瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

般若心経の写経画像

 

・「心経百万遍を読誦して」 小原弘万先生

 

 “二十八年かかって心経を百万遍も読誦したという、念力・念写の霊能力者小原弘万(ひろかず)先生を、京都・上京の町中のお宅に訪ねたのは寒い冬の日(昭和四十九年二月)だったが――それは、由緒か何か、とにかくなんか有りそな、間口の広い、古―いたたずまい。(後で聞いてビックリ。天皇の侍医が百七十年前住んでいたソノ家とのことでして)

 格子戸をくぐる。広い冷たいほの暗い土間、玄関、座敷、廊下、又座敷、招じ入れられたのは、その又次の広いここも又ほの暗い座敷である。一歩入るや、部屋の隅々までしみ込んだような香の匂い、床の間には二つの灯明がともり、諸天諸仏あるいは諸霊までもが雑居ましましているかの感を受ける。

 まず、私の好奇心を引いたのは、遠い棚の硝子ケースにぎっしり並べられた、黒い穴のあいた丸味を帯びた石で、髑髏にも似て不気味である。にじり寄って覗き込む私に、

 「それは石笛といいまして、石に貝が穴をあけたものです」と説明しながら先生は一つを取り出して「言葉に宿る言霊のように、音にもおとだまがあると思われます。これを吹くのは、このおとだまで、幽界の――イヤ、霊界じゃありまへん――霊界に行けないで幽界をさまようとる亡者をですナ、慰めるためなんです。音域は四音階から五音階です……じゃ吹いてみましょうか」

――その石の黒い穴から、ほとばしり出る音色は尺八に似て物悲しく、調べは、あるいは高く、あるいは低く、むせぶが如く哭くが如く、嫋嫋(じょうじょう)と流れ、流れる。神妙にかしこまって聴き入る私の頭の中は、次第にモヤモヤといかれていくようで――。

 〈ひょっとしたら、今聞いているのは私の外にも、そこらあたりの空間の、四次元の割れ目から、誰かが覗いて聞いているのかも……?いや、きっとそうだぞ〉

 

 「昭和六年、二十六歳の時、般若心経五万巻を読もうと思うたのが始まりで……昭和三十九年七月に百万巻を達成しました。その後、今、百三十万巻位であんまり進んどりませんが、生涯百五十万位はやりたいと思っとります。塙保己一は百九十五万といわれていますが……。私は心経流布を一生の仕事にしたいのです」

 そうして、心経を生きてきた、その長い年月には色々とさまざまな不可思議現象がおこったようである。

 「経文を読誦すると、功徳が生じますねん。そやから在家で坊さん呼んで、お経あげてもらいますわナ。そうすると功徳が出ます。そのままにしとくと、その功徳は読んだ坊さんが持って帰ります。そこで財布施をして、功徳を置いてってもらう。貰うたら義理が出来る。原因を受ける。貰うたら返すということを考えんと……だから、坊さんはお布施をもらう時〈有難う〉と言うたらあきまへん。〈ご丁寧に〉とかなんとか押し頂いて帰ります。ところが、そのお宝には因縁が付いてます。そいで、それを使うたら果を受けますワ。そやから坊さんは、お宝はご本尊に供えて〈こういう訳でもって捧げるんです〉とご報告して、因縁を受取らんように、ダラニなり経文を唱えて、然る後お下がりを頂戴する。これならいいんです。……それを、坊主が寺に帰ってくるなり、大黒さん――奥さんでんな――に、ホイ、と渡す。大黒さんはそれを使う。そやから一番因縁をよう受けるんは大黒さんですワ。原因不明の長病やなんか、なんぼでも例知っとりますで。その道理の分からん坊主が案外おりますねん」

 先生の、釈迦に説法ならぬ僧侶に説法はその中途から、坊さんがいつの間にか坊主になっていたが、これは先生の仏教への情熱がツイツイ叱咤となったものであろう。

 「布施する時は代償を考えてはいかんのです。それを、よく『一金×円也、何某』と寄付したことをレイレイしくはり出しとるでしょう。あれじゃ功徳のちょう消しですワ」

 要点をノートにとっている私に、突然、先生が、

 「アノ、私の顔を描いてみて下さい」と仰った。どうせ描かせて貰うんだから、その下絵にでもと、すぐスケッチをはじめる。その唐突さを多少いぶかりながら――。

 まあ一応恰好がついたので、ノートをくるっと先生の方に廻すと、

 「ワー、よう似とる。オバーチャンもちょっときてみい」と奥さんまで呼んで、先生おうぎょうにはしゃぎ――さて、

 「あなたには、霊界にいやはる絵描きさんがついとられるようですナー。その力が拇指から出とります。それをもっと出易うしてあげましょう」

 嬉しいことを言って下さる。先生は指を軽く包むようにして呪文様のものを唱える。

 「何か感じますか」

 「何かドックドックと」

 「そう、それを感ずる筈です」

 手の先から腕の付け根の方へ、ドックドックという脈搏のような、そうして生温かいような輪が進んでいく妙な感じである。

 「それで、画が変わりますヨ」

 これはこれは全く予想だにしない京土産ができましたよ。

念写の体験と不思議な感覚

 先生が唯一度だけ自動書記されたという見事な竜の字(頭のへんは絵のようでもあった)とか、呼吸脈搏を止め仮死状態の先生のヘソのあたりから魂の緒(たまのお)と称するものが五十センチ位出ている写真(撮影者は大覚寺発行の『華道』誌編集長)とか、ほかに沢山の念写の写真を見せて頂く。いずれも、いわく因縁のものばかりだが、強烈な印象を受けたのは、水子の霊?が球状に白く出ている写真である。おろした数(人数と呼ぶべきか)だけの球が母の腰の周りにくっついているのだそうで。コインロッカー内のあわれな赤ん坊のもあった。

