瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “此の年(平成8年)、長月の二十日は彼岸の入りにて、二十三日をお中日(ちゅうにち)と申し、この彼岸の間、人々は身内の御霊(みたま)が休み居る寺や墓地に香華や供物を供え、御供養致される事に候。また当然のこと、寺にても彼岸の法要がもたれる事に候。この彼岸なる行事の起こりは、方々もご承知の如く、その昔仏法によりて伝へられしものに候。しかし、何故に彼岸なればとて、特別に寺や墓地に御参りの事に候か。彼岸は春と秋との二度ありて、寺や墓地に参りて供養致されるが、彼岸のほかに盆会もある事を忘れてはならずに候。

 今の世の中、春秋の彼岸とて、また夏の盆会とて、その意味する事を深く考える習慣が希薄になり、ただ社会一般が休む故に単なる休日と思う人々多くなり、ただただ悲しき事に候。春や秋の彼岸とて、霊界の方にては御霊様が特別に立ち騒ぐ訳には非ず。先祖霊が『霊界』に居りし子孫は、その家楽しく明るく、皆々健やかにして、神仏を信じ先祖供養を日々怠らぬ故に、彼岸とて特別な事を致さずとも、充分にその心届き居るものに候。故に、御霊方もそのような家には良く訪れることができるものなり。しかるに、今の世の嘆かわしきは、彼岸や盆の時でなくば、己が家の先祖や身内の御霊を祀り致さぬ子孫が余りにも多き事に候。従って、普段から子孫と接する事のできぬ御霊は、彼岸ともなればこの機とばかりに相寄り来たる事に候。

 人によりては彼岸近くになると、体の具合が思わしくなくなり、彼岸過ぎても体調が戻らず苦しむ人のある事、折々に聞きお呼びし事に候が、この原因は『幽界』に居る霊によりての事に候。子孫が寺や墓地に参りて香華や供物を供えて供養致せば、霊界に居られる霊はその子孫と共に家に参る事になるが、何も致してもらえない幽界に居る霊は悲しき想いを致す事に候。少しくもその子孫と姓や血に繋がりのある霊は、その子孫の優しき心を求めて参る事多くある事に候。かくてその霊に頼られし方は、その霊が再び幽界に帰るまでの間、体の調子戻らぬ事に候。ともあれ供養の受けられぬその他の霊も、また悲しき想いを致せる事に候。

 この彼岸なる時期は日本国にありて、昼と夜の長さが等しき時に候。春の彼岸は、寒き冬も去りて、これより諸々のもの新しき心持ちて仕事や生活に取り組む、祝ふべき時に候。また秋の彼岸とは、夏の暑さも去りて、日の長さも一日ごとに短くなり、朝夕の気温も変わりやすくなる故、充分に体に気配りする一方、秋の実りを心から喜び、今までの幸せを御先祖に感謝して、一日中、御先祖と身内の事に思いを馳せて休む事が肝要なり。これこそ秋の彼岸の意義にて候。されば御中日は単なる休日に非ずに候。

平成八年九月十二日、協会統一会にて。 法華僧・行雲霊之霊信”

 

(「心霊研究」平成16年8月号 榎本幸七『霊界通信・第三巻(4)』より)

 

*榎本幸七先生は、長年にわたり日本心霊科学協会で霊能者そして審神(さにわ)として活躍された方です。私はお会いしたことはありませんが、お弟子さんの話ではかなり高い霊能をお持ちだったそうです。

 

*季節の変わり目に体調を崩される方は多いと思いますが、ここで言われているように霊的な障りもあるのかもしれません。

 

 

・仏壇は家庭を支える最後の砦

 

 “日本の家庭を崩壊しないで、くい止めることができる方法は、普通の私ども信者の家にあります仏壇が、日本の家庭を支える最後の砦になるだろうと私は思っています。

 普通の外国の家ですと、食事をして寝泊まりするだけのようなところです。ところが、日本は違います。仏壇によって、その家の者が、一つのある精神的な中心をもつことができるのです。これは、世界でも日本だけだろうと思うのです。

 

 これは大阪大学教授・文学博士・加地伸行先生が、平成六年度高野山安吾会(あんごえ)で講義されたお話「儒教の死生観と儒葬」の中の一節の要約である。(第三十回高野山安吾会講義録・109・110・141頁参照)

 先生は『儒教とは何か』(中公新書刊)、『沈黙の宗教――儒教』(筑摩書房刊)などを出版されている。

 仏教の檀信徒の家には、必ずお仏壇を祀っている。ご先祖さまに日々にお供えをして、その成仏をお祈りし、子孫のご加護をお願いする、神聖な場所である。南向きか東向き、東南向きがよいといわれている。

 仏壇中央上段にご本尊様、あるいはお大師様のご尊像か掛け軸を祀り、お位牌を中段(場所がない時は上段)の向かって右を上座として、古いご先祖さまから順に並べてお祀りする。古いお位牌で一杯になった時は、一方法として、五十回忌以上の方の戒名を過去帳に書き写ししたうえで、檀那寺でおたき上げをしていただいて整理する(過去帳には、おたき上げしない五十回忌未満の新しい方も、書き記しておくとよい)。

 灯明、お花、お線香を供え、ご命日法事の折りにはお霊倶膳(おりょうぐぜん)をしつらえて、お供えする。丁寧には二膳つくって、一つはご本尊様(お精進供という)、一つはご先祖様の分とする。朝晩にはおリンを鳴らして、お経、真言、ご詠歌などを適宜に唱えて、ご法楽をささげる。

 このお仏壇は――家族の間の心を結ぶ一つの精神的な中心となって、夫婦親子の家族の崩壊を防いでくれる最後の砦となってくれる――と先生はいわれている。ご先祖様と子孫の者との霊的なつながりを証するものが、お仏壇である。

 故山川清之助先生は――子孫の者がご先祖様を拝むことによって、ご先祖様の偉い方が、さらに上の方の霊格の高い方に、子孫のお引き立てをお願いして下さって、そこで、子孫の者が本当に立派に活躍できて大をなすことができる――といわれている。(拙書『人は死んでも生きている』34頁参照。高野山出版社刊)

 ご先祖様は、あの世で本当に生きていて下さって、子孫の者をご加護して下さっている――これが私の信じて疑わない『信念』である。

 大分と前のことになるが、某テレビ番組で「成功した百人の社長さんの話」が放映された。その締めくくりにインタビュー(面会)した記者が、「この百人の社長さんに共通していたことは、皆さんご先祖様を大切にして、朝か晩には、ご先祖様に必ず手を合わせておられることでした」といったと聞いている。”

 

(佐伯泉澄「幸福に暮らす道しるべ」(高野山出版社)より)

 

*今日9月19日は「彼岸の入り」です。お寺にお参りされるときは、どこのお寺にも三界萬霊碑がありますので、先祖供養と合わせて三界萬霊への供養もされるとよいと思います。かなりの功徳になります。

 

*ただし、まだ成仏していない亡者や餓鬼、動物霊に供えたものは、穢れがついているので絶対に口にしてはなりません。なので、これはお寺さんに確認したわけではありませんが、三界萬霊に供えた供物も食べない方がよいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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