言葉は、

 「もし今後、原爆が落ちる不幸なことがあり、体をやられた人は、ずっと下に粘土層がある、それを掘り起こして体に塗ればよくなる。それだけは言い遺しておこう」

と言われた。皆さんに申し上げておくから誰か憶えておいて下さい。そして教えてあげて下さい。”
 

(「いづとみづ」№61 大国美都雄『瑞霊聖師を偲びて』より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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