こんばんは。

 

ACな人生HAPPYに生きているpinoです。

 

前回、無意識に差別意識を持っている自分を自覚した私ですが、その後の変化について。

 

↓前回の記事はこちらから。

 

 

 

黒人の方に対し「怖い」と思った自分の気持ちを、よく観察してみました。

「なんで怖いと思ったの?」「なぜ?」「なぜ?」と自問自答してみました。

 

最終的に、私は黒人の方々を何も知らないという事き気づきました。

 

ただ、それだけでした。

分からないから、怖い。それは、自分の問題でしかありません。

 

知らないって、怖いな~と思いました。

 

 

障害者の方たちに対しての偏見も、「なぜ?」「なぜ?」を繰り返して言ったら・・・

それもまた知らないだけでした。

 

障害者の方が困っていたら助けてあげる。

そんな風に小さい頃から、大人たちに教えられてきました。

 

「助けてあげる=かわいそうな人」

という構図がいつの間にかできあがっていたのかもしれません。

 

でも、私は実際障害のある方たちと関わった事も、話をすることもありませんでした。

何も知らないのに、勝手に「かわいそう」と決めつけていたのです。

 

もし私が逆の立場だったら、腹が立ちます。

 

何も知らないくせに自分の中でいつの間にか「善し悪し」「幸不幸」などの判断をしていたのです。

 

「知らない」事を自覚する事。

知らないうちに判断を下している自分に気づくこと。

 

私はまずそこからだなーと思いました。

 

そして、自分の感じている気持ちや感覚をよく観察してみる。

「怒り」「恐怖」「悔しい」「悲しい」・・・など強い感情に対しては、「なんでそう思うんだろう?」「なぜ?」を繰り返し自問自答してみる。

 

そこからふと気づく事が結構あったりします。

 

昨日黒人の方がまた職場に来ました。

すれ違った時に、「怖い」という感情は全くなかったですし、怖いと思っていた数日前の無自覚な自分にちょっと笑えました。

 

 

差別や偏見は自分が作り出しているもので、原因を探っていくと、意味のないものだということに気づけました。

 

私にとっては、とても貴重な気づきでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とても残念ですが、私は差別も偏見もしている人間です。

 

今、世界中で人種差別の問題がニュースやSNSで流れています。多くの人が、様々なことを感じ、考え、行動しています。

 

今日、Twitterで1つの動画を見ました。

 

45歳、31歳、16歳、3人の人の話。(日本語訳版) by yösuke@avril24th

 

そして、泣いてしまいました。

 

16歳の彼は、このやり取りで何を感じ、何を思ったのか。

 

大人が言う言葉は、子どもに思った以上の影響を残します。

16歳の彼の10年後、彼が「自由」であって欲しいなと思います。

 

この動画で、母の言動に大いに影響を受けて生きている自分を振り返り、自分より年下の世代に影響を残している自分をちゃんと認識しなくてはと思いました。

 

そして、差別に対しては、自分が差別も偏見も他人に対して持っているという事実を、もう一度考えようと思いました。

 

わたし、先日、背の高いがっしり体型の黒人の方が職場に来たとき、「ちょっと怖そう」と思ったんです。

どこの誰かも知らない人に対して、私が勝手に思った正直な気持ちです。

その後、「あれ?なんで怖いんだっけ?」と考えても、わかりませんでした。

 

もっと前になりますが、障害者の方と過ごした時、私は勝手に「かわいそうな人」と決めつけている自分に気づいたんです。

それまでは、「私は障害者への偏見はない人間だ!!」と思い込んでいました。

 

でも、障害者の方たちが、自分自身の思うように過ごす姿を見て、楽しそうに過ごしていて、「あれ?障害者の方たち全然不幸そうじゃない」という事にびっくりしたのです。

 

このびっくりした自分にびっくりしました。

「私、がっつり差別してたじゃん」という自分に気づいてしまいました。

 

「差別しない」「偏見を持たない」って大切なことだし、私だってそうありたいと願います。

そのために今、多くの人が今様々な行動をしています。

 

 

私は、自分が差別も偏見もある人間なんだと、1人ひとりが気づくこと、認める事がスタートラインな気がするのです。

 

その上で、「なんで私はそう思うのか?」「なんで?」「なんで?」と自問自答して、自分の中にある差別意識が生まれる原因究明をしていく作業が大切なんじゃないかと。

 

私は「なぜ?」を繰り返し続け、差別意識は自分自身が作り出しているものだと実感しました。

自分で作り出しているのなら、私の中の差別意識は、自分でどうにかできるのだと思います。

 