 その念写とは『封を切らない乾板、フィルムに、カメラを使わず、念じたものを写す現象』をいうんだそうで、先生が始められたのは案外新しく昭和四十一年とのこと。後に続く若いもんがちょっとないんで(ということは、若いもんではなかなか写らないということか)やむなく六十九歳の老骨に鞭打ってやっておられるんだそうで、先生の確率は『大体写る』というところなんだそうである。

 話は又ちょっと前に返って、初めて翌年四十二年には、早くも念写の定義を拡大せねばならぬような現象を現わされた!つまり、

「念ずるのではなく、自己意思を全く無くしまして、私は『無思の知らせ』と言ってるんですが、霊界から知らされるものが写る、という現象がおこるようになりました」

 そうして最近では、もっぱらこの『受身の念写』をやっておられる――。

 「先生、それをひとつ見せて頂けないでしょうか」とねだってみる。

 ところがである。念写をする人は命を縮めるといわれるくらい体力を消耗するものなんだそうで、三枚もすると

 一キロは体重が減って、口もきけなくなる位になる……それに、今ではもっぱら霊界からのお知らせを受けるのだから、神様からご覧になって「ウン、これは、写してやる必要がある」と思召すような件でないと、神様の手前ちょっと、やりにくいらしい。ごもっとも。

 そこで念写とはこういう風にするんだと、そのマネだけをやって頂くことになる。

 先生は床の間を斜め背にして正座、左手にフィルム(歯科レントゲン用)を持って構える。マネなんだが、目をとじる。顔面急に引き締まる。二、三秒か?音にはならねど、阿吽の吽!一瞬眉間のあたりに、これが『念』というのか――凝縮する。そうしてそれが尚ム﹅﹅﹅と余韻を引くように続く。

 私はつい「先生、もういいですよ」と言う。先生うっすらと目をあけて、

 「今の、四〇パーセント位は写っとるような気がします……」

 マネのつもりが、つい力が入ってしまった?というように私には思えた。

 念写の写真四枚を借りて辞去する。町はもう暗くて寒い。丸太町の大通りの方へ歩く足をちょいと止めて私もちょいと念じた。

 「南無無思の知らせの霊(みたま)。先程のフィルムに、私の霊界の絵描先生のお姿か何か、なにとぞ写し出しておいて下さい」”

 

(井上球二「異色快人物漫訪 宗教求道者編」(大法輪閣)より)

 

 

・大般若菩薩

 

 “……プラジュニャー(智恵)をもって、生死の海を渡り、ニルヴァーナ(涅槃)の彼岸に達するから、これをプラジュニャー・パーラミター(般若波羅蜜多)というのです。

 プラジュニャーによって『仏陀』になることができるところから『般若』を「仏母」といいます。『般若波羅蜜菩薩』(大般若菩薩)のことを「一切諸仏の母」と敬称するのは、こうしたことによるのです。

 ではここで大般若菩薩のご登場をお願いしましょう。挿入の尊影は、私が念写により授けられました、私の大切な大切な大般若菩薩の尊顔です。

大般若菩薩の念写写真

 大般若菩薩は、「頂きより足に至る身の諸々の毛孔より光明を流出し、種々の色を作し、法界(全宇宙)に遍満(あまねくみつる)し、一々の光明中無量の仏を化し(教化)虚空界(真如とも言い、法界と同じ意味)の諸々の世界中に遍くして、あまねく衆生の為に、般若波羅蜜多甚心の法を宣説(宣は、のたまう)し、皆悟解(智恵で分別して会得了得すること)せしむ」と説かれています。

 大般若菩薩は一切諸仏の『智恵の母』なのです。

 プラジュニャー・パーラミターは、仏智に到達する大行であり、生命の充実を期する、重要中の重要な到彼岸行であります。

 「恵波羅蜜多は、最後を飾る菩薩行」

と記した意味を、ご了解いただけたと思います。

 心経読誦こそは、大般若菩薩が、あまねくわれわれ一人一人に、大光明を発せられ、般若波羅蜜多の素晴らしい法を、会得了解せしめようとのみ心を受け得られる、こよなき道であることを知り、心を込めて実践し続けましょう。”

 

(小原弘万「般若心経いろはかるた」(朱鷺書房)より)

 

*元奈良市長で般若心経二百万巻読誦を達成された鍵田忠三郎先生も、小原弘万先生のもとを訪ねられています。

 

