瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “毎年めぐって来る雨の季節は、日本列島のどこかで洪水の足跡を残す。ことしも長崎で凄い傷跡を印した。神を信じる人たちは、この残酷さも神のご意思だろうかと思いまどう。

 大本の教祖、出口なお刀自とゆかりの深い福知山には、大洪水をめぐる不思議な伝説が、明治以来語り伝えられている。

 福知山の明治の大洪水は、「大地の母」(毎日新聞社刊)にも一部書かれているが、福知山の伝説は、内容がそれとは少し違っているのが興味をひく。

 明治二十九年八月の終わりごろ、なおは綾部市東八田区の弥仙山(五九九メートル)にある中の宮(祭神、彦火火出見命)に参拝したとき、福知山を大洪水が襲う霊示をうけた。なおは山を下ると、

 『ことしの御霊神社の祭礼には、お祭りの前に大雨が降る。大変なことになる。水が出はじめたら御霊神社の境内に逃げよ』

といって歩いた。しかし当時の人々は、なおの霊覚を本当に知っている人はおらず、

 『変なことをいっているぞ』

とうわさをするくらいで、だれも取り合わなかった。

 

 京都府と滋賀県との境に三国嶽(九五九メートル)と呼ぶ高山がある。この三国嶽と京都府北桑田郡の大悲山との中央付近に当たる山岳地帯に、樹齢が一千年を越える三本の大杉が生えていた。胸高の直径が三メートル以上、樹高は六十メートルもあろうかと思われ、何となく神韻が漂う大杉だった。

 古代から年輪を重ねた老木は、一般に精霊が宿るといって人々からおそれられ、考えなしに伐採すると祟りがあるといわれ、そんな実例に出会った人が多い。

 そうしたナゾがあるのであろう三本の巨木に運命のときが来た。大杉を伐って、ひともうけしようという材木業者がいて、早くから伐採の計画をたてていた。明治二十九年八月二十九日、この業者は木挽や労働者二十人余りを引き連れて伐採のため、山を訪れた。三十日は朝早くから切り倒しにかかろうというので、この日は小屋掛けや付近の雑木を刈るなどの準備を整えて一夜を現地で過ごした。巨木に宿る精霊は、自分の最後を知ったのだろう。その夜、材木業者の枕元に姿を現し、

 「私は千年余りも三国嶽の峰続きに鎮まり、この地方一帯の風雨を司り、守護をして来たつもりだ。どうかここを私の永遠のすみかにさせてほしい」

と訴えた。業者の男は夢のお告げを、雑夢の一つとしか考えなかった。夢の中の出来事を一々気にしていたら生きてはいけない――というのが、この男の哲学だった。

 

 予定通り伐木の準備が出来た。まず二本があっけなく切り倒された。残りの一本にも鋸が入れられ、向かい合って座った二人の木挽が、大鋸を懸命に引く。十数人が巨杉にロープを掛け、九分通りまで切れば、引き倒す手はずを整え、静まりかえる深山に息を呑むような時が過ぎていった。

 直径三メートル余りの巨胴は、まるで血がにじんでくるのでは、と思われるような雰囲気で遂に二つとなった。そしてすさまじい響きを立てて雑木の中に倒れる予定だった。

 ところが、なぜか老いた巨木はロープを引っぱってもびくともせず、そのまま数トンもあろうかという重い木が空中に二メートル余りも浮き上がるではないか。

 霊の働きを信じようとしなかった二十人余りの作業班は、異様なありさまにさすがに色を失った。一人がふもとに向かって駆け出すと、それにつられてだれもかれもが、一散に逃げだした。うしろから怪しい音響と何かが迫ってくる気配がした。

 「逃げ切れない」

と悟った人々は、道の横へ倒れ込んで息を殺していると、山上から猿、鹿、兎などの野獣たちが死に物狂いで、これもふもとを目指して走っている。そのあとを胴の直径が一メートル余りもあろうかという大蛇(おろち)が、地響きを立て、矢のように追ってゆく。尻尾がくねるたびに獣たちは木の葉のように吹っ飛ぶ。それはすさまじい風景で、一千年を生き続けた巨木の最期を物語る凄絶な光景だった。

(挿絵:えちごこうじ)

 

 間もなく丹波国の西北の空から黒雲が湧いてきたかと思うと、風と雨が大地に叩きつけはじめた。三国嶽を水源にする由良川は、あっという間に水かさを増してきた。山地を西流した増水は福知山盆地に、まるでたて髪をなびかせるように、波しぶきをあげて襲いかかった。

 由良川の水位は翌三十一日には頂点となり、福知山の水死者二百人余り、流失家屋百八十三、全壊百八十八の大惨事になった。この時の増水は、平常水位を六メートル六十もオーバーしたという。

 人々は今さらながら、出口なおの、

 『大洪水となるぞ』

と呼びかけていた言葉を思い出していた。精霊の棲む巨杉を切り倒した二十人余りはどうなっただろうか。これらの人々のことごとくが病死、狂死、水死という悲惨な運命をたどったという。福知山では、今も一部の人々の記憶に、この怪しい出来事が、語り伝えられている。”

 

(「おほもと」昭和57年7月号 石村禎久『大洪水と出口なおの予言』)

 

*福知山市の御霊神社は昔は別のところにあり、大正時代に現在の場所に移されました。古くからあった祠に明智光秀の霊を合祀したということですが、もともとは宇賀御霊神社という名前でしたので、宇賀魂神(うがのみたまのかみ)を祀っていたのかもしれません。

 

*東日本大震災のときも、神社に避難して助かった人の話がありました。高台にある神社は、その地域一帯を守護してくださる神さまのお社ですので、洪水や津波のときにそこへ避難した者は神さまによって守って貰えるでしょうし、その場所が本当に安全かどうかは三脈法によって確認できます。また、開祖さまが霊示を受けられたように、御神霊が前もって知らせて下さることもあるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人気ブログランキング
人気ブログランキング