あるものを「いけない事」と否定するのではなく、あることを受け入れていくこと。

その先に、「じゃあ、自分はどうありたいのか」がある気がします。

 

地球上に住むすべての人が、当事者なんだと思います。

 

もうしばらく、考えてみようと思います。

 

 

「死にたい」という気持ちは、一度頭に浮かぶと、体中をぐるぐる回って、離れられなくなります。

目の前にはその選択肢しかないような気さえしてくるのです。

しかも厄介なのは、なんとかその気持ちを振り切って生き延びても、数時間後、数日後、数週間後、またその思考が浮かんできます。

 

そういう時は、出来れば1人でいないようにして欲しいです。

 

↓「死ぬことが頭から離れなくなって、まず私がしたこと」

https://ameblo.jp/chonimo222/entry-12598622122.html

 

 

でも、時間や状況、環境によっては1人でいるしかない時もありますよね。

 

カウンセリングを受けた時に、まず最初に私が取り組むべきは「死なないようにする事」でした。

 

まず、カウンセラーさんと、私の「死ぬしかない」と思った時の場面を整理してみると。

 

私の場合は・・・

 

①「過去」「未来」のことが、頭に浮かんで離れない状態。

②呼吸が苦しくなる。

③「死ぬしかない」で頭がいっぱいになる。

 

というパターンになっている事が分かりました。

 

【 過去のこと 】

これまでに起きたことや、過去にリンクしていること。

⇒「あの時こんな事があった」

「あの時怖かった」

「あの時の自分が・・・」

「あの時は・・・」など。

 

【 未来のこと 】

これから(未来)に起こるに違いない不安なこと。

⇒「きっとこうなる」

「きっとこう思われる」

「きっとうまくいくはずない」

「きっと・・・」など。

 

 

「今」を生きているのに、思考ごと「過去」「未来」にぶっ飛んじゃうのです。

 

思考が過去や未来に行っちゃうと、「死にたい」に繋がっちゃう。

じゃあ、「過去」と「未来」に思考が飛んじゃった時に「今」に戻る方法は何が良いか・・・

 

カウンセラーさんと考えた結果、

①「目の前にある物を声に出して言ってみる」

②「目の前にあるものを感じてみる」

という方法にトライしました。

 

①目の前にあるものを声に出して言ってみる。

例えば、キッチンにいる時に、「死にたい」がぐるぐるしてきたら・・・

・「目の前にテーブルがあります」

・「目の前に水道があります」

・「目の前にマグカップがあります」

と、周りを見て目に入ったものを口に出して言い続けてみるのです。

 

②目の前にあるものを感じてみる。

・自分の手を握ってみて、暖かさを感じる。

・水を触って冷たさを感じる。

・イヤホンで音楽を聞いて、音を感じる。

など、今自分が触れているものに集中してみるのです。

 

「今、ココにあるもの」を感じて、過去や未来から戻ってくる方法です。

 

最初は半信半疑でしたが、私には効果抜群でした!!

 

例えば・・・

 

夜中、母の夢を見て飛び起る。

「あの時こうだったから・・・(過去)」

「これからこうなるに違いない(未来)」などと考える。

呼吸が苦しくなる。

「死にたい気持ち」が頭を占領。

・「電気があります」「時計があります」「枕があります」・・・・と口に出してみる。

・自分の両手を握り、温かい感覚、手と手が触れる感覚に集中してみる。

・水道の水を触って冷たさを感じてみる。

・音楽を聴き、イヤホンから流れる音を感じてみる。

少しずつ呼吸が楽になっていき、

・「今私、苦しくなってたな」

・「今私、過去に思考が行ってたな」

と、「今、ここ」で起きていることに注目出来るようになる。

 

「死にたい気持ち」が頭に浮かんできたら、すぐにこの方法を繰り返しました。

少しずつ、「死にたい気持ち」→「今ココ」に戻るまでにかかる時間が短くなっていきました。

 

死にたい気持ちを無くす方法ばかりを考えていましたが、

必要だったのは、死にたい気持ちが起こった時の対処法だった!