 

・「一日に百巻の心経をあげると神の力をいただける」

 

 “福岡県の笹栗新四国霊場で、思わず聞きほれてしまった心経読誦のグループがいた。その先達が長崎県島原市の中川智春さんだった。その後、本四国の遍路にもついていってみた。

 彼女は読経に入ると、そこに没入しきってしまう。

 「なにひとつ考えず、一心になって、本尊様に気持ちを伝えて、受け取っていただきたいとお経をあげるだけ。空(くう)になって祈りをささげるだけ」

 智春さんは、こういうが、今のような境地に至るまでには、かつて二〇年にわたる毎晩一〇〇巻(回)の心経読誦の修行の日々があった。普通なら二時間、早く読んでも一時間と少しはかかる。智春さんの師は、一日に一〇〇巻の心経をあげると「神の力をいただける」と教えたという。

 あるときは、目をつむりながら読経していると、羽衣を身にまとった天女の姿が現われたことっもあった。

 ただ、眞行の教義的講義を、彼女は機会あるごとに聞いてはいるのだが、そちらの話にはあまり関心を示さなかった。「心経を唱えると、気持ちが静まり本尊に通じる。ただ、有難くお参りするだけ」

 そうくり返すだけだ。”

 

(「般若心経の本 心が楽になる二六二文字の智慧」(Gakken)より)

 

 

*言うまでもなく、どんな修行であれ、霊能力の開発を目的とするのは間違っており、危険ですらあります。しかし、神仏と通じた結果として発現する霊能は高い世界から授けられたもので、決して利己的な目的には使えません。

 

 

・経典の読誦による霊性の開花 「大無量寿経」

 

 “『手の妙用』(東明社)は昭和六十一年に出版された本であるが、著者(吉田弘氏)は昭和四十六年に死去しているので、原著はもっと古いものであろう。著者は大正十一年に京大文学部哲学科を卒業し、宇都宮高農(現宇都宮大学)の教授や高等女学校長を歴任した人であるが、大学院では西田哲学の西田幾多郎教授について「心魂」(Psyche)を研究テーマとして霊媒や霊能者を研究した人である。

 吉田氏はもともと岐阜県のお寺の長男で、宗教的素養はあったようであるが、京大在学中には一燈園の西田天香に道を求めたり、出口王仁三郎に鎮魂帰神を教えた長沢雄楯の講習会に参加したり、南禅寺で南針軒老師について参禅して「無字」の公案について「無々々……」と模索したりしていたが、心は一向に定まらなかった。

 そこで親鸞の著書「教行信証」『教とは大無量寿経是れ也』とあるのに啓発され、既成観念の一切を捨てて、素直に、『大無量寿経』を何百回も読んだのである。するとある日、忽然としてまったく別な世界が眼前に開けてきたのである。吉田氏はこの時の状態を次のように書いている。

 「見る木も家も何もかもがすっかり変わって見える。いずれも何か光り輝いているようである。大無量寿経に極楽の相が書いてあるが、あたかもそれと同じように見える。木の幹や葉が、金銀、瑠璃、玻璃、蝦蛄、瑪瑙でできているように見え、鳥の声も何か微妙な音楽に聞こえ、池の水は八功徳水のような感じがし、人はみな菩薩のような感じがする。 気が狂ったのではないかと思い、世間の人と話してみるが、別段変わったこともない。ただ明るい光に満ちた世界が眼前に開けてきたのである」

 吉田氏が書いているような外界が光り輝く世界に一変する体験は、求道者が苦行の末に到達する〈悟り〉の最初の境地のようである。余談であるが、数年前に目白メディカルクリニックを見学し、色盲治療に活躍している和同会会長の山田武敏氏にお目にかかった際に、同氏が開発した色盲治療器を使用すると、外界が色彩鮮やかな環境に一変し、患者が景色とはこんなにきれいなものかと驚嘆するという話をうかがった。色盲が治った患者やその家族の体験談を聞いた後で、私自身も治療器を頭部に装着して実際に体験した。確かに視界が鮮明になったようであった。

 ちなみに山田氏が開発した治療器は、コンピューターに組み込んだ特殊波形の微弱な電流を、皮膚上から通電して脳を刺激し、人体の生理機能を向上させる装置であり、色盲だけでなく、自律神経失調症、アレルギー性鼻炎、喘息などにも有効だそうである。

 余談が長くなったが、求道者の心機一転と、脳の物理刺激と、まったく異なった条件が、視界の鮮明化という同じ状態を招来するのは興味深い。

 吉田氏は前記の視界一変の経験の直後から他人の苦痛を自分で感覚することができるようになった。

 遊びに来た友人に、「君は頭が痛くないか」などと、身体の具合を言い当てるので、気味がわるいといって誰も来なくなったそうである。”

 

(勝田正泰「気をめぐる冒険」柏樹社より)

 

*「無量寿経」の内容には荒唐無稽なところもありますが、吉田弘氏は、そこに書かれていることはすべて事実であるとの思いをもって読誦し続けられたということです。聖典とは、そのように素直に読むべきものだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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