 

という事に気づきました。

 

またもや大発見。

 

「死にたい」になったら、「今ココ」に戻ってきてください。

 

私に必要なのは、「死にたい」気持ちにならない方法じゃなく、「今」に戻るための方法を見つける事でした。

 

 

 

 

 

 

次に続く。

「死」が頭から離れなくなって、私がまずしたことは、「1人でいない」でした。

 

「死にたいっ!」

夜中に発作的に、自分を傷つけたくなる衝動にかられ、包丁を求めキッチンへ向かいました。

本当は死にたくないのに、その時は「死ぬしかない」としか思えないのです。

包丁を前に自分が怖くなり、そのまま車に乗り込み友人の家に向かいました。

 

今思い出しても、あの時1人でいたら、私はここにいなかったかもと思います。

 

泣きながら夜中に訪ねた私を、友人は迎え入れてくれ、一緒にお茶を飲みました。

その時何を話したかは覚えていませんが、その日は友人の家に泊めてもらいました。

 

自分が異常な状態であることを自覚したと同時に、自分じゃどうにもならないから、人に頼ろう・・・と思いました。

 

誰かに頼られる方法は知っていましたが、誰かを頼る方法を私は知らなかったのです。

 

その後、カウンセラーにこのエピソードを話したとき、

 

「死にたい気持ちが70%を超えたら、救急車呼んでくださいね~」

と笑顔で言われました。

 

「え!救急車?そんなんで呼んで良いんですか?」と思いましたが、

 

「呼んで、無事だったら、それで良いじゃないですか」

 

と言われました。

 

これを言われて、私、泣きそうになりました。

 

死にたいって思わないようにしなきゃ!!と思ってカウンセリングに行きましたが、

必要なのは、死にたいって思ったらどうすれば良いかを考えていくことなんだ!!

 

と、またここで大発見でした。

 

うつ病は、病気の症状で「死にたい」って思っちゃう事あります。

その時に1人でいたら、死を選ぶのは本当に簡単なんです。

 

だから、そういう時は1人でいないでください。

 

死にたいって思わない方法じゃなく、死にたいって思っても死なないでいられる方法を考えてください。

 

 

 

次に続く。

 

 

 

20代後半でうつ病を発症した私。

 

↓(私のうつ病初期症状)

https://ameblo.jp/chonimo222/entry-12594628266.html

 

仕事を休職した途端、ピンと張っていた糸が切れたようにうつ病の症状が強くなりました。

 

①無気力。

何もする気が起きません。まず、朝太陽の光を浴びることがしんどく感じ、起きているのにカーテンを閉め切った部屋にいました。(でもそれが快適なわけじゃない)

ご飯も食べても食べなくてもどうでも良いし、欲しいものも何もない状態。

 

②悪夢を見て眠れない⇒死にたくなる衝動。

夜中、家族の夢(特に母)を見て起き、そのまま泣き崩れ呼吸が苦しくなり、過呼吸のような症状が起こる。

夢のことが頭から離れなくなり、現実との境目が曖昧になっていく。

また眠ったら、恐ろしい夢を見てしまうと、眠ることが怖くなってくる。

 

③職場の連絡を一切受け付けなくなる。

休職したことで、同僚達がメールをくれたのですが、とにかく職場が絡む連絡を受け付けなくなりました。

メールを開こうとすると、息が止まりそうになるような、とにかく体が拒否をしているような感覚でした。

 

④体がだるい。

抗うつ剤を服用していたため、副作用もあったと思いますが、ずっと体がダルい。頭が重い。

胃がムカつく。吐き気。乗り物酔いをする。

 

⑤とにかく自分を責める。

何をしていても、仕事を休んでいる事への罪悪感を感じ、「嬉しい」「楽しい」などのプラスな感情を感じると、「私はそんなふうに思う資格ない」とかハチャメチャな理由付けをして、自分を責めていました。

逆に「苦しい」「辛い」などのマイナスな感情に対しても、「そんなだから病気になる」「弱い自分」と何をするにも感じるにも、自分を本気で責めていました。

 

⑥常に死と隣り合わせにある。(最終的に死んだほうがマシという思考)

今生きていることはラッキーだなと思うくらい、常に死ぬことを考えていました。

「どんな死に方が楽か」「迷惑をかけないで死ぬ方法」など、死ぬことが常に頭にありました。

自殺するタイミングと環境があったら、私は今ここにいなかったと思います。

 

 

うつ病の症状って、人によって様々だし、認識の仕方も違うと思います。

うつ病って、ボヤァっと症状が出始めるので、本人には気付きにくいことも多くあります。

 

 

「最近、なんか私変かも⁉︎」と異変を感じたら、ぜひ誰かに話してみてください。

案外、自分より周りの方が、変化に気付いて心配してくれていたりします。

 

私はギリギリまで自分の変化に気付けなかったのですが、最終的に、人に話したことで、通院やカウンセリングに行く勇気を持てました。

 

話すことは勇気が要りますが、「死にたい」まで思っていたら、一回誰かに話して、その気持ちを外に出してみてください。

 

気持ちを外に出してみると、気付けることがあったりします。

 

 

 

 

次に続く。